304.友達


 ノスフィーの策略を乗り越えた僕たちは、一旦ラスティアラの治療をするために屋根の残っている建物を探して移動する。

 僕を含めた他の面々も無傷というわけではなかったので、MPの回復を含めて休息の時間を作ったのだ。


 消失した屋敷と違い、地下街の隅にてひっそりと建つ一軒家――そこを仮の拠点に選んだ。


 今度は潜伏者の有無をよく確認し、しっかりとマリアの炎の壁で侵入者を拒む。

 間違いなく、ここならば安心して休息できるだろう。


 僕は一軒家の屋根上で一人、腰をおろして、一息つきながら地下街の風景を目にする。昨日の夜と違い、下で火が点いているせいで風は少し暖かいけれど、十分に心地良い。


 屋根上に陣取り、目と『感応』で不測の襲撃に備えるという名目でここに座っているが、ノスフィーたちが城から出ると思っていない僕は少し気を緩ませている。


 座り込み膝を両腕で抱え、ぼうっと僕たちのせいで崩壊した街並みを眺める。

 別に数える必要はないが、倒壊した家を数え、被害総額を計上してみる。僕の世界のお金で換算すると軽く二桁億越えの金額だろう。これを弁償するとなると、いまの僕たちの手持ちでは厳しいところだ。この前の元老院の神聖金貨一万枚の話を受けなければならないかもしれない。


 苦笑いを浮かべ、次に僕は溶けた道路の修繕費も計算しようとする。

 だが、そのささやかな趣味は屋根上に現れた新たな来訪者に中断させられてしまう。


「あっ、カナミのお兄さん。こんなところにいたんすね」


 ひょいっと下から飛んできたラグネちゃんが、安定しない石造りの屋根上を慎重に歩いて僕の隣までやってくる。


「ちょっと中に居辛くて……。今日は色々とショックも受けたから……」


 僕は素直に理由を答える。

 結局、見張りなんてものは建前で、ラスティアラたちに見せる顔がなかっただけだ。


 それをラグネちゃんは察しているのだろう。

 頷き、微笑み、ゆっくりと隣に腰をおろす。そして、僕と同じように崩壊した街並みを眺めながら同意していく。


「そっすね……。私もお嬢があそこまでやるとは思わなかったっすよ。カナミのお兄さんが誘拐してくれた一件以来、もっと慎重な性格になったと思ってたんすけど……。まさか、あんな命を投げ出すような真似をするなんて、いまでも信じられないっす」

「いや、ラグネちゃん……。たぶん、さっきのラスティアラは命を投げ出してたんじゃないと思う」


 ここ数日で仲が良くなった僕たち二人は、躊躇いなく内心を吐き出していく。

 似たもの同士と互いにわかっているからできる答え合わせをしていく。


「あれは仲間との絆を確信して、「ここで私は絶対に死なない」って思っていた顔だ。手足が吹っ飛んだり、身体が焼き溶かされても、なんだかんだで最後にはみんなとわかりあえる。最後はみんな一緒のハッピーエンドって信じていた顔だった」

「……ああ、確かに。そんな顔してたっすね。……はぁ、理解できないっすねー」


 ラスティアラの強固で強大過ぎる勇気を前に、ラグネちゃんは僕と同じ感想を口にする。


 そう。

 リスク管理を気にしすぎな僕たちは、彼女の成功を目にしても、まだ理解しきれていないのだ。


 そういう性分とはいえ、自分たちのネガティブさが少し嫌になる。

 二人して「はあ……」と大きく溜め息を吐き合い、同時に顔を俯ける。


 しかし、落ち込んでばかりはいられない。

 すぐに僕は隣のラグネちゃんの来訪の目的を考え、こちらから切り出す。


「ラグネちゃん……。その頬の傷、どのくらい持ちそう?」


 僕は布でぐるぐる巻きにされた彼女の頬を指差す。

 間違いなく、これのためにラグネちゃんは来たのだろう。流れとしてはラスティアラの治療が終わったディアやスノウに頼んだけれど、やっぱり傷は塞がらず、最終手段でここにやってきた――そんなところのはずだ。


「んー、あと一日くらいで動けなくなるっすかね? 糸で縫ってもらって、シス様のすんごい回復魔法も貰ったので、ちょっとマシになったっすけど……血は止まらないっす。いまもじんわりと出血中なんで、正直このままだとまずいっす」


 僕と同じようにラグネちゃんも素直に内情を答える。

 頬に手を当てて、困り顔を作って僕を見る。

 そして、全く繕うことなく、本題を頼んでくる。


「なので、ちょっと急かしていいっすか?」


 彼女相手だと本当に話が早い。

 ラグネちゃんは懐から何かを取り出す。


「それ、もしかして……」


 彼女の手の平には、栗色の髪の房が一纏まり乗っていた。

 それを見たとき、僕は言葉の意味を全て理解する。


「このノスフィーさんの髪を使って、いますぐ全部視ましょうっす。カナミのお兄さんの反則な『魔法・・』とやらで――」


 それは全てに通じる解決策。

 けれど、ずっと後回しにしてきた選択肢だ。


「いつ、彼女の髪を……?」

「会ったとき、ちょちょいと後ろから拝借したっす。あ、量が足りないっすか?」

「足りないかどうかはやらないとわからない……。いや、それよりびっくりだ。相変わらず、そういうのが得意だね」


 おそらく、拘束されているときだろう。それならばありえないことではない。

 ただ、髪を切ろうとすれば、ノスフィーとて黙っていなかったはずだ。一切気付かれずに成功したのならば、ラグネちゃんの能力に驚くばかりだ。


 僕はノスフィーの髪を手渡され、その一房を見つめる。

 これに『過去視』を行えば、ノスフィーの人生の一端を知ることができるだろう。以前、街の大地を視て、マリアの動向を『過去視』で確認した経験がある。

 完全にとまでは言える自信はないが、この少量の髪からでもできるはずだ。


 しかし、僕は『過去視』の魔法を使うための魔力を練ることができない。

 ただ、単純にする気が起きない……。

 見つめたまま動かない僕に、ラグネちゃんは真剣な表情を見せて話を続ける。


「たぶん、ノスフィーさんはカナミさんを待ってるだけっす。私は敵じゃない気がするっすよ」

「それはラスティアラにも言われた。ただ、ノスフィーとは一度迷宮で本気でやりあってるんだ。互いに命を賭けて、本気で……」


 言い訳を重ねる僕。

 それにラグネちゃんは呆れた微笑を見せ、駄々を捏ねる子供をあやすように朝の言葉を繰り返す。


「その戦いの意味を確認する為にも視るんすよ。カナミのお兄さん、これは女心を知るレッスンスリーでもあるんで、絶対やるっす」

「あ、それ、まだ続いてたんだ……」

「はい、続いてるっす。ただ、もう面倒だし時間もないので、ぱぱっと裏技を使いましょーって話っすね。ライナーから聞いてるっすよ。カナミお兄さんの魔法は『未来視』と『過去視』だって……。なんでやらないんすか? いまのカナミのお兄さんは対守護者ガーディアン用の魔法と言っていいものがあるっす。『過去視』の魔法って、こういうときのために編み出した魔法なんっすよね?」


 徹底してラグネちゃんは正しいことを言い続ける。


 あの魔法が生まれた理由は一つ。

 守護者ガーディアンと戦うには、守護者ガーディアンのことを知ることが一番近道だと思ったからだ。相手を知ることが『未練』に繋がり、その『未練』解消が打倒に繋がる。

 まさしく、守護者ガーディアンを消すための専用の魔法だろう。


 その魔法でノスフィーを消し、『経典』を奪い、頬の傷の治療をして欲しい。

 いいからぐだぐだ言わずにさっさとしろと、ラグネちゃんは僕が急かしているのだ。


「そ、そうだけど……。でも、あれは大魔法だから。使うとなると、この国の結界を壊しかねない……」

「壊しましょうっす。もう気を遣う段階は終わったっすよね」


 ラグネちゃんは一刀両断する。

 厳しい子だ。

 最近、仲間たちは僕に甘いから、その厳しさが際立つ。


「嫌われる覚悟で、はっきり言わせてもらうっす。気を遣うつもりもないっす。私はみなさんほど優しくないっすから」


 ラグネちゃんは真剣な表情を崩さず、僕と向き合うように少し移動する。

 安全圏の中、腰をおろし合い、話し合いをするだけだというのに、ラグネちゃんから戦意を感じる。

 いま彼女は警戒を解かず、魔力を漲らせ、いつでも戦える状態をキープしている。


 挑戦者の目だ。

 僕が『理を盗むもの』たちに挑戦するときと同じ目だ。


 それはつまり、『次元の理を盗むもの』である僕と、本音をかけたぶつかり合いをしようとしていることに他ならない。


 ……正直、少し意外だ。


 この目をして、僕の前に現れるのはラスティアラだと個人的に思っていたのだ。

 僕を打ち負かすことができるのは、僕と正反対のラスティアラだけ。そう勝手に思っていたが、現実は僕と同じく臆病で打算的な性格のラグネちゃんが挑戦者として目の前にいる。


 彼女と向かい合っていると、少しだけ鏡を見ているような気がする。

 その鏡の先で、少女は僕の核心を軽く突く。


「カナミのお兄さんは……ノスフィーさんの過去を見て、これ以上自分を嫌いになりたくないんすね」

「…………」


 図星を突かれて、僕は顔を歪めて俯ける。

 黙り続けるけれど表情で肯定を示した僕に、ラグネちゃんは容赦なく話を続ける。


「たぶん、ノスフィーさんの過去は……ただただ、ノスフィー・フーズヤーズが正しく、アイカワカナミが間違っている過去っす。見れば自己嫌悪間違いなしっす」

「……だろうね。言いたいことはなんとなく僕もわかるよ。ラグネちゃん曰く、僕たち三人は似てるらしいからね」


 そして、その過去の間違いの内容も、いまの僕ならばわかる。

 さっき頭に血が上り、ライナーと戦った僕がいい例だ。


 おそらく、『たった一人の運命の人』にこだわりすぎている『次元の理を盗むもの』始祖カナミが道を間違えて、色んな人に迷惑をかける話だ。正直、もう見なくても大体のところはわかってしまう。


 僕は降参しながら答えていく。

 もう取り繕う必要はないので、これはこれで気が楽ではある。


「もう断片は結構見てるから、全体の予想はつくよ。ただ、それを見直すのが怖いんだ。これから覚えてない自分の失敗を見るってなると、ちょっとね……。億劫すぎてやばい」

「はー、もー。カナミのお兄さんって、ほんと器の小さい男っすよねー。そのくらい、ぱぱっと認めろっす」

「それができたら苦労はしないって。僕はそういうやつなんだ。見栄張りで完璧主義、理屈屋で臆病者。ラスティアラにかっこいいって思われたいから、いっつもいい子の振りをして、自分を正当化することばかり考えてる。……ははっ」


 先ほど、ライナーとの戦いで自分を見直したからだろうか。すらすらと自分の悪癖が口から出てくる。


 僕は他人からいい人に見られたくて仕方ない。


 だから、尊敬される立派な人間を目指している。

 道徳を尊び、正義の味方をして、弱者を守ろうと生きてきた。

 これでも結構……頑張ってきたつもりだ。

 子供の頃の憧れのまま、理想の自分に近づこうとしてきたつもりだ。


 ただ、その自分が実は悪いやつで、倒すべき邪悪だったなんてことを認めるの難しい。


「わかるっす。カナミのお兄さんは、みんなに慕われるいい子ちゃんでいたいんすよね。例の『たった一人の運命の人』ってやつも、周囲に流されて一夫多妻ハーレムやっちゃうと、なんか男として格好悪いから言ってるだけっすよね?」


 ラグネちゃんは皮肉っぽく、僕の八方美人を指摘してくる。


「たぶん、そんなところだろうね……。最近、自分で自分のことがあんまりわからないけど、ラグネちゃんがそう言うならそうなんだと思う……」


 ラグネちゃんの言葉は、本当にすんなりと頭の中に入ってくる。

 魔法でもスキルでもない。単純な共感が僕を素直にさせてくれる。


 この心の中の何もかもを言い当てられる感覚はパリンクロンのやつと戦ったとき以来だ。いや、パリンクロンのやつよりもラグネちゃんは、ずっとずっと僕に近い。


 パリンクロンのやつほどの才能や脅威をラグネちゃんからは感じないからだろう。

 彼女は小手先と口先ばかりを多用し、臆病で計算ばかりの戦い方をする。

 それに、とても親近感と安心感が湧く。


 思うのだ。

 もし僕から、この異世界のあらゆる優遇――『理を盗むもの』の力、千年前の遺産、恵まれた環境による成長――などを除けば、きっと僕のステータスの『素質』の値は彼女と同じ1.12前後。


 他人よりはちょっと恵まれているけれど、子供の頃のアドバンテージはすぐに消えて、本当の天才たちには絶対勝てない。そのくらいが本来の僕のはずだ。


 いま僕が『次元の理を盗むもの』としての強大な力を持っているのは、何かしらの『代償』を払っているからだろう。不正入手のチート強化だ。


 『詠唱』の『代償』は無意識の内に人格を書き換え、それに本人は全く気づけないパターンがある。たぶん、僕はそれに当たる。


 先ほどの戦い、ラスティアラが死ぬと思ったとき。

 思考全てが恐怖に染まった。心臓の真ん中に鉛玉があるように胸が重くなった。異常なまでに粘ついた脳みそ。思考が鈍り、全身が重く感じた。そして、たった一つのことだけしか考えられなくなる。護るべきは『たった一人の運命の人』。それだけ。


 冷静に考えれば、おかしい。

 ああも視野が狭くなるなんて普通じゃない。

 かつて、スキル『???』が膨らませた『混乱』が消えて状態欄は真っ白――だから、もう僕の心に異常はない――そう思っていたのが罠だった。


 上手く思考の隙を突かれたものだ。

 心の中で笑いながら、僕は自分の『ステータス』を確認する。



【ステータス】

 名前:相川渦波 HP543/543 MP1514/1514 クラス:探索者

 レベル36

 筋力19.21 体力21.11 技量27.89 速さ37.45 賢さ28.45 魔力72.32 素質6.21

【スキル】

 先天スキル:剣術4.98

 後天スキル:体術2.02 亜流体術1.03 次元魔法5.82+0.70 魔法戦闘1.01

       呪術5.51 感応3.62 指揮0.91 後衛技術1.01 縫製1.02

       編み物1.15 詐術1.72 鍛冶1.04 神鉄鍛冶0.57

 固有スキル:最深部の誓約者ディ・カヴェナンター

    ???:???



 いや、違うか。

 正確には、この二つ目のスキル『???』こそが――


「……それで、カナミのお兄さんが胡散臭いくらいの良い人になろうとした理由は、例の妹さんっすか? あ、ちなみに私はママっす。ママが死ぬ寸前、自慢できる『一番』いい子になれーって『呪い』かけてきたんすよねー」


 ずっと殊勝に黙り、延々と自省し続ける僕に飽きたのか、ラグネちゃんは次の話題を出してくる。


 もう本当に建前なしの会話だ。

 おそらく、何年もの親交を育んだであろう友にしか明かせない話をぶん投げられてしまった。


 ラグネちゃんのお母さんは死んでるのか……。

 この様子だとお父さんのほうもいなさそうだ……。


 境遇まで僕に似ていると思い、ふと僕は自分の両親について思い返す。


 両親との記憶は、あの高級マンションの一室内でしかない。

 大都会の空の横にある部屋。なぜか、いつも雨が打ち付けられている窓。淡色の家具で揃えられ、埃一つない完璧な空間。

 もちろん、テレビを点ければ両親の姿を確認はできた。しかし、両親の本当の姿を間近で見られたのは、あの部屋だけだった。


 僕の母は女優業をやっていた。

 自分の肉親を褒めるのもなんだが、黒髪の綺麗な人だった。


 母は僕に期待していた。

 その言葉を覚えている。

 ラグネちゃんと同じように「私以上の俳優になるのよ」と呪いのような期待をされていた。


 その隣には母だけでなく父もいた。

 ああ、まだあの頃は僕も期待されていたんだ……。最初は。


 そして、期待される僕の隣に立つのは妹。

 妹も僕を見て、目を輝かせていた……。最後まで。


「いや、僕は妹だけじゃないな……。たぶん、父さんも母さんも含めた家族全員だよ。家族みんな、本当に凄くてさ……。家族の誰にでもいいから、どうにか一度くらい褒められたくてとても必死だったんだ」


 本当に必死だった。

 あの家族たちと対等になりたくて、理想の自分のハードルはとても高かった。


「ふーむ。なら、ノスフィーさんもそんな感じっすかねー。カナミのお兄さんのため、すんごい良い子ちゃんになってるっすからねー」


 ラグネちゃんはノスフィーも同じだと言う。

 悪い子になると自称している彼女が同じだと……。


 それに僕は苦笑いで同意する。


「……そうなんだろうね。きっと」

「ええ、ノスフィーさんはいい子っす。本当にいい子っすけど、いまは悪い子になろうと必死っすね。その理由を知るのは大切っす。……勇気を持って・・・・・・、視ましょうっす。一歩前に踏み出して、新たな自分に――」

「わかってる。ここまで言われて、黙ってられるほど僕は強くないから安心して」


 放っておけば、いつまでもラグネちゃんの説得は続くだろう。

 絶対にノスフィーの過去を見せると覚悟した彼女の表情を前に、とうとう僕は折れる。


「というか、ラグネちゃんにかっこ悪いって思われたくないから断れない」


 そういうやつなのだ、僕は。

 それは異世界の話ではなくて、僕の世界での話。そういう風に生きて、そういう風に考えて、そういう風に選択するように出来てしまっている。


「っすよねー。私はお兄さんのそういう胡散臭いところが嫌いっすー」

「僕もだよ。ラグネちゃんみたいな掴みどころがないくせに、いつの間にか懐に入ってくる人間ひとは、ほんと苦手だ」


 僕とラグネちゃんは笑い合いながら、互いの嫌いなところまで公開し合う。

 そこに険悪な空気はない。それどころか、妙な安心感がある。

 自分と似た弱さを持つ人間がいてよかった……。そんな情けない安心だ。


 二人で十分に笑い合ったあと、僕はラグネちゃんと同じように覚悟を決める。


「それに早くしないと、ラスティアラたちに置いていかれるからね……。僕がどこか間違った道に進み切ってしまう前に、早く合流しないと」

「うぃっす! さあ、やろうっす! で、お嬢たちにいい報告を笑顔でしましょーっす!」

「ああ、やろう。ていうか、もうやれることは全部やってしまおう」


 僕は頷き、立ち上がる。

 屋根上にて大きく空気を肺に吸い込み、ゆっくりと腹の中にある黒い感情を外に追い出していく。


 深呼吸が終わり次第、身体から吐き出すものを魔力に切り替えていく。

 身体に纏うだけでなく空間を満たすつもりなので、その量は莫大だ。

 『ステータス』のMPが恐ろしい勢いで減っていく。


 このままMPが0になってもいいという覚悟はしている。

 このくらいのリスクで躊躇していたら、色んな人に幻滅される。


 ノスフィーは仲間だと、ラグネちゃんとラスティアラに言われた。

 彼女と友人だった『風の理を盗むもの』ティティーも、別れ際に僕の役目だと言った。

 ノスフィーを助けて欲しいと、僕は何度も願われた。


 もう薄らとわかってはいるが確認しよう。

 あのティティーと過ごした地下生活の中で、もう十分に答えを出せるヒントはあった。


 一番の糸口は、僕の寝込みをノスフィーが襲ってきた日。出会ってから二日目の夜。

 あのときの要求を拒否してから、ノスフィーは少しずつおかしくなったのだ。

 さらに、その直前に僕は重要な夢を見た。


 直前までノスフィーと接触していたせいか理由はわからないが、あれは間違いなく彼女の記憶だった。

 どこか知らない部屋でノスフィーと千年前の僕が二人。

 そのとき、僕は自失状態で返事もままならず、その世話をノスフィーが甲斐甲斐しく焼いていた。


 途中、一度だけ彼女は「お父様」とこぼした。


 それだけじゃない。

 ヒントは迷宮脱出の際、彼女との死闘の中にもあった。

 確かに、彼女は鮮血魔法《アイカワ・カナミ/アイカワ・ヒタキ》を唱えた。


 その身の中に僕たち兄妹の血が混ざっていると訴えてきた。

 そして、彼女の僕にこだわる姿。

 その仕草と、その顔と、その生き方は、まるで――


「――よし、これで国を覆うくらいの魔力はあるかな。まず次元魔法発動の邪魔を消そうか」


 頭の中の整理をしている内に十分な魔力を練り終える。

 いま地下街に満たされている圧縮に圧縮を重ねた魔力を解放すれば、大聖都全てを包み込むことができるだろう。


 本当に魔力が増えたものだ。

 レベル1のときとは、質も量も比べようがない。

 隣でラグネちゃんが「こえぇー……」と本気で怯えているので、僕は作業内容を口にして少しでも彼女の不安を薄めてあげることにする。


「『魔石線ライン』に『繋がり』を作って、次元魔法封印の術式ごと――全部封印しようと思う。たぶん、それが一番手っ取り早い」

「……封印の封印っすか? 言っていることはわかるっすけど、どうやるのか全くわかんないっすね。ほんとにできるんすか?」

「できるよ。これでも僕も『理を盗むもの』の一人らしいから……」


 僕は複数の『理を盗むもの』たちと戦い、全てに勝利を収めてきた。

 自負がある。ちょっとした誇りだ。


 その誇りにかけて失敗はできない。

 僕は屋根上から大きく跳んで、地下街の道路の一つに出る。興味ありげなラグネちゃんも同じくついてきて隣に立つ。

 そこで僕は手を地面について煤の下にある『魔石線ライン』に触れた。


「――魔法《ディスタンスミュート》、魔法《次元の冬ディ・ウィンター》」


 魔法名を口にする。

 だが結界がある為、魔法を体外には出さない。直接触れ合う手と『魔石線ライン』に『繋がり』を作って、独自の冷気を流し込んでいく。少しでも外に魔法が漏れると魔法は結界に阻害されるので、かなりの神経を使う。

 ただ、こういう作業は僕の得意とするところだ。


「あ、それ。懐かしいやつっす。――でぃ・うぃんたー」

「ああ、前に僕が使ってやつだね。僕の封印のイメージは、やっぱり凍結が一番がやりやすい」


 久しぶりの《次元の冬ディ・ウィンター》だ。

 体内で属性変化ができるようになったため、つい最近再現可能となった魔法である。もちろん、『水の理を盗むもの』陽滝の魔石がないため、以前よりは精度も燃費も劣っている。


 だが、《次元の冬ディ・ウィンター》は《次元の冬ディ・ウィンター》だ。

 おそらく、僕の使用できる魔法の中で最も得意で、最も信頼できるものだろう。


 その魔法を『魔石線ライン』に沁みこませ、次元魔法を封印する術式を冷やしていく。ときには、強引に術式を魔力でつまみ・・・ずらし・・・魔法相殺カウンターマジック』の要領で結界を破損させていく。


 『魔石線ライン』は性質上、国の全てに張り巡らされ、繋がっている。なので、逆に『魔石線ライン』を辿って、地下街から大聖都全体に干渉できるということでもある。


 それは機器に感染していくウィルスのようなものだった。

 冷気が伝い、地下街全ての『魔石線ライン』を停止させ、さらには地上の大聖都の道路や家屋にも侵入し、ありとあらゆる機能を凍らせていく。

 ちょっとしたサイバーテロだと思いながら、僕は『魔石線ライン』封印を確認する。


 これでもう次元魔法封印の結界は消えた。

 さらに言えば、例の人々を明るく元気にする魔法も消えた。

 これで敵は警戒や索敵もできない。

 連絡や魔力供給もできない。

 僕たち――賊のやりたい放題だ。


「よし。とりあえず、これで大聖都の『魔石線ライン』を全部凍らせたと思う」

「え、もう? あっさりすぎる……。ぜ、全部っすか?」

「うん、全部。せっかくだったから」


 その手早さにラグネちゃんは驚いたが、元々魔力を伝えやすい『魔石線ライン』に魔法を浸透させるのに大した手間はかからない。《ディスタンスミュート》で独自の『繋がり』を作られるからこそだが、基本的に『魔石線ライン』は無防備なのだ。


「今頃、地上は大騒ぎになってるかな……? ずっと続いてた魔力供給がいきなり途絶えるわけだから……」

「そっすねー。病院とか政庁とかは『魔石線ライン』頼りじゃないだろうっすけど、困ることは困るでしょうねー。まあ、寝てる人は気づかない程度のことだろうし、気にしないっす」


 実は余裕があったので、上手く病院といった特定のところは魔力供給を断っていない。これを知られるとまた皮肉を言われそうなので黙っていたが、彼女の口ぶりからすると別に断っても問題なかったようだ。


 だが、万が一がある。

 ノスフィーの明るく元気になる結界の恩恵を失った人々が、どういった行動を取るのか全く予想できない。目的は迅速に終わらせよう。


「いま僕は大聖都の人々から、ノスフィーの光を奪った。偽りの明るさだったとはいえ、もう後戻りはできない。――魔法《ディメンション》」

「おっ、ついに次元魔法……! 例の過去視っすね!」


 邪魔な結界が解除され、僕は久しぶりの魔法の知覚範囲を得る。


 いま僕が立っている家の内部を始め、地下街の全てを俯瞰して見ることができる。石畳の一枚一枚を数えるのに苦労はなくなり、先の戦闘の被害総額もすぐに算出できる。その知覚を使って、地下街から出る階段を上り、夜の大聖都に出る。

 大聖都全体にも《ディメンション》は満たされていく。人を家を道を橋を空を壁を、何もかもを包み込み、僕の魔力の支配下に置いていく。


 これで地上の家屋の数もわかるようになった。

 人の数も見える。どこで誰が何をして、どんな状態でどういった感情を抱いているのかわかる。やろうと思えば、《次元の冬ディ・ウィンター》を作用させることもできる。


 国全体を包んだ次は、いま手にあるノスフィーの髪だ。

 これに僕は渾身の魔力をこめて、本当の『魔法』を構築していく。


 いまの十分なレベルと魔力量ならば『詠唱』は必要ない。

 いや、違うか。そもそも、この僕の人生そのものが『詠唱』なのか。普通と違って、『理を盗むもの』たちは口にしてもしなくても余り関係ない。他の『理を盗むもの』たちがそうだったように、僕もそうなのだ。だから、僕は次元魔法の専門家としてやっていけている。


 自分の力の出所――そのリスクを理解し、僕は本当の意味での本当の『魔法』を構築していく。


「――魔法・・次元決戦演算ディメンション・グラディエイト前日譚リコール』》」


 この異世界生活を過ごし、ついに至った魔法。

 これこそが僕の全てと言える魔法を、手の平の一房の髪に放つ。


 光はない。

 代わりに濃い紫色の魔力が手の平で膨らんだ。

 それだけの視覚的効果。


 しかし、僕だけは視れる。

 目の視界ではなく、頭の中にある形而上の視界で視れる。


 ノスフィーの過去。

 その生まれと生き様と、僕への気持ち。

 全てを視ていく。


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