拉致監禁
その日、
拉致監禁だ。しかもそのワンボックスカーは、最近、学校の近くによく停まっていたものだった。完全にこのタイミングを狙っていたのだろう。
『なに…!? なんなの……!?』
突然のことに何が起こったのか理解できなかった赤島出姫織だったが、一分もすると状況が呑み込めてきた。自分は攫われたのだ。しかしその時には既に口には猿轡をかまされ、手も足もロープでがっちりと縛られてしまっていた。しかも、背後から自分を抱きかかえている男の手が胸を掴んできたことで、男達の目的が分かってしまったのだった。
『犯される…!』
赤島出姫織の背筋を、ぞわぞわとおぞましいものが駆け抜けていった。自分を見る男達のニヤニヤとした笑みが、吐き気を催すほど不快に感じられた。スカートが捲り上げられ、下着が見えてしまっている。それを何とか戻そうと体を動かすが、それがかえって男達を刺激したようだ。
「いや~、近くで見るとやっぱいいわ、こいつ」
「エロい体してるよな」
「最近じゃ一番の当たりじゃねーか?」
聞くに堪えない下劣な言葉に、思わず身を捩ってその場から逃れようとした。
『やだやだやだやだ…っ!』
だが、当然のことながら無駄だった。胸を掴んでいた男の手に力が込められると、鋭い痛みが体を貫いた。
「逃げられる訳ねーだろ、大人しくしてろ! 胸引き千切るぞ!!」
『ひ…っ!』
下衆い恫喝に、逃げようとして体に入れた力が一気に萎えていくのを感じた。涙が勝手に溢れてくる。
『どうして私がこんな目に……?』
と思った。
『何も悪いことはしてないのに……』
などとその辺はよく言うといったところだが、だからと言って確かにこんな目に遭わなきゃならん道理もないか。赤島出姫織がやったことは、きちんと法に基づいて裁かれるべきことだからな。
まさかそれに応えようとしたわけではないだろうが、その時、ワンボックスカーに乗っていた人間全員の耳に、思いもかけない音が届いた。
「パト!? 何でだ!?」
男の一人が後ろを見て叫んだ。そう、聞こえていたのはパトカーのサイレンだった。何でだも何もない。誰も見ていない、見ていたとしてもどうせ何もできないとタカをくくってたのだろうが、こいつらは大きな過ちを犯していたのだ。赤島出姫織を拉致した時に近くに止まっていた路上駐車の自動車に人間が乗っていたことに気付いていなかったのである。しかもそれは、張り込み中の刑事が乗った覆面パトカーだったのだ。こいつらは、刑事の目の前で拉致監禁をやらかしたのだ。
「前を走る白のワンボックス、今すぐ止まりなさい。左に寄せて今すぐ止まりなさい!」
もう完全にこの車のことだというのが誰の目にも明らかだった。思いもかけない救いの手に、赤島出姫織の目にはそれまでのとは違う涙が溢れていた。
「くそっ! 何とか振り切れ!」
男の一人がドライバーに向かって叫んだ。言われてドライバーがアクセルを強く踏み込み加速する。それを見た覆面パトカーのスピーカーからは怒声が聞こえてきた。
「こらぁ! 逃げても無駄だ。ナンバーは照合したぞ、止まれぇ!!」
そうは言ったが、実はこの時の言葉ははったりだった。ナンバーを紹介したのは事実だが、それは目の前を走るワンボックスカーが盗難車であることが確認できただけで、乗っている人間の身元の特定には繋がらなかったからだ。
男達も当然、それは分かっている。だから取り敢えずこの場さえ逃げ切れば後はどうにでもなると思ったのである。しかもこの時、男の一人の顔が異様に歪んでいた。その男は、赤島出姫織を見ると凄まじく凶悪な笑みを浮かべつつ言い放った。
「こいつをパトの前に放り出せ!」
「…な……っ!?」
さすがにそれには他の男達も度肝を抜かれた。
『何を言ってるんだこいつ…!?』
と思った。拉致監禁や強姦程度ならたかが知れてるが、そこまでやったら下手をすれば殺人になる。
『いくら何でもそこまで……』
やるつもりはないと他の男達は思っていた。
だがそいつは本気だった。抱きかかえていた男の手を払いのけ、赤島出姫織の体を持ち上げドアを開け放ち、そのまま放りだしたのである。
『ーっっ!!?』
赤島出姫織は、猿轡の所為で声を上げることさえできないままアスファルトに叩き付けられ道路を転がった。それに気付いた覆面パトカーは急ブレーキを踏んだが、間に合わなかった。
ゴシャッ!とか、グビャッ!とか、そんな感じの音を立て、何かに乗り上げて車体が跳ねた。そこからさらに十メートルくらい進んだところでようやく停止した。その間に男達を乗せたワンボックスカーは、猛スピードで走り去ってしまったのだった。
停止した覆面パトカーから降りてきたのは、やせっぽちで背の高い若い男と、背は高くなく太ってる訳でもないが不思議とがっちりとした印象のある壮年の男だった。捜査一課の
「クソッ! 何てことしやがる!!」
今川が忌々し気に罵りながら車の後ろを見た。投げ落とされた被害者を確認する為だった。既に百キロ近い速度が出てる状態で道路に放り出され、しかも自分達の乗っていた覆面パトカーが乗り上げてしまったのだからおよそ正視に堪えない状態になっているだろうが、凄惨な現場をいくつも見てきているベテランの今川は躊躇なくそれを見た。その一方で、運転していた広田の方は明らかに動揺した様子で、車からは降りたものの後ろを見ることはできなかった。
だが、悲惨な状態になっているであろう被害者を見た今川の顔に、明らかな驚愕の表情が張り付いていた。それは完全に、信じられないものを目の当たりにしてしまった人間の顔だった。
当然か。なにしろその視線の先にあったのは、バラバラに破壊されたマネキンの残骸であったのだから。
『まさか…? 見間違えたのか?
いや、そんな筈はない。俺が見たのは確かに生きた人間だった…それも、あの白いワンボックスカーに引きずり込まれた中学生の少女だ…』
しっかり顔も見たのだ。絶望に満たされた目でこちらを見る表情まではっきりと見たのだ。だが、その少女の姿はどこにもなかった。念の為に車の下も覗き込んでみたが何もなかった。
『いない……!?』
信じられないが、現に少女の姿はなく、あるのは粉砕されたマネキンだけであった。それが現実だった。それを突きつけられた今川の胸に、言いようのない虚しさがよぎった。
『畜生…俺ももう引き際ってことかよ……』
はっきりと見た筈のものが人間ではなくただのマネキンだったことに、今川は打ちのめされていたのだった。
が、実際にはこいつが見たものは本当に赤島出姫織だったのだがな。覆面パトカーの前輪に頭蓋を粉砕されたところまでは。その直後に私が、近くの潰れた洋服店にあったマネキンとすり替えただけだ。
『ふん。手間を掛けさせおって…』
巻き戻した赤島出姫織を抱え、私は学校近くの公園にいた。そいつをベンチに寝かせ、声を掛ける。
「赤島出さん、赤島出さん」
体も揺すると、ようやく意識を取り戻した。
「!? ……!?」
がばっと上半身を起こし私を見た後、周囲を見回していた。しかし、自分の記憶にある状況とはあまりに乖離したそれに、理解が追い付いていないようだ。
「赤島出さん、こんなところで寝てたら危ないよ?」
そう言う私の顔を、赤島出姫織は呆然と見詰めていたのだった。
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