303.決着



 僕が僕のことを見直している間に、ラスティアラの戦いは進んでいた。

 回復しきっていない身体を引きずり、止めようとするディアを置いて、地下街に発生した暴風の中心に向かっていく。


 ラスティアラがスノウ相手に選択した戦術は単純だった。

 またもやノーガードで近寄り、心からの声を眼前で叩きつけること。先ほどのディアの説得と全く同じだ。


 この方法だけが本当の意味で分かり合う道であることをラスティアラは知っているのだろう。もしかしたら、僕の真似をしているつもりなのかもしれない。スノウを救うため、攻撃を食らいながらも近づき、組み付き、押し倒し、倒され――目と鼻の先で言い合い始めるのを見る。


「ラスティアラ様、私は駄目なんです……! 私は駄目で駄目で駄目で、駄目だから、どうしてもカナミがいるんです……! カナミが傍にいないと、私は生きていけない……!」

「知ってるよ、スノウ」

「カナミなら私を甘えさせてくれる……。でも、もうカナミは私だけのものじゃない……。うぅ、ラスティアラ様さえいなければ、ずっと私のものだったのに……! いつもいつもラスティアラ様は調子のいいことばっかり言って、結局は全部自分のものにしてる! 私のものなのに……! カナミは私のものだったのに……!!」

「んー。また一人になるのが、スノウは怖いんだね」


 地下街の抉れ荒れた地面で組み伏されたラスティアラは、全く抵抗せず、また命を無防備にさらして、スノウの相談に乗っていく。


「スノウ、この形は二度目だね……。『舞闘大会』のときもこんな感じだった」

「『舞闘大会』……? わ、私はあの日、負けました……。敗者になって、大切なものを奪われた。けど、今回は違うっ、私がラスティアラ様の上にいる……!!」

「……奪われたかぁ。そう思われても仕方ないけど、ちょっと言い訳したいぃ」


 確かに『舞闘大会』とよく似ている状況だ。

 ただ、まるで形勢が違う。

 以前はラスティアラがスノウ相手にマウントをとっていたが、今回は逆に取られてしまっている。いま馬乗りになっているスノウが拳を突き落とせば、ラスティアラは死ぬだろう。その脳漿を撒き散らして。


 それでも、ラスティアラは強気に答えていく。


「スノウ……。確かに、今回は前とちょっと違うね。あのときは他人同然だったけど、いまの私たちは違う。あなたを救いたいって、カナミじゃなくて私が心から思ってる。そして、そう思ってるのは私だけじゃない」


 ラスティアラは目線を、わざとらしくスノウから逸らした。

 それにスノウは釣られて瞳を動かす。


 その先にいたのは、もう一人の仲間。以前の『舞闘大会』準々決勝での戦いにも居合わせていたディアだ。


 そのディアの表情は『舞闘大会』のときと全く違う。

 あの『舞闘大会』準々決勝の日、ディアはスノウを嫌って存在を全否定していた。そのディアが眉をハの字にして心の底から仲間を心配していた。

 ラスティアラもスノウも両方だ。

 さらにスノウへ手を伸ばして、喉がはち切れんばかりに叫ぶ。


「スノウ!! 戻ってくれ! 俺たちは仲間だ! 元に戻って、また俺と一緒に剣の練習をしよう! まだ俺はおまえに一本も取っていない!!」

「シ、シス様……?」


 そのディアの声は届いた。

 ラスティアラ以外の人物を認識した瞬間、スノウの狂気が少し和らいだ気がする。

 僕とラスティアラ二人相手のときは感情が昂ぶって会話が成り立たなかったが、仲間のディアの相手の時は確かな理性をスノウから感じる。


「そうじゃない! 馬鹿! 俺を呼ぶときは――!」

「う、うぅ……。ディア……」

「ああ、スノウ! 俺はディアだ! 俺もちゃんとここにいるぞ! おまえを助ける!!」


 ディアの登場でスノウは目に見えて揺らいでいた。狭くなっていたであろう視野が広がり、周りが見えてきているのが遠くからでもわかる。


 依然として、スノウの心の底に点いた火は消えていないが、確かに火は揺れている。ディアの届ける風にスノウは安心感を抱き、我に返りかけている。


 そこへさらにラスティアラは追撃をしかける。


 見せたいものは他にもあると視線をもう一度ずらす。

 その視線の先には、登る火柱。自分のことだけで一杯一杯だったはずのマリアが立っていた。


「ス、スノウさん……」


 マリアも見ているだけでは我慢しきれなかったのだろう。ゆっくりと一歩一歩、火柱ごとスノウに近づいていき、大量の汗を垂らし、その名前を呼ぶ。続いて、限界の身体を震わせて叫ぶ。


「すみません、スノウさん……。私の魔法でこんなことに……! でもっ、スノウさんなら大丈夫だって私は信じています……! この一年、誰よりもスノウさんが強く生きて、誰よりもみんなとの絆を大切にしてくれたって、私は知ってますから! あなたのおかげで私とラスティアラさんの絆は一度も切れることはなかった! あなたの優しさを私が誰よりも知ってる!!」

「マリアちゃん……!」


 伝えたいことを言い切り、またマリアは火柱の中で倒れこんだ。

 残った力を振り絞っての叫びだったことは間違いない。スノウはマリアの最後の力が自分のために使われたことを知り、名前を返しながら目に涙を浮かべた。


 その涙目のスノウの前で、ラスティアラは止めを刺すように話をする。


「スノウ、大丈夫。安心して。もうカナミだけじゃない。スノウが本気になって失敗しても、声を届けてくれる友達がたくさんいる。いるんだから……」


 ラスティアラは組み伏せられた身体を動かし、スノウの頭を両腕で抱きかかえにいく。そして、以前に船で言ったことを証明するように撫で始め、スノウを全力で甘えさせようとする。


「ここにいるみんな、スノウのヒーローじゃない。けど、みんなスノウを『親友』だって思ってる。だから、大丈夫……。大丈夫だよ、スノウ……」

「し、『親友』……! みんなは私の『親友』……!」


 その言葉はスノウの琴線に触れた。

 『地の理を盗むもの』ローウェンと似たところのあるスノウは、彼と同じように親友をずっと欲しがっていた。ただ、過去に親友と呼べる存在を悲劇的に失ったことで、一種のトラウマとなっていたはずだ。


 それがいま完璧なシチュエーションで解消されていっている。

 それはラスティアラの言っていたチャンスという言葉が証明された瞬間でもあった。


 スノウは新たな親友の誕生に喜ぶ。

 自らの内にある『火の理を盗むもの』アルティの炎に負けないほどの歓喜だった。

 すぐに歓喜の風で心の火を掻き消そうと、喉を絞るように返答していく。


「はい……! はいっ、ラスティアラ様……! ラスティアラ様は私の親友です……!! 私と共に生きてくれるって言ってくれた……! 最後まで一緒だって言ってくれた……! こんな駄目な私と友達になってくれた……!! もう私は二度と友達を失いたくない! 私のために身を削ってくれる親友を! 私のために頑張ってくれる親友を! 二度と失うっ、ものかぁっ!!」


 スノウは空に向かって吼えた。

 同時に全身の力が抜け、ラスティアラは拘束から解放されていく。


「うん……」


 そのスノウからの告白をラスティアラは少し照れながら受け止める。そして、解放された身体を動かして立ち上がり、膝を突いたまま空に吼えるスノウの頭を再度抱き締めて、延々と撫で続ける。


 スノウは彼女の胸に顔を沈め、涙と鼻水と涎をつけながら謝る。

 もう彼女は完全に正気に戻っていた。


「あぁ、ぁああっ、ごめんなさい……! ごめんなさあいっ、ラスティアラ様ァ!!」

「まーた様付けに戻ってる。……でも、それがスノウらしいからいいか。直すのしんどい」

「ラスティアラ様……。お、怒ってます……? 怒ってますよね? ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、本当にごめんなさいぃいい!! さっきのは魔が差しただけなんです! 一時の迷いなんです! だから、どうか見捨てないでくださいぃ! 傍にいさせてくださいぃい! まだ私はみんなと一緒にいたいんです!!」

「スノウ! ディアにも言ったけど、大丈夫! 迷惑かけられるって話は散々船でされてて、それに私はどんと来いって答えた! これから先、それを覆すことは絶対にないよ! だからスノウはスノウのまま、これからもずっと一緒にいてくれたら私は嬉しい……」

「ラ、ラスティアラ様ぁあああ……! ありがとうございます……!!」


 大泣きのスノウはラスティアラの返答を聞いて、さらに感謝で涙を倍増させていく。

 そのスノウを十分にラスティアラは撫で、愛でに愛でたあと、まだ地下街に残っている最後の問題へと向かっていく。


「ふう、あとは……」


 それは少し遠くに立ち昇る火柱。

 この状況を生んだ魔法の使い手であり、ラスティアラにとって最も付き合いの長い少女。マリアと向かい合い、ラスティアラは自慢げに報告する。


「これでどう? マリアちゃん」

「……はい。流石過ぎて言葉がありません。これだから、私はラスティアラさんに憧れてます」

「え、ええ、そうなの? そ、それ、なんか凄く顔がにやける……」


 ラスティアラはだらしなく頬を緩ませ、肉を焦がす火柱に近づいていく。

 同じようにマリアも嬉しそうに笑っているが、額の冷や汗が目立つ。立つことすらままならず、話しているだけで辛そうだ。


「さあ、あとは私の魔法を全部消すだけです……。でも、その、ちょっと急いで貰っても構いませんか? 実は、結構ギリギリなん……です……」

「うん、消そう。その炎のおかげで色々と助かったけど、あんまり多用していいものじゃないからね。……ということで、ディアー! 手伝ってー! ディアじゃないと無理ー!」


 離れていたところで唖然としていたディアが声をかけられ、慌てて小走りで近づいていく。


「お、おう!!」


 そして、世界最高クラスの神聖魔法の使い手が二人並び立ち、手を繋いでマリアを救うために同じ魔法を唱える。


「――《リムーブ》!」

「――《リムーブ》!」


 ラスティアラは手をかざして魔法の光を放ち、ディアは光の腕を肥大化させてマリアの身体を包む。


 次第に火柱が酸素を失ったかのように萎んでいく。

 マリアの乱れていた呼吸も整い、表情が和らぐ。同時に地下街を満たしていた炎も弱まり、急激に空間の気温が下がる。


 マリアという魔法の主を失ったことで、地獄はあるべき姿に戻っていった。

 そして、心に点けられていたみんなの炎も完全に消えた。


 ラスティアラはマリアが快調したのを見て、一言呟く。


「終わった……?」

「終わりです。見事、完璧。完全勝利です」


 ああ、終わりだ。

 こんなにも簡単に終わった……。

 僕のときより、遥かに早く……。


「ふふっ、やった……。しかも五体満足。どこも吹っ飛んでない」


 予想以上に上手くいったことを喜び、ラスティアラは自分の身体を確認していく。


 襤褸切れになった衣服から、火傷と青痣だらけの肌が覗いている。

 ディアに刺された腹の傷は塞がりきっておらず、じんわりと出血中だ。顔の皮膚は一部剥がれたまま、手は指がいくつか足りない。


「いや、ラスティアラさん。指が吹っ飛んでますよ」


 マリアは冷静に最も重傷の部分を指摘し、それにラスティアラは軽く答える。


「あ、ほんとだ。治るかな、これ……」

「ラスティアラ! ――《キュアフール》!!」


 そこに吹っ飛んだ指を拾っていた僕が走り寄り、全力の回復魔法をかける。


 ディアが怪我したときに医者から聞いた話では、慎重に迅速に回復魔法をかければ一度切り離された肉体は繋がるらしい。僕は細心の注意を払い、最高の魔力でラスティアラの怪我を治していく。


「あ、カナミ。ちらっと見てたよ。途中からだったけど、私を信じてくれてありがとう……」


 ラスティアラは感謝の言葉を僕に贈ってくれる。

 ただ、それは治療に対してでなく、戦いに手を出さなかったことへの感謝だった。


 まるで僕がラスティアラの勝利を信じていたかのような言い方をされ、罪悪感を覚えながら小さく首を振る。


「違うよ。あれは、ただ――」


 ただ、あれはリスクを計算しただけで、信頼したわけじゃない。


 ずっと僕は、場の戦力差と計算していた。ディアが正気に戻ったところで、ラスティアラが死ぬ可能性がほぼ皆無だったから止まっただけだ。


 あんなものは信頼でも何でもないと返そうとしたが、それはラスティアラに否定される。

 小さく首を振る僕の何倍も力強く、横に首を振る。


でも・・見てくれた・・・・・。ちゃんと見てくれた。だから、次は・・――って、あ、あれっ? 身体が……」


 ただ、言い切る前にラスティアラは身体をふらつかせ、不思議そうな顔で膝を突いた。

 仲間たちの猛攻によって、身体が芯からボロボロなのだろう。そして、いま緊張が解けたことで、あらゆる負債がラスティアラに返済を求めようとしている。僕にも覚えのある症状だ。


 すぐに近くで囲んでいた仲間たち――マリア、ディア、スノウが近寄って、全力の治療が行われていく。


「ディア! お願いします!!」

「ああ、わかってる! すぐに治す!」

「あわわ……! ラスティアラ様ぁああぁあ……!」


 そこに先ほどまであった狂気や不安感は欠片もない。

 仲間を心配し、心から救おうとする女の子が三人。その三人に囲まれたラスティアラは満足そうに笑い、完全に集中力が途切れてしまう。


「やったね……。これって私が思っていたより……みんなが私のこと――が好きだっ――てこと……。また一歩、ティアラ様に――近づ、いて――……」


 安心して身体を倒していき、ラスティアラは喋っている途中で気絶する。

 その身体をマリアが受け止め、残りの二人に回復の指示を出していく。


「スノウさんは鮮血魔法で腹部の止血を……! ディアはそのまま!」

「う、うん! そのくらいならできるよ! 全力で血を止める!!」

「俺は《キュアフール》に集中する!」


 スノウとディアの治療は凄まじい。

 魔力が莫大だけでなく、自分の専門の属性魔法ゆえに僕と比べて完成度が違う。最近覚えたばかりの僕の《キュアフール》は、むしろ邪魔になると思って僕は一歩引いた。


 ちょっとした疎外感を味わいながら彼女たちから遠ざかっていく途中、背中から声が聞こえてくる。


「ふう……。なんとか終わったみたいだな」


 自分で自分の治療を済ませたライナーだ。

 その隣には疑問の唸り声をあげるラグネちゃんもいる。


「え、えぇ……? えぇえええええ……? 本当になんとかなっちゃってるっすぅ……」


 正直、僕も彼女と同じ感想だ。

 本当になんとかなったのを、いまでも信じられない。目の前の光景を視認しても、まだ受け止めきれない。

 顔をしかめながら、また一歩信じられない光景から遠ざかる。


 そこでライナーが僕の顔を窺いながら聞く。


「キリスト、怒ってるか?」


 先ほどの戦いについてだろう。

 理由はどうあれ、ライナーは僕の前で剣を抜いて立ち塞がった。その行為に僕がどんな感情を抱いているのか確認したいのだろう。僕は飾ることなく、素直に答える。


「……怒ってないよ。本当に」


 嘘ではない。

 あれだけ苛烈だった感情が全て消えうせてしまっている。むしろ、自分への不信感で心は冷えに冷え切っていた。


 それよりも、僕はライナーに聞きたいことがあった。

 どんな感情を抱いているのか確認したいのはこっちなのだ。


「それよりも聞きたいことがあるんだ。ライナー、君が僕と戦ったのは、あの場で僕が一番――」

「ああ、この場で一番危ういのはキリストだと思った。だから止めた。動いて欲しくなかった」


 聞かれるとわかっていたのか。

 間髪入れずにライナーは答えてくれた。


「そっか……」


 その迷いのない答えに、僕は頷き返すことしかできない。

 先ほど僕が危惧していたことが的中していると確認できてしまった。

 さらにいまのライナーの顔を見れば、その深刻さも察せられる。


 おそらく、この船旅の途中――いや、迷宮から出てラスティアラに振られたあたりからライナーは僕の不安定さを警戒している。あの日の僕は酒に酔ってしまい、かなりの醜態を見せた。記憶にはないが、他の守護者ガーディアンと同じような生きる上での根本的な間違いを、ライナーは僕自身の口から聞いたのかもしれない。


 ライナーに心配をかけていることを理解し、僕は眠るラスティアラに目を向ける。

 負傷した彼女を見ているだけで心がざわつく。


 このラスティアラへの異常な執着が、ライナーの言う僕の危うさなのだろう。


 すぐに僕は目を逸らし、できるだけラスティアラから離れる。

 わかりきっている危険に近づくわけにはいかない。


 十分に距離を取ってから、先ほどラスティアラの言いかけた言葉を思い返す。


 次は・・――


 そうラスティアラは言い残した。

 続く言葉を僕はわかっている。

 誰よりもラスティアラを知っている僕だからこそ、間違いなく伝わっている。


 次は――僕の番だ・・・・


 いまラスティアラがやったことを僕もやらないといけない。

 これ・・をノスフィー相手にするのが、僕の役目だとラスティアラは言っている。


 だから、手本のように僕に見せつけたのだ。この一連の戦いは仲間たちだけでなくノスフィーのためでもあった。


 ラスティアラは心を開き、向かい合って『話し合い』をして――ディアが抱えていた『剣士』のコンプレックスを正面から受け入れた。スノウが望んでいた『親友』の存在を、臆病で卑屈な彼女に認めさせた。仲間たちとの本当の絆を築いた。


 こんな風にノスフィーと話し合ってあげてとラスティアラにお願いされているのが、言葉はなくとも伝わってくる。ノスフィーを救えるのは僕だけなのだからと、背中を押されている。


 そして、僕は押されるがままに歩く。

 ラスティアラたちだけでなくライナーからも離れ、一人になって――

 自分を見直し、自分のやるべきことを確認するための時間が欲しかった。


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