448.本当の自分


 思わず脅すような声を出した僕に、にやりとセルドラは笑う。


 挑発とわかっている。

 わかっているから、『声』も冷静になるように促してくれる。


(カナミ、落ちついて。ただ、セルドラは本気で戦ってるだけで――)

「大丈夫、ラスティアラ。僕は冷静だよ。必ず、セルドラの『試練』は乗り越える。そして、僕が助ける。千年前に助けられなかった『理を盗むもの』たちを助けていく。それが、『主人公ぼく』の物語だから……」


 そして、それがラスティアラの物語でもある。つまり、二人一緒の物語。

 読み続けている限り、僕たちは『証明』される。され続けるのだ。


(カ、カナミ……?)


 不安そうな『声』が返ってくるのが、不安だった。

 さらに被せかけるように、目の前のセルドラが話しかけてくる。


「そうやって、ラスティアラと話すのは楽しいか?」

「好きな人と話すのが楽しくない人なんて、いない」

「即答か。だが、それは本当にラスティアラか? おまえだけに聞こえる都合のいい『幻聴』じゃないのか?」

「いる。ここに、ラスティアラの魔石がある。ちゃんと魂が宿っている。ラスティアラの『声』は妄想じゃない。魔石と『繋がり』があって、それを僕は聞いているだけだ」

「聞いてるし、聞かれてるか……。だから、本音が言えないんだな。こっちの世界なら、或いはと思っていたが、やっぱ駄目か」


 セルドラは周囲を見回す。

 暴露と挑発だけかと思いきや、科学者のように冷静な確認作業も混じっていた。


「なるほどな。別々の場所にいる生物が、同時刻に視線・・を認識できるのは、魔石たましいが『世界』と通じているおかげか。いや、正確には、物質的な器を失った『魂の溜まり場』ってやつに通じているのか?」

「…………っ!!」

「いま、このときも、ずっと見張られている。ならば、この先、カナミは死ぬまでずっと、こうなのか? こうあり続けるしかない人生なのか? ……なあ、ラスティアラ。どう思う?」


 ここで初めてセルドラはラスティアラに向かって、本気で話しかけた。


 僕の隣にいるラスティアラは言いよどみ、視線を僕からセルドラに向ける。

 それはまるで、『試練』に挑んでいるのは僕じゃなくて――


(セルドラ、それは……)

「セルドラ。それが、僕たち二人の『幸せ』だ。物語が終わったあとも、ずっと幸せに・・・・・暮らし続ける・・・・・・。一つの物語の理想形に、僕たちは辿りついたんだ」


 すぐさま、代弁をした。

 それを聞いたセルドラは、さらに憐れんだ表情で、はっきりと言う。


「これも……、俺もだからわかる。おまえたちは、ずれている。それはラスティアラの楽しいことであって、カナミの楽しいことじゃない」

(…………っ!)


 聞かされて、ラスティアラが息を呑む。


 限界だった。

 いや、とうの昔に、限界なんて過ぎている。


 あの最後の戦いだ。

 陽滝を相手にしたとき、すでに僕は二度と立てなくなっていた。


 ――それでも、いままで立って来られたのは、『ラスティアラ』のおかげだ。


 なのに、セルドラの振動こえが的確に、その『声』を打ち消そうとしている。

 格好つけている場合ではない。

 出し惜しんでいる場合でもない。

 たとえ、それがセルドラの狙いであっても、もう――


「認めろ、カナミ。おまえたち二人は『幸せ』の捉え方が、ずれて――「『僕とラスティアラは愛し合っている』『だから、想いは一緒』『もちろん、最初は辛かった』」


 声を被せかけ返す。

 それも、本音には本音。

 やっと隣の『世界』まで届くくらいに、大きな声。


「『ラスティアラ』が死んだんだから、それは当たり前だ。でも、僕たちは少しずつ立ち直ることができた。その何度でも立ち上がる心が、一番大切なんだって思ってる。ちゃんと僕たちは立ち上がって、前を向けるようになって、毎日を楽しいって思えるようになった。本当の意味で、力を合わせて、最後の戦いを乗り越えたんだ」

「ま、待て。いつの間に、何をって――「そう。やっと、僕たちは納得の最後の頁を迎えた。だから、これから続くのは苦難を乗り越えた〝主人公〟と『ヒロイン』の『幸せ・・なエピローグ・・・・・・。それ以外にない。僕たちが救った世界で、連合国で、物語で、続きが紡がれていく。それは本当に、『穏やか〟で、〝楽しく』て、『幸せ〟な日々。そう、心から僕は信じているし、ここに書かれてもある。〝――ああ、ついに『最後の戦い』を乗り越えた少年少女〟〝一ヶ月後、二人は苦しみと悲しみを乗り越えて、心から笑えるようになった。あと、さらに一ヶ月も経てば、また少年少女たちは『冒険』の日々に戻れることだろう〟〝確かに、色々なものを失った。けれど、明るくて新しい未来に向かって、再出発できないなんて道理はない。これからはディアと、マリアと、スノウと、リーパーと、ライナーと、『みんな一緒』の物語を紡いでいこう。それこそが、少年カナミの選んだ物語であり、少女ラスティアラの望んだ物語――〟と、この本に、もう書いてある。書いてあるんだ、セルドラ。僕たちの未来に待つ〝幸せ〟な日々が、すでに」


 負けじと、こちらも息を付く暇もなく、早口で読み切った。

 そして、僕の唯一動かせるほうの手には、『ラスティアラ・フーズヤーズの手記』が握られていた。


 追い詰められて、僕は剣でなく本を選んでいた。

 それは一種の預言書。


 もうティアラや陽滝が書いてくれないから、自分で『執筆・・』するしかなくなった未来予想図。

 元々、最後の頁には〝――永遠に。ラスティアラ・フーズヤーズは『夢』を見続ける〟と書かれていて、その次には白紙の束が重なっていた。


 だから、二週間前にディプラクラさんの前で僕は、『未来視』とスキルを駆使して、そこに新たな物語を記した。


 ただ、その朗読発表会が、余りに唐突で、早口過ぎて。

 ラスティアラとセルドラの二人が唖然としていた。


(……え? え?)

「カナミィ……!」


 一週間前に目覚めたばかりのラスティアラも、再会したばかりのセルドラも、これについては全く知らない。

 あの続きを知っているのは、ディプラクラさんだけ。


 だから、無理も無い。

 そもそも、文章だけで『幸せ〟であることを表現するのは難しい。しかし、〝幸いながら』、僕には表現する方法がある。

 ああ、『執筆』だ。僕には〝執筆〟がある。


 だから、僕は〝幸せ・・そうに・・・、笑いながら、呟く。


「は、ははっ、あはは。――魔法《リーディング・シフト》」


 手に持った本の頁を、片手だけで器用にめくった。


 その読む魔法は、まだ開発途中だった。

 エンディング後、一番最初に手をつけていながらも、ずっと後回しにされていた。


 ――しかし、いま唖然としているセルドラとラスティアラに視てもらうために、急遽いま、ここで、完成させる。


 本を現実に投影させる魔法のイメージは、当然ながら『読書』。

 しかし、みんなに『過去視』『未来視』の情報を、ただ伝えるだけの魔法では意味がない。


 大事なのは、きちんと最初から最後まで読ませること。

 そして、読者にも一文だけ書き足させること。


 その僕の『執筆』した物語を、みんなに『読書』させる魔法の名は……余裕がなかったので、まだ捻ることなく《リーディング・シフト》って仮名だったっけ。……ああ、これでいい。もう、これでいい。名前なんて、どうでもいい。それよりも、いまは――


 ――この魔法《リーディング・シフト》で、『試練』を終わらせよう。


 この魔法の開発が、いまのいままで放置されていた理由は一つ。

 体調の問題ではない。

 この魔法一つだけで『理を盗むもの』を構築している『未練』が、あっけなく崩れてしまうのが問題だった。


 強過ぎる。反則過ぎる。フェアじゃない。

 それはまるで、神様の使う魔法のようで。だから、残りの三人の血・無・次元の『理を盗むもの』たちと向き合うにしても、その魔法は卑怯だと考えた。僕は途中で、開発を凍結させた。という理由があったのだが――


 セルドラは教えてくれた。


 魔法に頼るのは、決して卑怯なことじゃないと。

 誰もが近道をしたくて、本気で生きていると。


 相手を気遣って手段を選ぶのが「傲慢で」「本気じゃなくて」「面倒な話だ」と言うのならば、もう使うしかない。

 最初から僕だって、楽に・・、なりたかった。

 だから、この魔法で、セルドラ・クイーンフィリオンを終わりにする。


「――ああ。でも、大丈夫だよ、セルドラ。この本に書かれてあるのは、僕とラスティアラだけじゃない。心配せずとも、君も登場人物の一人だ。他には、フェーデルトさんにクウネル、ディプラクラさんにシスも。読めば、きっと君も、みんなが〝幸せ〟になるって言葉の意味がわかると思う」


 読んで、映し出して、見てもらおう。


 ――先んじて、君だけに、二ヵ月後を。


 未来に待っているセルドラの〝楽しい〟〝楽しい〟〝楽しい〟日々を、この深海に映し出して、見せれば、それで全て終わる。


「そこで君の『未練』も果たされる。一ヵ月後の連合国では、君と僕が協力をして、復興作業をしている。新たな『元老院』がクウネルを中心に作り直されて、そのとき君は国の総大将に復職して、かつて自分が欲しかったものをスノウに届けて――「か、『喊声こそが世の不条理を』『震撼こそが世の不条理を』! 『破砕無地の音を鳴らせ』!!」


 その語り手の声に、聞き手は叫び返して、対抗する。


 途端、いま深海に映し出されようとしていた風景が、ぶれた。

 震えて乱れて、亀裂が入ったあと、魔法《リーディング・シフト》の書き出し部分の物語が掻き消える。


 『詠唱』の力が足された『竜の咆哮』が、深海全体に伝播されたようだ。

 ただ、その無茶な魔力増加と咆哮で、セルドラは見るからに疲れていく。


「や、やっと……、おまえも、本性を見せ始めたな・・・・・・・・・……! はぁっ、はぁっ、しかし、俺の声の届く範囲ならば『過去視』も『未来視』も許しはしない! 響く俺の振動こえが、おまえの魔法全てを分解する!!」

「――魔法《リーディング・シフト》」


 魔法を強める。


 ちょっとくらいの揺れなどで、僕の書いた物語は乱れない。

 魔法構築も、より頑丈で完璧なものに、いまここで練り直していく。

 ただ、それは明らかに、さらに魔石を馴染ませる・・・・・行為。


「……うぅ」


 僅かに呻いた。


 基本的に『読書』と『執筆』の力は、『ティアラと陽滝の魔石』を利用する。

 その魔石は、常人ならば持っているだけで呪われて、発狂して、モンスターとなり、腐り落ちて、『魔の毒』に還るような代物。

 馴染ませられるのは、実兄という血の繋がりあっての裏技――


 だから、どうしても。

 ぐらりと、視界が揺れて。

 トラウマが、襲ってくる。だが――


だから・・・どうした・・・・――」


 だが、トラウマ如きで、妹の作った兄『相川渦波』は揺るぎはしない。


 なにより、僕はラスティアラにとっての英雄『アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー』でもある。

 僕は『主人公ぼく』だ。

 これが、陽滝とティアラから解放された新しい『相川渦波』だから――


 その決意が、魔法《リーディング・シフト》に反映されていく。

 魔法の邪魔をする『竜の咆哮』を、逆に押さえつけ始める。

 無属性の『詠唱』を乗せた決死の振動が、僕の魔力に触れた瞬間、ぴたりと止まる。


「――なんだとっ!?」


 その理不尽過ぎる力に、セルドラは驚いていた。

 魔法《リーディング・シフト》は見るからに複雑で脆い『術式』だ。


 属性は単一でなく、複数の魔石を使って、芸術的な編み物のような形をしている。

 そんな脆い魔法に、破壊だけしか考えていない自分の『竜の咆哮』が押し負けている。

 その事実を前にしても、まだセルドラは怯まない。


「だが、それもわかっていたことだ! おまえを追い詰めるということは、俺も追い詰められるということ! ――『罪深き血を啜り』『罪くらき種は空腹に』『吐瀉する鮮やかな魂よ』!!」


 『詠唱』には、さらに『詠唱』を。

 ノーガードのぶつかり合いが始まった。


 その新たな『詠唱』は、全ての記憶を合わせても、初めて聞いた。


「くっ、セルドラぁっ……! その『詠唱』は――」

「ああ、おまえ用の俺特製だ……! 無属性の『代償』は基本的に、人生がつまらなくなる! 喜びも悲しみも、恐怖も好奇心も、全て鮮度が落ちていく! だが、この特製の『詠唱』は、つまらなくなるだけじゃない! どんどん俺は背を向けるだろう! 罪が重くなっていくだろう! だが――! だから・・・どうした・・・・? 知るか! 何もかもが、もう俺にとって取るに足りなくなっても! それでもぉおおぉあああ――! 『啜れ』『啜れ』『啜れ』ぇ! 『貪れ』『貪れ』『貪れ』ぇ! 『吐け』『吐け』『吐ぁあぁあけぇええ』えぇえええ!!」


 さらに、セルドラは『詠唱』を足していく。

 取り返しの付かないところまで、一切の躊躇なく。

 徐々に、無属性の振動こえが押し返し始める。


 魂の咆哮。

 そう表現するのに相応しかった。


 そして、決死。

 僕と違って、後先を一切考えない魂の玉砕。


 強い。

 本当に、神にも届く強さだ。


 なにより、覚悟において、完全にセルドラは僕を上回っていた。

 『竜の咆哮』が魔法《リーディング・シフト》を塗り潰していく。

 殺人的な振動こえが、僕にまで届く。


「カナミ、思い出せ。本じゃない。魔法でもなくて、自分の力で――」

「お、思い出す……?」


 魂に響く声というのは、本当に強い力だと思う。

 振動こえを無視できず、反射的に、その言葉通りに心が動かされる。


 ――脳裏によぎるのは、あの最後の戦いを乗り越えたすぐ後。


 あの十一番十字路の椅子に辿りつく前の僕。

 あの日も、僕はラスティアラを失った悲しみに耐え切れず、途方に暮れていた。

 仲間たちと会おうとは思わなかった。

 マリアもディアもスノウも、同じように泣いているかもしれないと思ったし、情けない姿は見せたくなかった。


 だから、彷徨ったんだ。


 異世界に、独り。

 街を、ふらふらと。


 こんなにも人は多いのに、世界に誰も居ないような孤独感。

 こんなにも空は広いのに、襲い掛かる閉塞感。

 幼い頃、大きなデパートで迷子になって泣いていた感覚。


 もう二度と、助けてくれる『家族スキル』はいない。


 ラスティアラの姿を、探し続けた。

 誰にも泣いている姿は見られたくないから、魔法で自分の姿は消した。

 せっかくの『異世界』だというのに、そこに僕はいないことにした。

 一人生き残ったはずだった。なのに、亡霊のようだった。

 憐れな魂が、彷徨っていた。


「それが!! そんなのが、『幸せ』だと思うか……!? ただ、『苦しい』だけだったろう!?」

「いや、僕の〝幸せ〟だ……! そう、信じてる。だって、僕は勝ったんだ。僕だけが、生き残ったんだぞ……! 〝幸せ〟でないと、計算がおかしくなる!!」


 僕は〝幸せ〟だ。

 そう『証明』するように、右手の本を強く握り締めた。


 そこに書かれたラスティアラとの思い出は、どれも〝懐かしくて〟〝嬉しくて〟〝楽しくて〟……『愛おしい』。


 ああ、〝愛おしい〟じゃなくて、『愛おしい』!

 この一言だけは!

 これだけはスキル『執筆』の不自然さもなく、はっきりと書ける!


 ――『僕はラスティアラが愛おしい』!!


 その愛おしいラスティアラの遺書から、僕は彼女の求めていたものを知った。

 物語が終わっても、ずっと二人は一緒……。

 たとえ、死に別れたとしても、魂は共にあるって……。


 ああっ……!

 こんなに……! こんなに〝幸せ』なことはない!

 さらに、その『幸せ〟な日々は、いつまでもいつまでも続くんだってさ!! ははは!!


 セルドラ……。

 なぜ、その崇高な〝幸せ〟をわかってくれない……。

 もうおまえだけだ……。

 おまえだけが、僕をわかってくれるんだぞ……?


 なのに、残念だ……。

 しかし、セルドラも、すぐにわかってくれるだろう。

 この『理を盗むもの』を必ず終わらせる魔法《リーディング・シフト》を、読みさえすれば、終わりだ……! 


 どうか、遠慮せず読んで欲しい。

 僕の『失敗魔法』は少しずつ変わっていっている。

 この『僕〟すらも、必ず終わらせてくれる本当の・・・魔法・・』に、少しずつ近づいている……! 

 それは誰もが『幸せ』になれる『魔法』の雛形!

 その約束された素晴らしき〝幸せ〟な日々を、僕はセルドラと分かち合いたい――!!


「馬鹿が、カナミ……。スキルの数値を見ろ。後ろのほうだ」


 魂に響く声を重ねられた。

 その声の大きさに勝てず、反射的に従ってしまう。



【スキル】

 後天スキル:並列思考1.00 分割思考1.00 収束思考1.00 逆行思考1.00

       感応3.65 神聖魔法1.29 体術2.82 亜流体術1.00

       気功1.01 呼吸法1.00 槍術1.11 弓術2.01

       投擲1.99 指揮1.87 軍隊指揮1.02 軍略1.01

       謀略1.00 後衛技術1.89 観察眼1.67 鑑定1.03

       遠見1.89 最適行動2.01 鼓舞1.15 挑発1.00――



 並ぶのは、才能のなかった僕が、この世界で手に入れた才能たち。

 ただ、その下のほうに――



【スキル】

 暗号1.00 解読1.00 演技・・10.34 執筆1.00――



 それは一際大きかった。


 二十四時間に0.01動くのも稀のはずのスキルの数値。

 それが0.01秒毎に、0.01ずつ上がったり下がったり。

 いまも尚、目に見えて、ずっと変動している。


「……え、『演技』?」


 初めて見た。

 そして、恐ろしい数値の動きだった。


 陽滝の魔石が馴染んでいるというだけでは説明がつかない現象だ。


 これだけのスキルの変動は異常だ。

 普通の魂ではありえない。

 例えば、魂に罅が入っていたりしなければ――


「天性の演者ってのは、怖いな。本当の自分も本当の気持ちも、どうにかしちまう」

「僕は演じて……、ない。だって、父さんと母さんから向いてないって……。僕は、下手糞だって、見捨てられた……」

「おまえも含めて、全員が嘘つきなんだよ。……俺たちみたいな人生を送ってきて、あんな最悪で最後の戦いを経て、『幸せ』になれるわけないだろう? おまえは『不幸・・』だ。『不幸』で、何一つ報われなかったんだ」

「は、はは……、いまさら・・・・。嗚呼、あはは……」


 セルドラの言葉が響いた。

 ここまでのどの言葉よりも響いた。


 僕の魂を強く、深く、揺さぶった。


 僕は天性の『演技』を持っていた?

 つまり、ずっと僕は『執筆』じゃなくて、『演技』を使っていた?

 いや、『演技』しながら『執筆』をしていた?


 自覚したことで、スキル『演技』が剥がれかける。

 魔法《リーディング・シフト》による〝幸せ/不幸・・』な日々が、一旦遠ざかっていく。


 つい先ほどまで、拮抗していたはずの《リーディング・シフト》と『竜の咆哮』は、完全に決着が付いていた。

 深海は暗くて、寒くて、ただただ辛い。

 『声』も、セルドラの振動こえのみ。


「……おい。ラスティアラ、聞こえているか? これから、俺は『次元の理を盗むもの』カナミの『第零の試練』を終わらせる。これを乗り越えられるのは、本気でカナミを苦しめられる俺だけだ。……なにより、これがおまえを殺した俺の責任だろう。どうか、俺がおまえを認めたように、おまえも俺を認めてくれ」


 そう宣言して、セルドラは視線を動かした。


 その先には、僕だけにしか見えないはずのラスティアラの姿があった。

 そして、その彼女がセルドラを見つめ返して、頷いていた。


「ラス、ティアラ……?」


 ラスティアラの魂が、相手に向いてしまった。

 しかも、頷いたぞ……。

 なにより、セルドラの台詞回しが、僕を追い詰めている……!


 これでは、まるで僕が『悪役ボス』で、セルドラが『主人公ヒーロー』のような流れじゃないか。

 駄目だ。

 それだけは駄目だ。

 『第零の試練』なんてものは、この物語には存在しない。だって、『契約』をしたんだ。僕がラスティアラの『主人公ヒーロー』だって。その『演技』をしていないと、僕は立てない。陽滝に敗北してから、まだ一度も立ち上がれていない。『主人公』には、いつだってヒロインの『声』が必要なのだ。僕には要るんだ。離せないんだ。愛しているんだ。絶対に、もう二度と離したくない。『ラスティアラ』『ラスティアラ』『ラスティアラ』を――


 僕は支えを求めて、『ラスティアラ』に目を向けた。


 すぐに、こちらを見返してくれた。

 けれど、何も言ってくれない。

 僕とセルドラの二人を信じて、何も言わず、見守ろうとしている。


 知っている。

 こういうところが、ラスティアラにはある。

 彼女の魂が「信じて、黙る」と決めたならば、いかに『並列思考』を使っていようと、『声』は聞こえないだろう。

 もし聞こえたら、それはもう本当に『幻聴』でしかなく――


「セ、セルドラァアアアァア……。よ、よくも……、やってくれたなぁぁ……」


 だから、とうとう出る。

 僕の本音が、出る。


 素の自分の声は、自分でも驚くほど掠れていた。

 怨嗟に満ちて、続く。


「セルドラァ、終わらせるのはおまえの『試練』だ……。僕のじゃない。……いいから、おまえも〝楽しい/苦しい』日々に戻れ。いますぐ、戻るんだ。おまえも『ラスティアラの物語』の中に、収まれ」


 もう僕には支えがない。

 ならば、仕方ない。

 望んだのは、セルドラ自身だ。


 だから、本音には本音で。

 本気で生き抜く相手には、本気で生き抜いて。

 『詠唱』には『詠唱』で――



「――『罪過の命数は遡る・・・・・・・・』――」



 合わせてやる。


 僕は応えるように、とうとう次元属性の『詠唱』を詠んだ。

 途端、背中に視線・・を強く感じる。

 僕が呼びかけたことで、次元を超えて『異世界』からこっちまで完全に繋がってくれたようだ。いつものように僕の雄姿を見て、魔力を――なぜか、視線が少しだけ動揺している。だが、取引通りの魔力提供はしてくれる。……しなければ、許さない。


 そして、視線・・は、もう一つ。


 この『元の世界』のほうも、僕という魂を見つけてしまい、『詠唱』の取引に反応していた。


 『異世界』と『元の世界』。

 上手く、二重で『詠唱』を成立させて、僕は本気で魔力の増幅を行なっていく。


「――『あの最果てに引く射影へ』――」


 代わりに、こちらが支払うのは『狭窄』。

 『呪い』が僕を襲って、僕の『ラスティアラ』への思いが、さらに募る。

 片時も離れたくないから、彼女に相応しい『主人公』であろうと、演じ直し・・・・書き直し・・・・始める。


 『ラスティアラの主人公』として。

 『ラスティアラの主人公』として。

 『ラスティアラの主人公』として。


 『狭窄』を払えば払うほど、僕の舞台に立つ力は増す。

 脚本も捗る上に、観客席から演出用の魔力まで貰える。

 得しかない取引だった。反則の取引だった。

 『詠唱』すればするほど、僕は無敵となる。


 だから、ぴたりと。

 深海の揺れが止まった。

 セルドラの振動だけでなく、海そのものさえも、僕は静止させた。


 深海が淡い紫色の光を、発し始める。

 その灯りのおかげで、魔法《リーディング・シフト》を映すスクリーンとして相応しくなっていく。


 たった一度の『詠唱』で、星一つ分の海全てに浸透させるだけの魔力を奔らせた。

 世界二つ相手の同時取引は、どう考えても異常であり、罪過だった。

 だからこそ、代価は大きく、もう止められもしない。


「『僕は全ての罪過を償うと誓う』。――呪術《レベルアップ》」


 余った魔力は『質量を持たない神経』に変換していく。

 それは、いわゆる陽滝の使っていた『糸』。

 色違いの『紫の糸』が、僕の服の袖から生えては、軟体生物の触手のように深海を泳ぎ始める。


 その『紫の糸』は手始めに、ずっと『凝固』していた僕の左腕に触れて、侵入して、『繋がり』を作った。

 魔法と科学を合わせたくだらないウィルスだ。「新しいルールの調整」や「魂の誤認」も可能だが、『紫の糸』に感染させてから、トカゲの尻尾のように切り離すことで処理する。


 これで身体は万全となった。

 だが、それでも、まだ魔力は有り余る。


 深海の中、僕は宙返りするように体勢を変えた。


 頭からゆっくりと、底に向かって、落ちていく。

 その間も、魔力を『紫の糸』に変換し続けては、両手足の服の袖から溢れる触手を伸ばし続けていく。


 数え切れないほどの『紫の糸』が、深海を侵食し始めた。 

 その内の一本に触れたセルドラは、いま僕が何をしているのかに感づき、さらなる『詠唱』で振動を強める。


「――――っ!? 『罪深き血を啜り』『罪昏き種は満腹に』!」


 セルドラは振り払うように両腕と翼を振り回す。

 『紫の糸』は触れた瞬間に引き千切れて、粉々となる。


 流石、セルドラ。

 視認することはできずとも、干渉された瞬間に察知はできるようだ。

 少々痛むが、僕は怯むことなく、もっともっと『紫の糸』を増殖させていく。


「――『この世の終わりになろうとも必ず』――」


 セルドラは恐ろしいだろう。

 彼にとって、ここは遠く見知らぬ『異世界』。

 暗い深海に、無数の不可視の『紫の糸』。


 セルドラの心理描写が、スキル『読書』を通じて、伝わる。


〝――怖気おぞけ。心からの悪寒だった。畏怖する。

 俺にとって強い感情は、垂涎の大好物。しかし、後悔した。ずっと追い求めていたはずのカナミの豹変。念願を前にして、なぜか俺の身体は芯から震えて、凍えて、止まらない。この世の震えを支配する『悪竜ファフナー』の俺が、原初の恐怖を感じていた。かつて、里で教え込まれた教えの『邪神ノイ』の意味を、カナミを通して初めて理解していくことになる――〟


 逆さとなり、深海に沈む巨大海月くらげのような『次元の理を盗むもの』。


 無限の触手が底から伸びて、四方八方から捕らえようとしてくる。

 セルドラは危機感を覚え、その触手に向かって、さらなる『竜の咆哮』を放つ。


「待て、カナミィイイ――!!!!」


 こうなると、次は『竜の咆哮』と『紫の糸』による干渉勝負だ。

 それが『詠唱』による膨大な魔力のバックアップを以って、真正面から行なわれる。


 そのせめぎ合いを、僕は海の底に落ちながら、眺めては、紡ぎ続ける。


「――だから、『僕にみんなを・・・・・・救わせてくれ・・・・・・』――」


 一通り詠み終えて、少しだけ懐かしい気分となった。


 これを誓ったのは、いつだっただろうか?

 確か、迷宮の裏側で、ティティーのやつと戦うときだ。

 何を思って、こんな『詠唱』にしたのだろうか?

 なぜか思い出すのは、半身だったラグネの姿。その鏡の性質。

 陽滝に頭を弄くられて、ティアラに運命を操られて、それでも僕は僕らしくと願った?


 色々と頭に浮かぶことはあった。

 けれど、もうそんなことは重要じゃなくて、大事なのは『ラスティアラ』だけ。

 『ラスティアラ』を取り戻すことだけを考えよう。『ラスティアラ』だけを感じては、『ラスティアラ』『ラスティアラ』『ラスティアラ』と頭の中の文章を、コピーアンドペーストしては増殖させて、安心する。いつだって、『ラスティアラ』は僕に笑いかけてくれた。その綺麗な髪が揺らめいて、見惚れて、この辛い『異世界』で、いつも助けられた。

 詠めば詠むほど『ラスティアラ』のことだけに集中できるのは、『ラスティアラ』の安らぎ。『ラスティアラの主人公』である限り、『ラスティアラ』が隣に居る気がする。『ラスティアラ』で『ラスティアラ』の僕として、『ラスティアラ』は『ラスティアラ』だから――


「――『喊声こそが世の不条理を』『震撼こそが世の不条理を』、『破砕無地の喝采よ』――」

「――『僕はラスティアラが愛おしい』。『僕とラスティアラは愛し合っている』。『だから、想いは一緒』――」


 セルドラの『竜の咆哮』と僕の『紫の糸』に、さほど力の優劣はない。


 ゆえに、『詠唱』の我慢比べとなった。

 一度でも途切れさせたほうが、相手に支配される。


 面白い勝負だが、『代償』を支払った結果が、余りに不公平だった。

 『適応』を払えば払うほど、セルドラは不安そうに顔をしかめる。

 対して、僕は『狭窄』に安心し切って、笑みを浮かべる。


 不平等な我慢比べが、数十秒ほど。

 終わりが、始まる。


「あぁ、明るい……。クリスマスみたいだ……」


 千切れた『紫の糸』が粉々になって、次元属性の魔力となって海を漂っていく。

 『元の世界』でありながら、『異世界』特有の魔力の雪ティアーレイとなって、降り注いだ。


 量が尋常ではなかった。

 元々、無限に近い魔力量を誇っていた僕が、海に記憶を投影する魔法《リーディング・シフト》を使っては、失敗しては、再生しては、失敗。


 さらに、この世で最も危ない『詠唱』によって得た魔力によって、『紫の糸』を広げては、粉々にされては、再生しては、粉々。

 漆黒だったはずの深海が、紫色の淡い光で満ちた。


 《ディメンション》のおかげで、その光の範囲の深さ、広さ、そして、高さがわかる。

 いま、『元の世界』の全ての海が、発光していた。

 まるで世界滅亡系の映画のように、海面が禍々しく光り輝いている。


 七つの海が染まり切り、さらに天に向かって紫色の天幕オーロラが降りては揺らめいた。それは魔法《リーディング・シフト》の残骸を含んでいるせいか、全く不規則というわけではなく、ちょっとした魔法陣を映し出していた。


 『世界奉還陣』を思い出す光景だ。

 おそらく、いま『元の世界』の人々は、星の異常発光現象に慄いていることだろう。

 さらに、あと少しで深海に収まり切らなくなった無数の『紫の糸』が、空に昇っていく。


 怯えているかもしれないが、安心して欲しい。

 この次元属性の魔力全てが、僕の制御下にある。

 なので、地上まで達した紫色の天幕オーロラに、ちょっとした光魔法を乗せるくらいは、お手の物だ。その紫の光を目にして、網膜に映して、脳まで信号を送ったものは、例外なく見惚れてしまい、気にならなくなるだろう。――大丈夫・・・、みんな。もう誰の邪魔もしない。すぐに『異邦人』は帰る。だって、ここは『ラスティアラの世界』じゃない。


「――魔法《スポットライト》」


 だから、星一つを対象とした光魔法が、『詠唱』した僕ならば可能だった。


 体内の『理を盗むもの』たちの魔石が馴染んだおかげだ。

 名実共に、『星の理を盗むもの』になろうとしていた。


 その影響で、もはや深海は魔境と化す。


 とても明るく、無数の『紫の鏡』が浮かんでいるようで、まるで万華鏡の中にいるような深海。


 その中心に映し出されているのは、黒き悪竜。

 砂浜で戦っていたとき以上に、セルドラの手足は肥大化していた。

 『紫の糸』に対抗する為に、鱗の鎧で覆っている。

 『竜の咆哮』をあげながら、翼と尾を動かし続ける。


 ああ……。

 なんて恐ろしい姿だろうか……。


 竜と言えば、物語の『悪役』として最もポピュラーだろう。

 そして、この黒き悪竜セルドラと対峙するとすれば、〝英雄〟しかいない。

 〝英雄〟といえば、物語の『主人公』として最もポピュラー。

 これから始まるのは、〝竜退治〟の英雄譚としか思えないから――


「――よかった。やっぱり、まだ僕が『ラスティアラの主人公』だ――」


 逆さになって堕ちながら、安心して、セルドラの最後の頁を読む。

 指にかかる頁の厚みも、もうない。

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