嫉妬の女王、再び

「こんな夜遅くに何を騒いでるんだ!」


新伊崎千晶にいざきちあきの義父が、部屋のドアを開けてやや強い口調でそう言った。だが、開けた途端に目に飛び込んできたのは下着姿の中二の娘だった。


「あ、すまん!」


慌ててドアを閉めたが、それでも一瞬見えた部屋の様子に、下着姿を見てしまったことなどどうでもよくなるほどに驚いていた。


『あんなにゴミだらけの部屋だったのに……?


いくら注意しても片付けなかったのに、どういう風の吹き回しだ?』


首をひねりながら階段を降りつつ、少々騒がしかったことについては、


『まあでも、片付けたんならそれでいいか……』


と不問に付そうという気になり、そのまま一階に戻ってしまった。何かすごい叫び声をあげていたのも、


『ゴミを片付けている時にゴキブリでも出たんだろうな』


と考えた。


一方、この時の新伊崎千晶はそれどころではなかった。


『どこ行ったんだ、あいつ……!』


突然姿が見えなくなってしまった私のことを探すのに忙しかったのだ。


しかも、


『おい! クォ=ヨ=ムイ! 返事しろ!!』


呼びかけても応えない。


『くそっ! さっきみたいのがまた出たらどうすんだよ…!』


と思うと気が気ではなかった。下着姿なのも忘れて窓から身を乗り出し、周囲を見回す。だが当然、見付けられる筈もない。この時の私は、上空数百メートルでシャノォネリクェと戦っていたのだから。


『!? 何の音だ…!? 上か……?』


その時、空から何か金属音のようなものが聞こえてきたのに気付き、上を見上げた新伊崎千晶の目に、小さな影のようなものが見えた。何だろうと見ていると、それがだんだん近づいてくるのが分かった。しばらくするとシルエットがはっきりしてくる。蝙蝠のような形の翼を持った、人間のような何か。


私だった。四枚の黒い翼を頭から生やした私が新伊崎千晶の目の前に降り立った。とは言っても、窓の外の空中に浮かんだままだが。


「まあ、取り敢えずは終わったな」


私がそう言うと、新伊崎千晶は胸を撫で下ろしていた。


「こういうことはこれからも続くだろう。それはお前が招いたことだから文句を言っても始まらんが、私としても暇潰しにはなりそうだから付き合ってやる。それで、改めて気配を探ってみたが、今日のところはもう大丈夫なようだ。ということで、明日の朝、私の家に来い」


それだけを言うと、返事も聞かず私は空間を超越し、自宅へと戻った。




「おかえりなさい」


山下沙奈がそう言って迎えてくれた。その頭に手を回し、スッと唇を重ねた。私も楽しくて少々テンションが上がっていたからか、ついそんなことをしてしまった。


「―――――…っ!」


私の不意打ちに、山下沙奈は耳まで真っ赤にして俯いていた。だが、それでいい。恐怖を感じるよりは、そうやって照れるぐらいでちょうどいい。こうして徐々に慣れていけばいい。そうすれば、肉体を玩具として弄ばれた記憶も、単なる過去になっていくだろうからな。


汗をかいたわけでも体が汚れた訳でも別にないが、もう一度風呂に入って寛ぐ。テンションの上がった肉体をリラックスさせる為と言えばいいか。


風呂から上がると、もう夜の十一時近かった。山下沙奈がリビングで私を待っていた。


「一緒に寝たいのか?」


そう訊くと頬を赤らめたまま小さく頷いた。一緒に二階に行き、ロフトの寝室に二人で横になった。と言っても別に何もしない。本当に二人で寝るだけだ。互いの体が触れるか触れないか程度の距離で、静かに眠る。抱き締められ見詰められただけでトラウマが蘇り体を固くするようなこいつはまだ、そういうのは早い。今はこうやって一緒に寝ることで安心したいだけなのだ。恐らく、今のこいつにとって私は母親代わりなのだから。




翌朝、私が目を覚ました時には山下沙奈はもう隣にはいなかった。一階に降りていくとテーブルの上に目玉焼きと飯が並べられていた。別に私が頼んだわけでもないが、これがこいつの日課になっていた。


私はまず向こうの家の玄関の鍵を開け、新伊崎千晶がいつ来ても大丈夫なようにした。力を使って開けてもよかったが、敢えてそちらに自ら行って手で鍵を開けた。それから自宅の方に戻って着替えて山下沙奈と一緒に朝食を食べた。


それから身支度を整え始めた時、「はよ~っす」といい加減な挨拶と共に新伊崎千晶が現れた。


「向こうの家の鍵は掛けてくれたか?」


私がそう訊くと『何で?』みたいな顔をして首を横に振った新伊崎千晶に、


「鍵を掛けてきてくれ」


と私は声を掛けた。


「え~?」


などと嫌そうな顔をしながらも奴は言われた通りに鍵を掛けに行った。恐らく以前はしなかったようなことだ。こいつも徐々にそういうことに慣れていけばもうちょっとマシになるだろうな。


「朝ご飯、食べてきました?」


山下沙奈の言葉に、新伊崎千晶は首を横に振る。するとその前に目玉焼きと飯が並べられた。戸惑う様子に、私が「いいから食え」と言ってやると、ようやく食べ始めた。


その横で山下沙奈は、私の髪を櫛でとき、その上で三つ編みにしていった。これもこいつの日課になっていた。そんな私達の様子をちらちらと見ながら新伊崎千晶が朝食を食べ終えた頃には、予鈴五分前になっていた。


「歯磨きもしろよ」


と私が声を掛けると、山下沙奈が新しい歯ブラシを差し出した。それを受け取って面倒臭そうにサカサカっと適当に歯磨きを済ませた。私と山下沙奈は既に用意を済ませ、後は新伊崎千晶を待つだけだ。


そして予鈴二分前になり、ようやく私達は家を出た。それでも余裕で間に合う。


教室に入ると、「おはよ~」と月城こよみと黄三縞亜蓮きみじまあれんが挨拶をしてきた。しかも私と新伊崎千晶が一緒に教室に入ってきたことに、何人かの生徒が驚いたような顔をしていた。その中には赤島出姫織あかしまできおりの姿もあった。


だが碧空寺由紀嘉へきくうじゆきかの姿は今日もなかった。やれやれ。今度は碧空寺由紀嘉が不登校か?


私と月城こよみと黄三縞亜蓮と新伊崎千晶の四人が集まって話をしている様子を、クラスの連中は珍しいものを見るように遠巻きで見ていた。帰国子女としての私の価値も落ち着き、今ではもう積極的に話しかけてくる奴は月城こよみと黄三縞亜蓮しかいない。そこに新伊崎千晶が加わる形になった。


私にとっては授業など時間の無駄だが、今日も茶番に付き合ってやる。休憩時間ごとに月城こよみと黄三縞亜蓮と新伊崎千晶が私の周りを取り囲んだ。


そんな私達に、いや、正確には月城こよみと黄三縞亜蓮に対し、特に鋭い視線を向けてくる者がいた。赤島出姫織だ。夏休み前までは自分と一緒に月城こよみに対して嫌がらせをしてたというのに、まるでずっと以前から友人だったかのように親し気に振る舞っているのが気に入らないとでも言いたげな表情だった。まったく。そんな顔をしてるとまた下賤の輩に憑かれるぞ。


ところで、赤島出姫織は穏やかな表情さえしていれば決して不細工という訳ではなかった。基本的な顔立ちは整っており、最近するようになった緩くウェーブのかかった髪型とも相まって時折すごく大人びて見えることもある女だった。だがどうにも表情が悪い。いかにも神経質で陰険そうな目つきの悪い表情の所為で印象が悪いのだ。まあそれでも、顔の作りさえ良ければという奴らからはまあまあアプローチを掛けられたりはするらしいが。


だがそんな赤島出姫織に対して、おかしな具合に目をつけた奴がいたのだった。このところ、学校の近くに路上駐車していることの多い白いワンボックスカー。その中から、何人かの男が学校の方を覗いていることに、私は気付いていた。しかしこの時乗っていたのはただの人間だったから、私は特に気にしていなかったのである。


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