448.本当の自分
思わず脅すような声を出した僕に、にやりとセルドラは笑う。
挑発とわかっている。
わかっているから、『声』も冷静になるように促してくれる。
(カナミ、落ちついて。ただ、セルドラは本気で戦ってるだけで――)
「大丈夫、ラスティアラ。僕は冷静だよ。必ず、セルドラの『試練』は乗り越える。そして、僕が助ける。千年前に助けられなかった『理を盗むもの』たちを助けていく。それが、『
そして、それがラスティアラの物語でもある。つまり、二人一緒の物語。
読み続けている限り、僕たちは『証明』される。され続けるのだ。
(カ、カナミ……?)
不安そうな『声』が返ってくるのが、不安だった。
さらに被せかけるように、目の前のセルドラが話しかけてくる。
「そうやって、ラスティアラと話すのは楽しいか?」
「好きな人と話すのが楽しくない人なんて、いない」
「即答か。だが、それは本当にラスティアラか? おまえだけに聞こえる都合のいい『幻聴』じゃないのか?」
「いる。ここに、ラスティアラの魔石がある。ちゃんと魂が宿っている。ラスティアラの『声』は妄想じゃない。魔石と『繋がり』があって、それを僕は聞いているだけだ」
「聞いてるし、聞かれてるか……。だから、本音が言えないんだな。こっちの世界なら、或いはと思っていたが、やっぱ駄目か」
セルドラは周囲を見回す。
暴露と挑発だけかと思いきや、科学者のように冷静な確認作業も混じっていた。
「なるほどな。別々の場所にいる生物が、同時刻に
「…………っ!!」
「いま、このときも、ずっと見張られている。ならば、この先、カナミは死ぬまでずっと、こうなのか? こうあり続けるしかない人生なのか? ……なあ、ラスティアラ。どう思う?」
ここで初めてセルドラはラスティアラに向かって、本気で話しかけた。
僕の隣にいるラスティアラは言いよどみ、視線を僕からセルドラに向ける。
それはまるで、『試練』に挑んでいるのは僕じゃなくて――
(セルドラ、それは……)
「セルドラ。それが、僕たち二人の『幸せ』だ。物語が終わったあとも、
すぐさま、代弁をした。
それを聞いたセルドラは、さらに憐れんだ表情で、はっきりと言う。
「これも……、俺もだからわかる。おまえたちは、ずれている。それはラスティアラの楽しいことであって、カナミの楽しいことじゃない」
(…………っ!)
聞かされて、ラスティアラが息を呑む。
限界だった。
いや、とうの昔に、限界なんて過ぎている。
あの最後の戦いだ。
陽滝を相手にしたとき、すでに僕は二度と立てなくなっていた。
――それでも、いままで立って来られたのは、『ラスティアラ』のおかげだ。
なのに、セルドラの
格好つけている場合ではない。
出し惜しんでいる場合でもない。
たとえ、それがセルドラの狙いであっても、もう――
「認めろ、カナミ。おまえたち二人は『幸せ』の捉え方が、ずれて――「『僕とラスティアラは愛し合っている』『だから、想いは一緒』『もちろん、最初は辛かった』」
声を被せかけ返す。
それも、本音には本音。
やっと隣の『世界』まで届くくらいに、大きな声。
「『ラスティアラ』が死んだんだから、それは当たり前だ。でも、僕たちは少しずつ立ち直ることができた。その何度でも立ち上がる心が、一番大切なんだって思ってる。ちゃんと僕たちは立ち上がって、前を向けるようになって、毎日を楽しいって思えるようになった。本当の意味で、力を合わせて、最後の戦いを乗り越えたんだ」
「ま、待て。いつの間に、何を
負けじと、こちらも息を付く暇もなく、早口で読み切った。
そして、僕の唯一動かせるほうの手には、『ラスティアラ・フーズヤーズの手記』が握られていた。
追い詰められて、僕は剣でなく本を選んでいた。
それは一種の預言書。
もうティアラや陽滝が書いてくれないから、自分で『
元々、最後の頁には〝――永遠に。ラスティアラ・フーズヤーズは『夢』を見続ける〟と書かれていて、その次には白紙の束が重なっていた。
だから、二週間前にディプラクラさんの前で僕は、『未来視』とスキルを駆使して、そこに新たな物語を記した。
ただ、その朗読発表会が、余りに唐突で、早口過ぎて。
ラスティアラとセルドラの二人が唖然としていた。
(……え? え?)
「カナミィ……!」
一週間前に目覚めたばかりのラスティアラも、再会したばかりのセルドラも、これについては全く知らない。
あの続きを知っているのは、ディプラクラさんだけ。
だから、無理も無い。
そもそも、文章だけで『幸せ〟であることを表現するのは難しい。しかし、〝幸いながら』、僕には表現する方法がある。
ああ、『執筆』だ。僕には〝執筆〟がある。
だから、僕は〝
「は、ははっ、あはは。――魔法《リーディング・シフト》」
手に持った本の頁を、片手だけで器用にめくった。
その読む魔法は、まだ開発途中だった。
エンディング後、一番最初に手をつけていながらも、ずっと後回しにされていた。
――しかし、いま唖然としているセルドラとラスティアラに視てもらうために、急遽いま、ここで、完成させる。
本を現実に投影させる魔法のイメージは、当然ながら『読書』。
しかし、みんなに『過去視』『未来視』の情報を、ただ伝えるだけの魔法では意味がない。
大事なのは、きちんと最初から最後まで読ませること。
そして、読者にも一文だけ書き足させること。
その僕の『執筆』した物語を、みんなに『読書』させる魔法の名は……余裕がなかったので、まだ捻ることなく《リーディング・シフト》って仮名だったっけ。……ああ、これでいい。もう、これでいい。名前なんて、どうでもいい。それよりも、いまは――
――この魔法《リーディング・シフト》で、『試練』を終わらせよう。
この魔法の開発が、いまのいままで放置されていた理由は一つ。
体調の問題ではない。
この魔法一つだけで『理を盗むもの』を構築している『未練』が、あっけなく崩れてしまうのが問題だった。
強過ぎる。反則過ぎる。フェアじゃない。
それはまるで、神様の使う魔法のようで。だから、残りの三人の血・無・次元の『理を盗むもの』たちと向き合うにしても、その魔法は卑怯だと考えた。僕は途中で、開発を凍結させた。という理由があったのだが――
セルドラは教えてくれた。
魔法に頼るのは、決して卑怯なことじゃないと。
誰もが近道をしたくて、本気で生きていると。
相手を気遣って手段を選ぶのが「傲慢で」「本気じゃなくて」「面倒な話だ」と言うのならば、もう使うしかない。
最初から僕だって、
だから、この魔法で、セルドラ・クイーンフィリオンを終わりにする。
「――ああ。でも、大丈夫だよ、セルドラ。この本に書かれてあるのは、僕とラスティアラだけじゃない。心配せずとも、君も登場人物の一人だ。他には、フェーデルトさんにクウネル、ディプラクラさんにシスも。読めば、きっと君も、みんなが〝幸せ〟になるって言葉の意味がわかると思う」
読んで、映し出して、見てもらおう。
――先んじて、君だけに、二ヵ月後を。
未来に待っているセルドラの〝楽しい〟〝楽しい〟〝楽しい〟日々を、この深海に映し出して、見せれば、それで全て終わる。
「そこで君の『未練』も果たされる。一ヵ月後の連合国では、君と僕が協力をして、復興作業をしている。新たな『元老院』がクウネルを中心に作り直されて、そのとき君は国の総大将に復職して、かつて自分が欲しかったものをスノウに届けて――「か、『喊声こそが世の不条理を』『震撼こそが世の不条理を』! 『破砕無地の音を鳴らせ』!!」
その語り手の声に、聞き手は叫び返して、対抗する。
途端、いま深海に映し出されようとしていた風景が、ぶれた。
震えて乱れて、亀裂が入ったあと、魔法《リーディング・シフト》の書き出し部分の物語が掻き消える。
『詠唱』の力が足された『竜の咆哮』が、深海全体に伝播されたようだ。
ただ、その無茶な魔力増加と咆哮で、セルドラは見るからに疲れていく。
「や、やっと……、おまえも、
「――魔法《リーディング・シフト》」
魔法を強める。
ちょっとくらいの揺れなどで、僕の書いた物語は乱れない。
魔法構築も、より頑丈で完璧なものに、いまここで練り直していく。
ただ、それは明らかに、さらに魔石を
「……うぅ」
僅かに呻いた。
基本的に『読書』と『執筆』の力は、『ティアラと陽滝の魔石』を利用する。
その魔石は、常人ならば持っているだけで呪われて、発狂して、モンスターとなり、腐り落ちて、『魔の毒』に還るような代物。
馴染ませられるのは、実兄という血の繋がりあっての裏技――
だから、どうしても。
ぐらりと、視界が揺れて。
トラウマが、襲ってくる。だが――
「
だが、トラウマ如きで、妹の作った兄『相川渦波』は揺るぎはしない。
なにより、僕はラスティアラにとっての英雄『アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー』でもある。
僕は『
これが、陽滝とティアラから解放された新しい『相川渦波』だから――
その決意が、魔法《リーディング・シフト》に反映されていく。
魔法の邪魔をする『竜の咆哮』を、逆に押さえつけ始める。
無属性の『詠唱』を乗せた決死の振動が、僕の魔力に触れた瞬間、ぴたりと止まる。
「――なんだとっ!?」
その理不尽過ぎる力に、セルドラは驚いていた。
魔法《リーディング・シフト》は見るからに複雑で脆い『術式』だ。
属性は単一でなく、複数の魔石を使って、芸術的な編み物のような形をしている。
そんな脆い魔法に、破壊だけしか考えていない自分の『竜の咆哮』が押し負けている。
その事実を前にしても、まだセルドラは怯まない。
「だが、それもわかっていたことだ! おまえを追い詰めるということは、俺も追い詰められるということ! ――『罪深き血を啜り』『罪
『詠唱』には、さらに『詠唱』を。
ノーガードのぶつかり合いが始まった。
その新たな『詠唱』は、全ての記憶を合わせても、初めて聞いた。
「くっ、セルドラぁっ……! その『詠唱』は――」
「ああ、おまえ用の俺特製だ……! 無属性の『代償』は基本的に、人生がつまらなくなる! 喜びも悲しみも、恐怖も好奇心も、全て鮮度が落ちていく! だが、この特製の『詠唱』は、つまらなくなるだけじゃない! どんどん俺は背を向けるだろう! 罪が重くなっていくだろう! だが――!
さらに、セルドラは『詠唱』を足していく。
取り返しの付かないところまで、一切の躊躇なく。
徐々に、無属性の
魂の咆哮。
そう表現するのに相応しかった。
そして、決死。
僕と違って、後先を一切考えない魂の玉砕。
強い。
本当に、神にも届く強さだ。
なにより、覚悟において、完全にセルドラは僕を上回っていた。
『竜の咆哮』が魔法《リーディング・シフト》を塗り潰していく。
殺人的な
「カナミ、思い出せ。本じゃない。魔法でもなくて、自分の力で――」
「お、思い出す……?」
魂に響く声というのは、本当に強い力だと思う。
――脳裏によぎるのは、あの最後の戦いを乗り越えたすぐ後。
あの十一番十字路の椅子に辿りつく前の僕。
あの日も、僕はラスティアラを失った悲しみに耐え切れず、途方に暮れていた。
仲間たちと会おうとは思わなかった。
マリアもディアもスノウも、同じように泣いているかもしれないと思ったし、情けない姿は見せたくなかった。
だから、彷徨ったんだ。
異世界に、独り。
街を、ふらふらと。
こんなにも人は多いのに、世界に誰も居ないような孤独感。
こんなにも空は広いのに、襲い掛かる閉塞感。
幼い頃、大きなデパートで迷子になって泣いていた感覚。
もう二度と、助けてくれる『
ラスティアラの姿を、探し続けた。
誰にも泣いている姿は見られたくないから、魔法で自分の姿は消した。
せっかくの『異世界』だというのに、そこに僕はいないことにした。
一人生き残ったはずだった。なのに、亡霊のようだった。
憐れな魂が、彷徨っていた。
「それが!! そんなのが、『幸せ』だと思うか……!? ただ、『苦しい』だけだったろう!?」
「いや、僕の〝幸せ〟だ……! そう、信じてる。だって、僕は勝ったんだ。僕だけが、生き残ったんだぞ……! 〝幸せ〟でないと、計算がおかしくなる!!」
僕は〝幸せ〟だ。
そう『証明』するように、右手の本を強く握り締めた。
そこに書かれたラスティアラとの思い出は、どれも〝懐かしくて〟〝嬉しくて〟〝楽しくて〟……『愛おしい』。
ああ、〝愛おしい〟じゃなくて、『愛おしい』!
この一言だけは!
これだけはスキル『執筆』の不自然さもなく、はっきりと書ける!
――『僕はラスティアラが愛おしい』!!
その愛おしいラスティアラの遺書から、僕は彼女の求めていたものを知った。
物語が終わっても、ずっと二人は一緒……。
たとえ、死に別れたとしても、魂は共にあるって……。
ああっ……!
こんなに……! こんなに〝幸せ』なことはない!
さらに、その『幸せ〟な日々は、いつまでもいつまでも続くんだってさ!! ははは!!
セルドラ……。
なぜ、その崇高な〝幸せ〟をわかってくれない……。
もうおまえだけだ……。
おまえだけが、僕をわかってくれるんだぞ……?
なのに、残念だ……。
しかし、セルドラも、すぐにわかってくれるだろう。
この『理を盗むもの』を必ず終わらせる魔法《リーディング・シフト》を、読みさえすれば、終わりだ……!
どうか、遠慮せず読んで欲しい。
僕の『失敗魔法』は少しずつ変わっていっている。
この『僕〟すらも、必ず終わらせてくれる
それは誰もが『幸せ』になれる『魔法』の雛形!
その約束された素晴らしき〝幸せ〟な日々を、僕はセルドラと分かち合いたい――!!
「馬鹿が、カナミ……。スキルの数値を見ろ。後ろのほうだ」
魂に響く声を重ねられた。
その声の大きさに勝てず、反射的に従ってしまう。
【スキル】
後天スキル:並列思考1.00 分割思考1.00 収束思考1.00 逆行思考1.00
感応3.65 神聖魔法1.29 体術2.82 亜流体術1.00
気功1.01 呼吸法1.00 槍術1.11 弓術2.01
投擲1.99 指揮1.87 軍隊指揮1.02 軍略1.01
謀略1.00 後衛技術1.89 観察眼1.67 鑑定1.03
遠見1.89 最適行動2.01 鼓舞1.15 挑発1.00――
並ぶのは、才能のなかった僕が、この世界で手に入れた才能たち。
ただ、その下のほうに――
【スキル】
暗号1.00 解読1.00
それは一際大きかった。
二十四時間に0.01動くのも稀のはずのスキルの数値。
それが0.01秒毎に、0.01ずつ上がったり下がったり。
いまも尚、目に見えて、ずっと変動している。
「……え、『演技』?」
初めて見た。
そして、恐ろしい数値の動きだった。
陽滝の魔石が馴染んでいるというだけでは説明がつかない現象だ。
これだけのスキルの変動は異常だ。
普通の魂ではありえない。
例えば、魂に罅が入っていたりしなければ――
「天性の演者ってのは、怖いな。本当の自分も本当の気持ちも、どうにかしちまう」
「僕は演じて……、ない。だって、父さんと母さんから向いてないって……。僕は、下手糞だって、見捨てられた……」
「おまえも含めて、全員が嘘つきなんだよ。……俺たちみたいな人生を送ってきて、あんな最悪で最後の戦いを経て、『幸せ』になれるわけないだろう? おまえは『
「は、はは……、
セルドラの言葉が響いた。
ここまでのどの言葉よりも響いた。
僕の魂を強く、深く、揺さぶった。
僕は天性の『演技』を持っていた?
つまり、ずっと僕は『執筆』じゃなくて、『演技』を使っていた?
いや、『演技』しながら『執筆』をしていた?
自覚したことで、スキル『演技』が剥がれかける。
魔法《リーディング・シフト》による〝幸せ/
つい先ほどまで、拮抗していたはずの《リーディング・シフト》と『竜の咆哮』は、完全に決着が付いていた。
深海は暗くて、寒くて、ただただ辛い。
『声』も、セルドラの
「……おい。ラスティアラ、聞こえているか? これから、俺は『次元の理を盗むもの』カナミの『第零の試練』を終わらせる。これを乗り越えられるのは、本気でカナミを苦しめられる俺だけだ。……なにより、これがおまえを殺した俺の責任だろう。どうか、俺がおまえを認めたように、おまえも俺を認めてくれ」
そう宣言して、セルドラは視線を動かした。
その先には、僕だけにしか見えないはずのラスティアラの姿があった。
そして、その彼女がセルドラを見つめ返して、頷いていた。
「ラス、ティアラ……?」
ラスティアラの魂が、相手に向いてしまった。
しかも、頷いたぞ……。
なにより、セルドラの台詞回しが、僕を追い詰めている……!
これでは、まるで僕が『
駄目だ。
それだけは駄目だ。
『第零の試練』なんてものは、この物語には存在しない。だって、『契約』をしたんだ。僕がラスティアラの『
僕は支えを求めて、『ラスティアラ』に目を向けた。
すぐに、こちらを見返してくれた。
けれど、何も言ってくれない。
僕とセルドラの二人を信じて、何も言わず、見守ろうとしている。
知っている。
こういうところが、ラスティアラにはある。
彼女の魂が「信じて、黙る」と決めたならば、いかに『並列思考』を使っていようと、『声』は聞こえないだろう。
もし聞こえたら、それはもう本当に『幻聴』でしかなく――
「セ、セルドラァアアアァア……。よ、よくも……、やってくれたなぁぁ……」
だから、とうとう出る。
僕の本音が、出る。
素の自分の声は、自分でも驚くほど掠れていた。
怨嗟に満ちて、続く。
「セルドラァ、終わらせるのはおまえの『試練』だ……。僕のじゃない。……いいから、おまえも〝楽しい/苦しい』日々に戻れ。いますぐ、戻るんだ。おまえも『ラスティアラの物語』の中に、収まれ」
もう僕には支えがない。
ならば、仕方ない。
望んだのは、セルドラ自身だ。
だから、本音には本音で。
本気で生き抜く相手には、本気で生き抜いて。
『詠唱』には『詠唱』で――
「――『
合わせてやる。
僕は応えるように、とうとう次元属性の『詠唱』を詠んだ。
途端、背中に
僕が呼びかけたことで、次元を超えて『異世界』からこっちまで完全に繋がってくれたようだ。いつものように僕の雄姿を見て、魔力を――なぜか、視線が少しだけ動揺している。だが、取引通りの魔力提供はしてくれる。……しなければ、許さない。
そして、
この『元の世界』のほうも、僕という魂を見つけてしまい、『詠唱』の取引に反応していた。
『異世界』と『元の世界』。
上手く、二重で『詠唱』を成立させて、僕は本気で魔力の増幅を行なっていく。
「――『あの最果てに引く射影へ』――」
代わりに、こちらが支払うのは『狭窄』。
『呪い』が僕を襲って、僕の『ラスティアラ』への思いが、さらに募る。
片時も離れたくないから、彼女に相応しい『主人公』であろうと、
『ラスティアラの主人公』として。
『ラスティアラの主人公』として。
『ラスティアラの主人公』として。
『狭窄』を払えば払うほど、僕の舞台に立つ力は増す。
脚本も捗る上に、観客席から演出用の魔力まで貰える。
得しかない取引だった。反則の取引だった。
『詠唱』すればするほど、僕は無敵となる。
だから、ぴたりと。
深海の揺れが止まった。
セルドラの振動だけでなく、海そのものさえも、僕は静止させた。
深海が淡い紫色の光を、発し始める。
その灯りのおかげで、魔法《リーディング・シフト》を映すスクリーンとして相応しくなっていく。
たった一度の『詠唱』で、星一つ分の海全てに浸透させるだけの魔力を奔らせた。
世界二つ相手の同時取引は、どう考えても異常であり、罪過だった。
だからこそ、代価は大きく、もう止められもしない。
「『僕は全ての罪過を償うと誓う』。――呪術《レベルアップ》」
余った魔力は『質量を持たない神経』に変換していく。
それは、いわゆる陽滝の使っていた『糸』。
色違いの『紫の糸』が、僕の服の袖から生えては、軟体生物の触手のように深海を泳ぎ始める。
その『紫の糸』は手始めに、ずっと『凝固』していた僕の左腕に触れて、侵入して、『繋がり』を作った。
魔法と科学を合わせたくだらないウィルスだ。「新しいルールの調整」や「魂の誤認」も可能だが、『紫の糸』に感染させてから、トカゲの尻尾のように切り離すことで処理する。
これで身体は万全となった。
だが、それでも、まだ魔力は有り余る。
深海の中、僕は宙返りするように体勢を変えた。
頭からゆっくりと、底に向かって、落ちていく。
その間も、魔力を『紫の糸』に変換し続けては、両手足の服の袖から溢れる触手を伸ばし続けていく。
数え切れないほどの『紫の糸』が、深海を侵食し始めた。
その内の一本に触れたセルドラは、いま僕が何をしているのかに感づき、さらなる『詠唱』で振動を強める。
「――――っ!? 『罪深き血を啜り』『罪昏き種は満腹に』!」
セルドラは振り払うように両腕と翼を振り回す。
『紫の糸』は触れた瞬間に引き千切れて、粉々となる。
流石、セルドラ。
視認することはできずとも、干渉された瞬間に察知はできるようだ。
少々痛むが、僕は怯むことなく、もっともっと『紫の糸』を増殖させていく。
「――『この世の終わりになろうとも必ず』――」
セルドラは恐ろしいだろう。
彼にとって、ここは遠く見知らぬ『異世界』。
暗い深海に、無数の不可視の『紫の糸』。
セルドラの心理描写が、スキル『読書』を通じて、伝わる。
〝――
俺にとって強い感情は、垂涎の大好物。しかし、後悔した。ずっと追い求めていたはずのカナミの豹変。念願を前にして、なぜか俺の身体は芯から震えて、凍えて、止まらない。この世の震えを支配する『
逆さとなり、深海に沈む巨大
無限の触手が底から伸びて、四方八方から捕らえようとしてくる。
セルドラは危機感を覚え、その触手に向かって、さらなる『竜の咆哮』を放つ。
「待て、カナミィイイ――!!!!」
こうなると、次は『竜の咆哮』と『紫の糸』による干渉勝負だ。
それが『詠唱』による膨大な魔力のバックアップを以って、真正面から行なわれる。
そのせめぎ合いを、僕は海の底に落ちながら、眺めては、紡ぎ続ける。
「――だから、『
一通り詠み終えて、少しだけ懐かしい気分となった。
これを誓ったのは、いつだっただろうか?
確か、迷宮の裏側で、ティティーのやつと戦うときだ。
何を思って、こんな『詠唱』にしたのだろうか?
なぜか思い出すのは、半身だったラグネの姿。その鏡の性質。
陽滝に頭を弄くられて、ティアラに運命を操られて、それでも僕は僕らしくと願った?
色々と頭に浮かぶことはあった。
けれど、もうそんなことは重要じゃなくて、大事なのは『ラスティアラ』だけ。
『ラスティアラ』を取り戻すことだけを考えよう。『ラスティアラ』だけを感じては、『ラスティアラ』『ラスティアラ』『ラスティアラ』と頭の中の文章を、コピーアンドペーストしては増殖させて、安心する。いつだって、『ラスティアラ』は僕に笑いかけてくれた。その綺麗な髪が揺らめいて、見惚れて、この辛い『異世界』で、いつも助けられた。
詠めば詠むほど『ラスティアラ』のことだけに集中できるのは、『ラスティアラ』の安らぎ。『ラスティアラの主人公』である限り、『ラスティアラ』が隣に居る気がする。『ラスティアラ』で『ラスティアラ』の僕として、『ラスティアラ』は『ラスティアラ』だから――
「――『喊声こそが世の不条理を』『震撼こそが世の不条理を』、『破砕無地の喝采よ』――」
「――『僕はラスティアラが愛おしい』。『僕とラスティアラは愛し合っている』。『だから、想いは一緒』――」
セルドラの『竜の咆哮』と僕の『紫の糸』に、さほど力の優劣はない。
ゆえに、『詠唱』の我慢比べとなった。
一度でも途切れさせたほうが、相手に支配される。
面白い勝負だが、『代償』を支払った結果が、余りに不公平だった。
『適応』を払えば払うほど、セルドラは不安そうに顔を
対して、僕は『狭窄』に安心し切って、笑みを浮かべる。
不平等な我慢比べが、数十秒ほど。
終わりが、始まる。
「あぁ、明るい……。クリスマスみたいだ……」
千切れた『紫の糸』が粉々になって、次元属性の魔力となって海を漂っていく。
『元の世界』でありながら、『異世界』特有の
量が尋常ではなかった。
元々、無限に近い魔力量を誇っていた僕が、海に記憶を投影する魔法《リーディング・シフト》を使っては、失敗しては、再生しては、失敗。
さらに、この世で最も危ない『詠唱』によって得た魔力によって、『紫の糸』を広げては、粉々にされては、再生しては、粉々。
漆黒だったはずの深海が、紫色の淡い光で満ちた。
《ディメンション》のおかげで、その光の範囲の深さ、広さ、そして、高さがわかる。
いま、『元の世界』の全ての海が、発光していた。
まるで世界滅亡系の映画のように、海面が禍々しく光り輝いている。
七つの海が染まり切り、さらに天に向かって紫色の
『世界奉還陣』を思い出す光景だ。
おそらく、いま『元の世界』の人々は、星の異常発光現象に慄いていることだろう。
さらに、あと少しで深海に収まり切らなくなった無数の『紫の糸』が、空に昇っていく。
怯えているかもしれないが、安心して欲しい。
この次元属性の魔力全てが、僕の制御下にある。
なので、地上まで達した紫色の
「――魔法《スポットライト》」
だから、星一つを対象とした光魔法が、『詠唱』した僕ならば可能だった。
体内の『理を盗むもの』たちの魔石が馴染んだおかげだ。
名実共に、『星の理を盗むもの』になろうとしていた。
その影響で、もはや深海は魔境と化す。
とても明るく、無数の『紫の鏡』が浮かんでいるようで、まるで万華鏡の中にいるような深海。
その中心に映し出されているのは、黒き悪竜。
砂浜で戦っていたとき以上に、セルドラの手足は肥大化していた。
『紫の糸』に対抗する為に、鱗の鎧で覆っている。
『竜の咆哮』をあげながら、翼と尾を動かし続ける。
ああ……。
なんて恐ろしい姿だろうか……。
竜と言えば、物語の『悪役』として最もポピュラーだろう。
そして、この
〝英雄〟といえば、物語の『主人公』として最もポピュラー。
これから始まるのは、〝竜退治〟の英雄譚としか思えないから――
「――よかった。やっぱり、まだ僕が『ラスティアラの主人公』だ――」
逆さになって堕ちながら、安心して、セルドラの最後の頁を読む。
指にかかる頁の厚みも、もうない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます