37.21層


 迷宮探索者たちにとって、21層から難易度が段違いというのは常識だ。


 過去に連合国が、20層までの攻略にかけた時間は一年にも満たない。しかし、21層から23層までを攻略するのには、十年以上もの歳月を費やしている。


 20層のティーダによって多くの精鋭を失ったのも原因の一つらしいが、何よりも迷宮の質が様変わりするのが主な理由だ。


 低階層では大型のモンスターは出てこないが、20層を超えれば大型のモンスターが無数に湧いて出てくる。その中で『正道』の工事をするのは至難の技だろう。


 自然と連合国は攻略の手を緩め始めた。20層以降は「割に合わない」と思い始めたのだ。丁度、資金の問題も浮き上がってきた頃で、大陸の主教の教えだけでは後押しが足りなくなってきていた。


 ――連合国は考え方を変えた。


 最深部に辿りつけば伝説的な栄誉が与えられる――が、明らかに誰も辿りつけないとわかった以上、もっと実になる話をしたほうがいい。


 ここは立地がいい。

 開拓地の中心で、海が近く、気候も優しい。

 そこを囲むように建った連合国。

 誰もが、迷宮攻略ではなく、その経済を利用するほうが国のためになると判断した。迷宮という甘い汁に誘われて人が寄ってくるのだから、それを利用しない手はない。活発な経済には人の出入りが重要だ。この土地はそういったあらゆる条件を満たしていた。


 各国各王は、迷宮攻略ではなく大陸経済に力を入れるようになる。

 連合国全体が方向転換したといっても過言ではない。


 一度そうなれば、もう終わりだ。

 国による23層以降の迷宮攻略は完全に打ち切りとなった。


 この話から言えるのは、ただ一言。

 一言に集約される。


 ――20層以降は「割に合わない」。


 そこに挑戦するのは、よほどの物好きか馬鹿か、もしくは天に愛されたものだけ。

 それが連合国の常識。


 そんな21層で喜声をあげながら、モンスター相手に楽しそうに踊る少女が一人いた。


「あはっ、あははははっ――! 強い! やばいやばいっ!! あっ、そっち行ったよ、キリスト! はははっ!!」


 よほどの物好きで馬鹿で、天に愛されている少女ラスティアラだ。


 現在、迷宮21層の探索途中。

 ラスティアラの取りこぼしたモンスターが二体、こちらに向かってくる。


 両方とも大型モンスターだ。

 先ほど、ミノタウロス一匹でも手間取っていたというのに、今度はそれよりも強いのが二体。


「マリア、絶対に僕の後ろから出るな! 敵が多い! 離れすぎると危険だっ!」

「は、はい!」


 敵は真っ黒な体毛に覆われた四手四足の異形の化け猿、フューリー。

 動きは遅いが、文字通りの手数の多さが厄介なモンスターだ。


 迫りくるフューリーの豪腕を、僕は剣一つで迎え撃つ。

 腕の側面を全力で打ちつけて逸らし、時にはマリアを抱えて後退する。


 機動力に物を言わせた戦闘はできない。こんなにモンスターの出現率の高い層では、マリアを遠くには置けないからだ。

 必然とマリアを守りながらの戦闘になる。


 ――「マリアちゃんが死んでも私は知らないよ」


 今日、迷宮に入る前のラスティアラの言葉が頭によぎる。

 僕は出し惜しみできないと判断して、叫ぶ。


「――魔法《ディメンション・決戦演算グラディエイト》、《多重展開マルチプル》、《フォーム》、《アイス》、《フリーズ》ッ!!」


 全ての魔法を解き放つ。

 初日とは桁違いの魔力による全魔法の奔流だ。


 大量の魔法の泡を放ち、全ての空間を詳細に把握する。もちろん、氷結魔法の宿った泡も混ぜる。隙あらば、敵を凍らせるためだ。それと同時に、空間全体の気温も下げていく。氷結魔法を助ける空間に変質させるのが目的だ。これを行うことで、魔法《アイス・氷結矢アロー》も、魔法《次元雪ディ・スノウ》も精製しやすくなる。


 迫りくるフューリーの四本腕を、剣で打ち払う。

 ここまで我武者羅になって剣を振るうのはティーダ戦以来だ。

 僕の魔法の性質上、力任せに戦うということは少ない。いまの状況は、余裕がなくなってきている証明だ。


 本当に余裕がない――ならば、マリアを囮にして逃げるのが正解だろう。


「くっ――!」


 しかし、心がざわつく。

 少し前までは、誰かを犠牲にすることができていた。当然のように、冷静に損得を数字で数えて、打算的に動けていた。けれど、いまは違う。


 いつからだろうか?

 どうして、こんなにも僕はマリアを――


 切羽詰っているときに限って、新しい問題が発生していることに苛立っていく。

 その苛立ちが動きを鈍らせ、僕の肩をフューリーの腕が掠める。


「痛っ――!」


 掠めただけで外套が破け、皮が剥げ、血が飛ぶ。


 このままでは危ない。

 肉体的にも精神的にも厳しい。

 これ以上の危機感を抱けば、あのスキル『???』が発動するだろう。自然回復してきた混乱が、また増えてしまう。


 焦りと迷いの混ざった思考が、僕の判断を鈍らせていく。


「ご主人様――!!」

「大丈夫だ、マリア! あと少しでラスティアラが何とかしてくれる!」


 僕は遠くで戦うラスティアラに目を向ける。

 そこには鬼神の如く、モンスターを殲滅している姿があった。


 そう。

 この戦いは、時間を稼ぐことで勝てる戦いだ。

 スキル『???』で迷いを晴らすまでの必要はない。


 自由に動いているラスティアラが殲滅し切ってくれるまで待てばいいのだ。

 ラスティアラは一人で、複数のフューリーを減らし続けている。時間を稼げば、彼女がこの危機を打破してくれる。


 だから、ここは辛抱強く耐えて、長期戦の姿勢だ。


 と考えて、迎撃だけに集中する僕に、二体のフューリーが挟み撃ちにする形で襲い掛かってくる。


 しかし、立ち位置がいい。

 僕は敵の近くにあった魔法《次元雪ディ・スノウ》のいくつかを発動させる。急に身体が凍りだしたフューリーは体勢を崩し、その勢いのままに二体はぶつかりあう。


 その隙に、僕はマリアを抱えて二体から距離を取り、大声でラスティアラの状況を確かめる。


「まだか!? ラスティアラ!!」

「はいはい! お待たせー!」


 ようやく、ラスティアラは相手取っていたフューリー全てを光に変えて、僕たちの援軍に駆けつけてくれる。


 そこからは一瞬だった。

 僕の氷結魔法で動きを阻害され、隙も見せていたフューリー二体は、ラスティアラの剣の一突きをまともに食らう。


 ラスティアラの剣が、フューリーの急所を貫く。


 悲鳴をあげるフューリー相手に、ラスティアラは容赦なく追撃を加えていく。まとわりつく旋風のように、剣を舞わせる。

 フューリーでは追いきれない速度だ。急所という急所に余すことなく剣が突き立てられていく。


 ほどなくして、残ったフューリー二体は大量の血液を撒き散らして倒れこんだ。


 そして、全てのフューリーが光となって消えたのを確認した僕は、すぐに指示を飛ばす。


「――退却だ!! 退却! 20層に戻るぞ!!」

「はい、ご主人様!!」


 魔石拾いもおざなりに、元来た道を戻り、20層に向かう。

 隣で「えー」と不満を漏らすラスティアラがいたが、無視だ。


 魔法《ディメンション》で敵を避け、僕たちは20層の空間まで走りきる。


「はぁ、はぁ……」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」


 安全圏に辿りつき、僕とマリアは呼吸を整えていく。

 そこにラスティアラが不満をぶつけてくる。


「ねえ。なんで退却したの?」

「こんなに敵が強いとは聞いてない……」

「え、言ったよ。ちょっと強くなるから気をつけてって」


 その言葉を信じて、21層でマリアのレべリングをしようとした僕が馬鹿だった。こいつの価値観がずれていることを、もっと肝に銘じておかなければならない。


「あれはちょっとじゃない。かなりだ、かなり」

「かなり? そうかなぁ……?」

「とにかく、21層での戦闘は別物すぎるから、今日は止めだ。このままだとマリアが参加できない」

「うーん。やっぱりさ、マリアちゃんは家で待っててもらうのがいいんじゃないかな?」

「……マリアは仲間だ。そういうわけにはいかない」

「そういうわけにはいかない? キリスト、本当に?」

「…………」


 返答に詰まった。


 わかってはいる……。

 マリアさえいなければ、あれが丁度いい敵であると。

 迷宮攻略を目的とするならば、ここはラスティアラと二人で21層に挑戦することが正しいってことも……。


 だから、その問いに答えられず、僕は黙り込んでしまった。

 その僕の後ろではマリアが悔しそうな顔をしている。小さい声だが、はっきりと聞こえてくる。


「レ、レベルが上がったのに……。ほとんどご主人様と同じレベルなのに、何もできない……」


 マリアは本来ならばありえない速度で急成長している。

 たった数日の間で、最高クラスの探索者レベルまでになった。だが、それは一般人の範疇内の話で――僕やラスティアラのような規格外には程遠い。


 届かない。

 はっきりと溝がある。

 ほぼレベルは一緒なのに、戦闘にすら参加できない。

 これが、才能の差。

 恵まれている者と恵まれていない者の『素質』の差。


 そんなマリアを見ていられず、僕はラスティアラを置いて、フォローしようと声をかける。


「マリア、気にするな……。レベルが上がれば、マリアだって戦えるように――」

「そ、そうですよね。レベルさえ、レベルさえ上がれば――」


「――逆だよ・・・


 しかし、ラスティアラが僕とマリアの会話に割り込んでくる。

 僕たちを見ていられないと言った様子で言葉を続ける。


「レベルが上がれば上がるほど、マリアちゃんはついてこれなくなるよ。一生、マリアちゃんは私たちに追いつけない」


 ラスティアラは断言した。

 僕が薄々と気づいていながらも、言葉にしていなかった事実をマリアに伝える。


「――え?」


 マリアはすぐにその言葉の意味を飲み込めないようだった。


「マリアちゃんと私たちでは成長度合いに圧倒的な差があるんだよ……。だから、レベルが上がれば、離れていくだけ。マリアちゃんがキリストを助けられる場面なんて、永遠に来ない。それどころか、足を引っ張ってキリストの命まで危険に晒すのがオチだよ」


 混乱しているマリアを、ラスティアラは畳み掛ける。

 僕は見かねて口を挟む。


「ラスティアラ、ちょっと待て!!」

「待たないよ」

「ちょっとずつでもマリアは強くなってるし、適材適所というものが――」

「そう自分を騙しているキリストを眺めながら、マリアちゃんの悲劇的シーンを見るのもアリかと思ってけど……やっぱりやめた。思ってたよりも、私はマリアちゃんのことが好きみたいだね」


 僕が、自分を騙してる? 

 そんなこと……。


 認めたくない。

 だけど、ラスティアラの真剣な眼差しがそれを許してはくれない。


「そんなことはない……。そんなこと……」

「キリストにも、マリアちゃんの『素質』が見えてるでしょ。それが低いと、どうしようもない。何があっても、力の基本的な上昇率が違う。それなのに、マリアちゃんを迷宮で連れまわすのは、正気と思えないよ。なんで、そうしているのか。自分でわかってる?」

「それは……」


 わかってる。

 『素質』がステータスの上昇値に関わっていることは、気づいていた。

 自分とディアの伸びと、マリアの伸びを比べれたら一目瞭然だ。マリアは絶対的に『素質』が足りない。

 それでも、マリアを連れ回したのは――


「もう、いいです……。それ以上はいいです……」


 僕が全てを言う前に、マリアは制止をかけた。

 その表情は青ざめていた。

 僕の言葉の先を理解している表情だ。


 これもわかっていた・・・・・・・・・


 マリアはラスティアラの戦いを見たとき、僕の戦いを見たとき――もう自分が役立たずだということを理解していたのだ。それを僕は、ずっと気づかない振りをしていた。ラスティアラの言うとおり、自分を騙していた。


 マリアは意気消沈して、顔を俯ける。

 その瞳は海の底のように暗い。


 いつかのときのような虚ろな目をしている。


 ああ……。

 やめてくれ……。


 トラウマなのだ。

 そのいつかのとき・・・・・・を、僕は思い出したくない。


 だから、ずっと僕はマリアを贔屓・・していたのだろう。僕の勝手で、また自己満足に走っていた。それも今度は、無意識に自分を騙しながら……。

 僕は本当に卑怯で、愚かで、最低だ……。


「ふふっ、うふふふ……。ふんふん、なるほどね。ああ、いいな。二人とも、いいなぁ。羨ましいなぁ……。ふふふ」


 僕とマリアが自分の至った答えに打ちひしがれていると、それをラスティアラは興奮した様子で羨み始める。


 それはいつかと同じ無邪気で無慈悲な瞳。

 およそ常人には理解できないであろう無機質な瞳だった。


 その瞳で僕とマリアを眺め、羨みながらも――愛でている。


「……ほんっと悪趣味だよな。おまえ」

「二人が悪いよ。そんなギリギリで面白そうな人生送ってるのが悪い」

「悪かったな……。ギリギリで……」

「でも、それがいい・・んだけどね。二人とも、自分で自分を騙すのが上手いから、まだまだ楽しめそうだよ。でも、安心して。それをハタから、死なないように、破綻しないように、ちゃんと私が見てるからっ!」


 ラスティアラは狂気の混じった目で、僕たちに笑いかける。


 最近はラスティアラの考えていることもわかってきたと思っていたが、まだまだのようだった。ただ、その狂気にも少し慣れてきているので、僕は溜め息をつきながら答える。


「安心できるわけないだろ……」

「……ラスティアラさん、もう少し自重してください」


 隣のマリアも、僕と同じような表情で答える。

 突きつけられた事実にショックを受けていたものの、ラスティアラの傍若無人な言い草に言い返すくらいの気力はあったようだ。


「あはっ。うんうん、よかったよかった。二人とも悪態がつけるなら、まだ大丈夫だね……! というか、あのままだったら、あとでもっと酷いことになってたと思うよ! むしろ二人とも、冒険譚を読み込んでいるおかげでパーティー経験豊富な私に、もっと感謝しよっか!」


 ラスティアラは、僕たちの言葉を全く意に介さず、胸を張って笑う。


「感謝できるわけないだろ……」

「流石に感謝はできません……」


 僕とマリアは同時に言い返す。


 そこには失意だけでなく、呆れを通り越した苦笑いも混じっていた。


 ラスティアラの無慈悲だけれども無邪気な明るさが、この小さな笑みを引っ張り出してくれているのかもしれない。


 ラスティアラのおかげで絶望したが、ラスティアラのおかげで持ち直しているのは確かだった。


 僕は苦笑いしながら、この僅かな明るさが消えないように、言葉を続ける。


「はぁ、全く……。おまえは相変わらず、怖いやつだよ……」

「え、私って怖い?」

「常識がなくて、突拍子もなくて、遠慮もないから、こっちから見るとすごい怖いんだ。なあ、マリア」


 僕は小さく笑って、軽口でマリアに話をまわす。


「え、ええ……。ラスティアラさんは何するかわからないから、いつも冷や冷やします」

「えー。マリアちゃんまでー」


 何とかマリアも、僕の軽口に合わせてくれたようだ。

 空元気でも軽口を叩き合うことで、徐々に三人の空気は明るくなっていく。問題は山積みながらも、なんとか少しずつ気持ちが上向いてくる。


「――じゃあ、帰ろうか。ラスティアラは残りたければ残っていいけどな」

「いやっ、流石に一人はやだよ! 私も帰る帰る!」

「ふふっ。ラスティアラさんは強いのに、妙に寂しがり屋ですよね」


 その後は、ラスティアラをネタにし続ることで、落ち込みきった気持ちを上手く転換していった。

 こうして、僕たちは形だけでも笑い合いながら、20層の魔法《コネクション》を通って、無事家に戻ることができたのだった。




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