79.現状確認


 僕が辿りついたときには、『エピックシーカー』のメンバーと少女二人は騒ぎにならないように、人通りの少ない路地裏へ移動していた。

 その暗がりで、少女の一人がメンバーに詰め寄っている。


「いいからっ、パリンクロンのところへ案内しなさい!」


 僕は急いで路地裏に入り、声をあげる。


「待て、話なら僕が聞く! 僕は『エピックシーカー』のギルドマスター、相川渦波だ!!」


 二人の注意がこちらに向くように、大声で叫んだ。


 その思惑通り、少女たちはこちらに意識を移していく。そして、目を見開いて、信じられないものを見るかのような目で僕を見る。

 

「え……、あれ、え? キリスト……?」


 三つ編みの少女は呆けた顔で、こちらに身体を向ける。

 どうやら、僕に注意を向けることは成功のようだ。しかし、念のためにもう一度、少女たちを怒鳴りつける。


「パリンクロンは僕の部下だ! 用件があるなら、僕から伝える! だから、うちのメンバーから離れろ!!」


 二度目の忠告に反応して、奥にいた中性的な少女が名乗りをあげる。


「キ、キリストかっ!? 俺だ、ディアだ!!」


 『ディア』。

 おそらく、ディアブロの愛称なのだろう。


 しかし、おかしい。先ほどから、少女たちが僕を呼ぶときに『キリスト』という名前が使われている。相川渦波と名乗ったにも関わらず、スノウと同じように、その名前を繰り返す。


「わかった。おまえはディアって名前なんだな。とにかく、うちのやつから離れてくれ」


 引っかかることは多々あるが、まずはメンバーの安全の確保を優先だ。離れるように促していく。


 三つ編みの少女は何かを考えながら、指示通りメンバーから距離を取る。ただ、ディアと名乗った子は、そんなことはお構いなしにこちらに歩きながら叫ぶ。


 そして、近づかれて気づく。ディアブロ・シスは片腕を失くしていた。彼女は隻腕の魔法使いのようだ。


「キリスト、何を言ってるんだ!? いいから、帰ろう!」

「帰る……?」


 ディアブロ・シスの言っていることが僕にはわからなかった。そもそも、彼女たちは僕の名前すら間違えているのだから、どうしようもない。


「いままで何してたんだ!? 無事なら、なんでグリアードまで来なかったんだ!?」

「待てっ、ディアとか言ったな……! それ以上は近づくな……!」


 ディアブロ・シスが正常ではない可能性を感じ、僕は『持ち物』から剣を取り出して構える。

 その剣を見た彼女は身体を硬直させる。

 最初は刃物を見て怖気づいたかと思ったが、どうやら違うようだ。


 僕の剣を指差して、何かを呟く。


「あ、あれ、キリスト……。俺の剣は……?」

「君の剣……? 待ってくれ。本当に君が何を言ってるのか、僕にはわからないんだ。まず僕はキリストなんて名前じゃない。人違いじゃないのか……?」


 人違いが発生していると判断し、それを指摘していく。


「人違い? 俺がキリストを間違えるわけないじゃないか。何を言っているのかわからないのは、そっちだ。なあ、キリスト、冗談はやめてくれ。冗談にしては酷すぎる……。キリストがいないと『私』は……、私はっ……!!」


 しかし、その指摘を聞いたディアブロ・シスは、引き攣った笑いを浮かべながら、余裕のない顔でこちらに向かって、にじり寄ってくる。


 僕は彼女の醸し出す異様さに身を震わせ、咄嗟に叫び止める。


「き、君は危険だっ! それ以上、近づくな!」


 能力も言動も、極めて危険だ。

 徐々に光を失い始めている瞳が、僕に寒気を覚えさせる。


 呼び止められたディアブロ・シスは、虚ろな瞳で、すがりつくように僕へ問いを投げかけ続ける。


「……なあ。なんで知らない振りをするんだ? いや、どうしてそんな剣を? 私の剣は? ねえ、どうしたの? ……捨てたの?」


 顔は笑っているが、目は悲愴感に溢れている。

 受け入れがたい事実に直面し、混乱しているように見える。


「悪いが、知らない。僕は何も知らない。そもそも、君のような子とは会ったことがない」

「……ぇ、え?」


 僕はメンバーが安全圏に逃げたのを確認したあと、正直に答えた。

 それを聞いたディアブロ・シスの表情は歪んでいく。


「僕は『キリスト』って人じゃなくて、『相川渦波』だ。それを踏まえて、話をして欲しい……。でないと、君が何を言っているのか、僕には全くわからない」


 爆薬にも似た少女がショックを受けている事態に冷や汗を流し、事が穏便に済むように、優しくゆっくりと話しかけていく。

 しかし、それに対し、ディアブロ・シスは心神喪失した様子で膝を折った。


「うっ、うぅ……。ま、また・・……? 私は、ぁあ、また捨てられる……?」

「だから、落ち着いてくれっ。別に、話を聞いていないわけじゃない。ゆっくりと、そっちの事情を話してくれれば、それで――」

「うぅ、ひっく! うぅ、ううぅう、ぅああああぁぁああぁあアア――!!」


 そして、そのまま、涙を流し始めた。


「え、えぇ!? なんで泣くんだっ?」

「ぅあああぁ、わぁ、ぁあぁああああああ――」

「な、泣かないでくれ。ほら、僕に害意はない。け、剣だって収める。ほらっ」


 唐突に泣き出したディアブロ・シスに僕は困惑する。


 そのステータスから、精神的にも余裕のある強者かと思っていたが、全くの逆だった。血相を変えて執務室を飛び出してきた僕が滑稽になるほどの心の脆さだ。


「あーあ、泣ーかしたー。いーけないんだー」


 奥で様子を見ていた三つ編みの少女ラスティアラ・フーズヤーズは、仲間が泣いたのを見て前に出てくる。

 ディアブロ・シスの頭を撫でつつ、ふざけた台詞で僕を咎めていく。


「僕が泣かしたのかこれ!? 訳がわからない! おまえたちは一体何なんだ!?」

「私たちが何? そうだなぁ」


 ラスティアラ・フーズヤーズはディアブロ・シスとは違って冷静そうだった。

 僕の追及を聞いて、時間をかけて言葉を選び、ゆっくりと答えた。


「うん、仲間だね」


 それを答えるラスティアラ・フーズヤーズの姿は美しかった。

 その人間離れした外見のせいかと思ったが、それは違う。その美しさは視覚的なものではない。声の力強さ、迷いのなさ――なにより、その言葉の重さが、答える彼女を美しく見せていた。


 長年かけて見つけた人生の答えのような荘厳さが、そこにはあった。

 それを聞いた僕は、異様な興奮に包まれて、顔を赤らめる。


「な、仲間……?」


 わけのわからない答えだった。

 初めて出会った僕と彼女たちが仲間のはずがない。


 はずがないのに……。

 ラスティアラ・フーズヤーズはこちらを真っ直ぐ見て、嘘偽りなく「仲間」と言う。

 それはおとぎ話のワンシーンよりも幻想的で、美術館に飾られた絵画よりも神々しかった。黒をも白と騙し通すような神妙な力が、そこにはあった。

 

 心臓の鼓動が速まるのを感じる。

 頬が熱くなる。

 正体不明の感情が僕を熱していた。


「うん、事情は大体わかってきたよ。私は見える・・・からね。だから、キリストじゃなくて、ちゃんとカナミに聞くよ。――ねえ、マリアちゃんはどうなったの?」


 しかし、その熱は一瞬で冷える。


「――っ!? な、なんで、そこでマリアの名前が出るっ?」

「何度も言うけど、大切な仲間だからだよ」


 僕は妹のマリアの名前が出たことに驚く。同時に恐怖を抱く。


 マリアの名前を知るものは少ない。『異邦人』であるゆえに、こちらで過ごした時間が少ないのもあるが、基本的に僕が表舞台に立つと決めているからだ。


 裏舞台に秘してきたマリアを、この少女は知っている。


「仲間? なんで僕の妹と、おまえたちが仲間なんだよ!」

「い、妹ぉ? うーん、面白そうだけど、面倒臭そうな精神操作受けてるなぁ、キリストは……」


 僕は命よりも大事な妹に危険が及ぶかもしれないとわかり、思わず声を荒げた。

 それに対し、ラスティアラ・フーズヤーズは「精神操作」「キリスト」という言葉を使って答える。


 僕は似たようなことを言われたことがある。

 その本人が、後方の物陰に隠れていることもわかっていた。


「だから、キリストって誰だ! スノウっ、『キリスト』って何なんだ!?」

「……わ、私に振らないで欲しいぃ」


 スノウは僕の疑問に反応し、物陰から出てきて困った顔を見せる。

 目の前のラスティアラ・フーズヤーズは、その顔を見て不思議そうに話しかける。


「スノウ? スノウ・ウォーカー? なんで、あなたがいるの?」

「い、いえ、あなたと敵対したいわけじゃないんですよ。――ほ、ほらっ、カナミ、復唱っ。覚えててって言ったやつ!」


 珍しく、はきはきとした口調でスノウは喋る。

 どうやら、この異常な力を持った少女に怯えているようだ。


「ふ、復唱?」

「カナミがギルドに入った日の夜!」


 そして、あの日の夜を僕に思い出させようとする。

 このラスティアラ・フーズヤーズと同じく、僕が『キリスト』であると言った日のことだ。


「えっと、僕がパリンクロンに操られているって話のことか……?」

「……というわけです。ちゃんと私は注意しました。私は悪くない。いや、むしろ頑張ってる」


 僕が答えたのを確認して、それをスノウはラスティアラ・フーズヤーズに伝える。


「うーん……」


 それを聞いたラスティアラ・フーズヤーズは手を口に当てて考える。


 もう明らかだ。

 スノウとラスティアラ・フーズヤーズは知り合いだ。

 そして、僕の知らない話を二人で共有している。


「駄目、有罪。どうせ、キリスト使って、うまいこと人生サボってんでしょ」

「えぇー……」


 ラスティアラ・フーズヤーズは笑顔で一歩踏み出し、スノウは一歩後ずさる。


「待て、スノウには手出しさせない!」


 スノウが怯えているのを感じ、僕は二人の間に立って、剣を構える。


「へえー……。スノウを庇って、私に剣を向けるの? そうかー、かっこいいなあー。キリストって、とっかえひっかえ守る女の子を変えるのが好きだねー。いやぁ、すごいなー。まるで『英雄』みたいだなー」


 スノウを背にした瞬間、ラスティアラ・フーズヤーズの放つ魔力が増した気がする。

 笑顔はそのままだが、額に青筋が浮かんでいるように見える。

 

「だから、僕は相川渦波だっての! カ、ナ、ミ! 僕は『エピックシーカー』のギルドマスターカナミだ! ギルドメンバーに手を出すやつは絶対に許さない!!」


 僕も負けずと魔力を荒立たせ、ラスティアラ・フーズヤーズに対抗する。


 《ディメンション》を戦闘用の《ディメンション・決戦演算グラディエイト》に切り替えて、周囲の状況を拾う。もしも、この少女がスノウに近づけば、一切の手加減をせずに捕縛すると決めた。


 後方では号令をかけた他のギルドメンバーたちが集まってきていた。

 自分たちの仲間のピンチを察し、誰もが戦闘態勢に入っている。


 それを視界に捕らえたラスティアラ・フーズヤーズは、その身の強大な魔力を落ち着かせて、息をつく。


「はぁ……。とはいえ、こう邪魔が多くちゃ不利かな。思ったよりも、キリストのステータスが伸びてるのが計算外だなぁ。色々と気を使いながら、キリストの魔法を解くのは難しいし。ヒートアップしてディアが本気になったら街が更地になっちゃうし。うーん、どうしたものか……」


 『エピックシーカー』のレベルは低くない。

 そのほとんどが荒事に特化した猛者たちだ。

 しかし、その猛者たちに囲まれ、敵意を向けられているというのに、ラスティアラ・フーズヤーズは涼しげに考え込んでいた。


 その余裕が空恐ろしい。


 油断なく彼女の動向を見張っていると、座り込んで泣いていた少女が立ち上がる。

 そして、零れ落ちる涙を服の裾で拭いながら、ラスティアラ・フーズヤーズに擦り寄る。


「う、うぅ、ひっく、うぅ……。な、なあ、ラスティアラ……。キリストは操られてるだけだよな? いまのは全部嘘だよな? そうだよな? な、ならさっ、助けないと! 早くキリストを助けないと! 俺が助けないと、私が苦しくて仕方がないんだっ! あ、ぁあ、キリスト……、何をしてでも、何に代えてでも、助け――」

「ってい」

「あぅ!」


 そんなディアブロ・シスの意識を、ラスティアラ・フーズヤーズは容赦なく手刀で落とした。そのまま、ディアブロ・シスをお姫様抱っこして、僕に語りかける。


「ここで戦えば、パリンクロンの思い通りになる気がするから……。だから、いまは引くよ……。いまは、ね……」


 そして、恥ずかしそうに薄く笑って、語り続ける。


「キリストのおかげで、私は私になれた……。とっても嬉しかった……。だから今度は、誰でもない私が、きっとあなたを救ってあげる……」


 とても優しい語りだった。

 同時に、そのステータスに似つかわしくない弱々しい声でもあった。


 その心中を、僕に察することは出来ない。

 彼女らの語る名前すらわからない僕には、返す言葉がなかった。


 無言の僕を見て、にやりとラスティアラ・フーズヤーズは顔を歪ませて捨て台詞を残す。


「まっ、それはそれとして、今日の分は覚えてなさいよー。全部終わったら、ディアの我がままを百回は聞かないと駄目だね、これー。それに私だって、かなり怒ってるんだから。――じゃあ、今日はこれで、ばいばいっ」


 言い終わると同時に、ラスティアラ・フーズヤーズは跳んだ。

 人一人を抱えた状態で何メートルも飛び上がり、建物の壁を蹴り、屋根の上に登っていった。そして、屋根の上を走っていく。


「なっ、速い――!」


 僕は追おうとして、躊躇する。

 おそらく、あの速さに追いつけるのは僕だけだ。スノウだって怪しい。


 追いかければ、必然と僕とあの二人の戦いになる。

 底の見えない才能の化け物二人を相手に、僕は藪をつつくような真似をしたくはなかった。


 そのため、《ディメンション・多重展開マルチプル》で後を追うだけで留める。


 そして、集まったギルドメンバーたちに事情を説明しながらも、僕は魔法での追跡をし続ける。その追跡の限界が来たのは、少女二人が南東の国グリアードに入ったあたりだった。



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