232.新たな門出に

 そして、翌日の朝。

 ああ、酒なんて飲むんじゃなかったと後悔を僕は――するほどのことは別になかった。


「ん、ん……」


 瞑った瞼に光が当たっているのを感じ取り、ゆっくりと目を開いていく。

 微かに舞う埃を朝の日差しが照らしていた。周囲に並ぶ木製の椅子とテーブルには誰もいない。昨日の喧騒は幻のように掻き消え、酒場内はとても静かだった。


 どうやら酒を飲み続けた結果、眠りに落ちてしまったようだ。

 しかし、頭は……痛くない。どちらかと言えば、椅子で眠ったせいか背中が痛い。

 僕の肝臓はアルコールを分解する能力は高いようだ。いや、もしかしたらこれもこちらの世界のステータスが関わっているのかもしれない。『次元の理を盗むもの』であるらしい僕は、毒を受け付けないティティーと同じ能力がある可能性がある。


 あとは、いま考えても仕方のないことだが、不老である可能性も――


 僕の身体は俗に言う『化け物』とやらに近づいているのだろう。しかし、もう僕はそれに怯えることはない。異世界にやってきてから、僕の身体が人間から遠ざかっているのはわかっていたことだ。たとえ『化け物』になろうと僕は僕だ。そう誓った。

 ローウェンやティティーだって、どこまで行こうとローウェンはローウェンでティティーはティティーだった。それをわかっていれば、恐れることは何一つない。

 

 そして、よく聞く二日酔いとやらも実感することなく、僕は椅子から立ち上がって酒場を見回す。椅子やテーブルには誰もいなかったが、地べたに仲間が一人座っていた。

 なぜか、正座で。


「な、なにしてんの……?」


 正座のまま、ぐーぐーと器用に寝ているティティーだった。

 僕が声をかけると、はっと俯いていた顔をあげて目を開いた。


「はっ!?」


 口でも「はっ」と言った。

 そして、きょろきょろと周囲を見回し、僕の顔を見つめ、震えながら申し訳なさそうに謝罪した。


「お、おはようなのじゃ、かなみんよ……。いや、昨日はほんとすまなかったのじゃ……。もう正座解いてもよい?」

「え、それ、僕がやらせたの?」

「う、うむ。いや色々と調子に乗って、ほんとすいませんでしたのじゃ。これからは気をつけますから、なにとぞなにとぞぉ……」

「いや、何のことかよくわからないけど、もういいよ……」


 正座を強要し続ける理由なんてないので、すぐに許可を出す。

 すると、ティティーは冷や汗をぬぐいながら立ち上がり、屈伸運動を行う。どうやら、彼女の強靭な肉体は正座で寝ていても痺れ一つ起こさないらしい。


「ふいーー。あー、怖かったー。六十六層のときより怖かったー」


 僕の顔を見ながら、ティティーは怖かったと言う。

 ただ、彼女に怯えられる真似をした覚えはない。

 すぐに僕は昨夜の記憶を呼び起こそうとして……しかし、記憶がぼやけていることに気づく。一日の締めにお酒を飲んでいたのは覚えているが、その終わりあたりが全く思い出せないのだ。


 記憶力に絶対の自信があった僕にとって、少し気持ちの悪い感覚だった。

 何とか一つでも思い出そうと、うんうんと唸っていると酒場の奥から水を飲むクロウさんが現れる。酒場とも僕とも付き合いのある彼は、僕に最後まで付き合ってくれたようだ。


「おっ、そっちも起きたか。ははっ、昨日は笑ったな。しかし、酒のおかげでおまえの本音が聞けたのはよかったぜ。いや、本音というかなんと言うか、少年期特有の暴走とでも言うのかね。ああいうのは……」


 しかし、彼の言葉によって、嫌な予感だけは高まっていく。

 お店で眠ってしまって迷惑をかけただけでなく、少年期特有の暴走だって……?


 急いで周りを《ディメンション》で満たす。

 店は綺麗だ。

 暴走と言っても、物を壊して暴れたわけではなさそうだ。ならば、一体何をしたというのか。


 それを推理していると、クロウさんの言葉に続いて、昨夜の出来事を推測させる一言が足される。


「ふふっ、そうね。昨日は暴走しちゃってたね、キリスト君。あ、でも、男らしくてかっこよかったよ……?」


 店前で開店準備をしていたであろうリィンさんが店内に戻ってきながら、そう言った。

 なぜかリィンさんは顔を赤くしていた。

 とりあえず、僕は酒場へかけた迷惑を謝罪する。


「その、すみません……。どうやら、飲んだまま眠ってしまったようで……」

「店長から許可はあったから気にしないで。せっかくのお祝いだったしね」

「えっと……。それで、ちょっと記憶が混濁としてるんですが……。昨日の僕、何かやらかしました……?」


 そして、最も気になっていたことを聞く。

 それをリィンさんは赤い顔のまま、何かを思い出すようにぽつぽつと答える。


「えーと、昨日のキリスト君は男らしかったというか、気障きざだったというか……? とにかく、普段、どれだけ自分を抑圧していたのかよくわかる夜だったよ……?」


 とりあえず、とても恥ずかしい発言をしていたことはわかった。

 ただ、いまさら恥の一つや二つくらいで、僕の心を揺るがしはしない。なにせ、いまとなっては巷で『アイカワカナミ・キリスト・ユーラシア・ヴァルトフーズヤーズ・フォン・ウォーカー』様と呼ばれているのだ。昨日だけで、かなり心を鍛えられてしまっている。

 なので、とりあえずは迷惑がなかったかだけを念入りに聞く。


「もしかして、生意気なこと言ってましたか?」

「いや、生意気ではなかったけど……。敬語が吹っ飛ぶから、仲間内以外のところでは飲まないほうがいいかな……?」

「け、敬語がふっとぶ……?」

「私は気にしてないよ。むしろ、嬉しかったかな? 馴れ馴れしいキリスト君は新鮮だったよ」

「ん、んんー?」


 敬語が吹っ飛んでて、気障で、馴れ馴れしくて、少年期特有の暴走で本音全開の僕……?

 そんなキーワードの断片を拾い集めたことで、少しずつ昨日の記憶が戻ってくる。

 そうだ。

 昨日の僕は、千年前かつての始祖みたいに尊大で悪役ぶった感じで――


「――こ、この話はもうよそうぞ! ともかく、酒のおかげで本音からかなみんがラスティアラとやらを大切にしておるのはわかったぞ! 本音の本音から諦めておらぬと、ようわかったのじゃ!!」


 隣のティティーから想起のインターセプトが入った。

 どうやら、思い出されると彼女の都合が悪いらしい。

 おそらくだが……夜中ずっと彼女に説教をしていた可能性が高い。千年前の記憶にあった出会いのシーンのように。


「よしっ、今日は早めに行動しようぞ! 見たところ、二日酔いはなさそうじゃからの!」

「あ、ああ。わかったって。わかったから、そう押すなって」


 ティティーに背中を押され、僕は酒場をあとにすることになる。リィンさんに代金のほうを十分に払い、朝日が昇ったばかりの外へ出て行く。

 朝の肌寒さが少し残っており、少しだけ息が白くなる。ここで僕は、一人仲間が足りないことに気づく。


「そういえば、ライナーはどこだろ? ――魔法《ディメンション》」


 過度な心配はしていないが、それでも捜索のために軽く《ディメンション》を広げ、すぐにその姿を見つける。昨日の宿にライナーはいた。そして、見知った女性と話し込んでいる。

 

 薄青の髪に狼のような耳を生やした女性――セラさんだ。

 その特徴的な耳をぴくりと動かして、セラさんは《ディメンション》の魔力に反応した。獣人特有の鋭敏な感覚のおかげか、ライナーよりも反応が早かった。それに遅れてライナーも僕の《ディメンション》に気づき、周囲を見回す。


 すぐにライナーは何もないところへ向けて手招きをした。どうやら、僕にこちらへ来いと言いたいようだ。


「どうやら、昨日取った部屋にいるみたいだね」

「ふむ、そっちにおったのか。ならば、早く合流しようぞ」


 ティティーの承諾も得て、僕たちは宿屋へ移動する。

 酒場からそう遠くもないので、さほど時間はかからなかった。そして、宿屋の扉をくぐり、受付の人に挨拶をして、階上の部屋へ向かう。


 まず部屋の中に入ってからの第一声はセラさんに向ける。昨日は、ろくに話せなかったので優先すべきだと思った。


「セラさん、久しぶり。昨日は挨拶できなくて、ごめん」

「……久しぶりだな、カナミ。こちらも昨日は挨拶できなくてすまなかったな。タイミングを逃してしまった」


 セラさんは軽く手を挙げて、僕の来訪を微笑で迎えてくれた。向こうも昨日のことを気に病んでいてくれたようだ。再会をやり直すかのように、挨拶を交わし終える。そのついでにティティーも自己紹介を行う。ティティーは軽い調子で「どうもどうも、童は旅芸人のティティーじゃー」と声をかけ、セラさんのほうは少し固く「初めまして、ティティーさん。私はフーズヤーズの騎士のセラ・レイディアントです」と返した。


 挨拶を終えたと同時に、セラさんは懐から色々と書類を出していく。


「カナミ。紹介状やら何やら、持ってきてやったぞ。これからの旅に色々と役立つはずだ。例の空間に収めておけ」

「ありがとうございます。助かります」


 大量の封蝋された羊皮紙を受け取っていく。軽く《ディメンション》で読み取ったところでは、各国の関所を通るための証明書やら各地の貴族豪族への口利きが書かれたものであるとわかる。

 どうやら、これを渡すために訪れてくれたようだ。

 感謝しながら、一つ一つ受け取っていく。


 その途中、セラさんの所作から異常に気づく。

 昨日はラスティアラが前にいたため『注視』しなかったが、今日は改めてステータスを確認する。



【ステータス】

 名前:セラ・レイディアント HP352/352 MP194/194 クラス:騎士  

 レベル:26

 筋力11.12 体力12.78 技量10.11 速さ16.26  賢さ6.56 魔力10.90 素質1.57

 先天スキル :直感2.01

 後天スキル :剣術2.19 体術1.71 魔法戦闘1.21 神聖魔法1.99 鼓舞1.31



「というか、セラさん……。かなり強くなってない? ラスティアラよりレベルが……」


 レベルは高く、そのスキルの成長度合いはラスティアラより大きい。いや、気のせいでなければ特定のステータスの値の伸びも異様に高い気がする。はっきりとは言えないが、何かがおかしいような……。


「ああ……。荒事は全て私が請け負うようにしたら、自然とこうなったのだ。そうだな、この国で一番強い騎士という自信はある」

「えっと、国一番の騎士なら忙しいんじゃ……?」


 いつまでも女性の身体を『注視』しているわけにもいかず、セラさんの話に答える。

 何でもないように言うが凄いことだ。いまのフーズヤーズで一番ということは連合国で一番ということになる。


「ああ、忙しい。いまは『天上の七騎士セレスティアル・ナイツ』の末端である上に、お嬢様の秘書と護衛隊長も兼ねてるからな……。それでも、おまえと個人的に会いたいと思ってな。時間を作ったのだ」


 セラさんは眉をひそめて時間がないことを愚痴った。しかし、すぐに優しい口調で僕に語りかけて直してきた。

 その表情は僕の抱いていたセラさんのイメージと違った。もっと厳しい人かと思っていたが、この一年でかなり変わったように見える。


 少し驚いている僕に向かって、セラさんは笑いながら話を続ける。


「ふっ、昨日は手酷く振られたな。どうだ? あれでもうお嬢様は諦めたか?」


 意地悪そうな顔で、昨日の僕の失態を弄ってくる。しかし、そのことについてはもう解決済みだ。


「セラさんには悪いけど、諦める気はないかな。あのときはショックでちょっと放心しちゃったけど、いまでも気持ちは変わらない。……うん、全く変わらないんだ。だから、機会を見て、もう一度会いに行こうって思ってる。色々確かめたいって思ってる」

「そうか」


 僕の迷いない返答を聞き、セラさんは短く頷いた。

 顔を伏せ気味だが、口元が緩んでいるのがわかる。彼女にとって僕の返答は好ましいものだったようだ。これも僕の抱いていたセラさんのイメージと少し食い違う。


「色々と言い訳をしにきたのだが、その必要はなかったようだな」


 セラさんは嬉しそうに無駄足であったと言う。

 今日の目的は挨拶ではなく、昨日の話のフォローにあったようだ。ラスティアラがにべなく『拒否』した理由を、セラさんは話していく。


「いま、お嬢様は連合国の力の象徴となっている。ゆえに、絶対におまえの誘いに乗るわけにはいかんのだ。北との『境界戦争』が激化していることで、同盟国を含む他国にフーズヤーズは隙一つ作れん状態だ。それを知って欲しくてな。おそらくだが、本当はおまえと共に行きたいとお嬢様も思っているはずだ」

「……本当ですか? そう思ってるなら、なんでラスティアラは……」

「それは――」


 当然だが、さらなる詳しい理由を問う。

 しかし、セラさんはそれを即答しなかった。そのままを言うことができないから、慎重に言葉を選んでいるように見える。


 そして、結局返ってきたのは理由ではなかった。

 ただ、最も僕が聞きたかった言葉でもあった。


「とにかく、一言だけ言わせてくれ。もう一度お嬢様に会いに行って、確かめる必要はない。間違いなく、お嬢様はいつだって・・・・・・・・・おまえを想っている・・・・・・・・・。あの嫌いという言葉は嘘でないだろうが、けれどそれ以上におまえのことを想っているのだ。おそらく、お前以上に・・・・・

「嫌いだけど、想っている……?」


 想ってくれているのは嬉しい……けれど、矛盾していると思った。


 ただ、人間にはそういう矛盾した感情が多いことを、僕はよく知っている。相反する感情を同居させていていた良い例が、ついこの間戦ったノスフィーだ。


「いまは詳しく言えん。お嬢様に止められているのだ。お嬢様に忠誠を誓う騎士として、そこの説明だけはできん。いま私にできるのは、お嬢様の心をおまえに伝えるまでだ」


 説明できないような事情があるようだ。

 そして、それが誤解を生まぬように、わざわざセラさんは足を運んで、ラスティアラの心を伝えに来てくれたのだ。

 そのことに感謝しつつ、これ以上の追求はやめることにする。 


「……わかりました。セラさんから僕に言えることはそれだけなんですね?」

「ああ……。おまえのことを信用していないわけではないぞ。おまえだけがお嬢様の隣に立てる男であると私は思っている。あの短かった旅を、いまも思い出すことがある。お嬢様を心から笑わせることができたのは、おまえだけだからな」


 セラさんは目を細めて、昔のことを懐かしむ。

 僕にとっては数日前のように感じるが、彼女にとっては遠い日々のようだ。

 その認識の差を、もっと僕は理解しなければならないと思った。それが昨日のラスティアラの怒りに繋がっていると思う。


 そして、最後にセラさんは言い閉める。


「いつか、お嬢様が全てをおまえに話すだろう。そのときまで、どうかお嬢様を待っててくれないか。どうか、頼む……」


 待って欲しいと……申し訳なさそうに頼まれる。

 僕に対して、こうも弱気なセラさんは初めて見た。

 嘘をついているようには見えない。騙そうとしているようにも見えない。

 《ディメンション》が伝えてくれるセラさんの心音と体温に異常はなく、スキル『詐術』『感応』も、それが真摯な頼みであると判断している。


 もう一度大聖堂に行こうと思っていたのを思い直すに十分な表情だった。


 セラさんは「いつか、全てを話す」「待って欲しい」と言い、ラスティアラは「みんなと合流して、ディアを助けてあげて欲しい」「応援してる」と言った。

 僕にとって二人はまだ仲間だ。仲間の言葉を僕は信じたい。


 だから、いま僕がやるべきことは連日会いに行くことではないだろう。そもそも、もう僕の気持ちは偽りなく伝え終えてる。これ以上は嫌がる少女を追い掛け回すだけになる。


 もちろん、この二人が断固として話そうとしないことに、ただならぬ危険が含まれている可能性はある。重要なことを僕が見落としていないという保証はない。このアイドによって新生したフーズヤーズという国の底は計り知れない。できれば、僕の手で色々と調べてから、この国を出たい。ならば、僕は――


「――かなみん。回りを見よ。そなたには仲間がおるのじゃぞ」


 すぱりと、僕の思考を切る風のような声が通り過ぎる。

 ティティーの声だ。

 

 その声に命じられるまま、僕は顔を上げて見回した。

 そこにはセラさんとティティー、そしてライナーがいた。

 ライナーは真剣な表情で提案する。


「キリスト、二手に分かれよう。ここには僕が残りたい。あんたよりも、僕が適任だ」


 僕の迷いの全てを、仲間が断ち切る。


「ライナー……」


 その力強い声によって、僕の考えは一つにまとまっていく。


 迷宮の六十六層に落とされ、強くなって帰って来たのは僕だけじゃない。ライナーも心身ともに成長した。心配が残るのならば、僕とライナーの二人で解決に当たればいいだけの話だった。


 続けてライナーは提案の内容を話していく。


「正直、この国は――いや、フーズヤーズという国は胡散臭い。で、ラスティアラのやつの様子がちょっと変なのは間違いない。キリストと同じで、僕もそう思ってる。……だから、キリストの代わりに僕がラスティアラのやつを守る。迷う必要なんてないから、さっさとキリストたちは『本土』の北へ行って、妹さんと仲間たちを連れて帰って来い。そのあと、ゆっくりとラスティアラに再告白でも何でも好きにすればいい。それまでラスティアラのやつは僕が守りきってみせると誓う」


 そして、ライナーはその提案の可否を僕に問う。

 少しだけ心配そうに。


「――それじゃあ駄目か? 騎士ライナー・ヘルヴィルシャインには任せられないか?」


 ライナーはノスフィーと真っ向から戦えるほどの実力者だ。

 先ほどはセラさんが最も強いという話をしていたが、それは僕たち三人を除いての話だ。


 ここにいるライナーを入れれば、この連合国の最も強い騎士の座は変動する。

 答えるのに時間なんて必要なかった。

 すぐに僕は頷き返す。


「いや、任せるよ。僕がいない間、あいつを見守ってやってくれ。ちょっと僕はアイドのほうへ行ってくるから」

「了解した。我が主」


 その指示を聞き、ライナーは笑いながら恭しく礼をした。

 こうして僕とライナーの主従の契約が交わされ、セラさんが少し嬉しそうな顔で話の続きを拾う。


「決まりだな。では、ライナーは私が預かろう。今日からお嬢様の近くで働けるように、私の権限コネを最大限まで使うつもりだ。幸い、こやつの家柄はよく、実績もそこそこある。何とかなるはずだ」

「よろしくお願いします、セラさん。兄様から素晴らしい騎士だと聞いています」

「こちらこそよろしく頼む、ハインの弟。ただ、あいつからは他にも色々と聞いてるだろう? 世辞はいらんぞ」

「……そうですね。かなり残念なところもあると聞いています。確か、ラスティアラお嬢様のこととなると見境がなくなるとか。まあ、そこは僕がフォローしますので、これからは大丈夫でしょう」

「ふっ、正直なやつだ。この私を前にそこまで生意気な口を利けるやつは貴重だ」

「いや、いまさら下手に出て、先輩に媚を売るような真似はできないってだけですよ。もう素の僕はばれているようなので」

「話が早くて助かるな。頼りにするぞ」


 軽い口調で冗談を飛ばしあいながら、二人は握手をする。

 そのスムーズな距離の縮め方に僕は驚く。


 二人は初対面のはずなのに、もうかなり仲がよさそうだ。

 二人とも、僕のときとはえらい違いだ。なんて妙な嫉妬を二人に燃やしていると、すぐに騎士たちは動き出す。恐ろしい速度で話はまとまったようだ。


「では、騎士ライナー。すぐに準備を終わらせろ。すぐにお嬢様のところへ向かうぞ」

「了解です。キリストにラスティアラのことを頼まれた以上は、片時も離れないようにしたいですからね」


 ライナーは部屋に置いた私物を掻き集めるため、忙しなく動いていく。とはいえ、物の数は少ない。大体は僕の『持ち物』を使っていたのだから当然だ。

 重要な私物は、もともと身につけているものくらいだろう。ライナーは自分の着ている服を指差して、僕に確認を取る。


「キリスト、この貰った服とかは返したほうがいいか……?」

「いや、返されても困るよ。それ、完全にライナー用だからね。もうプレゼントしたってこっちは思ってる」


 地下でレイナンドさんと一緒に作った装備はライナー専用だ。消えたレイナンドさんのためにも、ずっと使って欲しい。


「あとは僕の剣だな。いま三本あるけど……まずローウェンさんは返そう。こればっかりは預かれない」


 『アレイス家の宝剣ローウェン』が僕の手元に返ってくる。これから守護者ガーディアンと使徒を相手にするので、いつでも魔法《親愛なる一閃ディ・ア・レイス》を使える状態にしておきたい。断る理由はなかった。

 僕もライナーと同じように、『クレセントペクトラズリの直剣』と合わせて二つ剣を腰にさげることにする。


「あと『片翼』と『シルフ・ルフ・ブリンガー』のほうだけど……」

「そっちはライナーのものだって僕は思ってるよ」

「ありがたい。主から貰った剣、遠慮なく使わせて貰う」

「あとは迷宮でのドロップ品のほうだけど――」


 他にも『持ち物』にある迷宮の深部で手に入れた魔石などを取り出して、お金のほうも綺麗に分配し終える。

 別行動の準備が少しずつ終わっていく。

 この午前中は別行動の際に気をつけるべきことを詰めたり、連絡手段や予定を交換し合った。


 日が完全に昇りきったところで、完全に準備は終わった。

 すぐにでもラスティアラの近くに向かうため、ライナーは別れの挨拶を始める。

 ただ、これはティティーとライナーの二人にとって、最後の別れの挨拶になる可能性が高い。二人ともそれがわかっているのか、少し神妙な面持ちだ。


「――ティティー、キリストと二人で向こうのアイドたちとの因縁を片付けて来い。ヴィアイシアのみんなにも言われたと思うが、こっちに戻ってくるなよ?」

「うん、本当の弟に会ってくる。それで、全部終わらせる。……これでライナーとは、ばいばいになるのかな?」

「ああ、ばいばいだな」


 ライナーに即答され、ティティーは悲しそうだった。一時期は弟代わりにするとまで気に入っていたのだ。できれば、最後まで一緒にいたかったのだろう。


 それを見たライナーは少し困った顔になり、すぐに芝居がかった物言いで礼を始める。


「……師匠、いままでありがとうございました。かの伝説でもある貴女から頂いた力、主のために使わせて貰います。これからも、ずっと」

「……う、うむ、苦しゅうないぞ。好きに使うとよいぞ。童の最初で最後の愛弟子よ」

「ああ、もちろん。言われたとおり、好きに使うつもりだ。あの街ではおまえに散々扱き使われたからな。これくらいは当然の報酬だ」


 そして、憎たらしげに皮肉を飛ばした。

 それをティティーはぽかんと見つめ、すぐにくすりと笑い出す。


「ふっ、ふふ、ふはははっ。庭師の仕事のあれを、まだ根に持っておるのか? 意外と了見の狭いやつじゃな」

「ああ、僕は根に持つタイプだ。だから、忘れないさ。あんたと過ごした最悪の日々は、きっと死ぬまで忘れない。これからも、ずっと。絶対にな」

「ふふっ、そうか。……そうか。絶対に忘れぬか。ならば、よい。さらばじゃ、ライナー」

「じゃあな、ティティー」


 ティティーは嬉しそうに「そうか」と二度繰り返した。

 これがライナーなりの別れ方なのだろう。憎まれ口を叩きながら、けれど笑い合いながら別れの挨拶は終わった。


 そして、ライナーは最後に僕のほうにも声をかける。


「二人は二人の家族を取り返すことに集中してくれ。こっちは僕とセラ先輩がいる」

「ああ、急いで行って戻ってくるよ。ライナーたちのおかげで、気が楽になった」


 それを聞いたライナーは満足そうだった。私物を集めた袋を肩にかけて、部屋から出る準備を終える。

 もう話すことはない。

 最後に僕はセラさんに声をかける。


「セラさん、ラスティアラのやつに伝言を……」

「……構わないぞ」

「すぐに妹と仲間たちを連れて帰ってくる。そのとき、もう一度ゆっくりと話そうって、そう伝えて欲しい」

「ああ、確かに伝言は預かった」


 セラさんは力強く頷き、部屋から出て行く。それにライナーも続く。

 こうして、部屋には僕とティティーだけが残される。

 いま、パリンクロンとの戦いからずっと一緒だったライナーが抜けた。そして、ティティーと二人だけのパーティーとなった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る