7‐1章.愛の告白

265.血集め

 迷宮連合国は五つの国が連なって構成されている。

 その五つの中で最も豊かな国がどれかと言われると、誰もがフーズヤーズと答える。


 理由は――まず単純に、軍事力と財力が抜きん出ている上に、最も古い歴史を持っていることだ。そのため、連合国の中で発言権が大きく、国々の中心となりやすい。連合国の施策への影響力が大きければ、自然と経済の中心にもなりやすい。


 それはとても単純な理由だが、とても覆しがたい理由だ。

 こうして、フーズヤーズは有名な貴族たちで溢れ返り、常に人と金が循環し続け、大陸トップの座を磐石のものとしているわけだ。


 それを証明するかのように、いま僕が歩いている道は賑やかで、腹が立つほどに煌びやかだ。


 ぱっと見ただけで、色の数が多いとわかる。

 赤青緑といった目立つ染め物を纏っている者など、そうそう他国では見かけない。だが、いま僕の目の前で行き交う人々は、そのほとんどが色の目立つ衣服を着こなしている。見る人が見れば、この国の物流や平均収入を軽く察することができるだろう。


 もちろん、フーズヤーズの国の端から端まで、全てがこうというわけではない。

 いま僕の歩いている道は、中でも少し特別なのだ。


 道の名前は『十一番十字路』。

 フーズヤーズの北部に位置する交差点であり、ちょっとした名所として他国に知られている場所だ。


 その交差点には当然のように『魔石線ライン』が何重にも通ってあり、石畳の地面が宝石畳に変わってしまっている。

 道の幅は大人が二十人ほど手を繋いで歩ける広さで、その道が綺麗に十字に交差している。

 自然と交差地点は乗馬でも楽しめそうなほどにだだっ広く――そこには噴水と長椅子、石像が建設されている。


 この騎士国家様は何かとシンボルを建てるのが大好きで、こういったところには必ず誰かしらの石像が立っているのだ。正直、邪魔だから撤去しろよと、常々思っている。


 僕は『十一番十字路』の長椅子に座って、ちらりと石像に目を向ける。

 若々しい男と女の夫婦像だ。確か、僕が生まれる前に大活躍した貴族様で、本土と開拓地の交易路を繋いだ偉人だったはずだ。その偉業を自慢したいがために、多額の寄付を国にして、彫像を置かせてもらっているわけだ。


 正直、どうでもいい話だ。

 ここを歩くフーズヤーズの人々も僕と同じく、時勢に乗って大儲けに成功した貴族様のことなんてどうでもいいと思っているだろう。


 ただ、この夫婦像にはちょっとした逸話がある。それに付加価値が生まれていて、それを道行く人々は求めている。


 その付加価値とは、これが珍しく夫婦像であるということから連想される根拠のないジンクス。いまとなっては、それだけがこの像の存在意義だろう。


 いま僕の周囲には貴族のカップルが多い。

 とにかく男女一組の割合が高く、年齢層も若く、空気が甘い。


 何がどういう話になったのか知らないが、いつの間にか『十一番十字路』はロマンチックな逢い引き場所として有名になって、「ここで告白すると絶対成功する」なんて噂まで発生してしまっている。


 僕は昼食用に買っていた硬いパンを『十一番十字路』で長椅子に座ってかじりながら、その噂に八つ当たりをする。


「くそっ、なんで僕がこんなところで……。大体、大聖堂の場所が悪いんだよ……。場所がぁ……」


 ついでに自らの仕事場の位置も恨む。


 いま僕はフーズヤーズの騎士という立場であり、直属の上司たちが大聖堂で生活している。なので、何か仕事をするにしても報告するにしても、大体は大聖堂に赴かなければならない。


 そして、大聖堂で何かしらの仕事を終えたあと、自然と僕は昼食を摂らなくてはならなくなる。

 もちろん、大聖堂内に食事を摂る所はちゃんとある。あるのだが……どうしても、一度大聖堂の騎士を辞めてから戻ってきた身としては、利用し難いものなのだ。


 元々、僕は騎士としての立場が込み入っている。大貴族の末弟でありながら、その実のところの出自は不明。そんな僕が『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』になったり、元老院お抱えの騎士になったり、そう思ったらまた大聖堂の騎士に戻ったりしていれば、それはもう要らぬ噂が立ちまくりだ。


 真面目に騎士として働いて出世を目指している貴族でなくとも、こんな胡散臭い僕を食堂で見かけたら因縁の一つや二つはふっかけたくなるだろう。


 その結果、僕は居場所をなくし、大聖堂に最も近い公共の広場で昼食を摂っているというわけだ。


「はあ……」


 貴族にあるまじきさもしい食事を終えたところで、溜め息と共に席を立つ。

 一人食事を摂っていた僕を、周囲のカップルたちがじろじろと見ている。もしかしたら、デートをすっぽかされて落ち込んでいる少年にでも見られているのかもしれない。


 そういうのは僕の不運な主だけで十分だと思いながら、周囲の視線から逃げるようにフーズヤーズの街を南下していく。


 もし次に主と会うことがあれば『十一番十字路』を紹介してやろうなんて嫌がらせを思いつきながら、思考を仕事に切り替えていく。


 ――いま僕は任務中だ。


 それもフーズヤーズ大聖堂のトップであるラスティアラ・フーズヤーズからの密命を受けている騎士という扱いになる。


 任務の内容は、千年前の聖人ティアラの『血』を集めてくること。

 ここ一週間、それのためだけに僕は動き続けている。


 任務は順調も順調。

 例の『血』を与えられた『魔石人間ジュエルクルス』は、必然と才能豊かになりがちで識別が容易だ。ただ、その才気ゆえに普通の騎士では交渉が難しい。そこでレベルの高い僕の出番だ。

 『血』のおかげで強気になっている『魔石人間ジュエルクルス』たちを、力で脅して話をつけるのが僕の仕事だ。ただ、やっていることは借り物の力の比べ合いなので、地味に僕の精神にダメージのくる作業ではある。


 しかし、その労働の甲斐あって、任務もあと少しだ。

 元々、必要な残りの『血』は一割だった上、残りの『血』の所持者の当たりはついていたのだから、順調なのは当然と言えば当然かもしれない。


 街を歩き、僕は連合国の迷宮に向かう。

 そこに最後の『血』を持つ『魔石人間ジュエルクルス』の迷宮探索者がいるという情報がある。

 それも話に聞けば、その子と僕は顔を合わせたことがあるらしい。


 道すがらに、フーズヤーズの商店で念入りに探索に必要なものを買っていく。

 腰の後ろにある小さなバックパックに非常食などを詰め込み、僕は街の『魔石線ライン』を辿り、迷宮前までやってくる。


 フーズヤーズにある迷宮入り口は少し特殊で、国による装飾がなされ定期的に掃除されている。近くには水道が通ってあり、常に警備員が立っている。清潔さだけでなく治安も完璧だ。


 その綺麗な入り口をくぐる途中、警備員が僕の肩につけられた大聖堂の騎士である証明の腕章を見て、表情を緊張で固めた。互いに軽く一礼をしてから、迷宮の中に入っていく。


 そして、懐かしい光景が視界に広がる。


 暗い石造りの回廊に、ぼんやりと淡く光る『正道』。

 まだ入ったばかりなので薄暗さは目立たないが、迷宮特有のカビの臭いが鼻につく。


 一週間前、ティティーたちのせいで閉じ込められた場所だ。二度と迷宮には戻りたくないと軽くトラウマになっていたが、入ってみると不思議な安心感があった。


 正直に言ってしまえば、このいつ死ぬかわからない世界こそ、僕の居場所なのだろう。特に考えることもなく出てきたその答えに、僕は自分で納得する。


「帰ってきたな……。さあ、久しぶりの迷宮探索だけど、さっさと終わらせようか。――《ワインド・風疾走スカイランナー》」


 風魔法を構築する。

 発動させたのは基礎魔法の《ワインド》だ。

 しかし、普通の《ワインド》ではない。

 アイドから教わった魔法の基礎訓練を最大に活かし、ティティーから教わった魔力制御を巧みに扱い、キリストから教わった心をこめて技名を叫ぶというのを実践した。


 学生時代に習った魔法の知識――新たな魔法の創造は不可能という常識は無視して、僕なりの新魔法を発動させる。


「駆け抜ける!」


 基礎魔法《ワインド》を走行補助魔法に昇華させて、僕は走り出す。


 レベル上昇によって、ただでさえ人外じみてきている僕の脚力が、風の力でさらに増幅される。

 走るにつれて、その歩幅が徐々に膨らんでいく。

 一メートルから二メートル、二メートルから四メートル、四メートルから八メートル、もはや走っているという言葉は似つかわしくない。滑空しているという言葉のほうが適切な疾走となる。


 通常の何倍ものスピードで『正道』を進み、その途中で幾人かの探索者を見つける。走行の邪魔なので、仕方なく僕は壁を走ることにする。風の補助がある限り、たとえ天井を走ったとしても落ちることは絶対にない。

 いまの僕の風魔法は、そこまで進化している。


 もちろん、これは僕の力じゃない。

 兄様、ハイリさん、ローウェンさん、ティティー、アイドたちのおかげだ。


 ……ただ、もうティティーとアイドは消えているだろう。キリストが連合国を出発してから一週間経っている。ことが順調に進んでいれば、本土で決着がついているはずだ。


 …………。

 なぜだろうか、多大な恩を受けた人ばかり消えていく気がする。

 それを寂しく思いながら、さらなる魔法を構築していく。


「――《ワインド》」


 また基礎魔法だが、もちろん用途は別だ。

 風を迷宮内に張り巡らせ、第六の感覚とも言える魔法の感覚を拡げていく。


 これは魔法の先生たちではなく、剣の先生であるローウェンさんの教えの応用だ。

 キリストというお手本が、ずっと近くにいてくれたおかげだろうか。ローウェンさんのスキル『感応』を身につけることはできていないが、その端っこくらいを僕は掴めている。


 動く物体を風で感じ取り、それの詳細を『勘』で推測していく。

 いま僕が探しているのは少年少女の二人組だ。

 それに近しい格好の者たちを見つけては、遠目で顔を確認し、何度も間違えながらも迷宮の奥深くに進んでいく。


 そして、数時間ほどかけて迷宮の二十層手前までやってきたところで、僕は目的の二人を見つける。


「――やっと見つけた……! 情報と背格好が一致してる。それに『血』の感じもする!」


 十九層の『正道』から遠く離れたところで、僕よりも若いであろう探索者二人組みがボスモンスターと戦っていた。


 どちらも二十層に至っている探索者とは思えないほど、みすぼらしい格好をしている。戦闘に関わる武具類は立派なものだが、外套や靴といった日用品に近いものは安物だ。

 二人とも病院通いのせいで多額の治療費がかかっていて、金に困っているというのは本当のようだ。


 この『正道』から離れた危険域でボスモンスターと戦っているのは、経験値よりもレア魔石による金儲けが目的だからだろう。前もって聞いた情報と一致している部分が多く、僕は安堵する。


 金に困った若い探索者が相手。

 思ったよりも交渉が楽になりそうだ。

 なにしろ、こっちの資金源は大聖堂なのだ。ラスティアラ個人が動かせる金額は結構なものだと聞いている。最悪、金で頬を叩いてやればいい。


 僕は遠目で二人の戦闘を見守りながら、交渉の手順を先んじて考える。

 ただ、見守り続けても、中々戦闘は終わってくれず――それどころか旗色が悪くなっていく。


 相手はボスモンスターのゴルゴンアンデット。

 学院で聞いたことのあるモンスターだ。確か、腐食した人型のモンスターで、体内に無数の蛇を飼っている。その特徴は異常な再生力だったはずだ。


 体力が無尽蔵にあるゾンビ系モンスターを相手に長期戦は不利だ。

 何より、いま戦っている二人は年若く、まだ身体ができていない・・・・・・。さらに『病持ち』という事前情報が本当ならば、大人の探索者の何倍もきついことだろう。


「はあ……」


 僕は溜め息と共に、見守るのが面倒だと思った。

 もう強引に介入しよう。

 何か文句をつけられても、仕事ということで誤魔化せばいい。


 すぐに僕は回廊を駆け出して、二人の前に躍り出る。

 驚く二人を置いて、ゴルゴンアンデットに対して魔法を放つ。


「――《タウズシュス・ワインド》!!」


 宙に巨大な風の杭を複数生成して、四方八方からゴルゴンアンデットに襲い掛からせる。


 ゾンビ系モンスターは最大火力で一掃するのが一番だ。

 ティティーから教わった魔法は魔力の消耗が激しいけれど、こういったときに重宝する。


 結果、風の大魔法で敵は圧殺され、光の粒子になって魔石が落ちる。それを僕は拾って、二人組の少年のほうに投げてから話しかける。


「横取り申し訳ありません。ただ、急いで話をしたかったので……。もちろん、魔石はそちらのものですので心配しないでください」


 一応、騎士として仕事中なので年下相手でも敬語だ。

 少年は魔石を受け取り、警戒を解くことなく、じろじろと僕を見ながら答える。


「……いいえ、予想より苦戦していたので助かりました。そちらは……騎士さんですか?」

「これでもフーズヤーズの上位階級騎士です。腕章も剣も、ほらここに」


 こういうときに騎士をやっていると、一定の信頼を得られるので助かる。

 もちろん、騎士を騙るやつも連合国にはいるが、重罪に設定されているのでそう多くはない。


 少年は僕の姿を細部まで確認していく。

 肩の腕章に、右手に持ったフーズヤーズで支給されている剣。そして、僕の腰に差してある残り三本の剣。剣を中心的に見ていた。


 いま僕は計四本、剣を持っている。

 支給された『騎士の剣』に、『ヘルヴィルシャイン家の聖双剣』と『シルフ・ルフ・ブリンガー』だ。

 そのどれもが高価そうであることを確認して、少なくとも身分の高い人間であると判断したのだろう。少年は警戒を少しだけ和らげた。

 その様子を見て、僕は自己紹介を行う。


「僕の名前はライナー・ヘルヴィルシャイン。これでも大聖堂の現人神ラスティアラ様の直属騎士です。そちらはアルとエミリーで間違いないですか?」


 少年少女――元奴隷のアルと『魔石人間ジュエルクルス』のエミリーは答える。


「はい。間違いありません」

「エミリーです。しかし、なぜ私たちの名前を……」


 名前を知られていることに困惑したのか、少しだけ二人は後ずさる。


「前に会ったことあるらしいんですけど、覚えてますか? 気を失っていたからこっちは覚えてないんですけど……」


 情報を聞けば、僕と二人は接触済みらしい。ただ、そのとき僕は意識が飛ぶほどの空腹に襲われていたので自信がない。


「あっ! あのときの!? あの死にかけてた人ですね! 先輩のパーティーメンバーだった!」


 僕はわからずとも、アルのほうが顔を明るくして思い出してくれた。


「はい、それで合ってます。覚えてくれて助かりました」


 これで話が早くなる。それもキリストを先輩と慕っているおかげで、さらに交渉が楽になりそうだ。


「あなたが例の・・――、本当に・・・……!」


 エミリーもアルと同じように驚いていた。

 ただ、彼女の驚きは隣の少年より大きく、何より『別物』であるように見えた。なぜだかわからないが……妙な違和感がある。


「ええ、その例の……で合ってますが。どうして、そんなに驚いているんです?」

「い、いえ、思っていた以上に強かったので……」

「迷宮であの二人の力を見てますよね? あれと比べたら、そこまで強くはないと思うんですが……」

「その……、私たちにとってライナーさんは、先輩に背負われてた人ってイメージだったので……」


 情けないイメージの僕が、ボスを軽く倒したから驚いたとエミリーは主張する。

 まだ違和感は拭えないが、無闇に交渉相手を問い詰めることはできないので流すことにする。


「……驚かしてすみません。次はもう少し静かな魔法で介入します」

「あ、いえ、文句を言ったわけじゃありません。本当に助かりました。ありがとうございます」


 慌ててエミリーは頭を下げる。それを僕は「構わない」と手を振って答えて、追求を終わらせた。

 そこでアルが話の本題を切り出す。


「それで、先ほど急いで話をしたいと言っていましたが、一体どんな話を……」

「悪い話じゃないです。ただ、厳密には二人に持ちかける話ではなく、そこの君に持ちかける『取引』です」


 僕はアルでなくエミリーに向き合う。


「私、ですか?」


 それにエミリーは驚き、自分の胸に手を当てて目を丸くする。


「はい。君の中にある聖人ティアラの『血』を買いに来ました」


 率直に言う。

 ただ、その率直過ぎる交渉にアルとエミリーはついてこられなかったのか、首を傾げて僕の次の言葉を待っていた。


 仕方ない。

 あとの説明は大聖堂まで連れていってから行おう。


「ここではなんですので、詳しい値段交渉は外でしましょうか。フーズヤーズ大聖堂は君たちを歓待しますよ」


 僕は二人を大聖堂に誘って、『正道』の道を先導する。

 それに二人は少しだけ不思議がりながらも、ついてきてくれる。


 ああ、本当に騎士という役職は楽だ。

 こんな杜撰な拉致さえも、簡単に成功してしまうのだから。


 こうして、僕は二人の少年少女を迷宮で捕まえることに成功した。

 二人には大聖堂の経費で美味しいものを食べてもらってから、ゆっくりと交渉しよう。

 そう予定を立てて、ほくそ笑みながら僕は二人を連れて迷宮から出ていくのだった。



◆◆◆◆◆



 右を見ても左を見ても高価な調度品の並ぶ廊下。

 豪奢なフーズヤーズ大聖堂の中を、迷宮で拾ってきたアルとエミリーを引き連れて僕は歩く。


 向かうはラスティアラの待つ部屋だ。

 そして、ここまでの道すがらに僕は二人の質問に答えていた。


「――その、つまりエミリーに危険はないんですね? それどころか、危険がなくなるって話で合ってますか?」

「ええ、そうですね。アルは理解が早くて助かります。もちろん、お金を支払うだけでなく、君たちの病気の治療も全力で支援させてもらいますよ。僕の上司は、君たちのような子供たちを放っておけない性質なので……というか、あれは助ける口実を探すような類ですね」


 何よりも先に、アルは相棒である少女の安全性を確かめてきた。

 これに関しては、一切の嘘なく説明する。聖人ティアラの『血』を所持し続ければ、よからぬものに襲われる可能性は高く、『血抜き』したほうが間違いなく安全だ。

 もちろん、『血抜き』によって才能のいくらかが失われるのは確かだが、そこの補填はラスティアラのやつなら必要以上にすることだろう。


 それを丁寧に説明したつもりだったが、アルの後ろにいる少女エミリーの顔は浮かないままだった。


「エミリーさん、どうかしました?」

「え、え……? その、運が良過ぎるなって思って……」


 急に話しかけられて、エミリーは慌てていた。

 もしかしたら、都合の良過ぎる話に警戒しているのかもしれない。


「そうですね。運が良過ぎますね。でも、世の中、そういうこともあります。世界には理不尽な不幸がたくさんですが、こういう理不尽なラッキーも確かにあるのです。素直に受け入れてくれるとこっちは助かるのですが……」


 理不尽なラッキーといえば、各地で主キリストが行っている善行が代表的なのだが……話しながら、自分なら絶対に信用しないなと思った。エミリーが警戒し続けているのも頷ける。


 アルは僕の話を信じてくれそうだが、エミリーの顔は固いままだ。

 仕方なく、少し建前を抜いた黒い話に移る。


「面倒ごとが嫌いなら、本当に金だけの関係で終わるようにできますよ? できるだけ、僕たちに縁も借りも作らないように手配もできます。本当に不安なら、お金は全く貰わないでおきますか?」


 できるだけ選択肢を多く提示してから、今回の最も理不尽な部分をあえて先に言う。


「――ただ、取引の拒否だけはできません。国からのお達しですので、国民の――いわゆる平民の君たちには拒否する手段がありません。いざとなれば、僕が君たち二人を昏倒させて、主のところまで連れて行く手はずになってます。すみません」


 こちら側が権力と暴力をちらつかせていることを素直に白状する。

 それを聞いたアルは少しだけ顔を青くし、対してエミリーは逆に安心した様子を見せた。

 

 今日まで二人が上手く支えあってきたのがわかる反応だ。

 少しだけ二人を応援したくなるのは、僕が大人になったからだろうか……。先ほどから思うが、これではまるでハイン兄様のようだ。


「もちろん、いまのは最終手段の話です。そこへ至る前に精一杯の誠意をこちらは見せるつもりです。詳しい話を聞くことはできますし、前例のお仲間の『魔石人間ジュエルクルス』から体験談を聞いてもいいです。『血』を抜かれた『魔石人間ジュエルクルス』がどうなったのか、その目で確かめてください。こちらは交渉の時間を多めに用意しているつもりです」


 そう言って、ふと目を回廊の窓に向ける。

 丁度、窓の外の庭で幼い女の子が働いているのが見える。

 『血集め』に協力してくれた『魔石人間ジュエルクルス』の一人だ。以前は口にするのも憚られる場所で劣悪過ぎる条件で働かされていたので、ラスティアラが買い上げ、ここで侍女をしてもらっているのだ。


 その女の子を二人にも見てもらう。


 ただ、正直、自慢できるものではない。はっきり言って、人身売買だ。

 しかし、こうして少しだけ黒い部分を臭わせたことで、エミリーは冷静さを取り戻したのか、アルよりも先に要望を出してくれる。


「なら……貰えるお金のほうを先ほどの提示額よりも、もう少しだけ増やして――」

「お、おい、エミリー! 何言ってるんだ!」


 値段の釣り上げを始めた相棒をアルは止めようとする。

 それにエミリーは真面目な顔で答える


「だって……、やっぱり一番大事なのはお金だし……」

「それはそうだけどっ、けどなあ!」


 このままではお金だけで済む話がアルによって止められてしまう。

 すかさず僕は間に入る。


「アル、値段交渉は当然の権利です。ただ、お金の話は僕の担当じゃありませんので、上の人たちに話して欲しいですね……」


 貴族としての最低限の教養はあるものの、お金の交渉に関して僕は素人だ。安請け合いはできないので、次に会わせる人物に全てをぶん投げる。


「ライナーさんの上の人たちですか……?」

「はい。『ラスティアラ・フーズヤーズ』が君たちと直接会って、一対一で交渉してくれます」


 もうラスティアラの部屋まで目前なので名前を出す。

 いま連合国で最も人気があり、それでいて世界一の神聖さと高貴さを兼ね揃えていると噂の少女の名前を。

 んー、相変わらず納得のいかない噂だ……。


「ラ、ラスティアラ・フーズヤーズ様ですか……?」

「それってもしかして……現人神の? 大聖堂で一番偉い人じゃ……?」

「はい、そのラスティアラです」


 二人は目を見開いた。

 それもそうだろう。

 ラスティアラは連合国で一番の有名人だ。それも歴史的に見ても、肩を並べるやつを探すのが難しいレベルで。


 ちょっとだけ二人の表情を面白がりながら、僕は冗談を投げる。


「というか……もしかしたら、その場でラスティアラ様が君たち二人の身体を治してくれるかもしれませんね。生きる魔法図書館みたいな存在なので、うちのお姫様は」


 ありえない話ではない。

 あの頭に馬鹿がつくほうの主は、全世界の『魔石人間ジュエルクルス』を救おうとしている。

 世界の『魔石人間ジュエルクルス』を一人でも多く救う為、裏で敵である『北連盟』のアイドと交渉までしたと聞いた。


 最近になって知ったのだが、『血』が一年で集まったという話の背景には、アイドも『魔石人間ジュエルクルス』の『血抜き』に協力して、ラスティアラに横流ししていたからしい。


 それを聞いたときは、敵となったアイドに僕の知っている先生らしいところが残っているとわかって苦笑いしたものだ。


「し、しかしですね。なぜ、ラスティアラ様がわざわざ私たちに……?」

「会えばわかります。……というか、もう来ます」


 大聖堂にあるラスティアラの自室前までやってきた。

 僕たちの来訪にラスティアラが気づいて、部屋から出てこようとしているのを風で感じ取っている。


 僕が喋り終えると同時に、一番近くの部屋の扉が開け放たれる。そして、この国で最も高貴と呼ばれるラスティアラが現れる。


「――ようこそ、大聖堂へ! 歓迎するよ、私の妹ちゃん!」


 いつもの軽装に長い金の髪を振り乱し、満面の笑みで歓待する現人神様だった。

 それにアルとエミリーは両方とも愕然としていた。かろうじて、エミリーだけは声を漏らすことができた。


「い、妹……?」

「うん、妹。私も『魔石人間ジュエルクルス』だからね。家族みたいなものでしょ?」

「え、ええ? えぇえ……?」


 唐突に家族のような扱いをされ、エミリーは混乱の極みにあった。


「さあ、こっちこっち。私の部屋で話そうか。お菓子とか用意したからさ」


 そして、ラスティアラは手招きをして、部屋の中へ入るのを促す。だが、二人ともそう簡単に身体は動いてくれないようだ。


 エミリーは僕のほうに振り返り、目の前の少女の言っていることが本当であるかを確認してくる。


「ラスティアラ様も、私と同じ『魔石人間ジュエルクルス』……?」

「そういうことです。先ほどまでのラッキーだという話、ちょっとは納得してくれましたか?」


 この出自の繋がりがあるから、不自然な幸運ではないと主張してみる。

 それでも、まだエミリーの表情は変わらない。しかし、その彼女の手をラスティアラは強引に取って、部屋の中へ連れ込もうとする。その途中、後ろのアルも招く。


「ほら、彼氏君もこっちこっち」


 アルもエミリーに負けぬほど混乱している。この立場に合わぬ軽い歓待に応じていいものかと、僕に助けを求めるように目を向けていた。


「アルも、どうぞ。一緒に話を聞いてあげてください」


 にっこりと作り笑いを見せて、僕は手を振った。

 それに安心したのか、アルは頭を下げる。なぜかわからないが、先ほどから彼は僕を妙に信用してくれている。


「そ、その、ライナーさん、色々とありがとうございました……!!」

「僕は仕事しただけですが……。一応、お礼は受け取っておきます」


 これから部屋に連れ込まれて何をされるかわからないのに、大げさにお礼を言われてしまった。それに社交辞令で答えてから、僕は二人がラスティアラの部屋の中に消えていくのを見送る。


 また二人、前途有望な若者二人がフーズヤーズに取り込まれてしまった。

 きっとラスティアラから提示される破格の条件に、すぐさま二人は同意するだろう。あんな調子だが、あの馬鹿主は人を騙す魅力だけはある。その妙な説得力で、純真な二人を虜にしてしまうだろう。


 そんな不敬罪になりそうなことを考えながら、僕はラスティアラの部屋から遠ざかろうとする。そのとき、少し遠くに見知った顔を見つける。


 廊下の奥から二人の騎士が現れた。

 先輩騎士のセラさんとラグネさんだ。


「見ていたぞ。ご苦労。やはり、おまえに任せてよかったな。私だと幼い二人を威圧しかねんからな」

「おつかれっす!」


 最上位の騎士である『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』の二人が珍しく揃っていた。それはつまり、近日中に大事があるということだ。

 そして、その大事とはおそらく――


「お疲れ様です。お二人が揃っているということは、そろそろですか?」

「ああ、そろそろだ。おそらく、あの少女の『血抜き』が最後の儀式となるだろうな。同時にラスティアラ様の『血抜き』も行って、地下の少女に移すことになるだろう」


 いまやラグネさんも僕たちの計画の一員となってくれている。儀式の終わりが近づいたのに合わせて、信頼できる強い仲間をセラさんが選んだようだ。


「ただ、不安が一つある。フェーデルトのやつが何をしてくるかわからなくてな……」


 元フーズヤーズ国宰相代理のフェーデルト。

 この時期に来て、少し不穏な動きを見せているのだ。まだ聖人ティアラの力を諦めていない可能性があるとセラさんは睨んでいる。


「ただいま、大聖堂は警戒態勢中っす! 警戒対象は内ゲバっす!」


 ラグネさんは敬礼をして、自分の仕事の成果を報告する。特殊な魔法もスキルも持たない彼女は、基本的に見回りと情報収集が役目となっている。


 はっきり言って、ラスティアラに仕える騎士たちの質はいい。

 ちょっとした自慢になるが、僕とセラさんとラグネさんの三騎士は、大聖堂史上でも最高クラスだろう。


 それでも僕は万全を期して、先に提言する。


「もし、当日荒事になれば、僕が最初に出ます。二人はできるだけ、主の傍に」

「……む。私の身体を心配しているのか?」

「まさか。適材適所で考えただけです」


 そんなことはありえない。

 主のために騎士が犠牲になることは、むしろ本懐だ。


 ただ、セラさんの『魔人化』は攻めよりも守りに適していると思っているだけだ。

 なにより、並大抵の相手ならば僕一人で十分だというのもある。


「大人数相手に暴れるのは風魔法の使える僕が適任でしょう。身体が大きくて素早いセラさんは、身を削ってでもラスティアラと例の少女を守ってくださいね。もし、ラスティアラを守れなかったら、僕はあなたを一生恨みます」

「ふっ、言ってくれる。言われずとも、この命に代えてもお嬢様は守ろう」


 言葉通り、セラさんはラスティアラのためならば命を落とせるだろう。

 それだけの覚悟が彼女にはあるので、信用できる。

 心配があるとすれば――


「う、うへえ、ライナーってば口が悪くなったっすねー。一年前は、こんなキャラとは知らなかったすよー」

「これが素です。というか、騎士なんてこんなもんですよ。ちょっと強くなったり偉くなったりすると、すぐ上から目線です」

「あぁー、あのしおらしかったライナーがぁー。いつの間にか、すれてるっすー」

「最初からですよ」


 ――このラグネ・カイクヲラという騎士だ。

 ちょっとした『勘』だが、彼女からは得体の知れなさを感じるのだ。

 僕はセラさんほど彼女を信用していない。いや、そもそも僕はラスティアラとセラさんさえも信用していないのだから、ラグネさんを信用できないのは当然か。


 僕は『聖人ティアラの復活』に協力はしているものの、それ以前に『ラスティアラ・フーズヤーズを守れ』とキリストに命令されている。

 どんな不慮の事態にも対応できるように、常に気を張っておかないといけない。


 特に、このラグネ・カイクヲラという少女は監視しないと……。


 僕が硬い表情を作っていると、そこでセラさんが声をかけてくる。


「それでは今日連れてきたエミリーとやらの守りは我らに任せろ。おまえは儀式の日まで休むといい。当日の護衛の要はおまえだからな」

「……了解です」


 こう見えてセラさんは部隊の隊長リーダー慣れしている。一週間動き続けた僕の疲労を考えて、迷いなく休息を命令した。

 僕のHPとMPに問題はないだろうが、当日に集中力を切らすのを避けるため、素直に従うことにする。


「それではヘルヴィルシャイン家の別荘で休ませて頂きますね」

「ああ、そうするといい。確か、いまはフランリューレのやつもいたはずだ。おまえ、まだ一度も姉に会ってないと聞いたぞ……?」

「……姉様だけじゃありません。ほとんどの家の人と顔を合わせていません。……まあ、せっかく時間ができたので挨拶ぐらいはしておきます」

「そうするといい。家族は大切なものだぞ」

「そうですね……」


 できれば二度と顔を合わせたくはなかったが、セラさんの善意を拒否するのも憚られ、僕は実家に挨拶することが決まる。


 家族は大切……確かにそう思う。

 あの妹思いのキリストと弟思いのティティーを見てきたせいか、より一層強く思う。


 ただ、世の中には家族がいても、『家族』として向き合うのを禁じられている人間もいる。

 僕――『ライナー・ヘルヴィルシャイン』には『故郷』も『家族』も、何もかもがない。

 このゴミクズの命が帰る場所は、もう主の下だけだろう。


 それ以外の場所はどうでもいい。

 そう思っている。


 それでも、付き合いというものが世の中にはある。

 貴族という社会では、特に大事なものだ。その付き合いのため、先輩騎士二人に別れを告げた後、仕事のつもりで実家に足を向ける。


 およそ、一年ぶりのヘルヴィルシャイン家への帰還だ。

 こうして、『血集め』の任務全てを終わらせた僕は、姉様の待つ別荘に戻る。

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