425.異世界の宴
そこは、かつて僕が購入した家。
一度は『火の理を盗むもの』アルティによって炎上したものの、以前と変わらない姿まで修復されていた。
プレミア価格がついてしまったと噂の家だが、最終的に所有権を得たのはマリアとスノウの二人だったようだ。
リビングの机の上には、大量の本が積み重ねられている。
タイトルは「『
「カナミさん? 今日はディアと一緒に、街を回るのでは? そう私はライナーから聞きましたけど」
僕と仕事での接点が余りないマリアは、秘書兼騎士のライナーから報告を受けていたようだ。
読みふけっていた本を閉じて、席を立ちながら不思議そうな顔をする。
「そのディアが、みんなと一緒がいいって言ったんだ」
そう僕が答えると同時に、後ろの《コネクション》からディアが現れる。
「マリア、俺もいるぞー」
その姿を見たマリアは家族を前にしたかのように、とても柔らかく笑った。
「そういうことですか……。いらっしゃい、ディア」
「ああ、お邪魔する!」
ディアは僕の隣を通り抜けて、飛びつくようにマリアへ抱きついた。
そのスキンシップの濃さを見て、一年前は出会い方が悪かった――というか、間に入っていた僕が悪かったのだとよくわかる。
そして、そのディアに続いて、スノウも《コネクション》から現れる。
「私もいるよー。というわけで、編み物セットを取りに、自分の部屋までダッシュ!」
だが、すぐさま家の奥に引っ込んでいった。
「スノウ姉さんも? これは一体……」
「カナミがお土産を買ってきたらしいから、マリアも貰っとけ。俺たちは、もう貰ったぞ」
突然の来訪にマリアが驚く中、ディアは自分の衣服を見せつけながら、端的に目的を果たそうとする。その言葉に合わせて、僕は例の魔法を発動させる。
「――《ディフォルト・
「――っ!」
ディアやスノウと違って、マリアは身構えた。
だが、代わっていく自分の衣服を見て、魔法の効果を察して、全身から力を抜いてくれる。
マリアは苦笑いを浮かべ、ディアは素直に喜ぶ。
「よしっ。これで、みんなお揃いだな!」
「……そういう魔法ですか。驚かせないでください、カナミさん。普通は補助魔法でも一声かけるものです」
唇を尖らせて、まず苦情を僕に入れた。
ただ、そう言いつつも口元は緩み、視線は下に向いて、服の裾を摘んでいる。
マリアのコーディネートは他の二人と違って、ほぼ陽滝と一緒だ。
黒髪黒目に似合うフォーマルなフリル付きブラウスとスカートは、まるで相川家の末妹がお下がりを着ているかのように感じる。
「でも、嬉しいです。ありがとうございます、カナミさん。大事にしますね」
「うん、大事にしてくれると嬉しい」
そう僕たちが受け答えすると、ディアは我が家のようにリビングの椅子に座って、マリアの向かい側で頬杖を突く。その隣の椅子に、僕も腰を下ろした。
「というか、そもそもだ。せっかくのカナミの休日なのに、なんで俺たちは別々だったんだ……? 今日は俺がカナミと一緒で、明日はスノウの番だって、フェーデルトのやつから聞いたけど……別に、初日からマリアと一緒でも、俺はよかったぞ?」
「そういえば、そうだね」
なぜディアたちと会うのに、一人ずつだったのか。
その効率の悪さは、僕も少し気になっていた。
基本的に僕のスケジュールは『元老院』たちと決めていたのだが、ここに来て調整の甘さと杜撰さを――いや、逆に厳しさと配慮を、強く感じる。
それを感じたのはマリアも同じようで、考えを口にする。
「たぶん、『元老院』の方々のお気遣いでしょうね。あの人たち、自分たちの胡散臭さは棚に上げて、私たちを一切信用してませんから。私たちのことを『街を自由に歩くボスキャラ』か『下手に突けば大爆発する危険物』だと思っているので、一人ずつカナミさんと過ごして欲しかったのでしょう。もしものとき、大陸の被害を少しでも軽減するために」
おそらく、ライナー・クウネル・フェーデルトあたりの面子が独自に会議をして、できるだけ危険物同士は混ぜ合わせない方針を決定したのだろう。
気持ちはわからなくもない。
なにせ、何かの拍子でマリアが全力で両腕を振れば、あっさりと育てに育てた連合国が更地になってしまう。一年前、僅か数分の戦闘で世界地図に黒い染みが生まれたのは、彼らにとって記憶に新しいはずだ。
「むっ、そういうことか。あいつら、変な嫌がらせしやがって」
真相が解明され、ディアだけは机を叩いて、とても素直に怒った。
その怒りを僕とマリアが宥めていると、部屋の奥からスノウが現れて叫ぶ。
「取ってきた! 編み物セット!」
「おっ、それが編み物の道具かー。俺がいないとき、みんなの間で流行ってたらしいな」
「そうだねー。カナミが記憶消されて、ギルドで働いてたときだねー。いやー、懐かしい。あの頃のマリアちゃんは、弱々しくて可愛かったなー」
遠回しに、いまは強すぎて可愛くないと言っているスノウである。その失言をマリアは鋭い目で咎めたが、ディアのおかげでスノウは追及を免れる。
「よーし、それじゃあ早速始めようぜ! マリア、俺と編み物で勝負だ!」
「いえ、私はやりませんよ? どうせ、スノウさんに勝るものは作れませんし、ディアより面白いことになる自信もありませんし……。少し離れたところで、様子を見てます」
「面白いことって、おい! おまえもか! おまえも俺を不器用って思ってるな!」
ディアとマリアは、家族のように微笑ましいやり取りを交わす。
きっと、これが『元老院』たちにとっては戦々恐々とするのだろう。
「ふふっ、すみません。ディア、冗談ですよ。……最近、ディアは頑張って、苦手なものを特訓してるのは知ってます。もし、いい感じのが出来たら、私にもくださいね。私は勝負よりも、ここの片付けをさせてください。見ての通り、ちょっと散らかってますので」
そう言って、マリアはリビングの机に置かれた本を重ねて、持ち出そうとする。
僕は「手伝う」と提案して腰を浮かせたが、すぐに「今日、カナミさんはお客さんですから」と断られ、座り直させられてしまう。
「そうか……。任せろ、マリア。三人分、ちゃんと作る」
意外にディアの編み物は人気で、注文が三つも溜まった。
そして、マリアが本を隣の部屋に移動させていき、机にスペースが生まれていく。
そこにスノウが編み物の道具を置いていき、その中の木製棒針を手に取って僕は呟く。
「編み物は久しぶりだなぁ……。ローウェンにマフラーを編んだ以来か」
「俺は今日が人生初めてだ。他人がやってるのを、ちょっと見たことがあるくらいしか経験ないな」
ディアは毛糸の玉を机の上で転がしながら、ずらりと並んだ編み物道具を睨む。
使い方がわからないから、どれから手に取ればいいかわからないのだろう。
「僕が教えてあげるから大丈夫だよ。いい感じのを二人で作って、みんなを見返そう。いまの僕なら、どんなに苦手な人でも短時間でスキルを習得させることが可能で――」
意気揚々と、僕は先生役を名乗り上げていく。
スキルのシステムを解き明かしたことで、いまの僕には上手く教える自信があった。
最近、『
「いや、俺はスノウに教わるから、カナミは少し離れててくれ」
「――っ!?」
いまにも『持ち物』から眼鏡と教鞭を取り出そうとしていた僕だったが、即答でディアに拒否されてしまい、思いのほかにショックを受ける。
「い、いやっ、これはマフラーのお返しだから、できるだけカナミの力を借りずにやりたいんだ。というか、いきなりスキル習得するのは、なんか……、違う気がする。そういうのって、ちょっと卑怯な感じがしないか?」
そのディアの考えにスノウも同調して、頷く。
「私もカナミが教えるの上手いって知ってるよ。最近、色んなところで噂を聞くからねー。でも、カナミが教えると、短い時間でスキルが発生して、絶対に成功しちゃうんでしょ? それはディアの言うとおり、なんか違うよね。なんというか……、心がこもってない! 心がね!!」
「こ、心……!?」
確かに、作業的に『編み物』スキルをディアに習得してもらい、その力で立派なものをプレゼントしてもらったとしても、そこには心がこもってないかもしれない。
もし渾身の一作が完成したとしても、それを作ったのは、どちらかというとディアでなく僕になってしまう気がする。
例の激闘を終えて、そういう説得に弱くなった僕は、「心」という言葉を前に敗北する。その僕を追撃するように、ディアはスノウの言葉に力強く頷く。
「ああっ、心! 心だな! カナミへのプレゼントは心を込めて作りたいから、ちょっとカナミは待っててくれ!」
それは純粋な善意。
一編み一編み毎、ディアが必死に編み物をする姿は、容易に想像できる。
そして、そのディアの編み物が、僕に言われるがままに作ったものよりも尊いということも、容易に理解できる。
「くっ……! それじゃあ、僕は僕で何か作ろうかな……」
渋々ながらも納得した僕は、ディアの先生になるのを断念した。
そして、ディアの隣の席をスノウに譲り、マリアが座っていた席で独自に編み物に取り掛かっていく。
「うん。それじゃあ、私がディアに教えるね」
「スノウ、よろしく頼む」
僕の目の前で、ディアはスノウから教わっていく。
どちらも楽しそうに目を輝かせる中、対照的に僕は無心で手を動かしていく。
その僕の編み物は、本当に無計画で、適当だった。
だが、とても落ち着いて、穏やかで――気楽でもあった。
予期せず、スノウとディアのおかげで、
余暇の趣味で大事なのは、気楽であることだ。
スキルの話までして完璧なものを作ろうとすると、それはもはや仕事に近い。
それに気づいた僕は、結果を気にせず、過程を楽しみ、久方ぶりに『失敗を許されない完璧な物作り』でなく『失敗してもいい適当な物作り』に没頭していく。
「…………」
その作業は、なぜか昔を僕に思い出させてくれた。
とても小さかった頃、『元の世界』でセーブやロードのできる
あの時間を、いま『異世界』でも、僕は過ごせている。
そして、目の前には、同じ時間を過ごしている仲間が二人。
スノウが手本となるべく「こう持って、こう」と教えては、ディアは「こうか?」と真似していく。拙いながらも一つ過程がクリアされると「そうそうっ」と賞賛の声が響いて、「よしっ」と嬉しそうな声が返る。
優しい時間だと思った。
大切だとも。
このゆったりとした時間は、何物にも代え難い。
わかっている。
それは、わかっているのだが――
「…………」
黙々と一人で編み物をやるのは、ちょっと寂しい僕だった。
ぼうっと手を動かし続けること数十分。
疎外感を覚え始めたところで、スノウが僕に声をかける。
「――え、え? カ、カナミ、ちょっと目を離した隙に……」
「ん?」
スノウが目を見開いて見ている先に、僕も視線を向ける。
いつの間にか、僕の手元には立派な編み物が一つ完成していた。
毛糸のぬいぐるみで、モデルはドラゴン。
大きさはサッカーボールほど、撫でたり抱き締めたりするのに丁度良さそうだ。
それをディアも確認して、一旦作業を止めて驚く。
「うわっ、流石カナミ。すごいスピードだな……。けど、なんでドラゴンだ?」
「なんでだろ? 欲しいものを、手が勝手に作ってたっぽい」
途中でRPGの思い出に浸っていたからだろうか。
本当に無心に手を動かしていたので、そう答える他なかった。
僕もディアたちと同じように驚き、そのぬいぐるみの出来を確認していく。
しかし、かっこいい……。
すごくかっこいい……。
スキルを駆使して作られたぬいぐるみは一切の綻びがなく、売り物のように完成度が高かった。どこかのテーマパークで購入すれば、軽く諭吉のお札が飛びそうである。
見れば見るほど、凛々しく、雄々しく――そして、凶悪。
まさに幻想生物の頂点とも言うべきドラゴン。
私室に一つあると、非常にテンションが上がりそうだ。
と自画自賛していると、スノウも作業を中断して、諸手を挙げて喜ぶ。
「欲しいもので、ドラゴン!? つまり、私! 私の人形を作ってくれたんだね、カナミ!」
「え? スノウ?」
「え? だって、カナミの知り合いでドラゴンと言えば、私……」
凛々しく、雄々しく、凶悪というワードから連想しない名前が出てきて、純粋に僕は聞き返してしまった。
何度も「え?」という疑問符を行き交わせつつ、なんとか僕は言葉を取り繕う。
「そ、そうだね。これは、うん、スノウかもね」
「あぁっ、これ! 私じゃないっぽい! セルドラのほうっぽいぃいいい!」
ただ、その返答は、スノウでも察せてしまうほどに歯切れが悪かった。
そして、僕が言い訳を始める前に、ディアがフォローを入れてくれる。
「仕方ないだろ、スノウ。全身の『竜化』は、まだあいつしかできないんだ。ドラゴンといえば、いまは流石にあいつだ」
「うぅう……。私も『竜化』を教わって、絶対極めよう。なんかカナミって、ドラゴン好きっぽいし……」
「そうしろ。ただ、今日は教わる側じゃなくて、教える側だぞ。スノウ、次はどこに糸を通せばいいんだ?」
思わぬところで、スノウは『竜化』の訓練に意欲を出してくれた。
それは嬉しい誤算だった。彼女はレベルの上昇によって、身体に竜の鱗といった後遺症が出始めている。
しかし、安全に全身の『竜化』が出来るようになれば、それは消えるとセルドラから聞いている。彼のように、体内の『魔の毒』と血のコントロールが出来れば、もはやスノウの人生に障害はなくなるだろう。
ウォーカー家での立場を含めて、彼女の『生まれの違い』による苦難は、全て終わる。
やっと、全て――
そして、その先に待つスノウの未来を想像して、僕は頬を緩ませた。
未来の彼女の隣に付き添っているであろう黒髪の義妹の姿も思い浮かべたところで、そのマリア本人から後ろから声をかけられる。
「――ふふっ。まさかの仲間外れみたいですね、カナミさん。それなら、私と向こうで何か作りませんか?」
リビングの本の避難を全て完了させて、ついでに部屋の掃除も終わらせた彼女は、編み物を一つ作り終えた僕を誘った。
視線の先に魔石製のキッチンがあるということは、料理の提案だろう。
「夕食の準備です。早めに取り掛かって、豪勢なのを二人に作ってあげましょう」
「……そうだね。一つ完成したし、僕はそっちに行こうか」
いまディアが作っているのは、僕へのプレゼントだ。
じっと正面で見続けるより、完成するまで離れたほうがいいかもしれない。
僕はドラゴンのぬいぐるみを自慢するように、机の中央に鎮座させたあと、ゆっくりと席を立った。
作業中の二人は僕を止めることはなかった。夕食のグレードが上がることを見越して、喜んで送り出してくれる。
僕とマリアはリビングから移動して、キッチンに並んで立つ。
「少し懐かしいですね。一度だけ、ここでこうして一緒に料理をしました」
そう言われて、僕も過去を懐かしむ。
一緒に料理したのは、『闇の理を盗むもの』ティーダを倒して、『火の理を盗むもの』アルティと戦う前あたり。色々とやらかしていた時期だ。
「マリアには『料理』の才能があったから、一度だけ僕が教えたんだっけ?」
「はい。居場所がなくなりそうな私のために、この家の料理をカナミさんは任せてくれました」
「ああ……。そういえばそうだった。なんでだろう。とても昔に感じるな」
「ふふっ。そのとても昔に、カナミさんが私に「毎日料理を作って欲しい」って言ったのを覚えてますか?」
「……覚えてる。軽率なことを、たくさん言ってた記憶がある」
「ええ、本当にカナミさんは軽率な人でした。でも、その軽率さのおかげで私は生きてます。たぶん、カナミさんがいなかったら、奴隷のままで死んでます」
「そこだけは……、軽率でよかったのかな? うん、よかったと思う」
「はい、本当によかったです。いま、こうしてカナミさんと一緒に料理が出来るのが、私はとても嬉しいですよ」
「うん……。こうして、またマリアと一緒に、同じキッチンに立ててよかった……」
「まあ、厳密に言うと、あのときの家は燃えちゃったので、これは別のキッチンなんですけどね。よく見てください。前よりも、作業台を広くしてもらったんですよ。いいでしょう、これ」
「……いや、もう同じキッチンとして扱おうよ。思い出に浸る流れだったんだし」
急に梯子を外されてしまった僕を見て、くすくすとマリアは笑う。
その冗談の飛ばし合いは、本当に気安く、気軽だった。
かつて望んでいた関係になれたのを確認してから、僕たちは腕捲りして意気込んでいく。
「――では、作りましょうか。広くなったので、以前より作りやすいですよ」
まず僕は、ざっとキッチン周りにある食材などを確認する。
二人暮らしには十分過ぎる備蓄だった。
備え付けの器具も、全てに手入れが行き届いている。
「せっかくですので、カナミさん。いまから『料理』で勝負してみますか? それぞれ好きに作って、ディアたちに勝敗を判定してもらうんです」
マリアはディアを真似て、僕に提案した。
露出させた細い右腕で力こぶを作るポーズを取り、挑戦的に笑みを浮かべている。
勝つ自信があるのだろう。
以前に教わったときよりも、腕を上げていることがステータスを見なくともわかる。
「面白そうだけど、今日は別のことをしよう。マリア、『元の世界』のお土産は、服だけじゃないんだ。ふっふっふっ……」
マリア以上に自信満々の笑みを零して、僕は『持ち物』から購入してきたものを取り出していく。
まず食卓用の塩、砂糖、酢、みりん等々。
次々と調理台の上に置いては、広げていく。
「これは調味料……? すごい数……というか、容器が見たことないものですね」
「プラスチック容器だね。とりあえず、僕が全部空けるから、味見してみて」
ラッピングと蓋を外していき、一つずつ手渡す。
マリアは勝負から調味料に興味を移し、手の甲に少しだけ落としてから舌先で舐めて、つい最近開通した水道で洗い流した。
「これは塩……? 塩ですね。けど、こっちのとは何か違いますね」
「塩だね。製法の違いだけじゃなくて、旨み成分とかが混ざってるよ。よし、次は……」
マリアが味見に慣れているのを見て、粉末系だけでなく液体系も遠慮なく渡していく。
「あ、
「醤油は千年前の僕とアイドの名残だね」
容器のラベルに書かれた日本語をマリアは読めないので、ちょっとしたクイズゲームになっていた。
本当ならば、味見の前に名称や原材料、産地や製法を説明すべきだろう。
だが、それをしたくない理由が僕にはあった。
「――ひゃぁっ! か、辛い!! これ辛いです、カナミさん!!」
いつもクレバーなマリアの色んな反応が見れるのが、ちょっと楽しかった。
その湧き出る欲望のまま、あえて僕は何の説明もせず、手渡し続ける。
「それは唐辛子の一種で、ハバネロって名前だね。次は――」
マリアのレアな表情を、お土産の代金として一つ一つ堪能していく。
そして、十以上のメジャーどころの調味料を確認し終わり、『元の世界』でも少し珍しい調味料の味見に入っていく。ナンプラーやバルサミコ酢、カレー用のガラムマサラやターメリックなども口にしていき、最終的には――
「――ん? カナミさん、これは……?」
「さっきのが蜂蜜で、これはチョコレートのソースだね」
調味料から少し外れたものまで辿りつき、味見は終わりを迎える。
「甘くて、少し苦い……。美味しいです。いや、ほんとこれは中々……」
マリアは何度も手の甲に垂らしては、連続で味見していく。クウネルもチョコを気に入っていたので、こちらの住人の口に合うようだ。
「これで全部だね。この調味料たちを使って、夕食を作ろうよ。せっかくの休日なんだから、勝負じゃなくて気軽に……。失敗してもいいくらいのつもりで」
「確かに、勝負よりも、そっちのほうがいいですね。……では、メインの料理は私にやらせてください。色々と使ってみたいのがありました」
「それじゃあ、僕はデザートでも作ろうかな」
ゆっくりと時間をかけて、料理を作ることが決まった。
そして、チョコの受けがいいと確信した僕は、デザートを志願してみる。
板チョコも買ってあるので、湯煎して色々な形に変えるだけでも、ディアたちは喜んでくれるだろう。偶々『元の世界』の日付がバレンタインに近く、安くたくさん仕入れていてよかった。
しかし、ただ作るだけでは、少し物足りない。
先ほど勝負を受けなかった理由の一つだが、いまの僕だとナノグラム単位の調整ができてしまう。
それは幼少の記憶にある一流料理店の再現が、容易に可能なレベルだ。
「よし、決めた――」
なので、またドラゴンを作ろう。
テレビやショーなどで見る豪勢なチョコ細工・飴細工を、いまの僕ならば作れる。
今度は西洋タイプじゃなくて、東洋タイプのドラゴンだ。
ずっしりと大きくではなく、細く長く美しい
「よしって……。もしかして、カナミさん。またドラゴン作ろうとしてません?」
気合いを入れて取り掛かる直前、少し呆れ顔のマリアが確認を取ってきた。
思いもしないところで心を読まれてしまった僕は、目を逸らしながら聞き返す。
「そ、そんな顔してた?」
「自信ありませんけど、そんな顔してる気がしました。ほんと好きですね、ドラゴン」
否定できない。
はっきり言って、僕はドラゴンが好きだ。
それが幼少期に刷り込まれたゲーム経験による趣向であることはわかっている。
しかし、だからこそドラゴンは絶対的な憧れだった。
敵に出てくるドラゴンは必ず最強レベルだと思ってるし、技名や武具の頭にドラゴンが付いているだけで強く感じる。
「マリアは嫌いなの? ドラゴンって純粋にかっこよくない?」
「好きでも嫌いでもないですよ。……でも確かに、本に出てくるドラゴンは、大抵は強敵ですね。いまの私たちには余り実害のないモンスターですが、昔の力の象徴なのは間違いないでしょう」
「よかった、わかってくれて……。ありがとう、マリア。だから、僕はドラゴンを作るよ」
「え? あ、はい。いや、かっこよさをわかったわけではないんですけどね」
マリアは色々と物言いたげだったが、もう僕は理解して貰えたということにして、強引に「だから」と続けてドラゴン製作に取り掛かっていく。
スキル『料理』『菓子作り』『感応』などを駆使して、『持ち物』にある食材とアイテムも総動員させて、最高にカッコいい一品にするつもりだ。
もちろん、魔法を使えば、より完璧に仕上げられるだろう。
魔法《ディメンション》による測りと魔法《ヒート》《フリーズ》による温度調節。
組み合わせれば、いかなる特殊な調理法も再現できる。
しかし、それは「心がこもってない」という言葉が、まさに似合うやり方だ。
ディアとスノウの言うとおり、休日だからこそ、心を込めてドラゴン製作に取り組もうと思う。物作りに関しては卑怯でありたくないと、まだ僕の中に僅かな誇りっぽいものが、かろうじて残っている気がするのだ。
「はあ……。不安ですね」
緩み切った僕の顔は、本当に読みやすいのだろう。
まるで妹のように、マリアは深い溜息をついてから、隣で別の料理の作業に取り組み始める。
とはいえ、彼女も僕に負けないくらいに頬が緩んでいる。どう『元の世界』の調味料を使ってやろうかと、内心では浮かれているのは明らかだった。
こうして、僕たちはそれぞれの作業に移り、料理を開始していく。
キッチンは静まり返る。会話の代わりに聞こえてくるのは、穏やかな休日らしい料理の音のみ。
カチャカチャと調理器具を動かす音が鳴り、トントンと材料を切る包丁の音が響く。
それらの自然な音たちが、後方のリビングでスノウがディアに編み物を教える声と絡み合っていき、非常に心地いい生活音となっていた。
こんなにも穏やかな生活音を聞くのは、久しぶりだ。
コンサートホールでオーケストラを聞くように、音が全身を柔らかく包み込み、振動が身体を揺さぶる。いつもは気にしない自分の呼吸音が、はっきりと聞こえてきて、その音の中に混じっていく気がする。
日常に戻ってきた。
そう思える生活音を聞きながら――
日常の時間は過ぎていく。
しかし、僕を追い詰めるように、時間が減っていくのではない。
僕を癒していくかのように、時間が優しく通り抜けていく。
過ぎていくという言葉は同じでも、意味はまるで違った。
――そして、気ままに料理をしていくこと、数時間。
昇っていた太陽が落ち始めて、時間が夕方に差し掛かった頃。
耳に届く街の喧騒も大分音量が落ちてくる。
空の色に赤みが加わり、今日という一日が終わりに近づいてきた。
これが本当にオーケストラならば、楽章が一つ移った頃。
作業の終わりを叫ぶ声が聞こえてくる。
その声は僕でもマリアでもなかった。
「――できたっ!!」
リビングに目を向けると、ディアが光り輝かんばかりの笑顔と共に、キッチンまで駆け寄ろうとしていた。
「カナミ、受け取ってくれ! お土産のお礼だ!」
その手には、形は少し歪んでいるけれど、ちゃんとマフラーと呼べる代物があった。
長さは少し短めで、色は落ち着いた藍色。模様には見覚えがある。
視線を動かすと、ディアの奥で「ふぅー」と額の汗を拭うスノウがいた。彼女の手には、ディアが僕から貰ったマフラーがあった。どうやら、僕の作ったマフラーを見本にして、お揃いのものを作ってくれたようだ。
「ありがとう。……大事に使うよ」
マリアやスノウからもマフラーは貰っているので、『持ち物』の中には冬用の防寒具で一杯だ。
けれど、嬉しかった。
思っていた以上に、そのプレゼントは嬉しかった。
「ああ、大事に使ってくれ! 俺も大事に使う!」
大事に使ってくれという言葉に、僕は少しだけ――
逆の立場だと動かなかった心が、いま確かに揺れた気がした。
「ディアー、私の分はないんですか?」
ひょいっと僕の背中からマリアが顔を出して、もう一つ要求する。
それにディアは申し訳なさそうな表情で、首を振る。
「悪い、マリア。一つだけで精一杯だった。けど、同じのならすぐに出来ると思うぞ。いまから、作ってやる!」
「なら、それはまた今度の楽しみですね。いまから夕食ですので、ディアは運ぶのを手伝ってください」
ディアが一つ完成させたのに合わせて、丁度マリアも料理を終わらせていた。
夕食のメインは、新たに得た調味料をふんだんに使った肉料理だ。そこにサブの魚料理・スープ・サラダ・果物などが揃って、フルコースとなっている。
ざっと見たところ、四人分以上あるように見えた。
その豪勢な食事に、ディアは驚きつつも心配する。
「おー、すごい量だな。……でも、これ余らないか?」
「大丈夫です。もし余っても、保存方法は色々ありますから、そこは気にしないでください」
今日はパーティーのつもりで過剰に作ったのだろう。
マリアは余るのを前提に話したが、スノウと僕は首を振る。
「私がいるから大丈夫だよー。滅茶苦茶食べるよー」
「最近、僕もいくらでも食べれるようになったから、残らないと思うよ。……レベルが上がると、燃費が悪くなるっぽいね」
身体の大きい二人で否定しつつ、食事をキッチンから運んでいく。
リビングの大きな机の上は、多種多様な編み物道具から多種多様な料理に置き換わっていく。
そして、その配膳の終わり際、僕の作ったデザートも机の中央に置かれる。
それを見たディアは首を傾げながら、説明を求める。
「で、さっきから気になってたんだが……、これ何だ?」
「デザートだね。僕の渾身の一作だよ」
「デ、デザート?」
説明されても、まだディアの疑問は尽きない。
無駄にリアル志向で、お菓子とわからない完成度の龍の模型が、大皿の上に鎮座しているせいだ。
そこまで龍のサイズは大きくない。
しかし、大皿には、大地と草木を模したクッキーや抹茶が敷き詰められている。
さらに、そのお菓子の地面には、豪奢な剣を模ったアイスシャーベットが突き刺さっていて、それを引き抜こうとする人型のチョコ(ローウェン似)もある。
ぶっちゃけると、お菓子の
「食べにくそうだな……。どう手をつければいいんだ? そもそも、これは壊していいのか?」
「彩りを楽しみ、崩して楽しみ、食べて楽しむ――ってコンセプトだからね。もちろん、壊していいよ!」
「もちろんって言われても、カナミ……。それ、『地の理を盗むもの』の人形だよな? 知ってる人を壊すのは、ちょっと気が引けるぞ」
傑作を前にして、かなり僕はテンションが高かった。
対照的にディアは、ずっと困り顔のままである。
マリアと違って、ディアは喜んでくれると思ったが、その目論見は外れてしまっていた。
若干引いてしまっているディアの肩に、マリアは手を置く。
「いつものカナミさんの天然ボケは放っておいて、早く食べましょう。冷めますよ」
「……ああ。これは真面目に考えると、頭が痛くなりそうだ」
「魔力お化けのカナミが作ったせいか……食べたら、なんか起きそうだよね。加護がありすぎて、うかつに食べるとバチが当たる気がする。無駄に芸術的だから、大聖堂にでも祀る?」
評価は散々で、みんなの興味は
大絶賛とまではいかなくても、もう少し喜んでくれると期待していた僕は、肩を落とす。
意気消沈しながら椅子に座り、手を合わせる。
「いただきます……」
僕の萎んだ一声に、みんなの元気な「いただきます!」が続いていく。
まずマリアがメインディッシュの肉料理を切り分けていき、それをディアとスノウは口に含んでいき、今日最高の笑顔になっていく。
「お店よりも、美味い……! 流石、マリアだなっ」
「いつものごはんと違って、なんかピリってしてる! ――おかわり!」
スキル『料理』を得たマリアの料理は、大絶賛だった。
みんなに遅れて、僕も肉を口に頬張る。
途端に肉汁が口内で広がっていき、幸福感に包まれた。初めての香辛料も上手く使い、絶妙な配分量で肉の旨みが引き出されている。
完敗だ。
マリアの料理勝負は受けていないけれど、勝手に敗北感を覚えて、僕は他の料理にも手をつけていく。
ディアたちも手が止まらないようで、食べ切れないと思っていた料理たちが、瞬く間になくなっていく――のだが、僕のデザートは悲しいことに、ほぼ無傷のままだった。
チョコで出来た地面の部分は軽く手をつけてくれているが、龍とローウェン(お菓子)が崩れる気配はない。
このままだと本当に大聖堂で祀られるルートに入りそうな気がしてきたので、自分でスプーンを突き立てて、
そんな愉快な夕食の最中、僕たちはそれぞれの近況を語っていく。
ディアは楽しげに、フランリューレと喧嘩する毎日を。
スノウとマリアは仲良く、四大貴族ウォーカー家での毎日を。
僕は自慢げに、街のどこに自分の手が入っているかを。
他愛もない話を、夜まで僕たちは続けた。
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