破れた頁




 ――こうして、『相川兄妹の物語』は終わり、続きは始まるだろう。



 この私、ティアラ・フーズヤーズが必ず、その『最後の頁』を引き寄せる。

 ただ、だからこそ、その私が決めなければいけないことが一つあった。


「――ひひっ。つまり、ゲームクリア後に、『主人公』は何をするかって話だね」


 明るく、冗談交じりに。

 相川兄妹のセンスに合わせて、そう口にした。


 それは、続きの話。


 陽滝姉が怯えているであろうものとは、真逆。

 『主人公』が『最後の敵』を倒してしまったあとの幸せな日々についての悩みを、私は最後の戦いの前に・・・・・・・・確認していく。


 これから、私は『開拓地』の連合国にいる『最後の敵』と戦う。『南北連合』の全戦力をぶつけて、あらゆる駒を犠牲にしてやって、心中する。その前に――


「は、はあ? なんじゃ、それは……?」


 最後の『使徒』ディプラクラと話す。

 例の世界が凍りついた日に、世界樹から『無の理を盗むもの』セルドラに救出されて以来、彼は『南北連合』に保護されていた。


 なので、いま私が話している場所は本土のヴィアイシアの城。

 その地下に作らせた『異邦人』対策室の一つ。フーズヤーズ大聖堂地下と同じ造りの部屋で、私はとある『魔石人間ジュエルクルス』の身体を借りて、ディプラクラはとある『樹人ドリアード』の身体を借りて、かつてとは大きく立場を変えて、千年前の続きの話をしていた。


 それは、あらゆる意味で続き・・の話。


「師匠は全てが終わったあと、何の目的もなく、ふらふらと……。回収できていないイベントを探したり、ダンジョンで開け忘れた宝箱を見つけたり? それがゲームクリアの後だね」 

「むう……。よくわからぬな……」

「いひひっ、もう少し向こうの世界にも目を向けなよ。とにかく、世界を救うことを誘えば、絶対に師匠は断らないよ!」

「…………」

「ほんとほんと! あの師匠の弱さと優しさだけは、何があっても変わらないからね。そこが師匠の根本で、一番かっこいい所」


 そう信じている。


 師匠の性質が『鏡』とか中身が空っぽとかは、重要じゃない。

 人格が作られているかどうかも、関係ない。

 私にとっての『相川渦波』は、全次元の全世界で、最も優しくて、かっこよくて、頼りになる『主人公』。それだけは誰にも否定させない。


「か、かっこいい? いや、うむ。弱き者の心を共有できることが、渦波の真価なのは間違いないじゃろうな。一時でも『理を盗むもの』と手を取り合えたのは、その力ゆえじゃ。あの心優しき渦波ならば頷いてくれるだろうと、儂も確信しておる」


 私の評価にディプラクラは概ね同意のようだったが、「かっこいい」という点だけ首を傾げていた。


 ……わかっている。

 首を傾げられた部分は、ただの惚れた弱み。


 そして、その「大好き」という想いは、もう私のものではないことも……、わかっている。


 だから、いま湧いた感情は、しっかりと捨てて、私は私の信念を貫いていく。


「うん……。だから、その続きのためにも、黙って見ててね。

 知っての通り、私は――

 ラグネ・カイクヲラに師匠殺害を行わせた。

 ノスフィー・フーズヤーズに師匠の蘇生を行わせた。

 ファフナー・ヘルヴィルシャインの血に混ざって、師匠とラグネの暴走を促した。

 ラスティアラ・フーズヤーズを、私の代わりに死なせた。

 一度、陽滝姉に勝たせて、『世界』を凍らせた。

 ――これから、その陽滝姉の油断を突いて、私は勝つ。

 勝って、一緒に消える。

 消えたあとは、全ての『魔石』は師匠に集まる。

 だから、この戦いに使徒は、余計な手出しをするな」


 名だたる者たちを手の平の上で踊らせ、殺したことを伝えたあと、私は低い声で「次、余計なことをすれば、消す」と遠まわしに脅した。


「……う、うむ。もう渦波に語りかけることはせぬ。約束しよう」

「それが賢いと思うよ。私たちが潰し合うのは、主様の望みなんだから。おじいちゃんは遠くでゆっくりしてるといいよー」


 一度、師匠が大聖都へ入る前に、ディプラクラが声をかけたのを私は根に持っている。

 あれのせいで、色々と手直しが必要になったのだ。

 しかし、もう大丈夫だろう。その理由は彼自身の口から、いま説明されていく。


「確かに、おぬしと心中の形でヒタキのやつを仕留められれば、我らにとっては最も都合がいい……。異論はない。なにより、その最後に残されたカナミこそ、我らの悲願そのものじゃろう」


 利害の一致を口にし続けて、決して敵対しないことを強調していく。


 千年間、世界樹に封印されていたのが、よっぽど堪えたようだ。ここで私に殺されて、また一人だけ何ターンもお休みにされるのは嫌らしい。


「終わるまで見ていよう。セルドラとファフナーも、同様じゃろうて」


 これでディプラクラといったイレギュラーたちが最終決戦に加わらないことが確定する。

 この状況を作るまで苦労したが、ここまで整えば、あとは私の書いた脚本通りに滞りなく進むだろう。


 そう。

 これで完璧。


「……ただ、一つだけ注意をするよ。ノイちゃんも、聞いてね」


 ただ、その完璧な脚本が、私は――


「いつか師匠は、あなた以上の――真の意味での『世界』の守護者ガーディアンになると思う。師匠ほど相応しい人はいないし、きっとそれが一番正しい道なんだとも思う……。思うけど、その脚本が私は気に入らない。なんというか……、足りない・・・・だから・・・私は嫌い・・・・


 崩したい。


 所詮、私独りで考えた完璧なものなんて、私一人分の力しか生まない。

 だから、より良い物語のために、いま宣言しておく。


「――なっ!?」


 ここまでの全ての話をひっくり返されて、ディプラクラは呆然としていた。

 しかし、すぐに持ち直して、いま聞いているであろう主の気持ちの代弁をしていく。


「ま、待て……。ここから先は全て、おぬしが書いた筋書きに沿うのじゃろう? それを、おぬし自身が嫌うのか?」

「うん、そう。私は欲深いから、『私一人の考えた完璧』くらいじゃ満足できないんだ。もっともっと良くなるはずだって、いつも飢えてて、迷ってて、探してる」


 物語への渇望は、私の生まれ持った欲求だ。

 いつだって私は、私の想像を超えられることを望んでいる。

 何度超えられても、次はさらに超えて欲しいと願い続けている。


 ――だから、私は賭ける。


 もしかしたら、その渇望が原因で、最終決戦では私という魔法《ティアラ》は誰にも信じられないかもしれない。

 その危険リスクを冒してでも、私は求める。


「しかし、全てを終えた渦波が『最深部』に辿りつけば、主の代わりとなるのは、どうしても避けられぬぞ……? ここだけは、おぬしの好き嫌いなど関係ない」

「うん。だから、全ての理を揃えて、『最深部』に辿りつくのは師匠じゃないよ」


 より良い物語のために、私は賭けた。

 すでに一人の少年を信じて、繋げて、託し終えた。

 その名は――



「――ライナー・・・・



 私と同じく、そこまで才能のない普通の子。

 『世界』からの贔屓はなく、その生まれには誰の手も加わっていない。

 長所と言えば、その家柄くらいだろうか。私と同じだ。だからこそ、私は彼に、あのときのあの子・・・と同じものを期待している。


「……あの子は雑魚だよ。とにかく、勝てない。いわば、雑魚の中の雑魚で、何の取り得もないゴミクズ。それを自認しているし、そう私も思っている」


 ライナーは取り返しのつかないミスを繰り返してきた。


 きっと、これからもライナーは何度もミスをする。けれど、彼は諦めないし、折れないし、本気で戦い続ける。全力で生き抜く。それが本当に、似ている気がするから――


「――でも、負けない。絶対に負けないから、最後の最後に一度だけ。誰にも勝てない存在に、勝てる。そういう子」


 私と同じ力を受け継いで、いつか私をも超える・・・・・・

 そう信じられた。


「『本当の騎士』ライナーに、私は賭ける」


 ただ、その決め台詞を、ディプラクラは――


「そ、そもそも……、ライナー? とは誰じゃ?」


 台無しにする。

 酷い使徒だ。まさか、興味すら持っていなかったとは思わず、私は苦笑しながら彼について説明していく。


「ひひひっ! えー、まさかライナー・ヘルヴィルシャインちゃんをご存知でない? この千年後の大陸で、最もホットな彼を?」

「むっ。……知らぬが、姓はヘルヴィルシャインか。ならば、ネイシャ家の関係者。おぬしの『血術』の技術の粋が集まっておるならば、ありえぬ話では――」

「あ、ううん。養子だから、ヘルヴィルシャインは名前だけで『血の力』は一切関係ないね。私も陽滝姉も知らないところから、いきなりぽんって出てきた子」

「――ありえん」


 ディプラクラはライナーが千年前の誰とも関りがないと知り、即答した。

 そして、今度はディプラクラ側から、説明がされていく。


「話どおりに進めば、カナミは『ヒタキの力』も『おぬしの力』も手に入れる。さらには、五人の『理を盗むもの』たちの『魔石たましい』に、本人が二種の『理を盗むもの』の力を持ち、『星の理を盗むもの』として完成もする。そのスキルと魔法の数は、もはや数え切れぬじゃろう。最低限の『理の力』を一つも所持せず、どうやって戦うというのじゃ。絶対にありえん」

「…………」


 相変わらず、読みが甘いというか、真っ直ぐ過ぎる使徒だ。


 まず大前提として、あらゆるスキル・魔法も術者次第というルールがある。

 スキル・魔法を『持っている』のと『使いこなす』では、まるで意味が違う。

 過大なスキル・魔法は、逆に足を引っ張ることすらある。いかに師匠の精神が成長するといっても、何人分の力を同時に『使いこなす』のは難しいだろう。


 おそらくだが、ディプラクラは一度も、まともな実戦を経験していない。

 だから、どうしても戦力差や勝敗の予測を、『表示』や『数値』中心に考えて決めてしまう。きっと、この『世界』の物語の読み方も、学術書や歴史書を読むような感覚なのだろう。事実を情報として獲得して、計算して、解決策を導いていく――だけ。


 いわば、学者さん気質。

 そこが師匠と気が合ったのだろう。

 私と使徒レガシィの気が合ったように……。


「んー、そうだね。特に、『陽滝姉の力』はやばいよー。半分『相川陽滝』ってことを師匠が認識しただけで、もう負けはないと思う」

「うむ。そうじゃろう?」


 ディプラクラ・師匠と違って、私・レガシィの物語の読み方は、いつだって娯楽と好奇心が優先だった。だからこそ、『表示』にない力や『数値に表れない数値』を重視して信じてきたし、これからも信じ続けられる。


「――でも、きっとライナーちゃんなら勝つよ。たとえ『相川渦波/相川陽滝ふたり』が相手でも、打ち負かす」


 一時的とはいえ、ティアラ・フーズヤーズを師事していたライナーは、いわば師匠と陽滝姉の孫弟子。

 なにより、『理を盗むもの』たちの直弟子でもある。

 彼も、多くの『未練』が解消されるのを見届けて、託され、繋がっている。

 私や陽滝姉の作った『糸』とは別に、『本物の糸』が――


 だから、彼こそが相川渦波の『未練』を解消するのに相応しい。


 それは、いつもの「もし、これが本ならば」という妄想が根拠の信用だが、この生き方を私は変えるつもりはない。たとえ死んでも、私は本が好きだ。


「正確には、彼が繋いでいくみんなとの絆が、師匠を打ち負かす……が正しいのかな? ライナーちゃんは独りじゃないことに誇りを持っている。彼の中には、『最初の騎士』であるハイン君と『最後の魔石人間ジュエルクルス』であるハイリちゃんの二人も、常についている。――あの『最高の二人』がね」


 だから、いまこの頁で、先んじて宣言しておく。

 いつか読み直すときの為に、高らかに。自信を持って、はっきりと。


「もちろん、『理を盗むもの』たちもライナーにつくよ。ティーダ・ランズ、アルティ、ローウェン・アレイス、アイド、ロード・ティティー、ノスフィー・フーズヤーズ、ファフナー・ヘルヴィルシャイン、セルドラ・クイーンフィリオン、アイカワ・ヒタキ――全員が、きっとアイカワ・カナミにお礼をしようとする。もちろん、私を含めて、ディアブロ・シス、マリア、スノウ・ウォーカーたちも応援する。みんなアイカワ・カナミを愛してるからこそ、ライナー・ヘルヴィルシャインを支持する」


 みんなの名前を出しておく。

 いつか、その一つ一つが繋がっていき、最後には私でも届かないハッピーエンドを書くと信じて。


「――私たちの絆が必ず、おまえらの企みを打ち破る」


 ディプラクラの前で、そう私は言い切ってやった。

 その啖呵に、目の前の老人は困惑し――こちらに手を伸ばしつつ、心外であることを主張していく。


「い、いや、待て……。待て待て待て。悪だくみをしてるのは、いつもそっちじゃろう? 儂ら使徒や『世界』は、常に振り回される側で……」

「あー、もー! 決め台詞なんだからー、水差さないでよー」

「おぬしな! 無茶苦茶な悪行ことを重ねつつ、さも当然のように正義側に回ろうとするのはやめい! そういうところが、おぬしの一番よくないところじゃぞ!」


 私の口八丁に対して、真面目で正義感に溢れるディプラクラは、心の底から猛反論した。


「……はあ。まあ、いいじゃろう。それがおぬしの決め台詞ならば、こちらは『契約』で対抗するだけじゃ」


 しかし、私のスキル『執筆』の性質を理解している彼は、いまのが『世界』に向けた啖呵と理解して、宣言には宣言で返そうとしてくれる。


 こういう甘いところも、本当に師匠と似ている。

 ヴィアイシア城の地下、『切れ目』が見守る中で、別の『契約』がなされていく。


「最後の『使徒』ティプラクラ――並びに、最後の『翼人種』ノイ・エル・リーベルールは、ライナー・ヘルヴィルシャインでなくアイカワ・カナミを支持する。カナミこそを、『真の主』と見定めた」


 これで、どちらを『世界』が贔屓するかはわからない。

 先に待つ『新たな物語』に、どのような御代が払われるかどうかもわからない。


「こちらにも多くの支持者がおるぞ。この時代の不幸を背負うもの全てが、カナミを愛することじゃろう。――知っておると思うが、いまの時点でカナミは大英雄を超えて、神格化されかけておる。この過酷な『世界』を生きる弱き者たちの祈りじゃ。たった十数人の絆などは、その祈りを覆すことはできん」


 ディプラクラは自らの宣言を補足し、強化していき、その運命を固めていく。

 その果てに、とうとう師匠を――


「これから先、人々は未来永劫に。『アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー』という神を・・、崇め続けるじゃろう」


 例の名を出しつつ、恥ずかしげもなく、真剣に、神とまで呼んだ。


「新たな『真の主』を、儂は守り切るぞ。必ずや、無事に『最深部』まで連れて行くと、いまここに誓う」


 ディプラクラは初志貫徹で、師匠に世界を救わせると宣言した。


 その一途さは、正直なところ嫌いじゃない。

 最初に選んだ道を、信念を持って進み続け、ディプラクラが少しずつ成長しているのも感じる。

 感じる、が――いま私は、その決意を固めるディプラクラを通して、千年前の別の使徒を思い浮かべていた。


 あの子供の使徒も成長して、こうして私の前で啖呵を切っていた。

 そして、その芯の通った言葉に、私は打ち震えた。

 もし私の書いた筋書きを崩す可能性があるとすれば、それは私と同じ気質でありながらも別の道を選んだ彼のような気がして……。


「……よし、ここまでじゃな。すぐに儂はここを離れて、さらに西へ赴こう。いま言ったことを為すためにも、準備をせねばならんからな。果ての地より、機会を窺わせて貰うぞ」


 それを最後にして、ディプラクラは『南北連合』から去っていく。

 その背中を見送ったあと、私は部屋で呟く。


「さよなら。それと、ありがとうございました。使徒様……」


 お礼を言い、私は地下室で独りとなる。

 いつも通り、目を閉じて地面に手を置く。大陸への執筆を、限界まで行い――平行して、自らの書いた脚本であり、人生である『星空の物語』を読み直していく。


 上手くいけば、最後の戦いにて、私と陽滝姉は消えるだろう。

 そして、師匠だけが生き残る。全てを失ったけれど、想い人の魂と愛だけは残ったという形で、物語は終わり――


「――やっぱり、足りないよ」


 もっともっと素晴らしい大団円ハッピーエンドが私は欲しい。


 もちろん、それは趣味の話だけでなく、陽滝姉を助けるという目的の為にも関わっている。最後の戦いが上手く進み、やっととどめができるというときに「兄の将来が心配だから」という『未練』を理由にされて、倒し切れない可能性は十分にある。


 あの兄妹の厄介な不死性は、魔法やスキルの力ではなく、その表裏一体の関係性にある。

 攻略するときは同時でなければ倒せないという面倒くさいボス性質が、あの二人にはあるから、私は足す必要があるのだが……。


 『最後の頁』は変えられない。

 そこだけは、決して変えてはいけない。

 ならば、その続きに足すしかない。

 どれだけ無茶でも、「誰か」に賭けるしかない。


「ひひひっ、足りないものばかりで嫌になるよね……。でも、私は諦めなかったし、この先も絶対に諦めない……。そういう『約束』だったからね……」


 最後の戦いにおいて、この『約束』という言葉が鍵となるだろう。

 他の何を捨てても、私は『約束』だけは違えられない。


 そして、いま口にした『約束』を交わしたのは、陽滝姉と『体術』の鍛錬をした日――ではなく、最初の最初。


 あの塔で出会った日。

 いま読み返している『星空の物語』の最初の頁に、その『もう一つの・・・・・約束』は書かれていた。


 その初心を私は、いま読み直す。

 あの日、『異邦人』と初めて出会った私は、師匠が去ったあとに、実は死にかけていた。病によって、息が止まる寸前だった。絶望の淵を彷徨っていた。

 その果てに交わしたのが『もう一つの約束』。


 これが最後だから。

 大切に、私は読み直しておく。



〝――苦しい。

 喉を絞められるように苦しい。

 『生まれ持った病』に身体を蝕まれ、私は高熱を発し、自室の床で身をよじっていた。


 のた打ち回りながら、自分で自分の身体を抱き締める。指を肉に食い込ませて、血が滲むほどに強く押さえつけることで、迫りくる苦痛を耐え忍んでいく。


 いつもよりも、『魔の毒』の病が辛かった。

 理由は単純。

 つい先ほど、何の事情も知らない異国の少年が、私の塔に迷い込んできて、お話をしてしまったからだ。


 あの艶やかな黒髪の方と、本の物語のような出会いをして、拙くも言葉を教え合って、少しずつ心を通わせた。

 その『夢』のような時間は、本好きの私にとって、余りに甘美過ぎた。


 だからこそ、そのカナミ様が城の兵士たちに「申し訳ありません。もう二度と、この部屋には誰も入れさせません・・・・・・・・・」という言葉と共に連れて行かれて、塔に独り残された私の孤独と恐怖は際立った。


 『夢』と現実の落差に、心が折れて、身体も壊れそうとなっていた。


「ぁ、ぁあ……、ぁあああぁあ……」


 いない……。

 さっきまでお話していた……、あのお方がいない……。

 また私は独り……? 独りに戻った……?

 これからずっと、死ぬまで……、この牢獄のような塔で、独り……――


 絶え間なく、恐怖が襲ってくる。

 痛みで、呼吸が止まる。


「はぁっ……、はぁっ!」


 本当に怖かった。

 ただ、一番怖かったのは、先ほどの少年の真偽。

 もしかしたら、先ほど出会った異国の少年は死の間際に見た幻で、あの時間は本当に『夢』だったのではないかと、私は私の正気を疑い始めていた。


 それほどまでに、あの異国の少年は輝いていた。

 本当に綺麗な光だった。

 家族から見捨てられた少女の部屋の闇を濃くするには、十分過ぎる『理想』の光だった。


 あれは夢幻だったかもしれない……。

 ただ、それでも、その幻の光を、もう一度私は見たい……。

 部屋の窓ではなく、あの扉を開いて――出て、あの光に触れたい。そして、カナミ様とお話をさせて欲しい。だって、まだ話し足りない。全然足りていない……。

 ああ、まだ私は足りていない。

 本当は、まだ死にたくなんかない。だって、あの本のような物語を、まだ私は生きていない。ティアラ・フーズヤーズという自分の物語を、まだ読んでいない。なのに、どうして……? どうして、私は死ぬ? こんな生まれ持った病なんて理不尽な理由で……、どうして私が? どうして? どうして、どうしてどうしてどうして――!?


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」


 私は芋虫のように、床を這い進んでいた。

 その進む先は、部屋の扉。

 カナミ様が入って来た扉。

 そして、出て行った扉。


 あの扉を、どうにか開きたい。

 開いて、自分の足で歩きたい。

 本に出てくる登場人物のように、自分の力で進んで、色んな『冒険』をして、いつか「誰か」と共に、綺麗な『最後の頁』を迎えたい。


 けど、私では扉を開けることができない。

 歩くこともままならない病によって、この塔の中で止まり続ける運命を背負っている。だから、この弱々しい力で開けられるのは、本だけ。

 私を捨てた家族から情けで与えられた本の頁だけ――


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 あの兵士の言ったとおり、もう二度とこの部屋には誰も入ってこないかもしれない。


 私を助けてくれる都合のいい「誰か」なんて現れない。御伽噺に出てくる『魔法』のように、私の『生まれ持った病』が治るような奇跡も起きない。


 ――『私の世界の物語』は、優しくない。


 そんな一文が頭をよぎり、私は部屋の中央で這い蹲ったまま、見上げる。

 開いても意味はないけれど、どうしても開きたい扉を見つめ続けた。

 そして、ついには瞳から涙が滲み始める。


「ぅう……、ううぅううっ……」


 その涙で、希望の何もかもが洗い流れるような気がした。

 ついには、顔を上げる力さえ失われて、扉を見ることさえも、叶わなくなろうとしたとき――



「――お邪魔するわ!! 病気のお姫様!!」



 あっさりと。

 使徒様の一人が、開かないはずの扉を開けて、入ってきた。


 当然、私は呆然とする。

 何かを答えることなんてできない。


「その病気、治るかもしれないから、ちょっと付き合いなさい! 人体実験だけれど、構わないわよね!? 人類の為よ! ほらっ、早く! すぐ行くわよ!!」


 さらに、ひょいっと私の身体を抱えて、開かずの部屋を出た。

 とてもあっさりと、塔の外まで連れ出される。


 使徒様は私の返答なんて聞かず、身体の状態などお構いなしに――外の『世界』に招待してくれた。


 そのとき、とんっと。

 夢見た『ティアラ・フーズヤーズの物語』という本が、目の前に用意された気がした。


 そして、その本に私は、恐る恐ると触れて、ゆっくりと開くのだ。

 最初の頁を捲って、私は読んでいく。私自身の物語を――〟



 懐かしい。

 それは『異邦人』たちが『異世界』に迷い込んだ日の物語。


 まだ師匠を師匠と呼んでいない私がいた。

 まだ病に蝕まれて、心の弱かった私がいた。

 まだ何も知らなくて、なにも始まっていない私がいた。


 シス姉が大好きなのは、この体験が最大の理由だろう。

 あの部屋から私を連れ出してくれて、『世界』を見せてくれた。なにより、その先で再会させてくれたから――



〝――使徒様に連れ出された私は、城の庭で異国の少年と再会する。


 カナミ様は幻ではなかった。夢でもなかった。

 その事実に、私の心は震える。


 けれど、急にカナミ様の前に立たされても、私は何を話せばいいのかわからなかった。

 まだ言葉は通じない。病の苦痛だって身体に残っているし、緊張で喉が張り付いて動いてくれない。


 だから、先に話したのはカナミ様だった。

 私から教わったばかりの言葉を使って、私に聞いてくれる。


「――ティアラ、『本当』『いい』……?」


 私の名前。

 それと、拙い言葉。

 許可を得ようとしている空気ニュアンスだけは伝わった。


 使徒様の直前の言葉から、これから私は何をされるのかを薄らとは予測できた。

 治療の実験。

 それも、ただの病の治療ではなく、大陸に蔓延している不治の病の治療だ。

 各国が研究し続けて、未だ目処すら立っていない実験だから……成功するとは、到底思えなかった。失敗すれば、死の可能性だってあるだろう。常識で考えれば、いま自分は人体実験という形で、生贄にされかけている。犠牲にされようとしている。


 そう考えるのが当然。

 だというのに、私は怖いとは一切思わない。


 目の前の少年の黒い瞳が、私の全ての恐怖を払ってくれた。

 その瞳の奥底から、強い覚悟を感じたのだ。言葉は通じずとも、「こんな自分でも、誰かを助けたい」という気持ちが、痛いほど伝わってきた。


 だから、手の平から水が零れ落ちるように、私は口にする。


「……『カナミ』。『信じる』」


 こちらも教えてもらった言葉を使って、拙くも気持ちを返した。

 さらに、彼に近づいて、その手を取り、より強い覚悟を伝え返す。


「『きっと』『このために』『私たちは』『出会った』」


 だから、命を懸けてもいい。

 理由は、まるで本を読んでいるような気がするから。

 いま、物語のような運命を感じているから。

 そんな妄想を根拠にして、私は実験の成功を信じることができた。


 もちろん、それは全て勘違いかもしれない。

 出会いは、ただの偶然だったのかもしれない。

 けれど、いまの私は「私たちこそ、『運命の糸』に引き合わされた二人」だと、このときは心から信じられた。


「……『――――』。『―――――――――』、ティアラ」


 その私の覚悟に、カナミ様は応えて、頷く。


 歌うように呪文を唱えては、淡い光の粒子を周囲に灯し始めた。

 ふわりふわりと暗雲の空に向かって、小さな光の玉が昇っていく。つい昨日読んでいた本の物語に出てくる『魔法』のような光景に、身体に熱が灯った。


 熱い・・

 それは苦しい熱ではなく、優しい熱。

 奇跡が起きていると信じるには十分過ぎる光景に、また私の視界は滲んでいく。


 さらに、自ら身体の変化にも気づく。

 私の病に蝕まれた身体も発光していた。その光に合わせて、身体から痛みが『魔法』のように抜けていっていた。生まれてからずっと苦しかった肺の苦しみも、凍えるような骨の冷たさも、内を流れるだけで痛んでいた血管も――何もかもが、癒されていく。

 私に生きることを諦めさせていた『生まれ持った病』が治っていく。


 喉奥から嗚咽が込みあがった。

 その『魔法』のような奇跡は、余りに……。

 余りに暖かくて、優しくて……。


「う、うぅ……。うあぁあああ、あぁああああ――!!」


 私は泣き叫んだ。

 そして、その奇跡を起こしてくれたカナミ様の胸に飛び込み、抱きつく。


「『ありがとう』……。『カナミ』……」


 どうにか、この気持ちが伝わるようにと、今日までの人生全てを込めたお礼を言った。


 ただ、それにカナミ様は、短く一言返すだけ。


「――……。『よかった』……」


 軽過ぎる答えに、私の気持ちは全く伝わっていないとわかった。


 いまの私は、この身全てを捧げたいと思っている。

 いま私が感じている幸せと同じ分の幸せを、あなたに返したいと願っている。


 しかし、言葉が通じないので、その溢れる想いを伝える手段がない。

 ないから、もう私は、私の言葉を呟くしかなかった。



このご恩は・・・・・……、必ずお返しします・・・・・・・・



 そう、『約束』する。

 言葉の壁があるから、その『約束』はカナミ様には届いていない。

 もし、この溢れる想いが聞けたとすれば、この場にいる使徒様たち三人と――庭の隅で静かに立っている、黒髪の少女だけ・・・・・・・


 もう前は全く見えなかった。

 嗚咽で身体が跳ねて、涙で視界はぐしゃぐしゃ。

 しかし、歪んではいても、とても優しい『世界』で、私は生まれて初めて、心の底から笑った。


 泣いて、笑って、心に決めていた。

 この『魔法』のような奇跡に相応しいお礼を、いつか必ずすると。


 何があっても、絶対に。

 私の命に代えてでも、あなたを幸せにする・・・・・・・・・――〟



 と、私は陽滝姉だけとじゃなくて、最初の頁で師匠とも『約束』をしていた。 


 それは言葉すら通じていないときの一方的な『約束』。

 内容は定かでない漠然とした『約束』。

 けれど、『約束』は『約束』だ。


 もちろん、あのとき『魔の毒』の病が治ったのは、ほとんど陽滝姉のおかげだとわかっている。

 ただ、そこに師匠は関係ないかと言われると、首は振れない。お礼をすべきは『異邦人』二人共であると、私は確信している。


 ――だからこそ、私は『もう一人の私』を作ることで私の『大好き』を切り離し、二人同時に助ける方法を模索し続けてきた。


 私は陽滝姉を助けるのに全てを懸けているからこそ、師匠との『もう一つの約束』も必ず果たす。

 師匠が余計なお世話と嫌がっても、要らないって言っても、恩は返し切る。

 最低でも私が幸せに感じた分は、絶対に幸せになって貰う。


 あのとき、私にとって、あなたは星のように輝く光だった。

 確かに、『本物』の光だった。



「いひひっ。……だから、どうか私にあなたを助けさせてくださいね。カナミ様」



 懐かしんで、古い呼び方と共に嗤った。


 いま読んだ最初の最初の頁では、私は師匠を『救世主様』と呼ぼうとしていた。

 けど、その呼び方は「絶対に嫌だ」と怒られて、さらに丁寧すぎる王家の言葉遣いも「もっと気軽に話して欲しい。友だちのように」と願われて、あの私となった。


 ああ、本当に何もかもが懐かしい。

 そして、そのあなたの願いを、私は死んでも忘れていない。

 忘れていなかった。


 あなたを『救世主様』とは決して呼ばない。

 お堅い『救世主様』ではなくて、もっと気軽な『ハッピーエンド』があなたに訪れるようにと、私は続きに――



〝――私を置いて、私は行きます〟


〝ここから先は、あなたの物語。

 けれど、私も託して、繋げて、物語の続きを頼みました。

 どうか忘れないでください〟


〝あなたの『魔法』を、『私たち』は信じています〟



 想いを込めて、そう書き足した。


 託して、繋げて、頼んだから、続きの物語も『私たちと同じくらハッピーいに幸せな終わりエンド』になると信じられる。

 信じられるから、私は迷うことなく、行ける。


 最後の戦いの果てで――

 陽滝姉と二人、『永遠』に、あなたの幸せを願い続けられる。

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