3章.報われない君が為に

71.ラウラヴィアの火種


 ――誓った……? 何を……?




 ゆっくりと目を開いて、身体を起こす。

 重い頭を動かして、周囲を確認する。


「ここは……?」 


 記憶にない場所だった。木造の狭い個室に、最低限の家具だけが置かれてある。

 開け放たれた窓が一つだけあり、そこから涼しい風が入り込んでくる。簡素だが、落ち着く部屋――そう思った。


 そして、その最低限の家具に含まれる椅子に、男が一人座っていた。


 精悍な顔つきの男、名前は確か――パリンクロン。

 僕の命の恩人・・・・・・のパリンクロン・レガシィだ。


「――おっ。起きたな、カナミ。丁度いい、おまえの妹・・・・・も起きたところだ。案内するぜ」


 目を覚ました僕を見て、パリンクロンは手に持った本を閉じる。

 その後、親しげに僕の肩を叩いてから、部屋の外に出ていった。


 案内すると言われ、僕は彼についていこうとして――身体が硬直した。

 何かが大事なものが食い違っているような気がして、上手く身体が動いてくれない。


 それは配線を間違えたかのような。

 人形の手足を逆にしたかのような。

 不快で、奇妙な、食い違い。


 ――何かがおかしい。


 ただ、そのまとわりつく違和感と同じくらいに、清々しい解放感も僕にはあった。

 ぽっかりと心に穴が空いたかのような感覚。

 おかげで、身体が軽くなったような気がする。


「カナミ、早く来いって!」

「え……。あ、ああ! わかった、パリンクロン!」


 パリンクロンの急かす声によって、それらの疑問は全て消えた。


 まずは「命の恩人であるパリンクロンについていくべき」という責務を感じて、深くは考え込まずに、部屋を出ていく。


 僕は廊下を見て、ここがどこかを悟る。

 ここはギルド『エピックシーカー』の本拠だ。

 先ほどの部屋はギルドの医務室。


 起きたとき、なぜそれに気づけなかったのか不思議でならなかった。

 しかし、不思議がってばかりもいられない。

 見知っているはずなのに目新しく感じる廊下を、僕は歩いていく。

 歩きながら、自分が本調子でないことを確認する。まるで何日も寝ていたかのように気だるく、夢心地だ。


 何度も頭を振りながら、先を歩くパリンクロンの後ろをついていく。

 そして、廊下を進み、階段を上がり、とある部屋まで辿りつく。


 部屋の扉の前でパリンクロンは止まり、中に入るように促してきた。

 促されるまま、僕は扉を開ける。


 その部屋は医務室よりも広く、清々しい風がそよいでいた。

 ざっと見ても五倍ほどの広さはある。大量の本棚が立ち並び、部屋に知的な印象を与えている。そして、一番奥には大きなベッドが一つあった。カーテンを揺らす風を感じながら、窓の外を見る少女が、そのベッドに座っていた。


 目に包帯を巻いた黒髪の少女。

 ああ、そうだ。

 この少女こそ――、あの誓いの――


妹の・・マリアちゃんも無事だ。よかったな、カナミ」


 後ろから、パリンクロンの声が聞こえた。


 『妹』――?

 

 ……そうだ。

 あいつは僕の妹だ。

 何よりも大切で、命に代えて守らなければいけない。

 死んだ母から頼まれた妹、名前は……マリアだ。


 ずきりと、頭が痛んだ。


「あ、ああ……。よかった。マリアも無事だったんだな」

「大火事だったが、みんな助かった。一人も死傷者は出なかったぜ」


 まどろんでいた意識が、徐々に覚醒していく。

 同時に、この異世界での出来事を、僕は次々と思い出していく。


 僕とマリアは大火事に遭い、パリンクロンに助けられた。

 パリンクロンに助けられたのは、これで二度目だ。初めて、この世界に僕たち兄妹が迷い込み、迷宮で助けられたときが一度目。そして今回、街の大火事に遭ったところを助けられて、二度目。


 確かに、家が燃えていく光景を僕は覚えている。思い出せる。

 けど、死傷者が出なかったのは驚きだ。

 一人か二人、死者が出ていた……ような気がする。


「――兄さん・・・? 来てくれたんですか?」


 マリアは僕たちの来訪に気づき、こちらに顔を向けた。


「ああ、僕だ。平気そうだな、マリア」

「いえ、平気と言えば平気ですが……」


 僕とマリアは言葉を交わす。

 すると、僕は安堵感に包まれる。

 それは異常なほどに深い安堵感だった。 


「どこか怪我はないか?」

「いえ、怪我はしていませんが……。なぜだか、頭が痛くて……」


 そう言ってマリアは頭に手を当てた。


 しかし、よくあることだ。

 妹は幼少の頃から身体が弱く、入院生活も長かった。それは異世界に来ても変わりないようだ。いや、突然の環境の変化で、悪化しているかもしれない。


 そのとき、ふとマリアの腕にある装飾品が目に入った。

 『腕輪』だ。


 これはパリンクロンが、『異邦人』である僕たちの不自由なところを解決するために用意してくれたものだ。これをつけている限り、僕とマリアはこの異世界の環境に適合し、言語だって不自由しない。暴走がちな僕たちの魔力を安定させる効果もあるらしい。


 僕とマリアで二つ分。

 パリンクロンに聞いても値段は教えてくれないが、間違いなく安価なものではないだろう。


 『腕輪』を見た僕は、マリアのため、パリンクロンに恩を返すため、もっと僕は頑張らないといけない。そう決意し直した。


「マリア。頭が痛いのなら、もう少しゆっくりしてていい」


 僕はマリアに近づいて、その頭を撫でて、身体をベッドに寝かせる。


「はい……。ありがとうございます、兄さん……」


 マリアは頬を赤くして、為されるがままに寝転がった。

 やはり、調子がいいわけではないようだ。

 熱があるように見える。昔から、慢性的に熱を出すのは変わらないみたいだ。


 マリアの手を握って、僕はマリアの身体を心配する。

 そうしていると、後ろからパリンクロンが声を挟んできた。


「微笑ましい兄妹愛はそこまででいいかな? 今日はやることが一杯あるんだ」

「やること?」

「ああ、今日はカナミのギルド『エピックシーカー』入団予定日だったろ? 火事のせいで忘れかけてたが、カナミは五体満足みたいだから問題なく行うぜ。ギルドメンバーを待たせてあるから、繰り越しはなしだ」

「あ、ああ……。そうだった」


 また思い出す。

 僕は目の前のマリアの医療費のために、お金を稼がないといけない。そこでパリンクロンが、僕のために仕事を一つ紹介してくれた。


 それがギルド『エピックシーカー』。

 連合国の一つであるラウラヴィア国、その系譜の正統なギルドでのお仕事だ。

 僕の実力ならば、そこの一員になれるらしい。


「そうでした。兄さん、ギルドに入るんでしたよね?」


 マリアも、いま思い出したかのように確認を取っていく。

 それにパリンクロンが意気揚々と答える。


「ああ。おまえらは、この世界でそれなりにお金を稼ぐ必要がある。それなら、俺のギルドに入ってくれるのが一番いいと思ったわけだな。なかなかの収入が約束されるし、人脈も広がる。なにより、ラウラヴィアの庇護下に入るというのは、二人にはいい話だ。マリアちゃんをゆっくりと治療するためには理想的だろ?」


 そうだ。

 僕が借りを返したいと言ったら、パリンクロンは迷った末にギルドを紹介してくれたのだ。それでは借りを返すことにならないと、最初僕は拒否したが、パリンクロンはギルドに入ることを推し続けたので、それを最後には受け入れた。どうやら、彼はギルドの仕事を通して、借りを返して欲しいらしい。


 そういう記憶がある。


「ありがとう、パリンクロン。これで、この世界でも生きていける」

「礼を言うのは、まだ早いぜ? ギルドに入る試験は受けてもらう。カナミだからって何もなしには入れやしない。試験に受からなければ、話はなかったことになる」

「もちろんだ。厳しく判定してくれていい」


 パリンクロンは脅すように返したが、僕にとっては望むところだった。


 全身に力を漲らせ、決意を表明する。

 それを見たパリンクロンは、にやりと笑って「こっちだ」と言って僕を連れ出そうとする。マリアに別れを告げてから、僕は『エピックシーカー』の試験を受けに向かった。



◆◆◆◆◆



 円形に切り取られた空間に、柔らかめの砂が敷き詰められている。

 壁は石造りで、天井は吹き抜け――これが『エピックシーカー』の訓練場だ。


 学校のグラウンドほどの大きさの訓練場には、『エピックシーカー』の面々が揃っていた。老若男女混じった三十人ほどのギルドメンバーだ。身の丈以上の巨大な剣を背負っている者もいれば、いまにも折れそうな細い杖と古臭いローブだけの者もいる。


 その三十人の視線を一身に受けて、僕はパリンクロンの隣で冷や汗を流し続けている。

 パリンクロンは全員集まったことを確認し、適当な挨拶のあと、僕を皆の前に出した。


「さあ、自己紹介してくれ。カナミ」

「え、えっと……。名前はアイカワ・カナミです。レベル14の氷結属性の魔法使いです。一応、剣も使います。よろしくお願いします」


 言われるがまま、全員に聞こえるよう自己紹介を行った。


 対して、ギルドメンバーたちの反応は様々だ。

 真剣に聞く者もいれば、適当に聞き流す者もいる。

 ただ、僕のレベルを聞いて、顔を輝かせた者は多い。


「あの年で、レベル14か。またパリンクロンのやつは、妙に有能な子供をさらってきたな」

「礼儀正しいわね。それに顔も綺麗。けど、首の火傷跡が少し残念かなあ?」

「魔法使いで、剣も使うか。うーん、中途半端だと困るなぁ」


 各々が好き勝手に、僕の評価を口に出していく。

 そして、近くの人と、僕について色々と話し合い始める。


 あまり気分のいいものではない。

 見世物になっている気がするので、早く終わって欲しいと願う。


 僕が周囲の反応を窺っていると、一際異様な反応をしている人がいた。


 その少女は、海のさざなみのような長い髪を靡かせていた。その美しい髪から覗く小さな角が、獣人であることを証明している。民族衣装のような厚着の下から、爬虫類系の尻尾も生えているので間違いない。


「え……? キリストさん?」


 獣人の少女は口を開いたまま、こちらを呆然と見つめていた。

 そして、『キリスト』と呟いた。


 僕は驚く。

 こんな異世界で聞く言葉だと思わなかったからだ。

 少しだけ同胞であることを期待する。しかし、その頭に生える角が、すぐにそれを否定した。こちらの世界では、名前としてよく使われる言葉なのだろうか。そして、その名前の人と僕が似ていたのかもしれない。


「あ、スノウ。君はこっちへ」


 パリンクロンは獣人の少女をスノウと呼び、招き寄せた。

 そして、僕に「ギルドメンバーたちと挨拶してて」と短く言い残し、スノウと呼ばれた獣人の少女と共に遠くへ移動し、話を始める。

 

 パリンクロンは、このギルドのトップの一人だ。

 何か連絡事項でもあるのかもしれない。


「――よう、カナミ。これからよろしくな」


 二人の背中を見送っていると、メンバーの一人が僕に挨拶をかけてきた。


「はい。よろしくお願いします」


 できるだけフレンドリーに僕は言葉を返す。

 それを切っ掛けに、次々とギルドメンバーたちが僕に近づいてくる。


「よろしくね、カナミ君。私はテイリ、パーティーリーダーでもあるわ」

「あ、抜け駆けはよせよ。少年、俺があとで剣を教えてやろう。魔法なんかやめちまえ。んでもって、うちのパーティーに入れ」

「おいおい。魔力持ちをわざわざ脳筋に変えようとするなよ……」

「カナミ君、よろしくねー」


 固い表情の魔法使いに巨漢の剣士、冗談みたいな装いをした人たちが僕を囲む。

 異世界であるとはわかっていても、こうも近くに寄られると少しだけ怖いものがあった。


「あはは。よろしくお願いしますね……」


 僕は愛想笑いで答えていく。

 顔が引き攣っていないか少し心配だ。


「はいはいはーい。おまえら、そこまでだぜー」


 僕がメンバーたちと交流を深めていると、パリンクロンが手を叩いて注目を集めた。

 スノウと呼ばれた少女との話は終わったようだ。少女は一人、遠くの日陰に座り込んで休んでいる。


 できれば、彼女にも挨拶をしたいと思った。

 見目麗しいのもあるが……なぜか、あの少女と話すことが重要な気がした。


「まだカナミの入団試験は終わっていないからな? 全員、気が早いぜ」


 パリンクロンは試験の話を始めた。


 僕は少女を思考から追い出し、気を引き締め直す。マリアのためにも、この試験は絶対に落ちるわけにはいかないのだ。


「おい、パリンクロン。おまえが連れてきたやつで、落ちたやつなんていねえだろ。試験なんか飛ばして、そいつをさっさとうちのパーティーにくれ」


 巨漢の剣士が野次を飛ばす。

 立ち位置と発言の内容から、それなりの役職を担っている男のように見える。

 何より、その傷だらけの身体から、只者でないことが見て取れる。


「いやいや、まだわからないぜ? とにかく、重大発表があるから、静かにしようか」


 パリンクロンは自分のペースを崩さない。

 しかし、野次は止まらない。

 国直営の組織ギルドと聞いて、もっと固そうなイメージを持っていたが、そうでもないようだ。かなりアットホームな空気だ。


「いいから早くしてよ。……まっ、その子は、うちのパーティーに貰うけどねー」


 杖を持った女性がこちらを見ながら微笑みかける。

 どうやら、僕がどの集団に属するかで揉めているようだ。


 しかし、その流れをパリンクロンは全て無視して宣言する。


「――残念だが、カナミは誰のパーティーにも入らないぜ?」


 そう言い切った。

 それを聞いたギルドメンバーたちは、ざわつき始める。


 誰もがパリンクロンに説明を求める視線を向けた。それでも、パリンクロンがマイペースを崩すことはない。彼は楽しそうに、その理由を答えていく。


「カナミは『エピックシーカー』のギルドマスターになるからだ」


 簡潔だが、横暴過ぎる理由が吐かれた。

 その言葉の意味を理解するのに、僕は数拍の時間がかかった。ギルドメンバーたちも同じく、パリンクロンの言っている意味を、すぐには呑みこめない。


 数秒の静寂のあと、訓練場は驚きの声で包まれる。



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