Detection

時間はやや遡る。


何者かに、石脇佑香言うところの<鏡の世界>に捉えられた私は、空気や塵を集めて<もう一人の私>を作り出し、それで家に帰ることにした。


そう、これは紛れもなく<私>だ。私のコピーではない。どちらも<本物の私>なのだ。これまでにも何度も何度もやってきたことだ。いつでも、どこでも、いくらでも、私は同時に存在することができる。私はそういう存在なのだ。だからいくら物理的に閉じ込めようと肉体の行動を制限しようと、何の意味もない。


まあそれはさて置き、既に深夜だったからそのまま校舎から出ようとすれば警備システムに引っかかってしまって面倒になる。空間を超越してもよかったが、それだと逆に簡単すぎて面白くない。ンブルニュミハの戯事に付き合ったのも、ただの暇潰しに過ぎん。私は楽しみたいのだ。そこで、巡回の用務員の認識を操作して、後ろについていき、校舎から出た。あとは、門の上の赤外線の上を飛び越えれば問題ない。


『さて、それでは帰るか…』


学校から家に向かう途中、昼はそれなりに見通しも良く車通りもあるものの、夜はほぼ街灯もない堤防沿いの道を歩いていると、後ろから何者かがつけてくるのに私は気が付いた。


一瞬、緊張したが、気配を探ればただの人間だと分かった。三十代の男。しかも発情していた。


『はあ…やれやれだ……』


こんな時にこんな輩に目をつけられるとは、私もつくづく運がない。もっとも、あくまで人間としての私の方についてでの話ではあるが。そう思った瞬間、男は一気に駆け寄って、私の体に抱き付いてきた。しかも、首筋に冷たい感触がある。ナイフだった。


「静かにしろよ。大人しくしてればすぐに終わるからよ。痛いのは嫌だろ?」


男は陳腐な脅し文句を吐きながら、一方の手で乱暴に私の胸を掴んでいた。


『いやいや、そうじゃない。それじゃ痛いだけだろ。いや、自分が感触を楽しみたいだけならこんなものなのか』


私はそんなことを考えながら、さて、どうしたものかと思案していた。まあ、付き合ってやってもいいが、今はそういう気分ではないのでな。なので、手っ取り早く追い払うことにした。その時の感触を、男はどう感じたかな。


男が掴んでいた私の胸は見る間に薄くなり、やがて完全に失われた。そして、後ろ髪が分かれてそこからのぞいたのは、私の顔だった。私の肉体も制服も、見る間に前後が入れ替わっていた。男からすれば、確かに背後から抱き付いたはずにも拘らず、いつの間にか向かい合っていたのだ。当然、男の頭は混乱する。


「何か、御用ですか?」


そう問い掛ける私に、


「あ…いや…あれ? なんでだ…?」


狼狽える男の様子があまりに不様で、私は思わず嘲笑していた。有り得ない角度に口角が吊り上がり、僅かに口から覗く歯は、明らかに人間のそれではなかった。


「~っっ!!?」


男は、悲鳴すら上げることも出来ず、力なくその場に崩れ落ちた。ナイフも落とし、恐怖と絶望の表情を貼り付かせた顔で私を見上げる男から、ふわりと臭いが漂ってきた。糞と小便の臭いだった。これでもうこの男は、女の姿を見る度に私の笑みを思い出すことだろう。憐れだが、身から出た錆だ。甘んじて受け入れろ。


『まったく、余計な手間を取らせおって』


改めて帰宅の途に就いた私は、今度こそ家の近くまで戻って来ていた。だが、様子がおかしい。住人すべてが行方不明だというアパートはさらに騒ぎが大きくなり、警察やマスコミが周囲を取り囲んでいるのは分かるのだが、それとは明らかに違う動きをしているパトカーや警官がいるのだ。しかも、その周囲をマスコミらしき輩までもがうろついている。


『何をくだらないことをしてるんだか……』


そんなことを考えながら私の家が見えるようになる角を曲がった時、その理由が分かった。私の家の前にパトカーが何台も止まっていたのだ。家の前では、老女が警官と話をしていた。私の父方の祖母だった。その傍には、スーツ姿の若い男女の姿もあった。記憶がある。私の父親の部下だ。しかも、留守番電話にメッセージを残していたあいつだ。


『これは、面倒なことになったな』


祖母と警官の話や、父親の部下達の会話が、数十メートル離れていても私の耳にはっきり届いた。どうやら、父親と連絡が取れない部下が父親の実家に連絡を取って、祖母が様子を見に来て、家に誰もいないことで警察を呼んだのだろう。例のアパートの一件があったばかりだから、たぶん関連を疑われて、この騒ぎになったのだ。しかも、生肉の塊しか入ってない冷蔵庫など見られたら、それこそ普通の人間はパニックを起こすか。あれは、私が取り寄せた牛肉一頭分なのだがな。人間の意識に戻す際、そちらに記憶をコピーするのを忘れていただけだ。


やれやれと思いながら家に近付く私に、若い警官が声を掛けてきた。


「すいません、どちらに行かれますか?」


そう聞かれて私は、


「そこの家のものですけど、うちで何かあったんですか?」


と、我ながら白々しくとぼけたのだった。


「こよみ! 無事だったの?」


私の姿に気付いた祖母が、涙をこぼしながら駆け寄ってきた。そして私の体を掴んで、


「こよみ! お父さんとお母さんは? お父さんの部下の人が、もう何日も連絡が取れないって言うから何があったのかと思って! 学校にも問い合わせようとしたけどもう閉まってたみたいで。近所で行方不明事件が起こったって言うし、もしかしてあなた達もって心配したのよ? ね? お父さんとお母さんは!?」


そうやって一気に話しかけてきた祖母を警官がなだめようとする。私はそれを見ながら、


「え? お父さんとお母さんは、休暇取って海外旅行に行くって言って出かけてった筈だけど?」


などと、適当な出まかせを言っておいた。親がそう言ったら普通の子供はいちいち疑わない。娘はそういう認識だったで済む話だろう。私はそう考えたが、さすがにそれで誤魔化されてくれるほど単純でもなかった。


「でも、お父さんの部下の人が何度家に電話かけても誰も出ないし、携帯も旅行用のバッグも家に残ってたわよ?」


まあ、そう来るよなあ。


「ごめ~ん。お父さんもお母さんもいないって言うからちょっと出歩いてて、カラオケ併設のネカフェで遊びまくってたんだ~。学校もそっから通ってた。だから知らなくて~」


と言ってみたものの、祖母は、


「あんた、何言ってんの!? そんなわけないでしょ!? 本当のことを言って!」


だって。もう面倒臭くなってきてこの場にいる人間全員の記憶を書き換えてやろうかとも思ったが、記憶の整合性を調節するのも面倒臭くて、もういいや、成り行きに任せようと覚悟を決めたその時、ベテランらしき警官が私と祖母に割って入った。


「まあまあ、落ち着いてください。今日はもう夜も遅いですし、お孫さんは未成年ですから、事情を伺うのは明日以降ということで、今日のところはお休みになってください」


警官にそう言われて祖母も少し落ち着いたのか、


「そうですね…」


と大人しく従った。すると警官は続けて、「それで今日はどちらでお休みになられますか?」と訊き、祖母は、


「今日は私もこの子と一緒にこの家で休みます。心配ですから」


と言って、今日のところは警察も引き下がることになったのだった。父親の部下も、頭を下げながら言う。


「それでは、今日は私達もこれで帰ります。もし何か分かりましたらご連絡いただけると助かります」


部下が何度も頭を下げながら帰っていき、警官も次々と引き上げていく。


やれやれこれでようやく少しは静かになるかなと思った時、私はその認識が甘かったことを思い知らされた。集まっていた人間達が散り散りに去っていくと見えながらも、この場に残ってこちらを窺っている人間もいたのだ。それは明らかに単なる野次馬とは違う雰囲気を醸し出していた。中にはテレビカメラと思しき機材を担いでいるのもいる。するとそのうちの一人が駆け寄り始め、それに同調するかのように他にも何人もの人間が手にレコーダーやマイクを持ち、私と祖母の下に集まった。


マスコミだった。多くは新聞や週刊誌だったが、テレビレポーターも混じっていたようだ。私達の様子を見て、事件の匂いでも感じ取ったのか。


「いったい、何があったんですか?」


「あちらのアパートでの失踪事件と何か関係があるんですか?」


無遠慮に不躾にあれこれと質問をぶつけてくるマスコミを相手に祖母は、


「今日はもう遅いですから、また今度にしてください。今は答えられません」


と言い放ち、私を連れて家に入ってしまったのだった。


そして私はつくづく、自分が興味ないからと何も手を打たず放っておくと面倒が大きくなるのだということを思い知ったのである。


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