334.旗持ち



 大聖都。

 千年続くフーズヤーズの歴史の中、過去最大となった首都。

 その街道を私は歩いている。


 薄暗い道だ。

 ずっと街を照らし続けていた『魔石線ライン』の光は全て消えた。

 同時に、大聖都の繁栄の輝きも消え失せている。

 生活の根幹となる機能ライフラインが途切れた上に、あのフーズヤーズ城の陥落だ。ときおり、避難に遅れた国民とすれ違うが、誰もが初めての恐怖に顔を青く染めていた。もう何百年も戦火から遠ざかっていたから無理もないだろう。北と戦争はしていても、その影響が大聖都ここまで届いたことは一度もなかったのだから。


 煉瓦作りの街並みを進み、いくつものアーチ状の橋をくぐり、政庁や時計塔といった建物の前を横切り、目的のフーズヤーズ城へと近づいていく。途中、避難を促す騎士に呼び止められたが、自分の名前を告げて通して貰った。


 城前の大きな坂を上り切る。

 その先に待っていたのは戦地と呼ぶしかない光景だった。


 フーズヤーズ城前の家屋は例外なく、崩れ倒れていた。どこに目を向けても鮮血の跡があり、鼻が曲がるほどの血の臭いで一杯だ。


 家屋が機能していないため、野営用のテントが数え切れないほど街道に張られていた。その中から負傷したであろう軍人たちの呻き声が聞こえる。絶え間なく続く戦いのせいで、治療が追いついていないようだ。


 そのテント群の前方では、崩れた家屋の残骸を利用して、応急の防壁が作られていた。その下には塹壕が魔法で掘られている。


 もうここまで来ると、青ざめた顔の一般市民は一人も居ない。

 緊張と殺意の混じった顔ばかりが並ぶ。

 物々しい鎧を着ているのは騎士で、比較的軽装なのはギルドを本拠とする冒険者だろう。正規の軍だけでなく、フーズヤーズが傭兵として雇っている人間も多い。


 その戦場の中を、私は憮然と進み、最前線の戦況を遠目で確認していく。


 フーズヤーズ城を囲む川・橋・街道は、全てが例の血――『血の理を盗むもの』の血に呑み込まれていた。

 さらに、いまもなお、どろどろとした血液が生き物のように蠢き、範囲を広げようとしている。

 騎士たちは隊列を組んで、魔力を当てることで拡大を押し留めているのが見える。


 その魔法壁といい、何重にも並ぶ防壁といい、たった一日で形成させたとは思えない見事な防衛網だ。


 『元老院』たちという頭がなくなっても、ちゃんと軍隊という身体は動けている。改めて、今日のこのフーズヤーズ国の造りが、過去千年で最高のものであるということがわかる。


 ただ、残念なことに侵略中の敵も過去最高だ。

 この敵は下手をすれば、たった二人でありながら『北連盟』という国の集合体を超える。


 まず、とにかく単純に数が多い。

 血の拡大を止める作業を邪魔しようと、襲い掛かってくる『血の人形』は数え切れない。

 ただ、まだ『血の人形』は比較的対処がしやすいほうだ。特殊な性質を持ってはいても、大聖都の兵士たちのほうが質が高い。魔法壁の前に出ている騎士たちでも、一対一で問題なく倒せる。


 問題は、例のおぞましい形状の『何か』たちだ。

 もはや、形容する言葉も呼称も思いつかない化け物は、見るだけで常人を圧倒する。

 これに対して、フーズヤーズ軍は遠距離戦闘を徹底し、さらに複数パーティーで応戦をしていた。


 距離を取り、複数人で囲み、遠距離魔法だけで攻撃する。

 その遠距離魔法を使う兵士の心を保つ為に、その更に後ろで仲間が精神安定の回復魔法を放ち続ける。その更に更に後ろでは、決して『何か』と接近戦にならないように、指揮官格リーダーが位置取りを指示し続ける。


 即席にしては中々いい対応だが、それでも『何か』を倒すことはできない。

 削り、足止めをして、そこまでだ。

 そして、その僅かな戦果に対しての損耗が激しい。『何か』一匹を抑えるのに十人の精鋭たちを使い、その内の数人が心か身体に致命傷を負ってしまう。


 分が悪いどころではない。

 じり貧だ。時間と共に防衛線が後退していき、数日あれば大聖都全ては血に呑み込まれるのは明白だ。周囲の顔を見渡す限り、ほとんどの指揮官格たちが、それを覚悟していた。


 そもそも、ほとんどの兵士たちが、自分たちは一体何と戦っているのかわかっていない。

 どうして戦いは始まったのか、どうすれば戦いは勝利になるのか、いつまで戦えばいいのかもわからない。

 この戦いで最も問題なのは、これ・・が戦争かどうかも不明瞭なことだ。

 識者によって革命クーデターが起きたわけでもなければ、他国の少数精鋭ゲリラと戦っているわけでもない。もっと別の――未知の敵。

 未知わからないというものは、それだけで人を恐怖させ、魔力と体力よりも大切な士気こころを削る。


 そして、かわいそうな話だが、この一日目はまだぬるい段階で、本当の絶望は二日目からだ。明日からは今日死んだ仲間たちが敵に回り、更に戦力差は広がるだろう。二日目よりも三日目、三日目よりも四日目。一度広がった差は二度と埋まらなくなる。


 ――そんな一縷の望みもない戦いの中、いま、また一人の兵士が死にかけるのを私は目にする。


 応急の防壁の前にある魔法壁、その前で戦う兵士。

 血に染まった地面を走り、遠距離から魔法を撃ち続けていた男が、急接近してくる『何か』に捕捉されてしまった。

 敵から臓物に似た触手が伸び、堪らず男は恐怖で悲鳴をあげかける。


「――っ!!」


 私は駆け出した。

 崩落した街とテントの群れを合間を抜けて、塹壕と瓦礫の壁を飛び越えて、最前線に身を投じ、空中で魔法名を叫ぶ。


「――《ライトロッド》!!」


 自分の最も得意とする武器を形成した。

 最前線で戦う全員に見えるように、光り輝く杖を高く掲げ、血の池に着地すると同時に勢いよく振り下ろす。


 目標は、いま一人の兵士を殺さんとしていた『何か』だ。


「――《ライトアロー》!!」


 そのおぞましき肉を叩き潰した瞬間、杖の先から魔法を放つ。

 『何か』は気泡が破裂するかのように爆発四散し、血の池に還っていく。いかに凶悪な『血の理を盗むもの』の眷属とはいえ、『光の理を盗むもの』の全力の一撃には耐えられなかったようだ。


 同じ『理を盗むもの』としての面目を保ったところで、いま私は死にかけた男に声をかける。


「もう大丈夫ですよ」

「せ、聖女様……?」


 男は私の登場に身体を震えさせていた。

 死を免れた安堵か、私の光に目が眩んだか、どちらか判断はつかないが、いまにも倒れそうなほどに身震いしている。


 そして、私の登場によって、最前線で戦っていた兵士たちの顔色が変わっていく。


「聖女様……? 聖女様だ。あの聖女様が帰ってきた……」

「どうして、ここへ……?」

「なっ……? 確か、さらわれていたのでは……?」


 乱戦だった戦場が、僅かな時間だけれど確かに静止する。


 私の《ライトアロー》の魔力の奔流を感知し、『血の人形』たちは身構えた。『何か』たちも、目前の敵でなく私に注目した。もちろん、フーズヤーズの兵士たちも全員、この夜戦の中、唐突に降り注いだ光の粒子に目を奪われた。


 予定通り、私は慣れた手順で私は周囲を鼓舞していく。


「いま、光を届けに来ました。ここからはわたくしがみなさんを導きます……」


 まずはゆっくりと、落ち着かせるように、声を通す。

 この一言目は聞ける人が聞ければいい。


「聖女様! 助かります……!! どうか、またみなの治癒を! 負傷者がっ、後方に大量にいるのです……!」

「い、いや! まず街の『魔石線ライン』の復旧を先に!」

「ああ! その力で我々を救ってください! この気持ちの悪い化け物どもを、どうか!!」


 近くの兵士たちが私に助けを乞い始める。

 その声が、さらに遠くにいる兵士たちへと届き、希望は伝播していく。


 戦場全体が、いま私が煌かせた光の正体を勝手に推測していくことだろう。

 休みなく戦い続け、限界を迎えかけていた兵士たちの心は、対して明るくもない私の光を『聖なる光』のごとく崇める。

 それが私の一番の狙いだ。


「聖女様! お待ちしていました! あなたの光をっ!!」

「ああっ!! ノスフィー様の光ならば! きっと、この穢れた血をなんとかしてくれる!!」

「ノスフィー様だ! ノスフィー様が来てくれたぞ――」


 中には私の名前を叫び続け、祈り始める兵士もいた。

 お父様を迎え撃つための一つの手札として始めた聖女だが、ここに来て最大の力を発揮している。短い期間だったが、大聖都で不治の病を治して回ったのは大きかったらしい。そういえば、『魔石線ライン』を使って国全体の魅了もやった気がする。


 自分でやったことながら、眉間に皺が寄る。かつて、友ティティーが嫌いながらも拒みきれなかった『期待』というものが、重く、全身にのしかかってくる。


「みなさん、落ち着いてください……。ええ、もう大丈夫です……」


 が、それを私は笑って、受け入れる。


 ティティーと違って、私は大人だ。

 もういい子でいるのはやめている。いくらでも悪いことができるのだ。この期待に馬鹿正直に応えて、潰れる気はない。大人らしく、利用してやると決めている。


「――魔法《ライト》! 《ライトフィールド》! 《光の御旗ノスフィー・フラグ》!!」


 魔力で大きな大きな光の布を構築し、それを全力で発光させる。

 以前は、言われるがままに掲げた旗を、今度は自分の意志で空に、はためかせる。


 同時に、泡が膨らむように光の結界が広がり、乱戦の中にいた敵たちの動きを阻害した。

 私に残された魔力のほとんどを使い、少しの演説の時間を稼ぐ。


 もちろん、そこには精神に干渉する《ライトマインド》や、自前の魅了の魔力も乗せている。私のエゴで利用する為、味方の心も弄りに弄り倒していく。


「ええっ!! このわたくしがいます! いま、共に戦います! だから、どうか諦めないでください! 心だけは、どうか負けないでください!!」


 なによりもまず、祈り始めた兵士たちを叱咤する。

 言外に、祈る暇があれば私のために戦えと。


「いいですか!? ただ祈るだけで救われるなんて、この世には絶対ありません! 祈るだけの者を救うだけの存在なんて、そんな都合のいいものは存在しない! 自分自身が! あなた自身が! その身の力で、前へ前へ! 前へ進むことだけが! この地獄の中にある唯一の救いなのです!!」


 戦場で両手を合わせていた兵士たちは、びくりと身体を跳ねさせた。祈るだけでいいなんて楽なことはないという現実に返り、その顔を歪ませていく。


「この世界には逆に! その祈りを利用し、嘲り、弄び、食らい、笑う者がいる!! 生き残りたいのならば、決して祈ってはならない! その手を握りこみ、その足で歩き、その魂で、その運命と戦わねばならない! 戦うことだけが唯一の生きる道!! 人の生きる道なのです!!」


 それは真っ当で月並み過ぎる激励だった。

 当然、その私の普通の叱咤を聞き、奇跡を期待していた戦場の兵たちの間に落胆の色が見え始める。


「そう、一人一人の力こそが運命を切り拓く……。ゆえに、わたくしにできるのは、手助けをすることだけ……。わたくしに手を伸ばすあなたたちに、光を照らすことだけ……。この暗すぎる夜の道に、微かな明かりを……――!!」


 この激励は百人に作用すれば、いいほうだろう。

 言葉なんて、戦場では何の意味も持たないことのほうが多い。

 それはわかっている。


 しかし、代わりに。

 私の『光』は全員に――万人に届く。

 私の声や姿は届かずとも、この『光』だけは――戦場全体に届き、『奇跡』を起こす。


 そう、『奇跡の光』。

 それが聖女として成立する為の一歩目であり、瓦解寸前の軍隊の主導権を奪う裏技であると、誰よりも私は知っていた。


 私は全力で魔法《ライト》に魔力をこめる。


 自分の使える全ての強化魔法を光に乗せて、最前線にいる全兵士の身体を侵食していく。

 肉だけでなく血の中に入り込み、そこに刻まれた魔術式を叩き起こして、稼動に必要な魔力を潤滑油のように注ぎこむ。もちろん、そこには回復の神聖魔法も乗っている。世界最高の《キュアフール》や《リムーブ》、『光の理を盗むもの』による『代わり』の力。なによりも、精神干渉と魅了による虚構の希望が、戦場に染まった落胆の色を一瞬で塗り変えていく。


「こ、これは……!?」

「全員の傷が癒えていく……!! こんなことが、本当に……!?」

「ああ、やはり……! やはりやはりやはり! 聖女様は聖女様だ……!!」


 これだけ言っても、まだ手を合わせているやつもいる。

 まあ、いつものことだ。

 ちょっとした懐かしさの中、私は千年前とそっくりそのままの言葉を繰り返していく。


「もう闇を恐れることはありません! 光ならば、わたくしが照らします! いまっ、我らの心には、フーズヤーズのほのおが灯りました! その全ての灯は絡み合い、聖なる太陽となり、あの穢れた血を燃やし尽くすことでしょう! フーズヤーズの雄志の魂が、化け物たちに負けることなど! 決してありません!!」


 私はありもしない力を喧伝し、詐欺を働き、扇動を加速させる。

 戦場では些細な勘違いが死を招くと知っていながら、その思い込みを膨らませていく。


「あ、ああっ! 聖女様の言うとおりだ! フーズヤーズの誇りにかけて、恐怖で退くことだけはするものか!!」

「前へ前へ前へ、進むぞ!! あの穢れた血共は、この俺が残さず消し尽くしてくれる!!」

「ああ、ノスフィー様! どうか、見ていてください!!」


 私の檄を受けて、全兵士が動き出した。

 剣を握り直し、魔法を編み直し、本来ならば戦えない敵たちに向かって雄たけびをあげて向かっていく。


 ああ、本当に……。

 誰も彼も、みんな馬鹿だ。大馬鹿だ。

 かつてフーズヤーズを捨てた私を聖女と呼び、この穢れに穢れた光を見て、目を細め――馬鹿みたいに信じる。


 いつの世も、群集というものは脆く愚かで救い難い、

 が、いまはそれでいい。

 その馬鹿な群集を、私は利用させて貰う。

 お父様へ続く道を作る為、犠牲にしてやる。


 ――だから、倒れそうになった者がいても、私は絶対にリタイアは許さない。


「ええっ、前へ進みましょう! このわたくしの『旗』が、道を照らします!!」


 私も先導しようと動き出すが――その前に一人、私の詐欺にかかった血気盛んな若者が戦列を大きく飛び出した。


 私の精神干渉を受け過ぎて、戦意が暴走したのだろう。考えなしに敵軍の前で、その全ての魔力を解き放った。

 当然だが、若者は気力、体力、魔力、全てを空っぽにして、満足そうに気絶しかける。

 本当に馬鹿なことに、国のために尽くせたことを誇りにして、その人生を終わろうとしている。


 ――そんなことはさせない・・・・・・・・・・


 すぐさま私は旗の光を経由し、その若者に魔力を流し込む。

 さらに体内の血を乗っ取り、彼自身の神聖魔法で自己治癒をさせる。

 足りない気力と体力は私が『代わり』に支払う。

 背中を潰されるかのような疲労感に私は襲われながら、叫ぶ。


「まだです! まだ諦めてはいけません! 最後の一瞬まで戦いましょう! その背中には、あなたたちの家族が! 大切な人たちがいるのでしょう!? それを忘れてはいけません!! 決して、倒れてはいけません!!」


 若者は限界を迎えた身体が活力で満ちていくのを感じて、体勢を持ち直す。

 そして、後ろを振り返り、私を見て、薄らと涙を浮かべつつ、頷いた。


「――は、はい!!」


 『光の理を盗むもの』の加護を得た若者は、戦闘を再開させた。その一部始終を見ていた周囲の兵士たちは、また「奇跡だ」と呟き、その士気を高めていく。


 そして、その高まる士気に呼応するかのように、兵士たちの魔法が全て、何倍にも強化されていく。


「ま、魔法が……! 調子がいい……!? こんなに凄い魔法、初めて使った……!!」


 一人の兵士が自らの過去最高の魔法を手の平から放ち、感動で震えた。


「力が湧く……! 体が軽い……!!」


 一人の兵士が自らの過去最高の動きに笑みを深め、感動で震えた。


 当然だろう。

 いま私は全兵士の『代わり』となっている。

 つまり、その魔力と体力は無限だ。さらに今朝、お父様と戦うために集めた『経験値』も、きっちりと『レベル』に変換している。


「いける! いけるぞ! このまま一気に城まで――くっ!!」


 ただ、中には自らの力を測り間違えて、致命傷を負う者もいる。先ほどの若者と似て、また血気盛んそうな男だ。男は『何か』の触手に腹を貫かれて重傷を負った。


 ――彼の死は目前だ。


 若者の心に灯った幻想の焔が消えかける。その前に、私が『代わり』に重傷を負い、後方から声をかける。


「――くっ、ぅうっ! 馬鹿ですか、あなたは! 勇敢と蛮勇を勘違いしてはいけないと習いませんでしたか!? あなたはあなたのできることをやりなさい! 死ぬことなく、あなたの最大を果たしなさい! それがひいては、みなのためになります!!」

「は、はいっ!」


 すぐに若者は後方へ下がり、自らの本来の役目に戻っていく。その最中、自らの腹に手を当てて「いま、傷が……」と呟いていた。


 私は頭がどうにかなりそうな痛みを振り払うように、また叫ぶ。


「いま、フーズヤーズには! この光り輝く『旗』が立っています! 掲げられ、皆を見守っています! 傷は全て! 魔力も全て! 恐怖も全て! この旗が払ってくれることでしょう!!」


 戦いが一秒進むごとに、負傷者は増えていく。

 その全員を、一人も余すことなく、私は助ける。


 ――全てを『代わり』に私が支払う。


 その仕組みに兵士たちは少しずつ気付き始める。

 傷を負っても一瞬で回復し、常に身体は強化され、MPは切れず、心は激励され続けるのだ。


 当然、その奇跡のように都合のいい現象は、全軍を勢いづかせる。

 言葉にならない歓喜の咆哮が、



「「「――――――――――――――ッッ!!!!」」」



 フーズヤーズ城の前で爆発した。


 そして、後退するだけだった防衛線が、いま前に進み始める。


「――さあ、反撃です! 道はわたくしたちが切り拓きます! 続いてください!!」


 その好機に合わせて、私は叫ぶ。ここまで来ると、もう叫ぶのが仕事だ。それと、大きく旗を振るのが仕事。

 いま、兵士たちの心が一つになっていくのを感じる。


「よし!! シス!! ラスティアラ・フーズヤーズ!! スノウ・ウォーカー!!」


 お膳立ては終わった。

 私は満を持して、仲間たちの名前を呼ぶ。

 すると私の後ろで待機していた三人が横に並んでくれる。ただ、その中でディアさんだけは不満そうに口を尖らせていた。


「ノスフィー、その名で俺を呼ぶな……!」


 もうシスという名前は使いたくないみたいだが、そこはネームバリュー的に我慢して欲しい。その旨を、隣のラスティアラが私の代わりに説得してくれる。


「ディア、士気を少しでも上げる為だから……」

「う、うぅ、でも……! もう俺はなぁ……!」


 そこに逆隣のスノウさんが近づき、手と手を触れ合わせた。


「ディア、大丈夫だよ。……怖かったら、私が手を握ってあげる」


 この場で最も怖がりであろうスノウさんの激励を受けて、ディアさんは不満を呑み込んでいく。


「……スノウ、ありがとうな。わかってる。こんなところで俺たちは立ち止まってられない。もう俺たちは一人じゃない。心が孤独じゃない……!!」

「うんっ! えへへ……」


 いまさら名前一つに負けるものかと、ディアさんは意志を固め直し、手を強く握り返した。


 それをラスティアラは嬉しそうに見守り、更にその三人を周囲にいる兵士たちが見る。

 兵士たちの中、隊長格と思われる一人の騎士が、スノウさんの顔を見て心底驚き、声を漏らす。


「そ、総司令代理殿ですか……!? 前線を退いたと聞いてはいましたが……。どうして、大聖都へ……? ま、まさか、これを予期して……」


 予期などできるはずがない。

 しかし、スノウさんは肯定するかのように、騎士の前に立った。


「……うん、来たよ。だから、もう心配しないでいい。私たちが来た以上は安心。この背中を見ててくれるだけでいい。続いてくれるだけでいい」


 そして、その背中から竜の青い翼を広げ、雄々しく『竜の風』と『竜の咆哮』を放つ。


「――この私、スノウ・ウォーカーが敵は全て打ち倒す!!」


 雄々しい風が吹く。

 スノウさんは頼りたい人の心理をよく知っている。総司令代理だった頃のように、決して揺らがない巨木のような安心感を周囲に見せつけた。


 騎士はスノウさんの勇姿に身体を震わせ、続いて隣で手を繋いだディアさんにも聞く。


「し、使徒様も……我らの総司令代理殿と共に戦ってくれるのですか?」

「あ、ああっ。俺はノスフィーに……いや、私は聖女様に導かれてやってきた。伝説の使徒は、いつだってフーズヤーズの味方だからな――」


 そして、大きな深呼吸のあと、スノウさんに負けないように声を張り上げていく。


「――この使徒シス! 我が故郷の一大事と聞き、馳せ参じた!! 今宵、貴殿らはレヴァン教の奇跡を目にすることだろう! 我こそは千年の伝説、英雄たちの道しるべ! この使徒の燐光を浴びて、その雄々しき姿を世界に見せるといい!!」


 明らかに演劇からの引用の台詞をディアさんは叫び、同時に背中から光り輝く翼を広げ、失った手足から光の粒子を迸らせる。戦闘態勢に入っただけで、夜空を彼女の神々しさが覆い尽くした。


 いい登場だ。

 明らかに戦場の注目が集まった。

 乗じて、私は台詞を足す。


「ウォーカー総司令! 使徒シス! 二人で兵士たちを先導して、右方に回ってください! 『元老院』たちのいない今、あなたたちより上はいません! しっかりとお願いします!!」


 全てを統べる『光の御旗』として、二人に指示を出す。


「ええ、かしこまりました。我らが聖女よ」

「ノスフィー、貸しだからな。あとで返せよ。あとで、ちゃんと……」


 それにスノウさんは恭しく、ディアさんは正直に、別れの言葉を残して、戦場を歩き出しした。注目した兵士たちの前へ、英雄のように躍り出ていく。

 その背中に向かって、私は答える。


「ええ、あとで」


 そのとき、もう私はいないだろうが、必ず貸しは返すと誓う。

 そして、すぐに私は残った三人目にも指示を出す。


「ラスティアラは左方をお願いします。ちゃんと『現人神』っぽく、お願いしますね」

「ノスフィー……、いまの・・・……」


 ラスティアラは顔を俯け、私の名前を呼んだ。

 どうやら、いまのディアさんとのやりとりで、元々薄らと予期していたことを確信してしまったようだ。


「ラスティアラ……。わたくしは千年前の伝説の『御旗』。このとき、こういう状況でこそ、私は誰よりも輝けます。だから、どうか今日はお姉ちゃんに任せてくれませんか……?」


 対して、私は大人らしく、彼女の姉らしく、あやす。


「……うん、任せる。お姉ちゃんはお姉ちゃんのやることを、私は私のやる・・・・・・ことをやる・・・・・


 問答の時間はないとわかっているラスティアラは、素直に頷いてくれた。

 いや、頷くしかなかった。


 こうして、しっかりとお互いの役目を確認したところで、さらに私は仲間を呼ぶ。


「セラ・レイディアント! ペルシオナ・クエイガー! 『現人神』を守護する真の騎士たちよ! わたくしの妹を頼みます!!」


 後方から『魔人化』した二人が現れ、騎士の礼をとったあとにラスティアラの横につく。


「ああ、言われずとも……」

「ノスフィー様、必ず期待にお応えします」


 その二人の騎士を連れて、ラスティアラは歩き出す。

 腰の剣を抜き、「予定通り、また中で」と私に一言だけ残し、左方の敵の群れの中に突っ込んでいく。

 当然、その最中、彼女も劇のように謳う。


「――私は! レヴァン教の『現人神』ラスティアラ・フーズヤーズ!! ティアラ・フーズヤーズの意志を受け継ぎし、今代の『聖人』! このフーズヤーズの名に賭けて、我が城を愚弄する輩を排除する! 騎士よ、私に続け! これより、左翼の指揮は私が取る!!」


 その唐突な上官の登場に、兵士の中にいる騎士職の人間は動揺しつつも、顔を明るくしていく。


「連合国の『現人神』に、『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』……!?」


 指揮官級の――貴族生まれの騎士ほど、その実力をよく知っているのだろう。

 自分たちの代表となる騎士の登場に、流れの変わる瞬間を感じたようだ。打ち止めかのように見えた士気が、限界を超えて上昇していく。


 それを確認したあと、まだまだ私は仲間を呼ぶ。


「――『魔女』!! 『死神』!!」


 そこまで名前は有名でないので、大聖都での通名を叫ぶ。


 そして、私は地面に手をつき、自分の影に隠れていた二人を引きずり出す。

 黒衣を――リーパーさんを纏った臨戦態勢のマリアさんだ。


 二人は周囲に気を使い、確認を取るように聞いてくる。


「……本当に私も姿を見せてもいいのですか?」

「余りいいイメージないからねー。アタシたち」


 数日前まで、彼女は私を誘拐した下手人として扱われていた。多くの騎士や兵士たちにとっては敵扱いだろう。


「そうですね。しかし、こういうものは宣伝の仕方次第です。あなたたちは私の説得で改心したという体でいきます。……そのためにも、僅かですが私の魔法を、その身体に許して貰えますか?」


 マリアさんを演出する為の下地はできている。

 あとは少し光を足せば、フーズヤーズ軍の一員であることは証明できる。


「……いまさら、確認は要りませんよ。この想いを『代わり』にあなたに預けたということは、全幅の信頼を置いたということです」

「信頼してるよ、ノスフィーお姉ちゃん! アタシの想いも、ちゃんと届けてね!」


 それは些細な和解と協力だったが、身体の芯まで歓喜が染みていく。

 いくらか痛みが和らぐのを感じながら、私は信頼に応える。


「ふふっ、では――遠慮なく。輝け、私の光を背に、誰よりも前へ。――《ライト》」


 口にしたのは《ライト》一つだが、その中には多種多様な強化の魔法も含んでいる。

 黒い太陽のようだったマリアの周りに、太陽のかさ――光の輪がかかる。


「あなたたち二人は予定通り、単独で城の後方に回り、別の入り口を空けてください。そのまま、ファフナーの背後をお願いします」

「ええ、聖女様。あなたの仰せのままに」

「がんばるよー!!」


 別れを済ませたと同時に、マリアさんは駆け出した。

 すぐさま私は、彼女の背中にある光の暈を強調する。


「みなさん! いまから私の友マリアが、フーズヤーズの川を消します!! 我が光を乗せた浄化の炎が、あの忌々しい堀を無力化します!!」


 マリアは騎士たちを先導することもないので、すぐ城を囲む川まで辿りつく。

 そこにはおぞましい『何か』たちが待ち構えていたが、私の精神干渉を受けている彼女は何の動揺もなく魔法を放った。


「「――共鳴魔法《フレイムライト》!!」」


 それは味気ない命名だったが、効果は絶大だった。


 火と光。

 それぞれの『理を盗むもの』の本領を、見事共鳴させた魔法が奔る。


 『火の理を盗むもの』特有の白い炎が、私の魔力でさらに白く染まっていた。

 それは炎の形をした光か、光の形をした炎か。境界は存在しないとしか思えないほど混ぜ合わさった『光の炎』が、血の川を這って広がる。さながら油に灯った炎のように、それは一瞬でフーズヤーズの外周全ての川を覆っていく。


 川の水気が全て蒸発していき、干上がった。

 もちろん、その上にいた『血の人形』たちは一瞬にして消失した。おぞましい『何か』たちも苦しみ始めている。なにより、凄まじいのは――


「なんて炎……いや、光……!!」

「この光は……!? き、奇跡だ……」

「この暖かい光に、あの化け物共が怯んでいる……!?」


 それを近く見る騎士たちは口々に「奇跡」を呟く。

 なにせ、これだけの豪炎を前にして、誰もが熱さを感じていないのだ。『何か』たちは『光の炎』に襲われ苦しんでいるというのに、逆にこちらは『光の炎』に触れると活力が漲ってくる。


「あれは、地下の『死神付きの魔女』……!? 味方なのか……!?」

「ああっ、間違いない! ノスフィー様の光が彼女を味方にしてくれたのだ……!!


 まさしく、邪悪を排し、人々を救うための聖なる魔法。

 その『光の炎』の主であるマリアを、敵とみなす者はいなかった。先のノスフィーの友人発言を聞かずとも、見ただけで味方であると兵士たちは認識している。


 演出は上手くいったようだ。

 それをマリアも感じたのか、もう後ろを振り返ることなく、干上がった川をリーパーと共に駆け抜けていく。


 その背中を見送ったとき――私の前に一体の『血の人形』が迫ってくる。


 どうやら、指示を出している間も立ち止まらずに前へ進み続けていたため、最前線の中の最前線まで辿りついたようだ。


 眼前で『血の人形』が手を振り上げ、血の剣を私に振るってくる。

 しかし、私は歩みを一切止めず、防御も取らない。


「――《ゼーアワインド》!!」


 私が手を下すことなく、膨大な風が横から叩きつけられ、『血の人形』は吹き飛ばされた。それを当然とでもいうように、私は仲間の最後の一人の名を呼ぶ。


「では、騎士ライナー・ヘルヴィルシャイン。あなたはわたくしに付き従いなさい。『血の理を盗むもの』を仕留めるのはあなたですよ?」


 指示を出すと同時に、演出待ちをしていたライナーが兵士たちの中から姿を現す。


「ああ、了解だ。かの大英雄の騎士として誓おう。我が主の愛した聖女様の望み、必ず叶えてみせる。この誇りに懸けて」


 その会話の間も、私は無防備に歩いていく。

 そして、防衛線の先頭に立った。


 当然、私を襲う敵は増えていく。

 が、その全てをライナーが横から魔法で打ち払っていく。


「――《タウズシュス・ワインド》!!」


 戦いの些事は全て彼に任せられそうだ。

 これで私は先頭を歩きながらも、『光の御旗』であることに集中できる。


 旗を掲げ、戦場全体の声を拾える。


「これが連合国で噂されるヘルヴィルシャインの騎士の力……!? なんて、風だ……!!」

「聖女様が連れて来てくださったのだ……。ウォーカー司令も『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』も、使徒様も『現人神』様も、このフーズヤーズまで……!」

「ああ、レヴァン教の伝承通りだ……。世界フーズヤーズの危機に使徒様と聖人様が揃い、それを『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』たちが守護する……! 我々には天が味方してくれている……!!」


 信仰が広がっていく。

 最前線だけでなく、陣の後方や側面にも『光の御旗』の存在は知られていく。


 私の光の範囲は国一つを呑み込む。つまり、テントで治癒中だった者も、避難していた市民たちも、例外なく全員だ。全員が私という『光の御旗』を、自らの総大将と認めてくれたのがわかる。


 ただ、その『頂点』に立った『代償』は大きい。

 戦場のありとあらゆるものを『代わり』に受け、全身が軋み――痛む。


 まず軽く、千の剣が私の肉という肉を刻む感覚があった。さっと皮膚が裂けて、ぷつりと筋が断たれ、ぱっくりと肉が開き、どろりと赤黒い血が流れて、ぎりっと痛みが奔る――のが千箇所。全身を隈なく、絶え間なく、容赦なく責めたててくる。

 さらには、塩を塗った鋸を引き、焼けた釘を打ち、返しのついた茨に啄ばまれような――多種多様な痛みが次々と追加で襲ってくる。限界前の認識できなくなる手前のそれが、延々と脳内を駆け巡る。


「はぁっ、はぁっ……!」


 現実として、先ほどから出血箇所が一秒毎に十箇所ほど発生していた。

 即座に魔法で回復してはいるが、追いつくはずもない。骨折や内出血は後回しにして、とにかく表面だけは全快であるように見せることに努めるので精一杯だ。


 はっきり言って、もう私の臓器の半分は動いていないだろう。それでも動けるのは『半死体化』しているおかげだ。壊れて腐った肺や心臓の代わりに、モンスターの臓器が動いている。人ならざる生命力で、なんとか血を全身に巡らせているのだ。


 もちろん、それだけで私が生きている理由は説明しきれない。


 ――いま私が動ける理由の答えは単純。


 それは私の心に、いま、歴代の『理を盗むもの』の中で最高最大の『未練』がある。だから、死なない。


 私はラスティアラ・ディアさん・スノウさん・マリアさん・ライナーの全員から、『お父様を助けたい』という『未練』を、『代わり』に貰った。

 『未練』の大きさが強さに関わる『理を盗むもの』にとって、これ以上の強化魔法はないだろう。そして、これこそが『光の理を盗むもの』の真骨頂であり、『光の理を盗むもの』が完成形である理由だと私は確信している。


 いま私は痛みだけでなく、万を超える人々の恐怖も一身に背負っている。

 だが、決して私は私を見失わない。


 たとえ、生物としての本能的恐怖が頭の中を埋め尽くしても。

 頭が狂いに狂って思考一つ許されなくなっても。

 私という魂が崩れて壊れたとしても。

 『お父様を助けたい』という『未練』だけは消えず、『光の理を盗むもの』は動く。


 『未練』一つだけのために、身体が死んでも、心が死んでも、なお動く。

 それが『理を盗むもの』というもの――


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」


 私は私の力の源を再確認しつつ、ゆっくりとゆっくりと歩く。


 背後の信者たちから近過ぎず、離れ過ぎずの距離でなくてはならない。

 出血箇所が増えすぎて、そろそろ表面すらも保てなくなってきたのだ。服の下から滲む血が身体を伝っていき、地面の赤に混ざっていく。


 戦場が血まみれのおかげで、なんとかもう少しだけ誤魔化せそうだが、急がなければならない。


 私は必死に耐えて耐えて、なんとか大橋の前まで辿りつく。

 城まであと少しだ。

 ただ、当たり前だが、ここには敵の主力が待ち構えている。


 私は笑みを保ったまま、光の魔法を強めていく。


「――光れ。光れ、光れ、光れ光れ光れ、光れ光れ光れ光れ光れ光れ光れ光れ――」


 この大橋だけは通すまいと、おぞましく『何か』たちがずらりと並ぶ。

 そこに向かって、私は最後の演出を行う。


 この最も敵の密集した難関こそ、この『光の理を盗むもの』の見せ場だ。

 鼓舞するだけの存在でなく、全幅を寄せるに値する存在だと認めさせる好機だ。

 『元老院』や王族を失った今、このフーズヤーズ南連盟の総大将は――いや、『頂点』は私であると知らしめる。


 その為だけに――!

 いま、全てを解放しろ――!!


「――光れ光れ光れ、光れ光れ光れ光れ光れ光れ光れ光れ』『光り、輝け』ぇええええええええええ!! ――《ライトアロー・ブリューナク》!!!!」


 意識せずとも、途中から『詠唱』となっていた。

 私の心は『代償』という槌で叩かれ、どこまでも真っ直ぐに伸びていき――お父様、お父様お父様お父様、お父様お父様お父様お父様お父様――と、とても素直に、唯々、強く強く、私は願う。


 その結果、放つ光の矢は過去最大のものとなる。


「この城を、国を――いや、世界を! 貫き、照らせ! お父様まで続く道を――!!」


 私の心を表すかのように、空を覆うほど巨大な魔法の槍が構築されていく。

 橋全てを食らいつくすほど膨れ上がった光の矢を、私は血を吐きながら叫び、全力で右腕を横に振り抜き――放つ。


 それは、もはや矢でなく、特大の破城槌だった。

 流星が地表を奔ったかのような光景のあと、約一秒ほど閃光が世界を満たす。


 人ほどの大きさしかない敵たちなど《ライトアロー・ブリューナク》の眼中になく、全てを呑みこみ、背後にそびえたつフーズヤーズの城の門まで届く。


みな! このわたくしの光の矢に! この旗に――!! 続けぇええええええええええッッ――!!!!」


 《ライトアロー・ブリューナク》は大橋に並んでいた全てを掻き消した。

 さらにフーズヤーズの門も消失した。

 その魔法を前に、後方にて戦闘中の兵士たちは歓喜の声をあげる。


「道だ! 道が拓けたぞ!! みな、あそこから敵を切り崩すぞ――!!」

「押し返せえ! あの『光の御旗』に続け――!!」

「いける、いけるぞ! 聖女様さえいれば、いける――!!」


 懐かしい声だ。

 私の鼓舞と同じく、千年前と同じ声が聞こえる。


 そういえば、あの最期の日も私は、こうやって人々を死地に導いた。ただ、お父様のところへ行くためだけに、多くの希望を利用しては殺した。途中で私は無責任にも旗を捨て、この身を『化け物』に変えながらも、お父様に向かった。

 たった一人で――


 走馬灯がよぎり、意識が遠のく。

 いかに『光の理を盗むもの』といえど、いまの魔法は不味かったらしい。心と身体だけでなく、魂までも崩れそうなほどの、消失感が――


「ノスフィー、おいっ! だから、言ったんだ! おまえはキリストのところまで何もするなって!!」

「――っ!!」


 消失感があるけれど、すぐに私は持ち直す。


 まだ私は消えてはいけない。

 私を信じてくれた人たちの想いを、その『未練』を預かっているのだ。

 それを果たすまで、絶対に消えられない。

 『光の理を盗むもの』は死んではいけない。

 いや、死ねない――


「ふ、ふふふっ……。はあ、まったく。ライナーは心配しすぎです。この程度、平気ですよ、平気。本当にあなたは口煩くて、気持ちが悪いのですから……」


 私は飛びかけた意識を引き寄せ、倒れかけた身体を持ち直し、顔をあげて笑った。


「……口が利けるならいい! 城の先陣は僕が行く! おまえは大将のように、悠々と来い! いいな!?」

「いいえ、それは駄目です。わたくしはいつだって先頭を行きます。そうやって、わたくしは生きてきました……。ずっと真っ直ぐな心で、前へ前へ……!!」


 いい子は報われる・・・・・・・・

 そんな馬鹿な『夢』を信じて、私はここにいる。

 いまさら、その歩みを止める気はないと彼に伝える。


「……っ!! なら、歩け! どんなに苦しくても辛くても! もう止まるな!!」

「……ええ、言われずとも! 行きます!」


 ライナーは私の前に出ず、後ろから叱咤してくれた。

 おかげで、私は『光の御旗』らしく軍の先頭を歩き、悠々と大橋の上を渡り――とうとう城の門まで辿りつく。


 私の《ライトアロー・ブリューナク》によって穿たれた正門からは、血の腸詰に穴が空いたかのように、ドロドロと血の川が流れ出している。その水流が、私の足を絡み取り、後ろへ押し流さそうとする。


 私は水流に逆らって進みつつ、軽く城を見上げた。


 変わり果てた姿だが、名残はある。

 その縁深い場所は、かつての自分を私に思い出させる。


 本当に苦しくて、辛くて、暗くて、怖かった過去。

 何にも届かずに死んだ千年前。

 正直、また同じことを、いまの私は繰り返しているのかもしれない。


 けれど、私の足は決して緩まない。

 それどころか、『以前の私』と『いまの私』は違うという気持ちが、私の足を速めた。


 私の人生の答え――本当の『魔法・・』は変わった。

 長い旅路の末、色んな人たちと出会い、心を繋ぐ仲間を得て、昇華した。

 だから、もう――


 苦しいけれど・・・・・・苦しくない・・・・・

 痛いけれど・・・・・痛くない・・・・

 辛いけれど・・・・・辛くない・・・・

 暗いけれど・・・・・暗くない・・・・

 怖いけれど・・・・・怖くない・・・・


 これから私は・・・・・・死ぬけれど・・・・・私は死なない・・・・・・


 ――そう信じている。


 私は入城する。

 城の大玄関には、朝に去ったときと変わらない光景があった。

 違いがあるとすれば、それは血の量と水位だろうか。中央の吹き抜けから見える上階、その柵の合間から細い血の滝が何筋も落ちている。地下へ続く空洞は血に浸かり切ってしまっている。もし、この正門に穴が空いていなければ、とうに城というコップは血で一杯になっていたと確信させる光景だ。


 その地獄の中、玄関から最も近い螺旋階段に彼はいた。


 ラグネとお父様のいる『頂上』へ進ませまいと、その階段の一つに腰を降ろして、私たちを待ち構えていた。


「……よう。また来たんだな、ノスフィー」


 立ち上がり、いつも通りの軽い挨拶を投げるファフナー。


「……ええ。また来ました、ファフナー」


 千年前は『風の理を盗むもの』ティティーに立ち塞がれた道。

 そこに今日は『血の理を盗むもの』ファフナーが立ち塞がっている。

 『光の理を盗むもの』である私は結末を変えるべく、微笑と共に返答した。

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