50.一人一人の一途
迷宮での狩りを終えて、家まで戻っていく。
今日一日での経験値取得量は、かつてないほど多く、レベルアップの条件も満たした。ラスティアラがいればレベルアップしてもらおうと思ったが、残念ながら家にはいないようだ。
隣国まで足を運んでいるのだから、すぐには帰ってこられないのだろう。そう思いながら、次はマリアを探す。しかし、マリアも家にはいなかった。新しい魔法の修得に手間取っているのだろうか。
誰もいない。
少しだけ寂しくなった。
やはり、いつのまにか孤独に弱くなっている。
戻るのが早過ぎたと思いながら、窓の外に目をやる。
陽が落ち始め、綺麗な夕焼けが家の中に差し込んできていた。
不思議な物悲しさに襲われ、僕は家から出る。
経験値が溜まっているので、余った時間で教会にレベルアップしにいくことを決める。ラスティアラにしてもらったほうが時間の節約になるが、レベルアップはできるだけ早めにしておいた方がいいだろう。
あとは魔石も溜まっているので、換金も必要だ。ただ、多くの魔石を一度に換金すると目立つので、必要最低限だけだ。そのあとは気分転換もかねて買い物をして、ディアのところへお見舞いにでも行こう。
今後の計画を固めながら、丘を下り、ヴァルトの街に入る。
視界一杯の夕焼けが照らす、ヴァルトの街道を歩く。
宝石の装飾がされた街道の端が、薄く赤く煌いていた。
そして、この世界の道路の贅沢さを目で楽しみながら、僕は教会まで辿りつく。
教会の中に入ると、丁度神父が詠唱しており、市民が祈りを捧げている最中だった。
途中から祈り始めてもいいのかわからなかったが、とりあえず後方にある長椅子の端に座って、見様見真似で祈りを捧げる。
静かな時間だった。
時々、レベルアップしたかなと、自分のステータス画面を開き、レベルアップしていないことを確認して、また祈りを捧げ直す。
教会でのレベルアップ作業は、ラスティアラと比べると格段に長い。
僕はステータスを確認したり、教会のステンドグラスを眺めたりして時間を潰す。ステンドグラスが余りにも煌びやかだったので『注視』したところ、宝石でできていたのは驚きだった。
色々と教会内を観察していると、神父が詠唱を終えて一礼する。すると、周囲で祈りを捧げていたものも一礼して、まばらに立ち上がって退出を始める。
僕は席に座ったまま、ステータスを確認する。
【ステータス】
名前:相川渦波 HP345/372 MP221/653-200 クラス:
レベル13
筋力7.82 体力8.02 技量9.35 速さ12.01 賢さ11.73 魔力29.78 素質7.00
状態:混乱7.79
経験値:20235/35000
装備:アレイス家の宝剣
異界の服
丈夫な外套
異界の靴
レベルが上がったことを確認して、ボーナスポイントをどうしようかと迷う。
いままでは必要にかられてHPとMPに振ってきたポイントだったが、そろそろ別の振り方も考えていいかもしれない。
耐久力や継戦能力の次に必要なもの。
それはモンスターを倒すための火力と僕は思う。
単純に考えるのならば筋力か魔力が、火力に繋がるだろう。
僕は少しばかり考えて、魔力に振る。
【ステータス】
名前:相川渦波 HP345/372 MP221/657-200 クラス:
レベル13
筋力7.82 体力8.02 技量9.35 速さ12.01 賢さ11.73 魔力30.08 素質7.00
状態:混乱7.79
経験値:20235/35000
装備:アレイス家の宝剣
異界の服
丈夫な外套
異界の靴
魔力が0.30上昇し、僅かだがMPも上昇した。
僕は魔力が1.00上昇することを期待していたが、そこまで急上昇はしてくれないようだ。他のステータスの上昇数も0.30なのかは、次のボーナスポイントを試さないとわからない。次は筋力あたりに振って法則性を見出そうと思う。
次に、僅かにMPが上昇した法則を考える。
おそらくは、ゲームなどでよくある連動性だと思う。魔力の何分の一かがMPに足されたり、魔力の分だけMPにボーナス補正がついたりする類なのだろう。
僅かな上昇だが、無視できない上昇だ。
僕はレベルアップで自分が強くなったことを喜びながら席を立つ。
そして、教会の外に出ようとして、その足を止める。
教会の外に、見知った騎士がいた。
それを僕は魔法《ディメンション》で感知した。
朝、ハインさんの襲撃があったため、気を張った上に魔法《ディメンション》を強めていたのが幸いした。おかげで、外に出る前に気づくことができた。
僕は魔法を強めて、その騎士の情報を取得する。
【ステータス】
名前:パリンクロン・レガシィ HP311/312 MP42/62 クラス:騎士
レベル22
筋力7.90 体力9.87 技量11.89 速さ5.67 賢さ7.34 魔力4.78 素質1.80
先天スキル:観察眼1.45
後天スキル:剣術1.89 神聖魔法1.23
体術1.87 呪術0.54
騎士の名はパリンクロン。
確か、数日前に奴隷市場で出会った騎士だ。
僕は記憶を掘り起こして、パリンクロンという人間を思い出す。
飄々としながら人を惑わす苦手なタイプの人間だ。
僕は入り口から教会から出るのをやめて、違う出口がないかを魔法《ディメンション》で探そうとする。
すると、外で待っていたパリンクロンが、急に動き出して教会の中に入ってくる。
教会の扉を開き、背の高い男が現れた。
相変わらず騎士らしさはなく、まるで商人のような動き難いぶかぶかな服を着ている。かろうじてパリンクロンが騎士といえるのは、腰に下げてある剣のおかげだろう。
パリンクロンは濁った茶色の髪を揺らしながら、僕に近づいてくる。
「やあ、奇遇だねえ。キリストの兄さん」
偶然を装って僕に挨拶した。
しかし、それが偶然でないのは確かだ。
彼は確かに、僕を待って教会の外にいた。そして、この教会に入ってきたのは、僕が魔法《ディメンション》を広域に展開して違う出口を探したからだ。
「ああ、奇遇だな。またストーキングか? 暇なんだな、騎士って職業は」
険しい口調でパリンクロンに応対する。
騎士たちには敬語をもって接してきた僕だったが、なぜだかこのパリンクロンだけはそういった気にならない。初めて出会った場所も悪かった。
「あら、尾けてたのばれてたか……。
パリンクロンは
彼も魔法《ディメンション》に似た魔法を所持している可能性が高い。今回の待ち伏せも、以前の尾行も、その魔法で行われたのだろう。
おそらく、パリンクロンの『呪術』というスキルに関わっていると見える。
いままでの情報収集の中でも聞いたことのない。未知の魔法ジャンルだ。
「それで、何の用だ? 決闘でもしたいのか?」
「おいおい、物騒な。ちょっと話に来ただけだっての。兄さんは、あのセラ・ラグネ・ハインの三人を撃退したんだろう? なら、俺じゃあ相手にならないさ。俺はホープスのおっさんと最下位争いしているくらいだからな」
パリンクロンはおどけながら肩をすくめた。
しかし、僕は警戒を緩めない。
距離を一定に保ち、その一挙一動を『注視』する。
【鉄の剣】
攻撃力2
特筆すべきところのない鉄の剣
この鉄の剣以外に、戦闘で使うであろう装備はない。
僕が警戒を強めて装備を『注視』していることにパリンクロンは気づき、軽い口調で場を和ませようとしてくる。
「いや、ほんとに。ちょっと話をしにきただけさ。剣も、そこらへんの騎士宿舎からかっぱらってきた粗末なやつさ」
「さっき、いまみたいな和やかな雰囲気の中、奇襲されたもんでね……」
「ははっ、知ってる知ってる。ハインだろう?
パリンクロンは笑いながら、僕の座っていた長椅子の逆の端に座る。
周囲からは
神父も一仕事を終えて奥に引っ込んでいる。
「知ってるなら、察してくれ。僕の中での騎士の信用はガタ落ちなんだ。剣の届く間合いには入って欲しくないな」
「わかった、入らない。約束しよう。……だから、話をしようぜ?」
そう言ってパリンクロンは、腰の剣を床に置いて戦意がないことを示す。
僕はパリンクロンの素直な対応が、逆に胡散臭いと感じる。剣がなくとも戦闘できる手段があるのは間違いないだろう。
しかし、ここまでしてもらって、話もしないというのは人として不義理だ。それに、ハインさんの件も含めて、フーズヤーズの人間に聞きたいことがないわけでもない。僕は長椅子に座り直す。もちろん、距離は空けたままだ。
「わかった。話くらいならかまわない」
「ありがたい。ここで話すらできなかったら、困るところだった」
パリンクロンは「よかったよかった」と言いながら、話を続ける。
「どうだい? 『
そして、余り予想していなかった質問が飛んでくる。
僕は嘘をつくこともないと思い、正直に答える。こいつがその気になれば知ることのできる情報だろう。
「いや、全員とはやってない。やったのは……レイディアントさん、ホープスさん、ラグネちゃん、ハインさんの四人」
「うんうん。なるほど」
パリンクロンは自分の仲間が負けたことを、嬉しそうに聞く。
「次は僕の質問だ。なぜ、ハインさんがあんなことをしたのか知っているのか?」
「ああ、知ってる」
間髪を入れず、パリンクロンは答えた。
僕は正直に答えてくれるとは思っていなかったので、少しばかり驚く。
パリンクロンは驚いている僕を見て笑う。
「ふふっ、驚くなよ。兄さんも正直に答えてくれたんだ。こっちも正直に答えるさ」
「教えてくれ」
「いいぜ。簡潔に答えよう。それは――
笑いながらパリンクロンは答える。それはまるで、小さな子供が悪戯に成功したときに見せる無邪気な笑いだった。
その笑いと内容のギャップに僕は唖然とする。
「あ、煽った……?」
「俺は煽りに定評があってね。修得している魔法も、そういった精神系が多い」
「……な、なんで、そんなことを」
「面白そうだからさ。あとフーズヤーズという国の不利益を願っているから、というのもあるな。ま、ほとんどが趣味だけどな」
パリンクロンは笑い、僕は言葉を失う。
ここまで自分の悪事を誇らしげに堂々と語る人物を初めて見た――というのが理由だ。
悪意に純粋過ぎて、対応の仕方がわからない。こんな気楽に人を狂わせる人間がいるという事実に恐ろしさを感じる。
呆然としている僕にパリンクロンは話を続ける。
「次は俺の質問だな。兄さん、君は主を――ラスティアラを助ける気はあるかい?」
ラ、ラスティアラを助ける……?
それはつまり、ラスティアラは助けないといけないような状況ということだろうか?
パリンクロンの言葉は、麻薬にも似た毒のようだった。
先の話から、パリンクロンの精神魔法を警戒して、自分のステータスを確認する。しかし、ステータスに異常はない。これは、ただのパリンクロンの話術だ。
ただ話をしているだけで、こんなにも頭が痛い……。
「助けるってのは、どういうことだ?」
「あれ、ハインから聞いていないか? ああ、聞いていないのなら仕方がない。俺から説明しよう。これはサービスだ。フーズヤーズの秘密、主の秘密をとくと説明してあげよう。ああ、仕方がないなあ」
パリンクロンは白々しく、仕方がないと言って話を進める。
「簡潔に話そうか。ラスティアラ・フーズヤーズは、聖誕祭の生贄だ。聖人ティアラを降ろすための器で、そのためだけに創られた。ま、そんなもんを降ろせば、当然ラスティアラなんて自我は消える。――要は明後日、
そして、ラスティアラが死ぬと言った。
このままだと、あの少女が死ぬとパリンクロンは言っているのだ。
僕の鼓動が不快に速まる。
それは、いつかの状況と似ていた。
あの奴隷市場のときと、同じことをされている。同じように煽られている。
不幸に落ちる少女を指差して、パリンクロンは薄笑いを浮かながら、僕を煽るのだ。
このままでいいのか?
見過ごすのか?
あの不幸の少女を見殺しにするのか? と……。
「そ、それは本当に……?」
「嘘はつかない。まあ、判断するのは兄さんだがな」
それを信じる理由はない。
嘘つきは自分を嘘つきだと言わない。
けれど、ラスティアラとハインさんの話と合わせれば、辻褄が合ってしまうのだ。
「もう少し詳しく話してくれ」
できれば嘘だと言いたい。
僕は矛盾点を見つけ、嘘だと言うために、こいつの詳しい話を聞く。
「いいぜ。いくらでも話そう。その資格が兄さんにはある」
パリンクロンは口の端を歪ませて、少しだけ僕のほうににじり寄る。
その笑みは、まるで獲物がかかったことを笑う蜘蛛のようだった。哺乳類や爬虫類のような血の通ったものではなく、虫特有の酷く乾いた笑みだ。
「まず、前提としてラスティアラは人間じゃない。人のお腹から生まれておらず、真っ当な生き物ですらない。人肉と宝石をこねて創った『魔石製の人間』といったところかな。俺たちは『
まず軽く、ラスティアラが人間でないことを暴露した。
しかし、それは知っている。本人が言っていたことだ。
三才という年齢には驚きだが、それらしさは薄々と感じていた。心身のアンバランスはラスティアラの代名詞でもある。彼女の精神の未成熟さに説明がつくというものだ。
けれど、一応は確認を取る。
「ラスティアラ本人は十六才って言っていたぞ」
「ああ、肉体年齢は十六才に設定してある。正直に三才って答えて混乱させるより、肉体年齢を選んだんだろうよ」
祭りのとき、ラスティアラは十六才に「一応」と付け足していた。
内心はパリンクロンの言う通りだったのだろう。
まだ大きな矛盾とまでは言えない。
「続けてくれ」
「それでなぜ、フーズヤーズがそんな『
パリンクロンは両手を広げて楽しそうに喋り続ける。
その一言一言が、僕の心を削る。
「大聖堂には過去の聖人の血が、丸々と保存されてある。魔法の祖である聖人ティアラさんは、もう一度この世に戻るため、色々と試行錯誤したみたいだ。目をつけたのが魔法使いの血の性質。血は多くの魔法術式を残すことができる。ならば、聖人ティアラという人格を術式として、その血に残せないかと考えたらしい。――いや、すごい執念だ。この人」
パリンクロンから聖人に対する敬意は感じない。もちろん、僕にもない。
この話の流れからすると、つまり、その血は――
「つまり、『
――ラスティアラを殺す血ということ。
もはや、聖人ティアラという存在は、僕の敵として認識されつつあった。
「聖人ティアラ再誕はレヴァン教の聖書にも予言されていてね。それが今年だ。フーズヤーズは、それに則って行動している。そして、フーズヤーズの市民も予言に期待している。今年の聖誕祭は一味違うはずだってね。そして、聖誕祭も明後日に迫ってきていて、主の命は僅かっ! さあさあ、どうする、キリストの兄さんっ?」
パリンクロンはまとわりつくような説明を終え、僕の返答を期待して、まとわりつくような目をこちらに向ける。
僕は搾り出すように、聞かなければいけないことを聞く。
「……それ、ラスティアラは全て承知の上なのか?」
「聖人ティアラと一つになるってくらいの説明はされているはずだ。ぼやかしてはいるけど、うっすらと消滅を予期してるだろう。教育係はハインだったから詳しくは知らないが――しかし、生まれて間もない純真な主を洗脳するのが容易だったのは間違いない」
パリンクロンは笑いをこらえながら洗脳の可能性を示唆する。
ラスティアラは聖誕祭で聖人ティアラとなることを当然だと受け入れてるのだろう。受け入れていなければ、呑気に迷宮探索なんてしているはずがない。普通の感性ならば、すぐにでも逃げ出してるはずだ。ハインさんの言うとおり、ここではないどこか遠くへ。
「ラスティアラは儀式を受け入れることに、何の疑問も抱いていないということか?」
「正確には、抱けないよう調整されてある、かな? ラスティアラの人生は、すでに計画表で決められていて、それを調整され続けるのが彼女の運命なんだ」
「調整され続けている……。運命……」
その言葉に僕は何かが引っかかる。
それは、
「全てはフーズヤーズの計画のためだね」
表情を変える僕に構わず、パリンクロンは話を続ける。
僕は引っかかったものを振り払い、話に集中する。
「計画? どんな計画なんだ?」
「ああ、よく聞いてくれた。楽しい楽しい計画だから、教えたくて仕方なかったんだ。計画はこうだ。『ラスティアラは喜んで儀式を受け、聖人ティアラとなる。そして、市民に喜ばれながら聖誕祭でお披露目される。その後は、まさに英雄譚。その奇跡の力をもって前人未到の迷宮を開拓し、『正道』を延長させ、最強の名をグレンから受け継ぐ。――ちなみに当の本人、グレンも協力者だ。そして、後日の舞闘大会で優勝。大陸全土にその名を轟かせ、各地でその奇跡の力を奮いながらフーズヤーズ本国へ凱旋。満を持して大陸北部の戦争に参加し、最前線の総大将に生きる伝説である聖人様が降臨するわけだ。その威光と力をもって、戦争はフーズヤーズの大勝利! すごい、まるで英雄だ!』――ふふっ、素晴らしい物語だろう。これが、
つらつらとパリンクロンは、まるでとある英雄の生涯を語るように、ラスティアラの将来を語る。その計画は、ラスティアラの好む英雄譚そのものだ。それならば、彼女も喜ぶかもしれないと思い、それが都合の良い一致だと気付く。
ラスティアラの好みが人為的であることを、僕に疑わせる。
ラスティアラは英雄譚に憧れて英雄になりたがっているのではなく、英雄になるから英雄譚を憧れるように教育されたのかもしれない。
だとしたら、それは……とても気分の悪いものだ。
「そんな計画された人生、おかしい……。何か、違うだろ……」
不快のままに、僕は自然とそう呟いた。
「だろう!?」
すると、パリンクロンは一際大きな声で僕に同意する。
そして、その勢いのまま、僕を誘う。
「だからさ、キリストの兄さん。助けようぜ、ラスティアラを!」
満面の笑みのパリンクロンが、とても良心溢れる提案をする。
僕はそれが恐ろしくて堪らない。
その良心溢れる提案をしているのが、あの悪意溢れるパリンクロンだということが怖いのだ。
恐怖を振り払うため、僕は乱暴に言い返す。
「そうやって、僕を煽って……! おまえは何がしたいんだ……!」
「何がしたいって? もちろん、人助けをしたいんだよ。我が主に、本当の人間としての人生を与えてあげたいんだ! 聖人ティアラなんて化け物の妄執の犠牲から、救ってあげたいんだ!」
パリンクロンは目を輝かせながら答える。
僕にはわかる。この人は、純粋にラスティアラの運命をつまらないと思っている。このまま定まりきった計画通りに進むのはつまらないと思っている。
ラスティアラを助けると面白そう。
それだけ。それだけだ。
なんて、わかりやすい混沌への欲求だ。
「キリストの兄さんには聖人ティアラの復活を阻止してもらいたい。具体的に言えば、明後日のフーズヤーズ最大のお祭り『聖人ティアラ聖誕祭』をぶっ壊して欲しい」
壊せ、と僕を誘う。
しかし、それは僕の方針に反している。
ラスティアラの事情を知って怒りを感じた。
それは確かだ。
けれど、僕にできることは限られている。
僕にそんな余裕はない。……ないんだ。
「そんなことしても、捕まるだけだ。善意でやったとしても、ただの犯罪者だ」
「君なら捕まらないさ。逃げ切れるだけの実力がある。この国の最高戦力にあたるであろう『
「それでも、国に目をつけられ、犯罪者として動きにくくなる。僕の生活への影響も多い」
「そうなったら、国外に逃げればいい。フーズヤーズの影響力の届かない敵国に行けば安全だ」
「僕は身寄りのない迷宮探索者だ。ここを離れたくないし、逃げ先にあてもない」
「南部二国なら、問題ないと思うけどな。このヴァルトだって、フーズヤーズは仲が良いわけでもない。兄さんほどの実力者ならば、匿ってもらえるところはいくらでもある」
「匿ってもらうとか、逃げるとかいう発想からおかしいんだよ。そんなこと――」
「ああ、つまり、助けられるけど、我が身可愛さのあまり、助けないってことか?」
パリンクロンは嫌らしく笑う。
僕の突かれたくないところを、笑顔で突く。
その適確な指摘に、僕は顔を歪ませていく。
自分の矮小さを認めるしかない。
「ああ、そうだ……。その通りさ……」
反論しようがない。
そうさ。誰だって我が身が可愛い。
すると、パリンクロンは残念そうに僕を見つめる。
「……今回は上手く釣られてくれないな。奴隷のときは簡単だったが、我が主は好みじゃないのか? いや、
「……っ!」
そして、今度は、誰も気づいていないであろう僕の心の底まで、適確に突く。
僕は動揺を表に出さないようにして答える。
「……そういうことだ。あのときは金で簡単に済んだけど、今回は話は違う。おまえの言うとおり、そこまでラスティアラを気に入っているわけじゃない」
その答えを聞いたパリンクロンは、ねっとりとした目で僕を観察する。
見透かすような視線で、僕の嘘を見抜こうとしている。
いくらか僕を見つめたあと、パリンクロンは微笑しながら答える。
「ははっ。まあ急に、国を敵に回す覚悟をしろってのも無茶な話だ。無理強いはしないさ。俺としてはハイン一人を血迷わせただけで、今回は大成功と言ってもいい。ここで欲はかかない。だが――」
言葉の表面上は諦めたようにとれる。
「――兄さんならやってくれそうだ」
しかし、未だにパリンクロンは、僕のことを網にかかった獲物のように見ていた。
その一言を最後に、パリンクロンは立ち上がる。
「さて、そろそろ俺は身を隠す。俺の信条は暗躍なんでね」
そう言って、パリンクロンは僕に小さく手を振って教会から去ろうとする。
そのあっさりとした最後は予想外だった。
もっとしつこく勧誘してくるかと思っていた。それとも、ここまで話せば僕は勝手に動くとでも、パリンクロンは思っているのだろうか。
すでにパリンクロンは背中を見せている。
その表情は窺えず、真意を計ることはできない。
僕はパリンクロンを何も言わずに見送る。最低限の情報は得られた。引き止めてまで、更なる情報を得ようとは思わない。それほどまでにこいつは得体が知れない。
こうして、静かになった教会内で、僕は深く息を吐く。
深呼吸をしたあと、鉛のような身体を引きずって足を帰路に向ける。
とにかく身体が重い。
それと比例して、気持ちも重い。
重苦しさに耐えかねて、僕は買い物もお見舞いもすることができなかった。
真っ直ぐ家へ帰り、ラスティアラを探す。
しかし、そこにラスティアラはいなかった。
いくら探してもいない……。
いたのはマリアだけだった。
マリアは僕の様子を見て、心配そうに僕へ近づいてくる。
健気な仕草だ。しかし、その健気さが恋心からくるのかもしれないと知ってからは、どうにも対応がしにくい。
「ご主人様、どうしたんですか……?」
僕はラスティアラのことをマリアに話そうかと迷う。
僕の見たところ、二人は仲が良い。マリアは冷たい言葉でラスティアラを突き放すことは多いものの、それは友人同士のコミュニケーションだと僕は見ている。
マリアはラスティアラのことを知っているのだろうか。二人きりのときに話をしているかもしれない。
「いや……、ラスティアラが明後日……」
「明後日? ラスティアラさんが何か?」
「聖誕祭の日に……」
「はい」
マリアは僕の言葉を待つだけだ。
『明後日』『聖誕祭』に特別な事情を感じていない。
僕と同じく何も知らないようだ。
マリアに詳しい話を伝えるべきか迷う。
マリアとラスティアラは友人だ。友人ならば、ラスティアラの口から聞かせるのが正しい流れではないかと思ってしまう。
それに僕の知っている情報だって、ラスティアラ自身からの言葉じゃない。ハインさんとパリンクロンからの又聞きだ。
…………。
いや、それは言い訳だ。
ただ、気が重いのだ。
説明するのが気だるい。
マリアと出会った奴隷市場にいたときのように、ただ苦しいんだ。
僕は口に出そうとした言葉を引っ込める。
そして、当たり障りのない言葉を引っ張り出す。
「聖誕祭の日に、また遊ぼうってさ」
「……はい。いいですよ」
僕の誤魔化しを聞いて、マリアは素直に頷くだけだった。
マリアの目は、真っ直ぐと僕を射抜き続けている。
おそらく、マリアは誤魔化されている振りをしているだけだ。彼女は僕の意思を汲んで、深くは追求してこない。
マリアは僕を
さらに重くなった身体を僕は引き摺りながら、寝室に足を運ぶ。
様々な情報が僕の頭を渦巻き、気分が悪い。
それを振り払うため、僕は毛布に
その日、夕食になっても、夜が過ぎても、ラスティアラは帰ってこなかった。
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