301.地下街の戦い


 ノスフィーたちを見送り、大聖都を駆け抜けた僕たちは、数分ほどかけて地下街入り口まで辿りつく。


 地下に続く入り口からは炎が猛々しく迸り、いかなる来訪者も拒んでいたが、ライナーの風魔法で穴を開けて強引に進んでいく。

 焼けついた石の階段を踏み、炎を掻き分け、肌に焦がしながら降りていくと、変わり果てた地下街を目に入る。その激変した風景に驚き、息を呑む。


「こ、ここまで……!!」


 朝は無事だった地下の街並みが完全に破壊されていた。

 初めて来たときのように、燃え盛る火炎に包み直されているだけではない。並んでいた家屋は崩れ、半分以上が廃墟となっている。壁の破片が散乱し、折れた屋台骨がむき出しになり、多くの木材が炭と化してしまっている。


 そして、その崩壊した地下街の空には、あるはずのない太陽が一つ燦々と輝いていた。


 街の燃え盛る炎の光を呑み込むほど明るい太陽だ。

 本来、空の果てにしかないはずの光度が、この狭い地下街に収まっている。その明るさが自然のものでないことは一目でわかった。正直、その真昼の地上以上の明るさに、目を開けていることすら苦痛だ。


 地下街は崩壊し、煉獄に満たされ、人を害する太陽が輝いている。

 状況を確認し終わったとき、陳腐な比喩だが地獄という言葉が頭に浮かんだ。


 その感想は隣に並ぶライナーとラグネちゃんも同じのようだ。

 二人は大汗を垂らし、目を細め、半歩後ずさりしている。この地下街の先に進むことを本能が嫌がっているのだろう。


 しかし、ノスフィー追撃を断念してやってきた以上、ここで撤退を選ぶことだけは許されない。

 意を決して、僕たち三人が前に歩き出そうとしたとき――近くの建物の影から声が届く。


「-お、お兄ちゃん! 戻ったの!?」


 ぬるりと影から屋敷にいるはずのリーパーが這い出てくる。続いて、彼女の手に引かれて、眠る僕の妹も出てきた。

 二人の姿を確認して、僕は最悪の状況ではないと安心しつつ声を返す。


「リーパー! 陽滝も無事だったんだな……!」

「うん。アタシは妹さんの安全と退路の確保をしてたんだ。それでここにいたの」

「ナイス判断だ、リーパー……! それで、あれからどうなった!? 僕が屋敷を出てから何があってこうなった!?」

「ど、どうって……。お兄ちゃんたちが屋敷を出てから、本当に色々あって……。まずセラお姉ちゃんが屋敷にやってきて……その隙にスノウお姉ちゃんのお兄さんが食べ物に変な毒を混ぜてて……。弱ったところに光魔法を使われて……でも、それはみんなに効かなくて、えっと、それで――」


 リーパーは僕がいなくなってからの出来事を順に話そうとするが上手くいかない。その様子から、異常なアクシデントが続けざまに起こったことがわかる。

 すぐに僕は説明を遮って、リーパーの肩を掴んで要点だけを訴える。


「どこに行けばいい!?」


 時間が惜しいことだけは間違いない。

 それをリーパーも理解しているのか、遮られた話を繰り返すことなく、手を顎に当てて考えこみ――この場で必要な要点だけを答えてくれる。


「色々あるけどっ、真ん中で争ってる四人を止めるのが何よりも先だと思うよ!」

「真ん中かっ、行ってくる! リーパー、おまえはここで陽滝を頼む!」

「うんっ、そうする!」


 そのやり取りを最後に僕は走り出す。

 リーパーの指示通り、地下街の中心まで騎士二人を引き連れて、真っ直ぐ向かう。


 ――その途中、上空から鼓膜を揺さぶる甲高い音が鳴り響く。


「―――――、――――――――――っ!!!!」


 金属板を鋭利なもので引っ掻いているかのような高音に、本能的に僕は耳を塞いだ。


 すぐにその音源を確かめようと、まだ形を保っている地下街の建物の一つの上に僕は登って顔を空に向ける。

 なんとか目を凝らして眩い太陽光の中を見て――高音の発生場所を理解する。


 太陽の中には人影があった。

 その人間が高音を発し、魔法で太陽を形成していると理解する。


 凝視している内に、魔法の太陽は変質していく。

 徐々に球体の形は歪んでいき、まるでアメーバのように太陽は空に広がる。不規則な動きで陽光が地下街を侵食していき、隈なく照らす。広域に拡がったことで太陽の光度は薄まり、中心部にいる人間の正体がわかる。


「ディ、ディア……!」


 苦悶の表情のディアが飛び、魔法を叫んでいる。

 濃すぎる魔力と叫び声が喉で混ざり合い、魔法名が人のものでない高音に変化しているようだ。


 ディアは失った右腕と左腕から光の粒子を放ち、その背中から過去に一度も見たことのない翼を広げていた。おそらく、このアメーバのように広がった太陽全てが、彼女の魔力の翼なのだろう。


 光属性の魔力を翼に込め過ぎた結果、空を飛ぶという役割を超えて太陽になってしまっている。そして、ディアが力をこめすぎている理由はわかっている。


 間違いなく、いまのディアは魔法で我を忘れてしまっている。

 その叫びと表情と魔法。全てが暴走を示唆している。


 残された時間の少なさを僕は再確認し、走る速度を上げる。

 だが、僕たちが辿りつく前に、状況は進展していく。


 空に浮かぶディアが高音の拡散を急に止めて、ゆっくりと人の言葉を発する。

 目線を真下に向けて、一言だけ。


「……ず、ずるい」


 その声は小さかった。

 小さかったが強い感情がこもり、同時に異常な魔力も含んでいた。


 無属性の振動魔法に近い効果が発揮されているのかもしれない。小さな声は地下街全てを満たし、徐々に膨らんでいった。

 その振動を耳にしたとき、怖気と共に身体が止まりかけた。恐怖か何かの状態異常を誘発する特殊な声である可能性が高い。


 ディアは地上にいる人物に向けて、小さな声を雨のように落としていく。


「ラスティアラはずるい。ずるいずるいずるいずるいずるい。卑怯だ……! 俺は――私はっ、いつも我慢してきた……! ずっと私は遠くから見ているだけ……! あの木陰から一度も踏み出せない……! もう私は家に帰ることすらできないのに……! ラスティアラだけが、あの場所で剣を振ってる……! 私だってカナミと一緒にいたいのに……! 一緒に剣を振って、一緒に生きて、一緒に一緒に――!!」


 その呪詛の先――地上にいたのはラスティアラだった。


 いま僕が走っている高所から目を凝らして、なんとかその豆粒のような姿を捉えることができる。

 地下街の中心地にて、真上にいるディアに対してラスティアラが何かを叫び返しているのが見える。だが――


「――うるさい・・・・! うるさいぃいいイイイ!!」


 空にいるディアからの返答は強い拒否だった。

 ディアの声だけしか聞こえないが、説得が難航していることだけはわかる。


 さらに、その否定の叫びと共に、ディアの左腕から魔法が放たれた。咄嗟に得意な魔法を選んだのだろう。その魔法は僕のよく知っているものだった。


「――《フレイムアロー》ォオ!!」


 聞き慣れた魔法だが、その規模は一度も見たことのないものだった。

 太陽から落ちてくる白い光。その《フレイムアロー》の直径は十数メートル。それはもはや、光線ではなく光星だ。光の結界そのものが下方に撃たれていると表現したほうがいい光景だ。


 その魔法の発動を事前に察知していた様子のラスティアラは、《フレイムアロー》の範囲から逃げていく。

 その後、魔法の光が地下街中心地を照らし、ラスティアラのいた地面一帯を溶かした。広範囲だからか貫通力はなかったが、じゅわりと満遍なく廃墟をならしていった。


 その守護者ガーディアンをも超える魔法を目にして、僕の走る速度は上がっていく。


 そして、次のディアの攻撃が放たれる前に、なんとか僕は地下街の中心地あたりに到着する。当然のように今日の朝には存在していた屋敷は影も形もなく、廃墟どころか平地に近い状態となっている。


 その平地の隅で、ラスティアラは一つの炎の塊と向かい合っていた。

 地下街の炎と少し色の違う火柱が立っている。その人を一人呑みこむほどの火柱の中では、マリアが膝を突き、両手で自分の身体を抱き締めていた。


 マリアは青白い表情で、ラスティアラに訴える。


「いいからラスティアラさん、早く! 遠くに逃げてください! このままだとっ、あなたを殺してしまう……! あなたがいなければ、そこまで私たちはおかしくなりませんから……!」


 身じろぎ一つすらも辛そうなマリアが、空にいるディアを見上げながら、自分たちの脅威を説明している。


 彼女の言葉通り、ラスティアラを自分の魔法の光で見失った様子のディアは、空で視線を彷徨わせるだけで次の魔法を放とうとする気配が無かった。


 だが、そのマリアの提案をラスティアラは受け入れない。


「私がいなければなんとかなる……? マリアちゃん、それじゃあ何の解決にもならない! 大丈夫、私がなんとかする!」

「し、しかし……! このままだと、いずれ私も……! くっ、ぅう……!」

「ごめん、マリアちゃん! 二度と私は誰も置いていかないって決めたから……!」


 マリアは額を地面に近づけて蹲り、ラスティアラはディアの説得を続けようとしている。

 その二人の間に僕は割り込み、この場を受け継ぐことを伝える。


「大丈夫だ、二人とも! ここからは僕がなんとかする! ライナーもラグネちゃんもいる!!」


 ここまでのみんなの会話で、状況は大体わかってきた。

 ノスフィーの言っていたとおり、アルティの魔法でディアは我を忘れている。おそらく、マリアにも同じ魔法がかかっているのだろう。だが、その魔法を一度経験しているマリアには効きが悪く、完全に正気を失わせるまでは至っていない。そんなところのはずだ。


「いや、キリスト。僕はいるが……ラグネさんは少し遅れてるっぽいぞ」


 後ろを振り返ると、ライナーしかついてきていなかった。

 おそらく、またラグネちゃんは遅れての到着になりそうだ。だが、援軍は援軍だ。僕たちがやってきたことに、火柱の中にいるマリアが安心した表情を見せる。


「カ、カナミさん……。来て、くれたんですね……。すみません、いつかのアルティの魔法がみんなに……。もう私は……私を抑えるだけで、限界が……――」

「気にしなくていい。抑えてくれてるだけで十分過ぎる。あとは僕が終わらせるから、安心して」

「……はい」


 マリアは額を地面につけて、完全に動かなくなった。自分を抑えることに集中したのだろう。地下の炎の勢いは止まらないが、ディアのように周囲を攻撃することもないはずだ。


 続いて、ラスティアラが僕の登場に対してリアクションを起こす。


「え、ええっと……おかえり?」


 マリアほどの喜びはない。

 むしろ、どうしてここにやってきたのか理由がわからないかのような表情をしている。


「ああ、ただいま。すぐにラスティアラはリーパーと合流して地下街から出てくれ。いますぐ大聖都の結界を破壊して、僕が本気で戦う。僕の《ディスタンスミュート》なら、アルティの魔法だろうと解除できる……!」


 ディアは空で動かず、まだスノウの姿は見えない。

 大魔法を使うならいまの内だと思い、魔力を練ろうとした。


 だが、それは目の前のラスティアラに首を振って止められてしまう


「ごめん、カナミ。ディアたちの魔法の解除だけはしないで。ここは私に任せて」

「……は? な、何言ってるんだ? もしかして、何か問題でもあるのか……?」


 ノスフィーが何かの罠を残していったのだろうか。

 僕はラスティアラに理由を問う。


「いや、これってさ、なんか乗り越えたらすっごく得しそうなイベントやつじゃない? だから、譲りたくないかなーなんて?」


 返ってきた理由を一瞬僕は理解しきれなかった。

 だが、すぐにラスティアラが大した理由なく拒否しているとわかり、声を荒らげる。


「ば、馬鹿か!? 冗談を言ってるときじゃないだろ!」


 そんな理由を受け入れられるわけがない。そう強く叫んだが、ラスティアラは引くことなく、冗談めかした表情を引き締め、真剣にお願いを重ねる。


「ごめん、冗談じゃないんだ……。ここで私が引いたら、私は一生『みんな一緒』に幸せになれない。もう口にすることすらできなくなる。そんな気がするから……。だから、お願い……」

「ま、またその話か……!? いまはその話をするときじゃないだろ……!?」


 昨日の夜に話した――ラスティアラの夢。

 『みんな一緒』の未来。

 その話を繰り返される。


 だが、それはもっと平穏なときに交流を積めばいいだけの話だ。

 みんなと仲良くなりたいならば、むしろ早くみんなの魔法を解くべきだ。そう僕は思ったのだが、ラスティアラは逆だった。全く逆の考えを訴えていく。


「ううん、いまがそのときだよ……。マリアちゃんにも言ったけど、これはノスフィーの用意してくれた大チャンス! ――《グロース・エクステンデッド》!!」

「なっ、おい!!」


 そして、自身に強化魔法をかけて、僕を突き飛ばした。

 同時に先ほどまで僕たちがいた場所が破裂する。その瞬間を、しっかりと僕は目で確認できていた。

 空から人が弾丸のように飛来し、地面を砕き、砂塵を巻き上げたのだ。


 突き飛ばされた僕は姿勢を整え、砂の煙幕から出てくる仲間の姿を見る。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……! ラスティアラ様ぁ……! わ、私のカナミと……! 私を置いて話さないで――!」


 蒼い翼を広げ、両腕を爬虫類の鱗で覆い、両目を紅玉のように輝かせる少女。

 その血を呼び覚まし、『竜化』したスノウだった。


 予想していたことだが、魔法で様子がおかしい。肩を揺らし、大口を開け、息苦しそうに深すぎる呼吸を繰り返す。そして、派手な登場をしておきながら、僕たちを無視して自問自答し始める。


「ぁあ、ああ、嗚呼ぁ……!! な、なんでだろ……? なんで私はいっつもこうなるんだろ……? うん、わかってる。私が私だから、こうなる。私は駄目……。何をやっても駄目っ。頑張っても無駄っ。何をしても駄目なんだ……!!」


 十分に自虐を続けたあと、ようやくラスティアラと僕を交互に見ながら、虚ろな目で声を絞り出していく。


「ラスティアラ様、私は駄目なんです……。駄目で駄目で駄目だから、どうしてもカナミが欲しいんです……。カナミがいないと、私は生きていけない……。だから、カナミを……。どうか、カナミを……。カナミをカナミをカナミを――!」


 だが、すぐに会話は破綻して、僕の名前を呼びながら、ラスティアラとは逆側にいる僕のほうを向こうとする。


「スノウ!! こっち見て! 大丈夫、ちゃんと聞いてるよ! それ、ちょっと前に船で話したやつだね!」


 が、向き切る前にラスティアラは叫び、スノウの動きを止めた。

 スノウと話すのは自分であって、僕に譲る気はないという意志がそこにはあった。


 呼び止められたスノウはラスティアラに向き直り、破綻した会話の続きを投げかけていく。


「カナミなら私を甘えさせてくれるんです……。でも、もうカナミは私だけのものじゃなくなった……。うぅ、ううぅう……。ラ、ラスティアラ様さえいなければ、私のものだったのに……! いつもいつも調子のいいことばっかり言って、結局ラスティアラ様はずっと自分のものにしてる……! 私のものだったのに……! カナミは私のものだったのに……!」

「うーん、その誰かが誰かのものって考え方がスノウの一番駄目なところだよね。それさえなければ、別にいくらでも甘えてくれていいんだけど……」


 明らかに正気じゃないスノウの言葉に対して、ラスティアラは真面目に受け答えていた。

 こんな状況だというのに、ラスティアラはいつも通りの会話で、悩みに乗ろうとしている。


 しかし、当然だが、スノウのほうはまともに会話を続けることができず、興奮して声を大きくしていく。


「ええ、私は駄目! 駄目駄目駄目! 駄目ってことぐらい、思い知ってる! 私が駄目で、駄目で駄目だから――こうなってしまった! いつもみんなを守れない! いつもみんなを危険に晒す! 私が!! 今日だって、私が兄さんに気を許したから――あ、あぁあっ……!! やっぱり全部わたしのせいだ! 私のせいで私のせいで私のせいでっ、ぁあっ、嗚呼、ぁああああアアァアアアア――――――!!!!」


 とうとう叫びは咆哮となった。

 普通の咆哮ではない。竜人であるスノウだけが用いることのできる魔力の乗った『竜の咆哮』だ。それが背中から生えた蒼き翼の羽ばたきによって生まれた『竜の風』と共に混ざり合い、周囲を呑み込もうとする。


 膨大な魔力のこもった振動と風。

 全身が震え、鼓膜が破れそうになる。


 この場を離脱するため、周囲の仲間たちを確認する。

 後方にいるライナーは誰よりも先に魔法の範囲外へ逃げ出していた。少し遠くにいるマリアは火柱でスノウの攻撃全てを防ぎきっている。単純な魔力比べで、マリアが負けることはないだろう。あの炎の中で蹲っている限り、生半可な攻撃は通らないはずだ。


 残るはラスティアラだが――彼女だけが『竜の咆哮』と『竜の風』に対応できていなかった。いや、正確にはしようとしていなかった。

 振動も風も一身に受け、顔を歪ませて苦しみつつも、前に進もうとしていたのだ。


 すぐに僕はラスティアラに近づき、その身体を俵のように抱えて、咆哮するスノウから遠ざかっていく。


 スノウが追ってくる気配はない。

 スノウは暴風と化して、一箇所に留まり叫び続けている。

 ディアと同じで周囲が見えておらず、ストレスを吐き出すことが最優先なのだろう。放っておけば永遠に一人、苦しみ続けるような悲惨な咆哮を続け、地下街の中心で嵐そのものと化している。


 十分に嵐から距離を取る途中、僕は走りながら肩の彼女を説得しようと話しかける。


「ラスティアラ! いま喋っている全部っ、ディアとスノウの本心じゃない! こんな悪意しかない茶番っ、まともに受け答えするな! これは魔法で本人の心の奥底に沈んでいる澱みを浮き上がらせて、火を点けてるだけで――」

「わかってる。さっきマリアちゃんから聞いたから、ちゃんとわかってる。でも、これを私は茶番だなんて思わない……! 心の奥底にある澱みが本心じゃないなんて、私は思わない!」


 ラスティアラは運ばれながら遮ってきた。

 その上で、逆に僕を説得しようとしてくる。


「つまり、これって――本来、何年もかけて引き出さないといけない心の奥底を、いまなら掴めるってことだよ……? 話とか色々とすっ飛ばして、みんなとラブラブになれるって話だよ……? ノスフィーのくれたチャンスを私は無駄にしたくない! これを私は待って・・・・・・・・いたんだから・・・・・・……!!」

「おまえ、まさか……!」


 あの状態の二人に道理がないと僕は決め付けていたが、ラスティアラはあの状態にこそ価値があると見出しているようだ。

 その認識の差に僕は言葉を失った。

 一方、ラスティアラは活き活きと顔を輝かせていく。


「ノスフィーの魔法のおかげかな……? 凄く頭がさっぱりとしてきたっ。いまなら、『素直・・』に全部言える気がする」


 その単語を聞き、すぐさま僕はラスティアラのステータスを『表示』させた。

 残りのHPやMPよりも、何よりまず状態欄を確認する。


 だが、エルミラードたちにあった『浄化』はない。まっさらな状態であるということが示されているだけだった。


 つまり、いまラスティアラは、普通の意味で素直に自分の気持ちを表に出しているだけだ。魔法に頼るまでもなく真っ直ぐな彼女の心からの要望を――僕は聞く。


「私はみんなの心の底にある一欠けらの想いさえも受け入れたい……。これから先ずっと一緒にいるって決めたんだから、一つも隠しごとなんてして欲しくなんかない……。みんなとの本当の絆が欲しい! いまなら、ノスフィーのおかげでそれを手に入れられる……! だからお願いっ、カナミ! ここは私に譲って!!」


 そうラスティアラは叫び、僕の肩から飛び降りて、一人で大地に立った。

 その彼女の姿を直視し、僕は唖然とする。


 ラスティアラの服はあちこちが破け、端は焼き焦げていた。

 破けた穴と裾から、数え切れない生傷が覗き見える。

 打撲が肌を青く変色させ、斬り傷からは真っ赤な血が滴る。血は四肢だけでなく頭部からも流れ落ち、左目を真っ赤に染めていた。


 本当にボロボロだ。

 ラスティアラが現人神と呼ばれるだけの美貌が損なわれている。


 一歩間違えれば致命傷を負っていた戦いだったのだと楽に想像できる。

 それでもラスティアラは腰の剣を抜いていない。レヴァン教では神器に数えられる『天剣ノア』が使われた痕跡は一切ない。


 おそらく、ラスティアラは仲間たちに一度も反撃していないのだろう。

 攻撃を食らい続け、何度も死にかけた。

 正気の沙汰ではない。


 そして、尚その戦いをラスティアラは望み、「譲って」と僕に願う。


 その感性を理解しきれず、困惑する。

 かつて、ラスティアラは自分の命を軽んじるように作られていたのは覚えている。リスクを好み、刹那的な生き方を強制されていた。だが、その呪いは随分前に解除された。あれからラスティアラは、誰に左右されることもなくラスティアラとして生きている――なのに、これだ。

 自分の命を省みず、死にかけの身体で戦場に戻ろうとしている。


 その僕の困惑の間に、ラスティアラは一人で動き出す。僕の後方に手を大きく振りながら叫び、背中を見せて駆け出した。


「ラグネちゃん! 一生のお願いっ、カナミを止めてて! ライナーもお願い! 私は行ってくるから!」

「ぜぇっ、ぜぇっ、ぜぇーっ……って、え、えぇえええっ? 到着するなりなんすかっ!?」


 後ろを見ると、息切れしていたラグネちゃんが丁度追いついていたところだった。

 ラスティアラは本気だ。

 親しい友人に懇願してまで、僕の介入を抑える気だ。


「ま、待てっ、ラスティアラ!」


 僕を置いてスノウやディアのところに戻ろうとするラスティアラの背中を追いかけようとする。

 しかし、その間に割り込む人影があった。

 両手に剣を握った騎士。まさかのライナーだった。


「キリスト、僕はラスティアラを支持する。たぶんだけど……これは最悪なことにはならない」


 地下に来てからずっと静かに付き従っていたライナーが、ここで立ち塞がる。


 しかも、その理由が余りに曖昧過ぎる。信頼していた騎士だからこそ、この土壇場での離反に腹の底から怒りが湧いてくる。


「たぶんだって……? ふざけるな、ライナー! 最悪にならないとしても、どうなるかわからない! この前のティアラ『再誕』の儀式のときも、こんな感じで無防備になって、ラスティアラは大変な目に遭ったんだろ!? ラスティアラはやると言ったら本当にやる! あのふざけた魔力を全部、無抵抗で食らう気だ!」

「けど『再誕』の儀式は、それで全てが上手くいった。あのときは僕も、いまのキリストと同じ感想だったが……いま思えば、あれはあれで正しかったんだと思う。あれのおかげでアルとエミリーの二人とは、いまでも仲間だ。もし、あそこでラスティアラがエミリーを問答無用で潰してたら、あんな綺麗な終わり方にはならなかった」


 少し前の大聖堂での戦いを理由に咎めてみたが、逆にライナーはあれが正しい判断だったと言い返してくる。


 僕が到着する前の大聖堂での流れは、船旅の間に聞き及んでいる。

 確かに、あのタイミングでラスティアラが本気で戦っていたら、フェーデルトが裏でエミリーちゃんを操っていた証拠は得られなかっただろう。エミリーちゃんがラスティアラの捕縛に成功したから、フェーデルトの口から策略が露見したのだ。もし、それがないまま全てが終わっていたら、果たしてエミリーちゃんは周囲とわだかまりなく仲直りできたかどうか――それは怪しい。


 ラスティアラがエミリーちゃんの良心を信じて、無抵抗に眠りの魔法を受けたからこそ、あの新人探索者二人の絆は途絶えずに済んでいる。


 ああ、わかっている。

 ライナーの言いたいことはわかっている。

 ただ、あのときエミリーちゃんを問答無用で倒していたら、もっとラスティアラは安全だったのも確かなのだ。


 もし僕があの場にいたら、確かなラスティアラの安全を優先する。

 いまの僕のように――絶対に!


「キリスト、あんたは仲間を信じることが大事だっていつも言ってる……。仲間たちの絆ってやつを信じて、あいつらの話し合いを見ていることはできないか?」


 一向に納得する気配を見せない僕を見て、ライナーは話を続ける。

 今度は、いつかの僕の言葉を掘り出しての説得だ。


 散々口で仲間を信じると言っていながら、追い詰められた状況だと有言実行できていないと責めてくる。

 いままでの「信じる」は全て、計算された安全の中だけでしか存在しなかったものなのかと問い質される。


「信じてる……! もちろん、僕はみんなを信じてる……けどっ、時と場合によるだろ! ライナー! いま話しているこれこそがノスフィーの狙いだってわからないのか……!?」

「……悪い。そうは思わない。むしろ、いまの流れはこっちの――ラスティアラの流れだ」

「これがか!? これのどこがだ!?」


 僕は両手を広げ、変わり果てた地下街を示し、いまの状況をライナーに再確認させる。

 地上ではエルミラードたちを逃し、魔石を奪われ、グレンさんは敵になり、ノスフィーは逃げおおせた。地下では炎が再度満ち、屋敷が消滅し、ラスティアラは死にかけで、仲間たち全員が危機の最中――これがノスフィーの仕組んだ流れでなければ、なんだと言うのだ。


 僕は本気で戦意をもって睨みつけたが、ライナーは動かない。

 その僕たちの険悪な空気を嫌ったのか、ラグネちゃんが僕の味方についてくれる。


「あわわわ……! ライナー! よくわかんないっすけど、やばいときこそ一番強いカナミのお兄さんの出番っすよ! お兄さんならなんだかんだで説得して、みんな正気に戻るっす! きっと!」


 ラグネちゃんは僕と同じ解決策を提示し、僕とライナーの顔を交互に見た。


 その途中、僕と目が合う。

 彼女の不安げな表情と、彼女の瞳に映る僕の不安げな表情が重なる。


 ああ、やはりラグネちゃんは僕と同じだ。

 同じ感情を抱いている。

 だから、共感できる。


 心強い味方が増えたことで、僕は強気に一歩前に踏み出す。できれば、この多数決の結果に合わせてライナーには引いて欲しかった。

 だが、彼は一歩も動くことなく、立ち塞がり続ける。


「悪いが、どかない。これはキリストのためでもあるんだ。――いま、確かめさせてくれ」


 僕のため……!? 


 ここまで堂々と離反をした上で、抜けぬけと僕のためだと言われてしまい、僕は顔を歪ませる。いま、こうしてライナーと話している間もラスティアラは走り、遠く離れていっているのだ。ライナーが立ち塞がっているせいで、ラスティアラが死にかけているのだ。


 先ほど、ラスティアラは殺されかけていた。

 何かの拍子で、死んでいてもおかしくはなかった。

 その戦場にラスティアラは戻ろうとしている。目に見えて、死に近づこうとしている。それを見過ごせだって……?


 できるわけがない。

 それだけは許されない。

 もしラスティアラがいなくなったら、誰が僕を・・・・――


 思考全てが恐怖に染まった。

 怖くて堪らない。

 ラスティアラを失うのが怖い。


 それをはっきりと認識した途端、思考の幅が狭まる。

 ラスティアラの後ろ姿だけしか見えなくなる。不安が膨らみすぎて、心臓の真ん中に鉛玉があるように胸が重くなった。粘つく脳みその中、一つのことだけにしか集中できなくなる。それは護るべきは『たった一人の運命の人』ということ。ラスティアラだけは死なせない。絶対に死なせない。絶対に絶対に絶対に――


 ――許容量から溢れる・・・・・・・・


 その瞬間。

 僕は『持ち物』から『アレイス家の宝剣ローウェン』を抜き、駆け出していた。


「ライナー!! どかないなら、気絶させる!!」


 距離を潰し、ライナーの持つ双剣を弾き飛ばそうと横に剣を一閃する。


「――っ!? やっぱりか・・・・・!!」


 ライナーは驚きの声をあげつつも、きっちりと僕の動きを目で追って、無理に剣を合わせずに後退してかわした。


 ノワールちゃんのときのように一合で終わらすことは、流石にできなかった。

 すぐに僕は後ろの味方の協力を要請する。


「ラグネちゃん、頼む!」

「うぃっす! 隙あらば狙うっす! お嬢を守るのは私の役目でもあるっすから!」


 ラグネちゃんは奇襲の一撃に全神経を集中させようと、右手に魔力をこめて一定距離を保つ。過去、『舞闘大会』でライナーに奇襲を成功させている彼女には期待感が大きい。僕は状況の有利に笑みを見せつつ、もう一度ライナーに襲いかかる。


 その僕の剣に対して、ライナーは魔法を発動させる。

 立ち塞がっている間、前もって準備していたのだろう。


「――魔法《ヘルヴィルシャイン・二重奏剣デュオロトクス》!!」


 聞いたことも見たこともない魔法だった。


 魔法発動と共に肩付近から翼のように、濃い風が噴出する。

 そして、すぐにその風は収束していき、『腕』となり、彼の腰にあるもう一組の双剣を握った。家名がつけられていることから鮮血魔法かと思ったが、効果は風魔法そのものだ。


 四本腕の四つの剣全てを使って、ライナーは『アレイス家の宝剣ローウェン』の一閃を防ぐ。


 すぐに僕は剣を握り直して、別方向から剣を振り抜く。

 アレイス流の『剣術』は四本腕の敵相手でも戦えるようにできている。動揺なく、一切の手加減なく、ライナーの剣を弾き飛ばそうとする。

 しかし、またもやライナーは一閃を既のところで防ぐ。


 剣と剣が交差し、弾け飛び合い、繰り返される。

 剣戟が十を越えても、未だに突破口が切り拓けず、僕は動揺する。


「――っ!? この腕っ、ローウェンの『剣術』についてきている!?」


 ライナーが双剣使いとして世界最高クラスの『剣術』を持っていることは知っていた。だが、それでもローウェンの『剣術』ならば圧倒できると思っていた。


 剣の真っ向勝負で粘られると思っていなかった僕は、すぐにライナーの力の認識を改めていく。


 一方、ライナーのほうも僕と同様に驚きの表情を見せていた。

 この切り札らしき四本腕で勝機を見出せると思っていたのだろう。しかし、防御するので精一杯という現実に悪態をつく。


「くそっ! この三人がかりでも、全く相手にならないのか!?」


 互いに予想外であることを隠さない。

 そして、その拮抗の中、剣戟は続く。


 急いで僕はライナーの成長を測り直す。

 少し前、迷宮の中でノスフィーの足止めをできていた時点で、守護者ガーディアンたちと並んでも遜色はない強さだった。

 しかし、いま戦っているライナーはそのときの強さを優に上回っている。


 僕がヴィアイシア国でティティーやアイドと戦っている間に、ライナーはフーズヤーズ国で聖人ティアラに少し稽古をつけてもらったと聞いた。

 内容は詳しく聞いていないが、『数値に表れない数値』を鍛えて貰ったらしい。


 その少しの稽古でライナーの戦い方が激変している。

 ステータスの『表示』に変化が少ないため、船旅の間に気づけなかった。


 勝てはしなくとも、負けない戦い方が異常に上手くなっている。

 そう――異常だ。


 ……異常に防御が上手過ぎないか?


 先ほどから何度も勝利の確信を得た一閃を放っているのだが、何度もギリギリのところで耐えられている。

 ラグネちゃんだって隙を見て動こうとしているが、その初動をライナーは常に把握している。技術だけでは説明できない『勘』の鋭さだ。


 すぐに僕は敵の気絶でなく、敵の放置を選択肢に入れた。

 どうにか、この面倒過ぎるライナーを置いていきたい。だが、風の魔法で速さに特化している彼を置き去りにするのは難しい。距離を歪ませる次元魔法《ディフォルト》さえ使えればと悔やむ。もちろん、戦いながら壊せるほど大聖都の結界は温くない。


 僕は歯軋りする。

 ライナーの予想外の粘りで一歩も前に進めないまま、一秒――また一秒と過ぎていく。

 いまもなお、視界の端でラスティアラが遠ざかっていくのが見えているのが、もどかしすぎて狂いそうだ。


 そして、とうとう先ほど戦っていた場所までラスティアラは戻り切ってしまう。

 まずはスノウでなくディアを説得するようだ。

 崩れた建物の中でも高いものを選び、その上に乗って空の太陽に向かって叫び始める。


 先ほどの無茶の続きを行う気だ――!


 その無謀な挑戦を僕は見せられる。

 ライナーと戦いながら、その背中越しに――


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