433.十分に発達した魔法技術は



 小屋は崩落し、休息は取れなかった。

 けれど、一日目にして、第一目標であるグレン・ウォーカーが、向こうから合流してくれた。敵の奇襲があったとはいえ、最上の探索結果だろう。


 すぐに私たちは軽い自己紹介をし合ったあと(とはいえ、グレンは私相手には余所余所しく、言葉は通じるのに視線を合わせてくれない)、瓦礫まみれの戦場を離れていく。

 敵に位置を知られている可能性が高い以上、話をするにしても移動しながらがいいという判断だ。


 ちなみに、シスの強い要望により、セルドラは二人の納まったベッドを掲げたままの移動である。

 図太く二度寝を始めたシスを、クウネルは羨ましそうに見つめながら、例の安全地帯を広げての探索が再開される。


 その移動の途中、グレンは先ほどの戦いの詳細を、カナミから聞いていた。

 どうして、《ディスタンスミュート》だけで戦っていたのか、その説明を聞き――


「魔力の調子が良かったんです。だから、僕は無理のない範囲で、一人でも多く助けたくて――」


 グレンは他の仲間たちにはない表情を作った。

 歩きながら眉を顰めて、一度だけ「なるほど」と頷き、静かに怒りを露にしていく。


「カナミ君、仲間に心配をかけた時点で、それは無理のない範囲じゃない。……正直、軽く「一人一人の人生を『過去視』していく」と聞いただけで、僕はゾッとしてる」

「いや、それは次元魔法なら、そう難しくないことで……」

「難しくないけれど、辛くないわけじゃないだろう?」


 少し卑怯な問いかけだと思った。

 もし「辛い」と頷けば、休憩を余儀なくされる。かといって、あの作業を「辛くない」と言えば、それはそれで問題があるのだから。


「次、僕の前で同じことをしたら、その両腕を斬ってでも止めるよ。君はファフナーのところまで、お休みだ」

「……そうします。僕のやり方だと、延々と足止めされますし……。それに、確かに、ちょっと疲れた気がします」


 カナミは素直に受け入れた。

 グレンの物言いには、そうさせるだけの温かさがあった。


 将来の義弟への心配だけでなく、年上としての責任感も垣間見える。

 カナミも同じものを感じたようで、調子に乗りつつあった自分を戒めるように、ゆっくりと最後尾の私の隣についた。


 その一部始終を、クウネルはパーティーの真ん中で見ていた。

 話が綺麗に纏まったところで、胸を撫で下ろしながら、新たな同行者に話しかける。


「グ、グレン・ウォーカー……、すげえ! 強さも聞いてた話と、なんか全然違うし!」


 ほっと一息つくグレンの後ろから、褒め称えていく。

 それに彼は苦笑いと共に答える。


「こんなところで生活してると、嫌でも強くなりますよ。生きていくのに必要な分、命懸けで鍛錬しただけです」

「強い上に、謙虚ぉ! しかも、ちゃんと会長を叱れる大人! いまの会長相手に、ここまで言える人は中々おらへんよ!」

「そんなことありません。本来のカナミ君の仲間が一人でもいれば、僕と同じことを言っていました。必ず」

「…………っ!」


 それは謙遜しているようで、いまの『一次攻略隊』に厳しい一言だった。


 言外に、真の仲間ではないと指摘され、クウネルは咄嗟に言い返せない。

 自分たちが利害が一致したことによる『契約』によって生まれたパーティーであることを、誰よりも正しく認識しているからだ。


 それを一目で見抜き、挨拶もそこそこに忠告したグレンに、クウネルは警戒を強める。


「あてが連合国で聞いた英雄グレンの人物像と、本当に違いますねぇ……」


 連合国内でのグレン・ウォーカーのイメージは「かつて、『迷宮』を誰よりも踏破した『最強』の探索者であり、連合国の大英雄」だろう。だが、同時に「しかし、最高記録を更新した途端、安全な貴族生活に引き篭もった臆病者」といったマイナス面も多い。


 グレンと親しい貴族たちに話を聞いても、その評判は変わらない。

 彼は好青年だが、気が弱い。

 他人に嫌われまいと、いつも言い訳してばかり。

 失うことを極度に恐れ、安易で手慣れた道ばかり選ぶ。

 つまらない臆病者。

 それが、グレン・ウォーカーという男――のはずだった・・・・・・


 事前調査の情報と噛み合わないグレンの姿に、クウネルは困惑する。

 対して、彼は紳士的にエスコートしようと微笑みかける。


「クウネル様、自分が偉そうなことを言っている自覚はあります。……それでも、申し訳ありませんが、この『血陸』では先輩風を吹かさせて貰います。ここでの経験は誰よりもあると、自負しておりますので」

「あ、うん。めっちゃ正気みたいやし、お任せする。そのための合流だって、会長が言ってたことだし……」


 そう言いつつ、ちらりとクウネルは自分のリーダーに視線を向けた。

 最後尾のカナミは力強く頷いて、一時的にだが『一次攻略隊』の主導権を譲る。


 託されたグレンは先導していく。

 『竜人』『吸血種』がいても迷いがちな『血陸』を、クウネルと軽い歓談をしながら真っ直ぐ――


「では、まずみなさんが眠れる場所まで移動しましょうか。幸い、僕の安全地帯・・・・・・が、一つ隣の街に停泊しています」

「丸一日歩いてるから、それは助かるけど……。安全地帯が、停泊? どゆこと?」

「『血陸』に漂っていた船を奪って、自分なりに改造して使ってるんです。移動できる生活圏として、とても重宝しています」

「へー。底が丈夫な軍船とかなら、確かに大丈夫そうかも?」

「いいえ、軍船ではありません。ラスティアラちゃんの『リヴィングレジェンド号』が見つかったので、それを使っています」

「……あ、あの船を? いや、確かに会長の妹さんと戦っていたとき、本土方面で利用してたけど……、ほんまにあったの? こんなところに?」

「例の最後の戦いのあと、巡り巡って辿りついていたようです」


 聞き逃せない単語を聞き、隣のカナミが顔を上げる。


 思い出の深い船の登場に、その表情が少しだけ強張った気がした。

 『血陸』の端が海と繋がってるとはいえ、こんなところで再会するとは思わなかったのだろう。


「僕も『血の理を盗むもの』ファフナーに侵入者と認識されて、時々追っ手を差し向けられていましたが……、この船のおかげで、どうにか休息が取れています。皆さんが眠るには最適な安全地帯ですよ」

「お、おぉおおー……! 不眠不休を覚悟しかけていたところで、これはありがたい!」

「何より、あの船がなければファフナーのところには到達できません。いま彼は、血の海の上に浮かぶ結界の中、ずっと立て篭もってますので」

「血の海の上……。さっきから薄々と感づいてたけど、もしかして進めば進むほど、この血の水位って上がってく?」

「際限なく、上がります。おそらく、クウネル様でも血を押し退けられないほどの水位に、すぐなりますよ」

「けど、こちらのグレンさんは、最終目標であるファフナーまでの必要な足は、すでに確保してると? さらにファフナーの居場所まで把握していて、すぐにでも案内できると?」

「できます。それが、こちらに残った斥候ぼくの役目ですからね」


 情報共有していくにつれて、クウネルの頬は緩んでいき、とうとう興奮で騒ぎ出す。


「おいおい……。おいおいおい、おいおいおいおいー! グレン・ウォーカーと合流するのは時間の無駄とか言ってたん、誰やー! はっはっは、あてやー! さっきの襲撃で、もう隠れてこっそり帰ろうと思ってたけど、こりゃ明日にでも作戦終わるんやないのー? それもこれも全部、グレン様のおかげやねー! いやー、彼のような大英雄がいるなら、ウォーカー家は安泰安泰ー!」


 余りに将来有望な人材を前にして、クウネルは手の平を返して、とうとう様付けした。


 ただ、その真っ直ぐな賞賛を聞いて、グレンは「ウォーカー家……」と少し悲しげに呟いていた。

 その伏せた視線は、外套に隠れた自分の左腕に向けられている。


 変わり果てた自分の姿に、貴族の一人として負い目があるのかもしれない。

 それを察知したクウネルは胡麻すりを、すぐさま中止した。


 そして、押し黙った彼女の代わりに、次はセルドラが話しかけ始める。

 ベッドを掲げたままなので、少しシュールな光景である。


「グレン、その腕……。以前に見たときと、少し様子が違うな。もしかして、俺の教えた『魔人返り』を安定させる魔法で、『魔人』の影響を左腕に集めているのか? 左腕に、針も翅もあるように見えるんだが」


 過去にセルドラは、この『血陸』でグレン救出に出向いている。

 そのとき、ただ知り合っただけでなく、軽い師弟関係にもなっていたようだ。


 二人は戦場を歩きながら、『魔人』についての話をする。

 それは私にとっても興味深い情報だったので、少しだけ前に出て、聞き耳を立てた。


「……色々とありまして、セルドラ様の魔法を勝手にアレンジさせて貰いました。駄目でしたか?」

「いいや、全く……。むしろ、それを俺は見たかったくらいだ……。それで、おまえはビーの特徴を左腕に集めた上で、自分の翅を・・・・・裂いたんだな・・・・・・? その裂いたはねを紡いで、さっきの『黒い糸』にしたんだろう? 確かに、それならば、おまえの特性を最大限に活かせるだろう。その腰の短剣に付いている『糸』は、全て翅か?」

「……ええ。翅を四枚、僕の得意な短剣に括り付けています。代わりに、飛べなくなってしまいましたが」

「いや、そのナイフをアンカーのように利用して、跳ぶんだろう? 『魔人』の飛行能力を完全に捨てたわけじゃない」

「流石、伝説のセルドラ様。何もかも全て、お見通しのようですね。その通りです。こちらのほうが、よく物陰に隠れる僕には向いていると判断しました」


 早口でセルドラは捲くし立てていく。

 グレンは途中まで言いよどんでいたが、観念して外套を少しずらした。

 昆虫系『魔人』の特徴を、装備と共に説明していく。


 どうやら、先ほどの戦闘で使われた『黒い糸』は、彼の翅だったらしい。

 つまり、あの怪音は、羽音で合ってたわけだ。

 あの不可思議な力の全てに説明がつくわけではないが、その仕組みの一端を知ることが出来て、少しだけ知的好奇心が満たされる。


 そして、そのグレンの『魔人』の力を、セルドラは我が事のように喜んで話す。

 対してグレンは、その話を微笑と共に受け入れ、素朴な質問にも素直に答えていく。


 グレンはセルドラのことを心から嫌悪しているらしいが、その心情は見て取れない。

 それは大貴族ウォーカー家の養子としての処世術の力か。

 クウネルの「グレンはセルドラを嫌悪している」という情報が嘘だったか。

 いまのところ、まだ判断できない。


「――ああ。それと、さっきの『黒い糸』は振動していたな? 俺から見ると、そこまで高周波じゃなかったが……、十分に振動ナイフとしての条件は満たしていた。間違いなく、あれはSFに出てくる振動系武器の一種。いわゆる、『振動剣ヴィブロ・ブレード』ってやつだな!」

「えすえふ、びぶろぶれーど……? 振動はわかりますが、剣というつもりは全くありません。ナイフを重り代わりにして、僕特製の『魔石線ライン』を振り回してるだけなので」


 あの『黒い糸』を、グレンは『魔石線ライン』の一種と認識しているらしい。


 あれが本当に翅の一種で、グレンの体液が巡っているのならば、確かに『魔石線ライン』と言える。聖人ティアラが量産した粗悪品よりも、千年前のオリジナルの『魔石線ライン』に近いくらいだ。


「むっ……。なるほど。その特性の『魔石線ライン』で敵の魂に触れて、直接振動を伝えたってわけだ。つまり、SFによくある物質切断でなく、魂切断に特化してるわけか」

「……は、はは。本当に。……よく、一目でわかりますね」

「わかるさ。同じことを、千年前に俺も試したからな」

「そうですか。セルドラ様も、試したのですか。それなら、仕方ないですね」

「やはり、おまえは一番俺の発想に近いな。同じ魔法を教えられても、義妹のスノウとは全く違う使い方をする。ただ、合理的に、どうすれば確実に相手を殺せるかを考えるさがを、生まれ持っている」

「……スノウさんと違って、僕は人には言えない里の生まれですからね。基本となる良心モラルに差は出ます。ちなみに、ちゃんとスノウさんの身体は治りましたか? カナミ君に魔石のペンダントを返してから、『竜化』の症状が表に出てきたと聞いていたのですが」

「ああ、それは大丈夫だ。あいつは俺から教わった魔法を、素直にそのまま使った。全身はまだのようだが、放っておけば、完全に『竜化』をコントロールして、綺麗な身体に戻るだろう」

「ああ、よかった……。それなら、いいんです。それなら……――」


 歩きながら、軽い調子で濃い話をしていくものだ。

 その中、グレンがセルドラを何度も見つめては、少し間を空けてから笑うのが少し怖い。


「そして、いま俺は確信した! やはり、竜人ドラゴニュートのスノウではなく、兄のおまえこそが本当の『最強』だったってことをな! あの『黒い糸』ならば、『理を盗むもの』たちだって相手取れる! おまえは本当に天才だ!」

「僕が『最強』なんて、おこがましい話です。ただ、『悪運』が強いから生き残ってきただけの男ですよ」

「その生き残るだけというのが難しいんだ。向こうの生物学では、強いってのは生き残るってことらしいぞ。つまり、科学的に優秀な遺伝子が、お前には備わってるってことだ。それを、もっとおまえは――」


 それなりに道を進み、さらにセルドラが目を輝かせたときのことだった。

 唐突に話が中断され、先頭のセルドラとグレンが立ち止まる。


「――っ! せっかく遺伝子の話をするところで……!」

「あれだけ魂を消したのに、もう?」


 道行く先の血の浅瀬に、泡のようなものが沸き立っていた。

 ちなみに、すでにクウネルは、最後尾である私たちのところまで逃げている。


「――――、――――――――――――ッ!」


 そして、見慣れた光景と共に、また『血の魔獣』たちが血の浅瀬から現れた。

 周囲を囲むように、数十体。

 今度は最初から分裂しているようだ。

 形も葡萄のようなやつだけでなく、腸のような紐が螺旋状に渦巻くことで四肢を作っているのもいる。


 私の隣を歩いていたカナミも、敵の登場に反応していた。

 だが、先ほどの忠告が効いているようで、我先にと戦いに飛び出しはしない。

 先頭のグレンがこちらに視線を送って、釘を刺していた。


「カナミ君は、休憩を。ここは僕かセルドラ様のどちらかで、敵を殺しながら真っ直ぐ進みます」


 その提案にカナミは少しだけ迷ってた様子だが、すぐに頷き返して、戦いを前方の二人に譲る。


「それなら、ここは俺に任せてくれ。丁度、グレンに見せたいと思ったところだ。……おそらくだが、この新しい魔法は、『血陸』のモンスターたちに特効だ」


 リーダーの許可を得たセルドラは、カナミに「シスを頼む」と言って、ベッドを放って渡した。隣に立っていた私はベッドに潰されるかと思ったが、カナミは細い体躯ながらもベッドを軽く支える。わかっていたことだが、カナミも化け物だ。下手すれば、カナミのほうが筋力があるかもしれない。


 その受け渡しを確認したあと、セルドラは前を向いて、鎖から放たれた獣のように白い歯を覗かせた。

 そして、また片翼だけの『竜化』を行なったあと、その身体の熱を吐き出すかのように、羽ばたく。


「――『竜の風』よ。俺の魔力を運べ」


 小屋の中のときと違って、今度は柔らかな風だった。

 敵を押し潰すような激しさはなく、春風のような心地良さが一帯を吹き抜けた。


 魔法で喩えるなら、《ゼーア・ワインド》でなく、《ズィッテルト・ワインド》に近い。

 竜人ドラゴニュートという種族は、その種族特性だけで上級の風魔法に近いことが出来る。その『上位魔人』たる所以を見せつけながら、襲い掛かってくる『血の魔獣』たちを風で包んだあと、宣言した『新しい魔法』を使用していく。


「――魔法《ニュークリア・主鎖断裂ジェノサイズ》」


 風に何かが混ざる。

 直感的に良くないものが加わったと、後方にいる私でもわかった。


 柔らかさは、不気味さに。

 心地良さは、気持ち悪さに。

 その魔法は正体不明で、とても奇妙。


 そして、その効果は絶大だった。

 先ほどのグレンの『黒い糸』と同じように、風に触れた途端に『血の魔獣』が数体ほど、形を保てなくなり、溶け始めた。本当に軽く、ふわりと風が吹くだけで――


 その魔法の説明が、セルドラ自身の口からなされていく。


「グレン、ちゃんと見たか? 俺は『向こうの世界』で色々と学び、『こっちの世界』で応用することを覚えた。この世に存在する不思議な力は、魔力だけじゃない。これは、その中の一つの――放射線だ・・・・。もちろん、純正でなく、無属性魔法の振動による再現だが、それでも十分に面白い」


 これがグレンに見せたかったものらしい。

 溶けた『血の魔獣』たちは、身体を再構築することもできない。


 その力を見せつけられたグレンは、まだ周囲に『血の魔獣』は残っているというのに、クウネルの安全地帯から出た。そして、溶けて消えていった『血の魔獣』を探すように、血を掬っては眺める。


「あの程度の風で、こうもあっさり……? これは……、相手の魂でも身体でもなく、血肉の……構造に・・・、攻撃が行われた?」

「この『術式』が、わかるようだな。やはり、おまえは勘がいい」


 私と違って、魔法の名残から《ニュークリア・主鎖断裂ジェノサイズ》とやらの正体を掴んだようだ。


 セルドラは出来のいい生徒を持った教師のように、周囲の『血の魔獣』たちを溶かしながら、楽しそうに講釈を述べていく。

 不吉な風を、この『血陸』に吹き抜かせながら――


「こうもあっさりと倒せたのは、『血の力』の源がデオキシリボ核酸で、それの破壊に放射線の魔法は長けているからだ」

「……は?」


 デ、デオキシリボ核酸……?


〝……それは、俗に言うDNA〟

〝生き物の遺伝子を保存したり、受け継いだりするアレ――〝


 と、一度『異邦人』と混線したとはいえ、流石に知るはずのない知識が頭に浮かんだので、隣のカナミを睨む。


 いつの間にか、その指先から『紫の糸』が一本だけ伸びていて、私の頭に向かって繋がっていた。


「(……教祖様、何してるんですか?)」

「放射線は治療にも使われるんだよ。知って損じゃない」


 本当に「いつの間にか」という言葉が似合いすぎる亡霊のような人だ。

 しかし、その胡散臭いカナミのおかげで、最低限にだが理解できた。


 ただ、わかったからこそ、セルドラが無茶を言っているともわかる。

 DNA。

 明らかに、この『異世界』には合わない・・・・単語だ・・・


 『元の世界』旅行経験者のセルドラやクウネルでも難しそうな話を、果たしてグレンが理解できるのだろうか。


「デオキシリボ核酸――つまり、DNAは、親から子に経験を想いを受け継がせる『魔法の糸』みたいなものと思ってくれ。それは目に映ることはないけれど、家族の間に『血の繋がり』を作ってくれる。……二重螺旋構造で、本当に大切なものだ。それが生き物を構成する細胞一つ一つの核にもなっていて、もし異常が出れば命に関わる」


 セルドラは風で近寄ってくる『血の魔獣』を迎撃しつつ、楽しそうに話し続ける。

 その身勝手な説明を聞くグレンは……、意外にも真剣な顔つきで、話に置いていかれていない様子だった。

 掬った血を眺めつつ、自分なりの解釈を返す。


「DNAとやらが、私たちの身体を構成する大切なものということはわかりました。向こうの世界の知識でありながら、こちらの世界でも重要であることも」

「ああ、重要だ。間違いなく、全ての原因である『魔の毒』は、ずっと俺たちのDNAに異常を及ぼしていた。だから、その対策として研究された『血の力』は、自然とDNA操作に特化している――って感じなんだろう。たぶんな」


 セルドラは持論を語りつくしたところで、こちらに振り向いて同意を求めた。

 ただ、それを見るグレンの目は冷たい。


 『血の力』による『血の魔獣』の操作を、放射線なら無効化できるという話だが――最後に「たぶんな」という言葉が付け足されたことで、ここまでの講義が胡散臭くなったのだろう。

 グレンが目を細めていぶかしんでいると、セルドラは苦笑いしながら前を向く。


「まだ聞きかじりの段階だから、色々と雑なのは許してくれ。……実を言うと、いま俺が使ってる放射線も、全てが自前ってわけじゃない。向こうの世界のフィンランドって国で、『高レベル放射性廃棄物』をくすねて食べたから、こうして使えるようになってるだけだ」


 セルドラは自らの腹部を擦りながら歩き、その背中の片翼を何度も震えさせては、不気味な風を巻き起こす。


 そして、風に乗った特殊な魔法によって、『血の魔獣』たちは問答無用で溶けていく。

 セルドラの持論を信じるならば、魔法の放射線で『血の繋がり』を断たれたことで、『血の魔獣』たちは形を保てなくなっていく。


 効果は絶大だ。

 特効と、セルドラが誇るのもわかる。

 ただ、かつて私が可愛がった『血の魔獣』たちが、こうもあっさりと処理されていくのは、少しだけ物悲しいものがあった。隣のカナミも、私と同じような表情をしている。


 その最後尾組の表情を見ることなく、セルドラたちは新しい力についての話を続けていく。


「く、くすねた? セルドラ様、あなたは遠くの地で一体何をやってるのですか……」

「……あ、いや、くすねたってのは言葉の綾だ。捨てる場所に困っていて誰も要らないって話だったから、俺は親切心で食ったんだ。しかし、ないほうがいい物なのに、なくなると滅茶苦茶困ったらしい。向こうのお偉いさんたちと色々話し合うことになったが、これにはそれだけの価値があった」


 話す間も、次々と『血の魔獣』たちが現れては処理されている。

 中には、血の浅瀬から這い出てくるよりも先に弾けて、ただの泡としかなれないやつもいた。


 ついさっきまで脅威的だった『血の魔獣』が、もう本当に手慣れたものだ。

 カナミの「出来る範囲で救う」という縛りがなくなり、ただ「敵を殺す」だけならば圧倒的だった。


「とにかく、はっきり言えることが一つだけある。それは、向こうの世界には、俺たちにとって必要なものが沢山あるってことだ。あっちは本当に楽しいぞ。だから、おまえも来い、グレン……。調べ始めたての俺でも、こんなに胸が震えている。足りなかったものが、次々と満たされていく。俺たちのようなやつでも、ちゃんと満たされるんだ……! 『最強』なんて馬鹿みたいな称号を付けられたお前なら、わかるはずだ! いまの俺の言っていることが――!」


 グレンは顔を顰めて聞いていた。


 もし、この下手糞で気持ち悪い勧誘を出会った頃から続けているのならば、セルドラが嫌われているのはよくわかる話だ。

 私の中でも、セルドラの評価がどんどん下がっていくのだが――


 一つ、気になることがあった。

 この真っ赤な血塗れの世界で、こうやって自分勝手な勧誘をしているのを見たのは、二度目の気がした。

 知り合いの職員の中に、セルドラと似た声の男がいたような……。


「――そうだっ、あれもある! おまえの得意な毒に近いウィルスも面白いぞ……。病魔の原因となるウィルスでなく、仮想空間を蝕むウィルスってのがあってな。これが本当に、こちらの世界の『術式』によく似ているんだ。ホラー系の本を参考にして、俺は接触感染型ではなく概念感染型のウィルスを一つ作った。『呪い』のように、とある条件を満たすと発動するのを想像してくれ。世界の理から感染するウィルスとかっ、もう誰も、こんなの防げないだろう!?」

「セルドラ様、面白くありません。そんな危険な魔法を作って、何に使うんですか……。どこの誰を相手にして……」


 とうとうグレンは嫌悪を込めて否定をした。

 千年前の偉人が相手ということで敬意を保ち続けるのも、ここが限界だったようだ。


どこの・・・……、誰を相手に・・・・・……?」


 グレンの苦々しい顔を見て、セルドラは何かに気づいたかのような表情となる。

 熱に浮かされていた自分に気づいたようだ。

 目に見えて彼は落ち着いていき、その熱を冷ましていく。


「あ、ああ……。グレンの言う通りだ。いま言った力は使用どころか、安易に語ることさえ許されないものだ。取り扱いは厳重に、細心の注意を払わなければならない」


 『夢』から覚めるように、グレンの否定を肯定する。


 あれだけ興奮しておきながら、たった一言の諌言で冷め切った。

 感情の落差が激し過ぎる。

 落ち着いた大人と思われがちなセルドラだが、『理を盗むもの』の一人であるとわかる一幕だった。


「……だ、だが、いま、ここでは積極的に使うべき力だ。これ以上カナミに負担をかけないためにも、こいつらに効率よく対処する必要がある。大事なのは、時と場合を選ぶことだ」


 そして、話を終えると同時に、セルドラは片翼を大きく羽ばたかせた。


 一際大きな風が吹いて、いま視界内にいる『血の魔獣』たちが全て形を崩して、葬り去られる。その柔らかな風に熱は一切なく、厳かで冷たい追悼の意が込められているように感じられた。


 セルドラは敵たちを、効率的に適切に処理し終えて、一呼吸も休むことなく前に進み続ける。


「足を止めず、進もうか。俺の《ニュークリア・主鎖断裂ジェノサイズ》は相手の肉体を崩してはいるが、魂を破壊しているわけじゃない。また同じ場所から『血の魔獣』が出てくる可能性がある」

「そのときは、僕が魂ごと殺しますが……。足を止めないことには賛成です」


 セルドラとグレンは並んで、先頭を歩いていく。

 決して良好な関係とは言えない二人だが、先頭で揃うと頼もしいのは間違いなかった。


 その二人の後ろをクウネルが付いていき――、さらにその後ろでは、ベッドを両手で持ったカナミが視線を横に向けていた。

 いま形を崩した『血の魔獣』たちの跡を十分に見つめたあと、最後尾の私の隣を歩いて付いて行く。


 ――再開された『血陸』探索は、順調に進む。


 崩れた街は、すぐに抜けた。

 ただ、依然としてパーティーは休息を取れていない。

 ファフナーに感知されているとわかり、移動は以前よりも早足となっている。

 さらに辛いのは、グレンの指し示す方角に進めば進むほど、血の水位が激しく上昇していくこと。


 水位の上昇は道が正解という証拠だが、安全地帯を作っているクウネルの負担は、急激に増す。

 現れる敵たちをセルドラとグレンが殺し続けて、『血陸』を進むこと数時間ほど――


「も、もうやばい、すっごい眠いぃ……。あと、なんか血がっ、血が重いぃぃ……」


 森や山を越えて、二つ目の血塗れの街に入ったところで、クウネルの限界が近づく。

 血の水位は膝上から、胸元まで上がっている。


 ここまで来ると、もはや周囲は浅瀬と言えない。

 街が赤い湖に沈んでいると表現したほうがいい。

 安全地帯の円周には、一メートルほどの赤い壁が出来上がっている状態だ。


 クウネルは息を切らせて、ギブアップしかける。

 最後尾のカナミが心配して、役割の交代を提案しようと駆け寄った。


 ただ、その前に先頭を進んでいたグレンが、明るい声と共に振り返る。


「――クウネル様、ありがとうございます! 本当に、よく頑張ってくれました。しかし、もう大丈夫です。見えました、あれが『リヴィングレジェンド号』です!」


 前方を指差した。


 真っ赤な空と太陽の下、パーティーの安全地帯より数百メートル先に、幽霊船のように大きな船が佇んでいた。

 ぱっと見たところ、まだ血の水位は足りず、座礁して動けなくなっているように見える。しかし、ここにいる化け物たちが何らかの魔法を使えば、動かすのはそう難しくないことだろう。


 あれこそ、フーズヤーズ国の歴史書に、一頁丸ごと使って記述されている船。

 連合国では語り草となってしまった『リヴィングレジェンド号』に辿りつく。

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