427.楽しい異世界


 夜が更けていく。

 食事をして、マリアとお喋りして、完全に真夜中となった。


 灯りは消した。


 真っ暗な部屋の中、小さな手を握ったまま、すーすーと可愛らしい寝息をたてるマリアの顔を眺める。

 しかし、夜が明けるまで、ずっとこのままというわけにはいかない。


 僕は名残惜しみながら、彼女から手を離していく。

 そして、その離した手で、本を――と言っても、実際にある本ではなく、僕の空想の中にあるものだが――本を閉じる仕草を、何もない手元で行なった。


 ――いま、一つの『物語』を記し終えた。


 この最後の頁に、もし続きがあるとすれば、それはもう本の外だろう。

 つまり、『執筆』『読書』といった『生まれ持った違いスキル』たちの外。

 これでティアラと僕からの干渉は一切なくなり、マリアは自分だけの道を選び、自分だけの人生を歩んでいける。


「『マリア』……、頑張ったね……」


 そう褒めつつ、僕も「頑張った」と自賛しておく。


 戦いではなかったが、一つ言葉を間違えれば、どう話が転んでもおかしくなかった。

 しかし、逃げることなく、彼女と向き合ったおかげで、乗り越えられた。

 新たな本を一つ、得た。

 いま、ここで話せてよかったと、心から思う。


 僕は空想の本の表紙に『マリアの物語』というタイトルをつけて、抱き締めるように自分の胸の中に収める。

 これは質量を持たないもの用の『持ち物』みたいなもので、ここならば《ディスタンスミュート》でもない限り、誰かに奪われることはないだろう。本棚と名付けていて、立派な背表紙の分厚い本がたくさん並んでいる。


 虚空を感慨深く眺めながら、椅子の背もたれに体重を預けていく。

 ここで自室に戻るのは薄情な気がするので、このまま椅子でマリアを見守りながら眠ろうと思う。

 普通ならば、目が覚めたときに背中が痛くなるだろうが、僕ならば大丈夫だ。


「……はあ」


 溜息をつき、静かな夜の音に耳を傾ける。

 今度こそ、ゆっくり眠れそうだと、瞼を少しずつ落とそうとするのだが――視界の端っこで、ひょこひょこ動く物体を見つけてしまう。


 それは暗闇の中を泳ぐ黒い染みのようで、すぐに影を利用した魔法の『隠密』であるとわかった。

 そして、ここまで僕に悟らせなかったとなると、一人しか候補はいない。

 苦笑いを浮かべて、その名を呼ぶ。


「リーパー?」


 呼ばれた黒い染みは、その場で動かないことで誤魔化そうとした。

 しかし、僕は決して視線を切らない。

 彼女は観念して、ぬるりと、プールからあがる子供のような動きで部屋の影から這い出てくる。

 現れたのは黒装束に黒髪褐色の少女。

 なぜか、もぐもぐと口を動かしていた。


「やっぱり、リーパーか……。どうしたの?」

「ん? えーっと、お祝いかな? 九個目・・・のさ」

「…………。その口の中のは?」

「ひっひっひ、ばれては仕方ない。台所にあったローウェンのお菓子の残骸は全て頂いたぞぉ」


 嘘ではない。

 確かに、隠れて料理を食べていたようだが――本命は別だろう。


「残り物を漁らなくても、ちゃんと同じものを作ってるよ。ほら」


 あえて、そこには触れず、僕は『持ち物』から予備の皿を取り出した。


「え、あるの? お兄ちゃん、そういうことは先に言ってよね」


 とりあえず、僕は無詠唱の《ワインド》で防音障壁を作った。

 マリアを包むように展開したので、これで彼女は朝まで安眠できることだろう。

 そして、椅子から立ち、手に持った料理を部屋の机に置く。


 例のお菓子の情景模型ジオラマだ。

 それを前にして、リーパーは目を輝かせる。


「お、おぉ……」


 僕が求めていた反応をしてくれて、とても助かる。かなり嬉しい。リーパーは鼻息を荒くして、首を左右に揺らしながら、あらゆる角度から眺めては「かっこいいー」と言ってくれる。


「もしかして、リーパーも壊しにくい?」

「いや、全く全く。普通に食べるよ」


 僕が聞くと、リーパーは用意したスプーンを取って、あっさりと「食らえー」と小さい声でローウェン人形を崩した。

 そして、その残骸を口に含んでいくことにも躊躇しない。


「ローウェン、うまうま」

「みんなも、このくらい遠慮ないとよかったんだけどね」

「いや、普通はこんなことできないと思うよー。模したものとはいえ、人型を壊すってのは誰だって躊躇するよ。普通ならね」

「普通なら……。リーパーは普通じゃなさそうだけど?」

「そりゃ、アタシたちは『親友』だからね! 亡きローウェンとアタシは、常に心で繋がっているのだ! だから、平気平気!」


 間違いなく、リーパーとローウェンは『繋がり』がある。


 互いの為ならば命を捨てることすら厭わない。そんな信頼関係がなければ、この情景模型ジオラマは食べれなかったようだ。

 思えば、心優しいディアたちに酷な食べ物を勧めてしまったと反省して、僕は彼女の食事を見守り続ける。


 その気持ちのいい食べっぷりは、本当に嬉しいし、暖かい。

 途中で、お茶を頂戴と言ってきたので、ついでに僕は別の料理も出そうとする。しかし、お菓子だけでいいと首を振られてしまった。

 おそらく、ちょっと見ない間に、魔法の身体への理解が増して、食事は好きにしていいと気づいたのだろう。栄養バランスが偏った生活をしていそうだ。同じ魔法生命体であるシスが真似すると困るので、あとでそれとなく注意しておこう。


「っふー、美味しかったー」


 ばくばくとお菓子を食べ終えたリーパーは、ぐいっとお茶を飲み乾して、一息つく。


 ただ、それで席を立つことも、部屋から去ることもない。

 いま、リーパーは僕の身体のことを誰よりもよく知っている。

 だからこそ、僕に対して遠慮は一切なく――、これから、寝かせてくれるつもりはないようだ。


「お兄ちゃん、終わったね・・・・・。ようやく、全部」

「…………」

「これで、事実上の完成。全て紐付いたのが、アタシにも視えるよ。新しく書かれた『物語』の流れ・・ってやつがさ」


 そして、同じ次元魔法使いだからこそわかる核心に、触れた。


 この話をする機会をリーパーは見計らっていたのだろう。

 逃げることは許さないといった様子で、射抜くように僕を見る。


「確かに、いまさっきのマリアとのお話で、残ってた心配事は全部終わったかもね……。『無の理を盗むもの』が終わって、『火の理を盗むもの』も終わって、既に終わっている『血の理を盗むもの』を回収するだけ……。あとは予定通りに、『計画』が進んでいくだけだと思うよ。……ただ、こういうのって、負けフラグだからあんまり口にしたくないんだけど」


 冗談めかしつつ、そこには余り触れて欲しくないと遠回しに言ってみた。

 しかし、リーパーは真剣な表情のまま、先ほどのマリアとの会話について咎めていく。


「アタシとしては、少しやり方に不満があるかな? 正直、またアルティさんを仲間外れにしてるような気がする」

「それは違うよ。アルティは新しい仲間たちの輪の中に入れたんだ。『理を盗むもの』なんて辛い輪から抜けて、新しい輪に」


 そう即答して、僕は後ろのベッドに目を向けた。

 釣られて、リーパーも目を向ける。


 安心し切った表情で眠るマリアを見て、渋々ながらも納得していく。


「そうだね……。この寝顔を見たら、こっちは何も言い返せないかな」

「身勝手と言われようとも、僕は『理を盗むもの』なんて理不尽なものは世界からなくすよ。そう決めたんだ」

「それはヘルミナさんやファフナーお兄ちゃんも?」

「『理を盗むもの』は全員・・、必ず助ける。今度、『血陸』に行って……、それでティアラとヒタキの遺した『書きかけの物語』は全て回収だ」

「みたいだね……。あの『血陸』で全て、回収される。あれから、たったの二ヶ月で……、ほぼ不可能と思っていた四個・・まで、あっさりと全部……」


 どこか遠い目をして、その数字をリーパーは呟く。

 そして、苦々しく笑って、僕を批判していく。


「――お兄ちゃん、早いよ」


 その表情には、他の仲間たちと違って、明らかな不満が交じっていた。

 たった一人、リーパーだけは続き・・に文句をつける。


「こういうのってさ、普通は何年もかけるんじゃないの? クウネルお姉ちゃんなんて、普通なら十年説得しても仲間になってくれない人だったはずだよ? 今回の休日だって、そう。三日も時間はあったのに、もうマリアお姉ちゃんと話をつけちゃって……。みんなで温泉行ったあと、思い出を一杯作ってからでも、遅くなかった。絶対遅くなかったよ……」


 リーパーは僕に「急いでる」と、とても困ることを言う。

 軽くは答えられない。


 剣呑な雰囲気になってきたからだ。

 二人・・の間の空気が張り詰める。

 マリアのときと同じく、真剣に向き合う必要がある。


「リーパー、聞いて欲しい。なあなあじゃあ駄目なんだ。人生は本気で生き抜かないと、絶対に『後悔』する。……もう僕は、『後悔』だけはしたくない」


 確かに、時間はあった。

 しかし、先ほどのマリアとの話を最終日にするのは、ただの後回しだ。

 そんな覚悟では、自らの人生に打ち克てないと、身を持って知っている。未来を切り拓くには、勝負から逃げることなく、運命に立ち向かう強い意志が必要なのだ。


「『後悔』したくないから、生き抜く……? お兄ちゃん、本当に似てきたね。あのティアラさんとヒタキさんにさ」

「それは……、色々と受け継いで、持ってるから。仕方ないよ」


 あれだけ本音をぶつけ合って、影響を受けるなというのは難しい話だ。

 どちらも本当に暴れん坊な女の子だったけれど、見習いたいところばかりだった。


 だから、二人と似てきたのは仕方のないこと。

 僕が学んで成長している証。

 それで、僕は話を終わらせたい。

 終わらせたい、のだけれど――


「『魔石』を持ってても、『親和』しないと影響しないって話だったよ。あの人から、■ヶ月前・・・・に聞いたときは――」


 ――ピリッと、唇を噛み切る音が・・・・・・・・聞こえた・・・・


 その異音によって、リーパーの声は潰れてしまい、上手く聞き取れなかった。


 おそらく、その音はリーパーも聞こえている。

 それでも、彼女は核心に触れ続けるのを止めない。


 先ほど『ラスティアラ』の話をすると決意した僕と同じように、決して退かない顔つきをしていた。

 相変わらず、僕から影響を受けやすい子だが――、不味いな。


「それよりも、リーパー。明日はどうする? もし一緒に温泉へ行くなら、早めに言っておいたほうがいいよ。予約の話だけでなくて、準備する物もあるだろうから」

「その身体の中の『魔石』たちは、早く『持ち物』に移した方がいいよ。失くすのが怖いのはわかるけど、『■■・・』してるなら話は別」


 話を逸らそうとして、失敗する。

 その一方的な会話をぶつけ合う中、■という異音は大きくなり続ける。


 ピリピリと破れるような音から、ギリギリと歯軋りするような音に。

 その異音は、リーパーの言葉を塗り潰す。


 そして、リーパーが完全に核心を語り出したときには、とうとう――


「いま、アルティお姉ちゃんの『魔石』をラグネお姉ちゃんの『魔石』に複写・・して、九個目。最後に残っている『血の理を盗むもの』を入れたら、十個。もうほとんど、お兄ちゃんは例の『■■■■■■もの』ってことだよね。できるだけ、『最深■』ま■は、同■には持■な■■■、■■■■■■――、――――っ!」


 潰され、歪み切り、全く聞き取れなくなった。

 録音した声を逆再生するかのように甲高く、掠れて、けたたましい音に、リーパーの声はずらされ・・・・、置き代えられていた。


 リーパーは自分の喉から漏れる音が、言語になっていないと気づき、口を閉じて目を見開いた。

 つまり、それは彼女の意思で歪んだものではなく、他者からの干渉ということに他ならない。


 魔法による攻撃が行われていることが確定して、もはや隠し切れなくなる。

 ■■■と異音を出していたのは、リーパーではない。

 異音が聞こえていたのは、僕――の中から。



「――なんで・・・? なんで・・・いま言うの・・・・・?」



 とても小さく弱々しい声が、マリアの部屋に響いた。

 その声は本当に小さい。だが、尋常じゃないほどの怨念と歪んだ魔力を伴っている。


「いま複写って、言った……。それも、もう十個って、十って十って……」


 呪詛が如く、その小さな声は重く、全身に圧し掛かっていく。

 当然ながら、身の安全のためにリーパーは動く。一歩も動かない僕から、離れるように飛び退き、壁の端から睨みつけてくる。


 ――僕の腹部から這い出てきて、べたりと地面に落ちた「上半身だけの女性」を、目で射抜く。


 その「上半身だけの女性」は涙目で、頬を紅潮させ、噛んだ唇から血を垂らして、悔しそうに、床を両手で叩いていた。

 女性の少し硬そうな髪は茶色で、肩ほどまで。

 顔つきは凛としているが、どこか快活さを保っている。

 フーズヤーズ騎士の制服を身に纏っているので、かつての敵ラグネ・カイクヲラと見紛う姿だ。


 だが、『表示』は正確に、その正体を記す。



九十守護者ナインティガーディアン】■■の理を盗むもの



 記されたのは、全ての始まりの存在。

 三人の使徒たちの主であり、この世界の主でもある女性。

 元『次元の理を盗むもの』ノイ・エル・リーベルールを示していた。


「『影慕う死神グリム・リム・リーパー』さん……、あなたは『審判役』だよね? 『審判役』って、審判をする役なんじゃないの? なんで、ボクとセルドラの終わった話を、いま、こんなところで言うのぉ……? ねぇええ……」


 ノイの人柄は、一言で表すと臆病者。


 それは、いまの顔からも、簡単に見て取れる。

 重要なのは、怯え切った表情ではなく、その見慣れた顔つき。


 いま彼女はラグネ・カイクヲラの顔を魔力で構築して、借りている。


 もし姿を現すとしても、決して自分の顔は見せないのが、ノイという少女だ。

 いざというときは、僕かラグネの魔石なら好きに使っていいと言っていたのだが、彼女は同性の姿を選んだようだ。

 ただ、色々と気を遣ってか、もしラグネが20代後半まで成長していたらという可能性を『未来視』しての模倣コピーだ。


 ノイは安心安全の為ならば、手段も犠牲も選ばない。

 その彼女が、一ヶ月前から・・・・・・隠れ潜んでいた・・・・・・・僕の中から・・・・・――この世界で一番安全な場所から、わざわざ出てきたのは、なぜか。


「『ノイ・エル・リーベルール』さん……」


 リーパーは僕から視線を外し、彼女の名前を呼ぶ。

 いや、最初から目で射抜いていたのは、ノイだったのだろう。


 本当に話したかった相手は、僕でなくノイであるとわかり、一歩身を退く。


「いまはラグネの身体だから……、ちゃんとラグネさんって呼んでぇ……?」

「それは出来ないよ。だって、ラグネお姉ちゃんはラグネお姉ちゃんだけだからね。ノイさんもノイさんだけだよ」


 剣呑となっている二人・・は、僕を置いて話をしていく。


 もう完全に、張り詰めた空気は弾けてしまった。すぐに僕は、マリアだけは絶対に守ろうとベッドを背中にして、結界を防音以上のものに強化していく。


「聞いて、『影慕う死神グリム・リム・リーパー』さん。今日ボクは『安心』して、とても楽しく本を読んでたんだ……。ラスティアラちゃんの『物語』の続き・・を、安全なおうちで寝転んで読んでた。ディアちゃんと買い食いをしたり、スノウちゃんをお姫様抱っこしたり、マリアちゃんと料理をしたり、異世界の服をプレゼントしたらみんな凄く喜んでくれて……! あのアルティちゃんとだって、やっと仲直りができた! 今日は本当にいい日! 穏やかで静かで『幸せ』で、不安とか心配とか全くなくて……、とっても素敵な時間だった……! なのに、どうして……」

「『安心』? アタシは少しも『安心』なんてできなかったよ。だって、お兄ちゃんほど生きてるだけで不安な人っていないからね」


 向かい合った二人は、先ほどのマリアのとき以上に、一つ言葉を間違えればどうなるかわからない会話をしていく。

 特にノイは不安定で、ダンダンッと床を叩きながら抗議する。


「そ、そんなことない! そんなことないぞ! カナミ君は凄いんだぞ!! ボクのときだって、ディアちゃんたちみたいな子は一杯いた! けど、こんなに『幸せ』じゃなかった! 『幸せ』になんて、ボクは一人も出来なかった! あのときのボクと比べたら、カナミ君は偉いし、凄いんだ! いまボクがこうして、最後の休日を過ごせているのも、彼のおかげで……。本当に、この続きの日常は凄いんだから……、邪魔しないでよぉ……」

「けど、フェアじゃない。その『幸せ』な日常を、こっそりと隠れて、あなたは読むだけ。あなた自身が世界のどこにもいないっていうのは、少し卑怯だよ……」

「フェ、フェア……? フェアなんて、別にどうでもいいでしょ? だって、もうボクは終わってるんだ。ああっ、もう何もかも終わった存在なんだ。一ヶ月前・・・・の時点で、すでに、もう――


 ――ボクの『第九十の試練』は終わった。


 ボクの人生も、カナミ君に託し終わった! 未来に繋げたのは、セルドラとヘルミナだけじゃなくて、このボクもだ! つまり、それって迷宮に用意された『第十の試練』から『第百の試練』まで、全て綺麗に終わったということだよ!? 喩えじゃなくて、本当にカナミ君は完全なるゲームクリアをしていたんだ! なら、もういいじゃないか……。残った時間にちょっと楽しもうって思うくらい、別に構わないじゃないか……」

「ううん、違う。まだ完全には終わってない。――あのファフナーお兄ちゃんが、最後の十個目・・・を大事に守ってる。あれが残ってる限り、あなたもセルドラおじさんみたいに表舞台の一人として、ちゃんと立つべきだよ。それがフェアな勝負だって、そうアタシは思う」

「――立てないよ・・・・・


 リーパーの宥める母のような声に対して、世界の主は情けなく即答した。


 立ち上がろうとしない。

 そんなものは必要ないと言わんばかりに、未だ下半身は構築されていない。

 上半身だけで、床の上で項垂れて、話し続ける。


「もうボクは疲れた……。今日まで、辛いことがたくさんあって、ずっと頑張ってきた。だからこそ、『試練』とか『未練』とか『決闘』とか『呪い』とか、そういうのはもういいんだ……。本当に、疲れた。卑怯だと言われようとも、負け犬と言われようとも、もう戦いなんてしたくない。誰とも争いたくない。競うのは嫌だ。この『幸せ』な続き・・を、この安全な相川渦波おうちの中で、読むだけでいい。そう――

 楽しいことは出来なくても、楽しい本を読む。

 幸せにはなれなくても、幸せな本を読む。

 ――これこそ、ずっとボクが求めていたものって気づいたんだ」


 リーパーはノイと話をつけると決心して、ここまで来たのだろう。

 たとえ命を捨てることになろうとも、この『物語』の続きに言いたいことを言ってやるという覚悟を感じる。ただ、それに対するノイの答えは、どれも弱々しい。


「――もうボクたちは・・・・・・・、限界なんだ」


 ノイは涙目で笑いながら、首を振る。

 その焦点の合わない瞳は、ラスティアラを見ているときの僕とそっくりだ。


「だから、本を読む以外、この世界と関わる気はない。みんなと混ざって生活するなんて、『安心』できない。そんなボクに、こっそり読むのがフェアじゃないって言うのなら、もうボクは……、ボクは――!」

「――っ!」


 俯いていたノイの顔が上がり、二人の視線が交錯する。


 咄嗟にリーパーは身構えた。

 自分が対峙しているのは、九十層の守護者ガーディアンであり、最古の『次元の理を盗むもの』。そして、世界の主。

 戦いとなるのならば、その身の魔力を燃やし尽くす。

 そうリーパーは覚悟して来ただろうが――


「ボクは、負けを認めるしかない……」


 成立はしない。

 ノイは悔しそうに唇を噛んで、リーパー相手に降参していく。


「あの『影慕う死神グリム・リム・リーパー』と戦うのは、怖い……。すごく怖い……! だから、ボクの負けだ。もうこっそり読むのは、諦める。……た、ただ! 言っとくけど、ボクは負け慣れてる! 自慢じゃないが、敗北者としてベテランだ! だから、これから本当に、一切読まないからな!」

「……ぇ、え?」


 敗者となったからには、勝者のリーパーの言葉に絶対服従する。

 その負け惜しみになっていない捨て台詞を叩き付けるノイに、リーパーは困惑する。


 圧倒的上位のはずのノイの降参に、せっかくの覚悟を――なかったことにされる。


「いや、そうじゃなくて……、アタシはあなたに、みんなと一緒に日常を――」

「ああ。でも、良かった。これでもう『影慕う死神グリム・リム・リーパー』さんとボクが、いがみ合う理由はないね。やっぱり、争いはよくないよ。そういうのは怖いし、辛い。みんな損するだけだ。いま、この時間だって損してる。せっかくの穏やかな休日に、こんな張り詰めた空気は似合わない。ボクが空気を読めずに色々と乱しちゃったのは、本当にごめんなさい。だから、どうか謝罪させて欲しいな。ボクの魔法で、ちゃんと謝罪と賠償を――」


 もうノイは、リーパーを見ていない。


 それが第三者から見ても、はっきりと伝わる。

 瞳がリーパーを映していても、彼女の脳が相手を認識していない。


 恐怖ゆえに、相手とのコミュニケーションを放棄して、自分の出した答えのみに向かって、ただ一人で喋り続ける。

 謝り続ける。

 恐れ続ける。

 まるで幻覚を視ているかのように、虚空を見つめて――


 それは、僕の『狭窄』と同じ。

 方向性は違えども、同じ『次元の理を盗むもの』の『呪い』を持っていた。


 だから、僕はノイの魔法の発動を邪魔せず、見守る。

 その魔法は僕も使えるので『魔法相殺カウンターマジック』は容易だし、そもそもいまの彼女の魔力源は僕だ。いつでも止められるからこそ、限界まで彼女の好きにさせてあげたかった。


「――ボクとリーパーさんは、こんな話をしなかった。こんな剣呑な空気も、なかった。ボクとリーパーさんが争う理由なんて、なかった。いまのボクたち二人の会話は全部、全部全部全部、なかった。知らない他人になれ。なかったことになってよ。『なかったことになれ』『なかったことになれ』『なかったことになれ』」

「ま、待って、まだ――」

「――次元魔法《ブラックシフト》」


 周囲を置いて、ただ一人勝手に納得して、彼女の得意とする魔法の一つが発動する。


 ――それは、『世界』に働きかけて、無駄払い・・・・していく魔法。


 危険は一切ないと僕は判断しているが、リー■ーは青褪めて制止をかける。

 だが、その言葉を■イは、聞こうにも聞ける状態ではない。


 もし聞けたとしても、より次元魔法の効果が強まるだけだろう。

 リー■■■ルという名の守護者ガーディアンは、そういう条件で世界を任されて、管理してきた。


 だから、■ー■ーが手を伸ばしても、それは決して届かない。

 ■■■りに、闇と次元を混■た複合魔法で対■■■うとしたけれど、流石に魔■■■が違いすぎる。


 抵抗は出■■る。

 次■の魔法使いならば、この塗り潰し■■■を受けても、現■■■編を認識し続■■■とはできるだろう。だからこその『審■■』なのだが、これでは本■■■的は達■■■ない。


 ――■■■ーは■■に、■■■■■■かっただけ。


 しかし、もう■■■叶■■■。

 ■■■ら先■、■■■ブ■■■■■■■■■て塗■■■れる。

 ■■■が■■と■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■。

 ■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■。

 ■■■■■■■■■■■、■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


「■■■■■■■、■■■。■■■■■■■■■」

「■■■■■■■■!」


 ■■■■■■■■■■■■■■

 ■■■■■■■■■――

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

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