44.火炎魔法
階層は19層。
熱気の充満した回廊を、ラスティアラは軽快に駆け回る。
ラスティアラを追いかけるミノタウロスが斧を振り下ろしてくる。その強烈な一撃は、彼女の身体を引き裂き、掻き消した。
掻き消した――つまり、引き裂かれて歪んだラスティアラの身体が、そのまま宙に消えていったのだ。
当然、そのラスティアラは偽者だ。
本体の彼女は無傷で遠くを駆けている。
そして、隣から魔法を展開するマリアの声が聞こえる。
「――《ファイアフライ・
汗を滴らせるマリアが、更なる魔法を展開していく。
先ほど掻き消えたラスティアラは、マリアの構築した魔法の幻影だ。
《ファイアフライ・
《ファイアフライ・
その二つの魔法が合わさったことにより、ミノタウロスは攻撃を外してしまったのだ。
ラスティアラはマリアの魔法の補助を受けて、危なげなくミノタウロスの周囲で駆け回り続ける。
予定通り、ラスティアラは撹乱だけに徹している。攻撃に転じようとはしない。
今回の目的は試験運用だ。
マリアの魔法の確認。そして、彼女の最大火力の魔法――《ミドガルズブレイズ》とやらの構築が終えるまで、ラスティアラは絶対に攻撃をしない。
ちなみに、僕はマリアの護衛だ。
しかし、ラスティアラが前に出て敵をひきつけている上、魔法によって光の屈折現象があちらこちらで起こっているのだ。ミノタウロスの攻撃がマリアまで届くことはないだろう。
「『
聞いたことのない詩をマリアは詠う。
魔法の『詠唱』だろう。
以前はやっていなかったことだ。おそらく、アルティの入れ知恵だ。詠えば詠うほど、マリアの周囲の温度が上がっている気がする。
そして、詩が終わり、魔法が放たれる。
「『星を飲みこめ』……! ――《ミドガルズブレイズ》!!」
その言葉と共に、圧縮に圧縮を重ねたマリアの魔力が炎に転換された。
マリアの背後から火柱が立ち上り、その炎は巨大な蛇の姿を模る。炎の大蛇は顎を大きく開け、まるで生きた蛇のように宙を泳ぐ。
その魔法の余波を感じたラスティアラは、ミノタウロスから距離を取る。対峙していたミノタウロスも魔法の炎に気付いた。しかし、もう遅い。
ミノタウロスは魔法の炎を、その強靭な身体で耐えようと身構える。
それに炎の大蛇は容赦なく食らいつく。炎の牙がミノタウロスの肉を抉り、その長い胴体で敵の身体に巻きつき、締め付ける。締め付けながら肉を焦がしていき、最後には敵の身体全体を業炎で燃やし尽くした。
ミノタウロスは悲痛の声をあげながら、炭になって崩れていく。
残った炭は光となって消え去り、あとには魔石が残った。
「はぁ、はぁ……。どうです、ご主人様……?」
マリアは肩で息をつきながら、僕に感想を求める。
先の魔法で、著しく体調を崩している。
よく見ると、魔法を使ってマリアのHPが減っている――
【ステータス】
HP82/102 MP102/122
僕の感想は一言。
ただただ、異常だ。
自分のことを棚にあげての物言いになるが、明らかに短期間で身についていいような魔法じゃない。
魔法が強すぎる。そして、代価が普通じゃない。
既存の《ファイアフライ》の応用だけでも十分に異常なのだが、最後の魔法《ミドガルズブレイズ》は特に異常だ。
レベルに見合わない異常な攻撃力。さらに使用後のマリアの体調の変化。通常ならば、どんなに高位の魔法だとしても、使っただけでここまで体力を失うことはない。
以前、僕は最大HPを削って魔法を唱えたことはあるが、それとも違う。
あのときは、残りのMPがなかったから、代替として最大HPが支払われていたに過ぎない。
けど、この魔法《ミドガルズブレイズ》は、MPが残っているにも関わらず、HPを削っている。HPを削ることが前提の魔法なのだ。最大HPを失わないとはいえ、普通に使用するだけでHPが削られるというのは聞いたことがない。
僕は特殊すぎる魔法に言葉を失い、ラスティアラに助けを求める。
ラスティアラは僕の視線を感じて言葉を返す。
「……私も見たことない魔法だよ。あと、聞いたこともない運用だね。私も見えてるよ。この魔法、消費されるのはMPだけじゃない」
僕と同じ感想をラスティラは答えた。
それを聞いたマリアは、自分の魔法について説明を始める。
「その通りです。アルティさんから貰った二つの魔法、《ミドガルズブレイズ》《フレイムフランベルジュ》は、HPとMPを両方消耗する魔法です。けど、どうせ、敵の攻撃が直撃すれば、私なんて一撃で死んでしまうんです。HPなんて気にしなくていいでしょう」
何でもないようにマリアは説明する。
そこに、僅かな迷いも動揺も見られない。
当然のことを当然のように語っている。
確かに、その理論は正しい。これがゲームならば、最高効率のために、HPを消費するという行動はとれる。
だが、マリアは生身だ。
マリアは、いま、そこに生きている。
実際に体調を崩し、魔法を放った後は苦しんでいた。
HPが減少し、死へ容赦なく近づいているのを見てしまった。
だから、僕は反論する。
「いや、そうかもしれないけど……現実的じゃない。見る限り、体調を悪くしているじゃないか。体調を崩せば、集中力や判断力が低下して、戦闘に支障がでる。取り返しのつかないことが起きてからじゃ遅いんだ。何度も繰り返していい魔法じゃない」
「私の仕事は、後方で魔法を構築することです。二人のように、前線で一瞬一秒の中を戦うわけじゃないんですから、多少の体調の変化くらいじゃ影響はありませんよ。そもそも、迷宮でHPを減らさないという発想は甘すぎます」
マリアは僕の意見を一刀両断する。
その通りだ。彼女の話のほうが筋が通っている。効率的に迷宮を探索しようとするのなら、それが正しい。
僕の意見は、嫌な予感がするからやめてほしいという甘えた話でしかない。
「……っ!」
しかし、僕は退きたくなかった。
僕とマリアが睨み合っていると、ラスティアラが間に入ってくる。
「キリスト、マリアの言い分の方が正しいよ」
「確かに正しいかもしれない……、けど……」
「大丈夫。まだ、最低基準を満たしただけだよ。心配するまでもなく、私たちの戦いについてくるには、まだまだ足りてないよ」
ラスティアラは冷たくマリアを評価する。
先ほどの強力な魔法を見ても、ラスティアラは「足りていない」という評価だ。つまり、マリアは20層以降の戦いにはついていけないと判断している。
それにマリアは食いつく。
「なら、私を試してみてください。もう一度、21層に行かせてください。私がいることで、お二人の探索の効率を上げてみせます」
マリアの意思は固く、最前線での戦闘を望んだ。
それにラスティアラは快く答える。
「うん、もちろん試そう。まだまだ足りないことは、すぐにわかるよ」
そう言って、ラスティアラは20層に足を進める。そのまま、21層までマリアを連れて行くつもりなのだろう。
マリアは力強い足取りで、ラスティアラについていく。
それを僕は止めない。
僕にも、ラスティアラの考えがわかるからだ。
連れて行けば、すぐにでもマリアは思い知るだろう。
同じものが見えているからこそ、ラスティアラと僕は同じ考えに至る。
――もって、あと数発。
僕はマリアの限界を考えながら、撤退戦のシミュレーションを脳内でしっかりと繰り返す。
これから起こるであろう戦いを無傷で乗り越えるための戦術を組み立てつつ、二人のあとをゆっくりとついていった。
◆◆◆◆◆
21層に辿りつき、事前に構想していたフォーメーションを組む。
19層の試験戦闘と同じく、ラスティアラが前衛をこなし、後ろでマリアが魔法に集中する形だ。そのマリアの護衛を、僕はする。
今回はラスティアラの壁を越えてくる敵も出てくるだろう。そうなったときは、詠唱に集中しているマリアを抱えて、僕は移動することになっている。
マリアは全幅の信頼をもって、僕に「命を預けます」と言ってきた。僕は魔法の集中によって周囲を把握できないマリアの命を守りきらなければならない。
フォーメーションを組んで進んでいると、僕の魔法《ディメンション》で孤立したモンスター、フューリーを見つけた。
万全の位置を取って、狙撃の体制をとる。
これは以前にディアと行った連携の焼き直しだ。
対象との距離は数百メートルで、間に角を一つだけ挟んでいる。マリアの魔法は操作性に優れているので、角を一つ曲がるくらいはできる。
マリアに口頭で対象の位置とそこまでの回廊の造りを説明して、魔法を唱えさせる。
「――《ミドガルズブレイズ》!」
マリアの魔力をごっそりと減らした炎蛇が回廊を突き進む。
その炎蛇が的を外さないように、僕は魔法《ディメンション》の情報をマリアに細かく伝え続ける。
着弾に問題はなかった。
僕の指示通り、炎蛇は動きの遅いフューリーに噛み付いて燃やす。
しかし、即死ではない。
断末魔の悲鳴をあげて、他のモンスターを呼び出そうとする。ここからが本番だ。
「よし、一匹倒した。けど、声をあげて他のモンスターを呼び寄せてる。場所を移動しよう」
僕は結果を二人に伝えて、移動を促す。
マリアは結果を聞いて喜ぶ。
「はぁっ、はぁっ……! や、やった……!」
だが、その呼吸は荒い。
MPと共にHPも失われているのだから、当然だ。
足元をふらつかせながら歩く。ラスティアラはそれを楽しそうに眺め、僕は冷たく眺める。
そして、冷たく考える。
あと数度の戦闘後、いつでも20層に退却できる位置を取らないといけない。決して、本腰を入れた戦闘にしてはいけない。
「こっちだ。二人とも」
僕はラスティアラとマリアを連れて、次の戦闘開始予定地点まで走る。
数百メートル移動したところで、群がってくるモンスターを振り切れず、二体のフューリーに挟まれる。
すぐに、マリアは援護用の魔法《ファイアフライ》を展開させた。僕も魔法《
そのままマリアは《ミドガルズブレイズ》の詠唱に移行する。僕は片方をラスティアラに任せ、もう片方の足止めをする。もちろん、平行して場の把握も怠らない。
フューリーは目の前にいる僕たちを狙って、マリアを狙おうとはしなかった。ただ、マリアの魔力が膨れ上がってくるにつれ、フューリーの中の優先順位も変動してくる。
あと少しで炎蛇の魔法が完成するところで、フューリーが僕たちの足止めを無視し、決死の様相でマリアに襲い掛かろうとする。
すぐに僕は剣を『持ち物』に納め、マリアに向かって全力で走る。そして、マリアをお姫様抱っこで抱えて、フューリーから遠ざかり――その間に、炎蛇の魔法は完成した。
「――《ミドガルズブレイズ》!!」
マリアは僕に抱かれて移動しながら、炎蛇を顕現させる。
すぐに追いかけてくるフューリーに襲わせた。まっすぐに追いかけていたフューリーに避けるすべはなく、炎蛇は直撃する。
業炎に飲み込まれたフューリーは、ミノタウロスのときと同じく断末魔のもがきを見せながら息絶えた。
炎蛇の進撃は、まだ終わらない。一体のフューリーを燃やし尽くした炎蛇を、マリアは維持し続ける。そのまま、今度はラスティアラの相手になっていたフューリーに襲わせる。
腕の中のマリアが大量の汗をかいている。
呼吸を乱れさせ、全神経を使っているのがわかる。
何よりも、『表示』として、HPが減っていっているのがわかってしまう。
僕はフューリーの足止めを行っているラスティアラに近づいて、離脱を呼びかける。
「ラスティアラっ! 魔法がいくから、下がれ!」
「はいはーい!」
とどめの魔法待ちで戦闘を流していたラスティアラは、余裕をもって距離をとる。
そこにマリアの炎蛇が襲いかかった。先ほどと同じように、フューリーは一撃で消えていく。
これで、とりあえずは殲滅完了だ。腕の中では、マリアが満足そうに燃えていったモンスターの跡を見つめている。
しかし、いまのフューリーの断末魔の声を聞いて、さらに周囲のモンスターを呼び寄せられた。このままでは、数を増したモンスターに取り囲まれてしまうだろう。
僕は敵の位置を割り出し、ルートを計算していく。
安全圏への――20層へ戻るルートだ。
導き出されたルートを吟味し、魔石を回収しているラスティアラに呼びかける。
「すぐにモンスターの増援が来る! ラスティアラっ、移動するぞ!」
「はいはーい」
僕はマリアを抱えたまま走り出す。
腕の中でマリアは遠慮したが、息のあがっているマリアを走らせるわけにはいかないので無視する。
いくらか進むと、次は三体のフューリーに道を阻まれた。今度は囲まれていないので、前方にて僕とラスティアラが立ちはだかり、マリアを後方に控えさせる。
マリアが魔法を詠唱し始めたのを確認して、僕は目の前のフューリーに集中する。
ラスティアラと連携をとって、フューリー三体を後方に逃さないように戦う。
一本道の上、モンスターの位置も良かったため、問題なく時間を稼ぎ終えた。またマリアの魔法は成功する。後方から炎蛇が宙を泳いで、前方に向かっていく。
僕は魔法《ディメンション》があるため、タイミングを合わせて距離をとることに成功する。しかし、ラスティアラは後方を把握する手段がないため、少しタイミングが合わない。
僕はラスティアラに声をかければよかったと後悔する。いつも、想像以上の動きをするので、問題なくタイミングを合わせられると過信してしまったようだ。
炎蛇が一体のフューリーを捕まえたものの、その余波で、僕とラスティアラの連携が崩れる。
一体のフューリーが連携の合間を縫って、マリアのほうに走り出した。
それを僕は見て、すぐに追いかけようとする――が、もう一体のフューリーに足止めされてしまう。
「くっ――!」
残ったラスティアラがすぐに駆けつけようとするが、状況を確認したマリアが制止をかける。
「ラスティアラさん! 構いません! ――『奔れ刻炎』!!」
マリアはフューリーを捕まえていた炎蛇の維持を解き、違う詠唱を始める。
制止をかけられたラスティアラだったが、万が一を考えてマリアへの救援を止めてはいない。
そして、詠唱を終えたマリアは、次なる魔法を放つ。
「――《フレイムフランベルジュ》!」
マリアの腕から炎が噴出し、それは一瞬で凝縮され剣の形を象った。その炎の剣は、さらなる炎を纏い、襲い掛かろうとするフューリーに伸びる。
フューリーの胴体に突き刺さり、そのまま敵を燃やそうとする。
だが、火力が足りていない。
詠唱が短かったのもあるが、単純に魔法《ミドガルズブレイズ》と比べると威力の低い魔法のようだ。
剣が突き刺さったまま、フューリーは前進しようとする。
しかし、その前進は、追ってきたラスティアラの剣によって止められる。炎と剣の攻撃を受けたフューリーは、そのまま倒れこみ光となった。
あとは僕が相対しているフューリーだけだ。
ラスティアラとマリアが加わり、危なげなく処理していく。
三体のフューリーを倒したあと、僕たちは魔石を拾い集める。
――しかし、マリアだけは動けない。
「はぁっ――、はぁっ、はぁっ――!!」
息を切らして一歩も動けない。
そのマリアに僕は声をかける。
「マリア……。20層に戻るよ……」
「――っ!」
僕の言葉にマリアは反対できなかった。
言い返そうとして、乱れた呼吸がそれを許さなかったのだ。
たった数回の戦闘で、マリアは返事もできないほどに消耗していた。
すぐに僕はマリアを抱きかかえ、ラスティアラと共に20層へ向かう。
腕の中でマリアが何かを喋ろうとしていたが、目的地に辿りつくまでに、その言葉を聞くことはできなかった。
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