言い訳
ホウ酸団子の毒餌には、ゴキブリが好む匂いが付けられていることが多いようだ。
だから今の私も、日守こよみの意識としては当然、危険は分かっているのだからそんなものには近付くまいという結論を得ている。
だが、<ゴキブリの体>の方は、魅惑的な匂いに激しく惹きつけられ、意識を凌駕しようとしてくるかのようだった。
「ぬう…まさかこれほどとは……」
『ちょっとだけ、どんなものか確認するだけ』
そんな風に自分に言い訳しつつ、私はいつしか、毒餌のケースのところまで来てしまっていた。
抗い切れずにケースを覗き込んでみると、
「空か……」
そう。ケースの中は空だった。恐らくここにいたゴキブリ達にすべて喰らい尽くされてしまったのだろう。
それでもなおこびりついて残った匂いがこうして私を引き寄せてしまったのだ。
「…感謝するべきなのだろうな……」
毒餌そのものは食べ尽くされていた為に私がそれを口にすることはなかったのだが、同時に、不可解な感覚に体が支配される。
がっかりしているのだ。これほどの匂いを放つ餌にありつけなかったことを。
毒であることは分かっている筈なのに、私は虚しさも覚えてしまっていた。
『試しに食べてみたかった……』
という思考が頭を離れない。
すると、また他にも匂いが漂ってくることに私は気付いてしまった。
どうやらほかにも仕掛けられていたらしい。
ついついそちらに近寄るとやはり同じ形のケースが置かれていた。
で、やっぱり覗き込んでしまう。
しかしこちらも幸い空だった。
と思ったが、
「む……?」
諦めて離れようとした私は見付けてしまったのだ。ケースの隅の隅に、僅かに残された<欠片>に。
「いかん…! これは毒だ、毒なんだ…! どんなにいい匂いがしてようとも猛毒なんだ……!」
自分にそう言い聞かせようとしているにも拘らず、ゴキブリとしての今の私の体が言うことを聞いてくれない。
じりじりとケースの中に半身を突っ込み、その<欠片>を口にしてしまった。
瞬間、何とも言えない満足感と後悔が同時に私の体を支配した。
「馬鹿者! 私の馬鹿者……!」
そう自らを痛罵するものの、後の祭りだ。
ゴキブリが好む匂いをつけられているとはいえ、それは所詮、<ホウ酸団子>だ。食ってみて美味いものじゃない。
それどころか、しばらくすると、明らかな<危険>を告げる信号が、神経節を奔り抜け始める。
「ぬ……ぐ……っ!?」
ヤバい…! 体が麻痺してきた……!
自身の体が端から消滅していくかのような感覚に囚われ、混乱する。
マズいマズいマズいマズい……っ!
こんな間抜けな死に方をしては、それこそ<本来のクォ=ヨ=ムイ>は黙ってはいないだろう。
<宇宙消滅の危機>が、このような物置の片隅で、このように小さな形で起こっているなどとは、誰も気付かんだろうな……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます