149.役者

 泳ぎを教え始め、一時間ほど過ぎたところで僕の体力は限界を迎えた。

 他のみんなは合間に休憩を挟んでいるからいいものの、僕は海の中で教えっぱなしだ。そろそろ疲れで足が攣りそうだ。


 甲板の椅子に座って、一人で休憩を取り始める。身体が冷えないように、水着の上に暖かな外套を着た。正直、もう今日は水の中に入りたくない。

 しかし、その甲斐あってか、全員が水に沈むようなレベルから脱した。

 一番絶望的だったマリアも、水に浮くくらいはできるようになった。

 

 案の定、後衛二人組は泳ぎの会得に難があった。

 ディアは隻腕であること以上に、身体を動かすことが下手すぎた。いまもお世辞にも泳げているとは言い難い。必死に両足を動かして、なんとか水上に顔を出せている状態だ。


 マリアは単純に水が苦手のようだ。陸の上では機敏に動けるが、水の中だと身体の動かし方がよくわからないらしい。火炎魔法で感覚器官を補助しているため、水中の状況を把握できないという理由もある。


 ラスティアラ、スノウ、リーパーは運動神経が優秀なのか、あっさりと泳げるようになった。ただ、セラさんだけは、泳ぎは上達したもののなぜか犬かきの泳ぎ方が一番速いという妙な状況になっていた。


 そして、いまはラスティアラとセラさんが、泳ぎに不安のあるディアとマリアを教えている。面倒見のいい二人がフォローしてくれているため、ディアもマリアも楽しそうに水遊びできているようだ。


 海の中で見栄え美しい女の子たちが戯れているのは、見ているだけで目の保養になる。

 それだけに惜しい。

 ここへきて、ようやくセラさんの主張を理解できてきた。

 せっかくの海水浴で全員が地味な水着を着用しているのは一種の冒涜だ。最高の素材を用意しておきながら、粗末な調理で穢したかのような感覚だった。

 機会があれば、この世界のデザインを把握して、最高の水着を用意しようと心に誓う。


 そのときだった。

 海で泳ぐ六人。そして、甲板で休む僕。それ以外の八人目が動いているのを《ディメンション》で感じ取る。


 ラスティアラの部屋で眠っていた白い少女が目を覚ましていた。


 上半身を起こし、周囲を見回している。

 状況を把握し、一瞬だけ戦意を燃やし、すぐに脱力する。


 その身の魔力の動きから、無理をして《ディメンション》を使ったのがわかる。しかし、いまの彼女では基礎魔法である《ディメンション》さえもままならない。おそらく、僕たちの居場所を察知したところで解除せざるを得なくなったのだろう。


 少女は悲しそうに笑った。

 虜囚となった自分の身を情けなく思ったのだろうか。僕の《ディメンション》で得られた情報だけでは、彼女の心情まではとても拾えない。


 そして、少女は重たげな身体を動かし、ベッドから出る。部屋の扉を開き、真っ直ぐと甲板へと向かっていた。

 その迷いのない動きから、少女が僕たちと会おうとしていることを察する。


 僕は立ち上がって、臨戦態勢に入る。

 少女の身体に力がないのは明らかだ。それでも、交戦する可能性はある。


 船内から少女が現れ、僕と目が合う。

 少女は迷宮のときと違い、ラスティアラの服を身に纏っている。布一枚身に纏わぬ姿も美しかったが、その白い肌に映える絹の服を纏っているのも、また別の美しさがあった。


 その青い目を細め、少女は笑った。今度は、心の底から嬉しそうに。


「楽しそうですね……、みな……」


 その笑みから、少女に戦意がないことがわかる。

 僕はできるだけ構えずに言葉を返すことにする。


「みんなで泳ぎの練習をしていたんです。35層は完全に水の中ですからね」


 少女も僕に合わせて気軽に応える。


「彼女たちの水着は少年が?」

「はい。これからのために必要だと思って」

「ふふっ、また・・飾り気のないものを作りましたね」


 また?

 水着を作ったのは初めてだ。なのに、少女は僕が以前も同じものを作ったかのような台詞を吐いた。それとも単純に、僕はセンスのない男に見えるのだろうか。言われて見れば、今日まで服のファッションに気を使ったことはない。


 たった二文字の違和感。その整合性を探すために、思考が勝手に回った。

 その間に、少女は次の話題へと移る。


「泳げないことには36層へすら辿りつけませんからね。それに100層までの旅路を考えれば、ここで泳ぎをマスターするのは必要なことでしょう。良い選択です」

「はい。できれば、40層までには全員がしっかりと泳げるようにしておきたいところです。……それよりも、体調は大丈夫ですか? よかったら、そこの椅子を使ってください」

「お言葉に甘えましょう」


 少女は騎士のように厳かに礼をして、ゆっくりと僕の向かいの席へと座った。


「もう暴れませんよね……?」

「ええ。少年と戦いたいのは山々ですが、君たちの幸せそうに遊ぶ姿を見て、少々毒気を抜かれてしまいました」

「それはよかった。気分を変えて水遊びしていた甲斐があります」

「それでこの船はどこからどこへ向かっているのです? 先ほどまで迷宮内にいたと思っていたので、少々困惑しています」

「ここは連合国南西の海です。いまは本土のヴァルトへ向かっている途中ですね」

「海……。そうですか、あの少年と少女は共に連合国を出たんですね……」


 感慨深そうに少女は空を見上げたあと、ゆっくりと目を閉じる。


「きっと……、この光景を夢見ていたんでしょうね……」


 『誰の夢』かは聞かない。

 少女が全身の力を抜いたのを確認して、僕も警戒を解く。そして、最も気になっていることを確認することを決める。


「こっちも少し聞いてもいいですか?」

「もちろん、構いませんよ」

「先ほどから語っている話、言葉遣い、呼び方……、全て僕の知り合いにそっくりなんです。無関係だとは言えないほど、あなたはその人とよく似ています」

「知っています。フーズヤーズの騎士ハイン・ヘルヴィルシャインですね?」

「……はい」


 少女は素直に認めた。僕は少し驚きながら、続きの言葉を待った。

 しかし、少女は僕の期待に応えない。前髪を指で摘み、忌々しげに弄りながら首を振った。


「……その男のことは忘れたほうがいい。もう死んだ人間です」

「わ、忘れられるわけありません。やっぱり、あなたは何か知っているんですよね。なら教えてください、あなたとハインさんの関係をっ」

「もう君も気づいてるでしょう? 簡単なことです。私を構成する材料に、ハイン・ヘルヴィルシャインの身体が使われただけ。私はハイン・ヘルヴィルシャインという存在を『再誕』させようとして、失敗した存在。だから私は、それなりにハインという男に似ていて、それなりにハインという男に詳しい。それだけのことです」


 淡々と少女は告げた。

 その内容は僕の知っている情報から、ありえない話ではなかった。

 薄々と予感していたことだった。それを少女の口から聞き、予感は確信に変わった。


「『再誕』の、失敗・・……?」


 ただ、失敗という言葉だけは予想外だった。


「そう、失敗です。何もかも失敗してしまった。パリンクロンも私も、誰も彼もが失敗した。そのせいで、私はここにいる。私は君の味方であるハインではなく、君たちの敵であるハイリとしてここにいる。……さあこれで説明は終わりです。これ以上は必要ない。早く私を殺してください。それで終わりです」


 つらつらと少女は語り続け、最後にとんでもないことを言い出す。

 その理論の飛躍に、僕は眉を顰める。


「きゅ、急に何を? 殺すわけないでしょう……!」

「このまま話を続けていれば、私は回復しますよ。そうすれば、少年たちと争うのは必然。その前に敵である私を、少年は始末しないといけない。簡単な帰結ですよ」

「待ってください。僕にそんなつもりはありません。もっと話をしましょう。あなたは本当にハインさんじゃないんですか? 余りにも似すぎていて、本人が乗り移っているとしか思えません」

「少年、君はハイン・ヘルヴィルシャインを騙る敵が現れれば、その度に剣を止める気ですか?」

「……まず話を聞きます」

「何を愚かなことを! そんなことで仲間を守りきれると思っているのですか。これから、多くの策謀が君たちを襲います。それらを跳ね除けるには、ときには冷徹であることも必要と知りなさい。こんな紛い物が一人現れただけで、何を動揺しているんです!」


 その僕たちを慮る言葉を聞き、僕は腰を浮かせて叫ぶ。


「ほ、ほらっ、ハインさんじゃないですか。ハインさんじゃないと言えない台詞だ!」

「違う! いや、そうだとしても、私を斬るほどの決意を見せろって言っているんです! 私はハインなんて名前じゃありません! ハインという人間は死にました! 少年と少女のために命を捨てて死にました! その行為を侮辱するつもりですか!!」


 少女もテーブルに拳を打ちつけながら、立ち上がる。

 一触即発の空気の中、お互いに譲ることなく睨み合う形となる。


「はい、ストップーー!!」


 そこへ第三者が介入する。長話している間に、海で泳いでいたみんなが甲板へと上がってきていた。そして、ラスティアラが勇む僕の肩を掴んで、強引に椅子へ座らせる。


「ラスティアラ、いきなり何を……」

「カナミって相手を感情的にさせるのは上手いけど、普通に説得は下手だよね……。というわけで交代。私だって聞きたいことあるんだから」


 ラスティアラは隣の椅子に座り、僕の代わりに少女と向かい合う。

 背後からマリアが心配そうに声をかけてくる。


「カナミさん、彼女が例の……?」

「うん。けど、戦うつもりはないから、できるだけ暖かく見守ってて。彼女はお客さんだから」

「……はい、わかりました」


 マリアは殺気立った魔力を収めて遠ざかる。

 彼女が何をするつもりだったのかは余り考えたくない。目の前の少女だけに集中している場合でないことに気づく。少し視野を広げて、ラスティアラと少女の会話を見守ることにする。


「お嬢様……。すみません、取り乱してしまいました」


 少女は現れたラスティアラに対し、愛しげに声を漏らす。


「……私をお嬢様と呼ぶってことは、やっぱりハインの記憶はあるみたいだね。それで、どのくらい残ってるの? 見た感じ『特注品』だから、血は全部使っているように見えるけど」

「……ええ、かなり残っています。が、穴だらけです。完全とは程遠いです」


 二人は専門的な用語を使って話し始める。少女が記憶は残っていると言ったのを聞き、身体に力が入る。また浮きそうな腰を、ラスティアラが声で制止する。


「はい、カナミ抑えてー。……パリンクロンがハインを『再誕』させようとしたんだね。聖人ティアラの『再誕』を真似て」

「ええ、あなたの推察通りです。しかし、予定外のことがあり、私たちは失敗したのです。死体の足りないところを『キリスト・ユーラシア』で補おうとしたところから、計算は全て狂いだしました」

「そうだね。『再誕』なら、ここには男性のあなたがいないとおかしいからね」

「ハイン・ヘルヴィルシャインは血を失いすぎていました。その補填に『キリスト・ユーラシア』の血を少し混ぜた途端、どういうわけか、私は女性の体に引っ張られ始めました・・・・・・・・・・。その理由はいまだにわかってはいません。ハイン・ヘルヴィルシャインの血が『キリスト・ユーラシア』の血に負けたわけではないはずですが……。とにかく、いまとなってはもう『再誕』に失敗したとしかわからず……」

「つまり、今のあなた――えっとハイリちゃんはハインの記憶があるものの、自分をハインと認めていない。そういうわけだね?」

「ええ、魔法は狂いに狂った以上、ハイン・ヘルヴィルシャインの再現は穴だらけです。ハインの友人であるパリンクロンも失敗だと嘆いていました。当然、私にハインとしての実感なんてあるはずありません。いえ、それ以前にこんな身体認めたくありません。多くの犠牲の上で成り立った、こんな身体……!」

「まあ、その身体にも色々あるだろうから、思うところが一杯あるのはわかるよ。私からは気にするなドンマイとしか言えないかな」

「もったいないお言葉です。こんな出来損ないの『魔石人間ジュエルクルス』に……」


 少女は朗らかに微笑んだ。

 僕と話していたときとは大違いだ。


 ただ、どうしてだろうか、その微笑が少しだけ嘘臭く感じた。

 本当に少しだけ……、どこか・・・嘘くさい・・・・


「うん、死んだハインの事情は大体わかったよ。それで、生きてるハイリちゃんはなんで迷宮の中にいたの? やっぱ、パリンクロンの命令? それなら即刻裏切って貰いたいんだけど」

「いえ、迷宮探索は自分の意思です。ハインの願いではなく、ハイリとしての願いを叶えようとしていました」

「ほうほう。新しい願いがあるんだね」

「いまの私は探索者ハイリです。パリンクロンに捨てられたあと、私は新しくできた友のために生きようと心に決めました。なので、いまはその友の目的である迷宮の最深部を目指しております」

「んー、でも最深部を目指すって感じじゃなかったけどね。私が見る限り――」

「ふふっ。わかってはいましたが、やはりラスティアラ・フーズヤーズに隠し事できませんね。あのハイン・ヘルヴィルシャインの生徒なだけはあります。お察しの通り、私に残っている我侭は『友のためになること』ではなく『友のために命を散らせること』です。それだけが、いまの私の人生の生き甲斐なんです。とてもロマンチックでしょう?」

「うわぁ……、これはまた、ハインとよく似た病気だねえ……」

「似ていることは否定しません。けれど、これはハインでなく、ハイリとして選んだ確かな願いですよ」


 二人の冷静な会話から、おおよその事情が飲み込めてきた。

 話が一段落したのを見計らい、僕は確認を取る。


「それであんな真似をしたんだね。君――えっと、ハイリは」

「ええ、記憶に残っている憧れの少年少女に敗れ、命を落とす。そして、その後に少年少女は私の真実に気づき、悲しみにくれながらも、乗り越えて成長する。実に私好みの話です。そんな死に方なら、まあ及第点なのです」


 ハインさんの記憶を持つ『魔石人間ジュエルクルス』ハイリは、軽い口調で自分の死を評する。


 しかし、僕は「及第点」という適当な表現に微かな苛立ちを覚えた。

 人生に一度しかない生き死にの話なのに、まるで他人事のようだ。ハイリから、生きる真剣さを全く感じられない。

 異世界に来てから、僕は人の死にいくつか関わった。

 守護者ガーディアンたち三人は、誰もが必死に生きていた。そして、命よりも大事なもののために戦い続けた末、この世から消えていった。だからこそ、ハイリの死への軽さが際立つ。


 抗うこともなく妥協しようとするハイリに、僕は口を挟む。


「君の寿命の短さは知ってるよ。けど、だからこそ君は生きながらえる努力をもっとすべきだと思うけど……」

「いいえ、短いからこそ、早めに死に方を決めるべきだと私は思います。ええ、残念ながら短い命ですので、何事も早めに決めなければいけません」


 目を伏せて、自分の命の儚さをハイリは悲しむ。一見、悲痛そうに見えるが、よく観察すれば口元が歪んでいるのがわかる。


「……悪いけど、僕には自分の悲劇に酔っているようにしか見えないんだけど。気楽な終わり方を見つけたから、何も考えずにそこにとびついているんじゃないの?」


 自分でも驚くほど厳しい言葉が漏れ出た。

 しかし、豊富なスキルによって研ぎ澄まされた観察眼が、次々と気に入らない要因を見つけてしまうのだ。苛立ちが収まらない。


 ハイリは内心を見透かされたことに気づき、口元の歪みを隠そうとしなくなる。


「……ふふ、ふふふっ。ええ、そうなのかもしれません。それでも、私は飛びつかざるを得ないのです。どうせなら、私は酔いしれたまま死にたい。壇上に輝く名優のように、華やかな劇中で息絶えたい。そして、君と戦っているときは、とても酔いしれることができていた。やはり、意中の人たちに殺されるというシチュエーションは悪くないですね。まあ惜しくも死ねませんでしたが」


 演出家のようなことをハイリは言う。悩んでいるものの、同時に楽しそうだ。

 その姿から、僕はハイリという名の少女の人間性を掴み始める。そして、ハイリとハインさんが別人であることを理解し始める。


 つまり、いまハイリが戦わないのは、盛り上がらないという理由だ。

 迷宮で運命的な邂逅のあとならばいいが、女の子たちが海水浴で遊んでいる隣で戦うのは気分が乗らない。そんな適当な理由なのだ。

 だから、やる気を失って、いじけて――ただ僕に殺されたいと主張してきた。


 そのずさんな彼女の姿勢が、僕の苛立ちの原因だと確信する。まだ時と場を選ぶ余裕があるというのに、彼女は安易に死ぬことばかり考えている。それはまるで、時と場を選べずに消えていった人たちを侮辱しているように見えてしまう。


 ハイリは似ている・・・・・・・・。しかし、少なくとも僕の尊敬する守護者ローウェン騎士ハインさんは、彼女のような真似は絶対にしない。


「少年も同じ状況になれば、きっと死に方をミスしたくないと思いますよ。誤差程度にしかならない延命よりも、美しい終わり方を求めるはずです」


 ハイリの言っていることは筋が通っている。

 僕好みで合理的な話だが――けれど、どこか嘘くさく、真剣さが足りない。


 言葉にはできないのだが、何か間違っている気がする。


「それでも、僕は君の自殺に付き合いはしないよ。君はもっとよく考えたほうがいいと思う」

「む……」

「だって君がハインさんじゃないのなら、生まれたばっかりの赤ん坊ってことじゃないか」

「ええ、生後一ヶ月もないですね……」


 僕は彼女がハインさんでないことを認めた。それどころか、リーパーやラスティアラよりも幼い、ハイリという赤子であると判断する。

 そう思うと、少しだけ苛立ちが収まる気がした。


「なら、もう少し経験を積んでから、大事なことは決めたほうがいい。一ヶ月もない人生なんて、余りに短すぎる。ギリギリまで必死に生きて、ギリギリまで悩んで――それでも僕に殺されたいと思ったなら、そのときは僕が相手してあげるから……。だから、もう少しだけ真剣に生きてくれないかな……?」


 冷静に落としどころを決める。

 もう先ほどのような怒りはない。ハインさんの口ではなく赤子の口から出た言葉なら、少しは許せる気がした。


 ハイリは急に穏やかとなった僕を怪しみ、揺さぶりをかけてくる。


「……しかし、その一ヶ月の間に最深部の奇跡を私に横取りされたらどうするのです? 私は僅か数日で30層を越えました。ありえない話ではありません。きっと私は殺されない限り、少年に奇跡を分けはしませんよ。そのときは殺してでも奪いますか?」


 痛いところを突いて、ハイリは殺害をほのめかしてくる。

 しかし、僕の口からは不思議と余裕ある言葉が出てきてくれる。


「そんな恥ずかしい真似はできないよ。そのときは君と交渉するか、別の手段を探すことにする。たとえ迷宮探索で敗れたとしても、僕は最後まで諦めるつもりはないからね。……まあ、前提として、迷宮探索で負ける気がしないというのもあるけど」


 異世界へ訪れた頃では、口が裂けても言えない台詞だろう。

 この数週間の多くの試練を乗り越えた事で、僕にゆとりを与えてくれたのかもしれない。


「変わりましたね、私の記憶にある少年とは少し違う。もっと余裕がなく、子供っぽいと思っていたのですが……」

「あのあと色々あって、それなりに僕も成長したから……」

「成長ですか。そうですか。ふふっ、それは頼もしいです……」


 ハイリは上品に笑う。

 奇妙な感覚だ。理性では少女が赤子のような存在だとわかっている。けれど、大人の貫禄をもって、僕の成長を見守っているようにも見える。


 歪だと思った。

 出会った頃の不安定なラスティアラに似ている。『魔石人間ジュエルクルス』として生まれてしまえば、その歪さからは逃れられないのかもしれない。


「仕方ありませんね。こうも朗らかに談笑を交えてしまっては、殺し合いはもうできそうにないですからね。とりあえずは少年の案を飲みましょうか。駄々をこねて、君たちに迷惑をかけるのは見苦しいですからね」


 とりあえずは、僕を相手に自殺を図るのはやめてくれるようだ。だが、だからといって僕の話全てを受け入れてくれたようには見えない。

 いまでもハイリは、隙あらば死のうとするだろう。そんな危うい気配が、彼女から消えない。


「私たちと君たちは最深部を奪い合うライバル。殺し合いはなしで。そうしましょうか。――それ以上はやめたほうがよさそうです」


 希望の展開を塞がれ、ハイリは悲しそうだった。

 そして、とても虚しそうに呟く。ありえない未来だとわかっていながら、あえて口に出しているかのように――


「もしかしたら、このまま・・・・――という幸運もありえるかもしれませんから」


 ハイリは僕を見ながら、そう言った。

 ハイリ自身に向けてではなく、間違いなく僕に向けてそう言った。


「……まだ時間はあります。君の言うとおり、もっと真剣に生きて、もっと良い解決策を探すことにします。私は手を抜きすぎていたのかもしれない」


 寿命の短い自分が、もしかしたらこのまま生き続けられる可能性もあるかもしれない。そうハイリが思うのならわかる。

 けれど、僕に対して「このまま」と言う意味はわからない。


 ハイリの言葉を考察していると、彼女は宙へと手を伸ばす。その手を何もない空間へとえぐりこませ、手の先が消える。そして、いくらか手探ってみせたあと、中から指輪を取り出した。



【魔石『門』の指輪】

 『門』の力を宿した指輪



 『持ち物』からアイテムを取り出し、それに魔力を通す。


「それではそろそろ帰りますね。ライバルのところで看病され続けるのは格好が悪いですから」


 苦笑しながら、ハイリは帰宅の意思を見せる。

 僕に止める理由はない。話すべきことは話し、決めるべきことは決めた。それは隣のラスティアラも同様のようだ。

 これ以上ハイリを問い詰めても新しい情報は出ないだろう。彼女の性格からして、教える気がない情報は、たとえ死んでも言わないだろう。


 なにより、ハイリ・ワイスプローペという存在が曖昧すぎるせいで、情報さえも曖昧だ。正直、彼女が本当に正しい情報を持っているのか怪しい。

 生まれたてのハイリはパリンクロンに知らされた情報を信じているようだが、僕たちには無理な話だ。


 これ以上引き止めて曖昧な情報を増やされるよりも、ハイリという不確定要素を遠ざけるほうが有意義だ。

 そう判断して、手を振る。


「ハイリ、身体に気をつけて……」

「ありがとうございます、少年。――《コネクション》」


 僕に見送られ、ハイリは僅かな魔力を使って指輪を砕く。そして、流れるような魔法構築で魔法の門を作る。

 《ディメンション》や『持ち物』の力を使える時点で予期していたことだ。あの広い三十層をよく探せば、ハイリの《コネクション》があるのかもしれない。


 その《コネクション》をよく見ると、僕と違う点が少しある。魔法の門の色がエメラルドグリーンだ。《コネクション》は全て薄紫色と思っていたが、もしかしたら個人の魔力の質で変わるのかもしれない。


 ハイリは静かに僕たちへ礼をして、《コネクション》へと手をかける。

 そして、そのまま扉を開けようとして、


「む、むむ? おかしいですね……」


 扉は開かなかった。


 もしかしたら、対の扉が機能していないのかもしれない。僕はそれをハイリに伝えようとして近づく。


 しかし、傍へ寄る前に、扉は大きな音をたてて開かれる。

 そして、開いた先から新たな少女が現れる。


 小柄な少女だった。ハイリと比べて、頭一つは小さい。しかし、その小さな身体でハイリの十倍近い生気を放っている。一目見て抱いた印象は太陽の花――向日葵のように明るい子だ。


「や、やっと繋がった! よかったーー!!」


 少女は栗色の長い髪を二つに分けて束ねている。その髪の房を揺らし、表情を豊かに変えながら彼女は叫んだ。


 そして、少女はハイリを見て安堵の表情を見せる。しかし、それはすぐに失われる。周囲の状況を把握し、僕たちを見て不思議そうに首を傾げ始める。


「え、え? 何ですか、ここ? え、誰?」


 その挙動不審な姿は、警戒中の子リスのようだ。

 ハイリは少女の頭に手を乗せ、ため息をつく。そのまま、きょろきょろする少女を押さえつけ、直立させる。


「――この子は、もう……。仕方ありません、紹介しましょう」


 予期せぬ展開でも、ハイリは冷静だった。

 そして、にやりと口元を歪ませて、向日葵のような少女の名を告げる。


私のパーティー・・・・・・・のリーダー・・・・・、シア・レガシィです。名前でわかると思いますが、パリンクロンの姪っ子ですね」


 理解したと同時に、胸が締めつけられるように痛む。

 その名前――いや、その『血』は僕の心臓を揺さぶるに十分だった。


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