外伝・玖 レイレーネ・ハルファレギスの誤算

レイレーネ・ハルファレギスは、病弱な少女だった。元々発育が遅れがちで、他の子供達より二年も遅れて魔法学校に入学した。本来なら病弱という時点で才能なしと見捨てられるところだったが、自分の家から脱落者を出したくなかった両親の必死の賄賂攻勢により猶予されていたのだった。


もっとも、そもそも魔法の才能自体がないと判断されればそれも認められないので、そちらの才能自体はあったようである。


そんなレイレーネは自分が特別な扱いを受けていることを幼い頃から承知していた。だからその後ろめたさを解消しようとしてか、他人にとても優しかった。この魔法の国の人間達は十三歳前後に命を落とすことが一般的なこともあり、どこか投げやりで刹那的でかつ自我が肥大化している者が多い故に他人に対して冷淡かつ冷酷な傾向があるのだが、時折、プリムラやレイレーネのように大人しかったり他人をひどく気遣う者も現れるのだった。


レイレーネは、泣いている者がいれば傍に寄り添って抱き締めてやり、愚痴をこぼす者がいれば気が済むまでそれに耳を傾けてくれた。


十三年前後という短い生涯が一般的でそういうものだと思いつつもやはりそれを恐れる気持ちを残す者も多く、己の運命を嘆いて涙する者も少なくなかった。


そんな者を抱き締めながらレイレーネは言う。


「大丈夫。不安なのはみんな一緒だよ。みんな怖いの。私は生まれつき体が弱かったからここまで生きられたのが逆にすごいと思ってる。


私は魔法ではみんなに勝てないから蟲毒の行ヌェネルガできっと早々にリタイアになると思うけど、その分、あなたは生き延びられると思う。お願い。私の分まで生きて。生きて私のことを覚えていてほしいの……」


入学が遅れて同級生達よりは既に二年長く生きた彼女は、それだけ人生経験も積んでいたということなのかもしれない。いつしかそんな彼女を心の支えにする者も現れ始めたのも当然の成り行きだったのだろうか。


ヘルミッショ・ネルズビーイングァもその一人だった。彼女は元々、辛うじて魔法の才覚は持つもののそのレベルは決して高くないとみられて下賤の者と蔑まれている種族の出身であり、それ故、荒んだ眼をした攻撃的な少女だった。にも拘らず、レイレーネはそんな彼女にも優しかったのだ。


「ヘルミ…あなたは決して他の子に劣ってる訳じゃない。少なくとも私よりは優れてると思う。だから自信を持って。あなたの力を発揮すれば大丈夫だから……」


入学したばかりの頃は馴れ馴れしく綺麗事を並べるレイレーネを嫌っていたヘルミだったが、どんなに邪険に扱っても態度を変えないレイレーネには、表面上は反発しつつもいつしか心を許していったのだった。




「<蟲毒の行ヌェネルガ>では手加減しないぞ……悪く思うなよ」


魔法の実技の授業の後、レイレーネを打ち負かしたヘルミが背中を向けたままボソリとそう言った。だがレイレーネは優しく微笑んだだけだった。


「ええ、それでいいわ。あなたには生き延びてもらいたいから」


その言葉を背に、ヘルミは黙って教室へ戻っていった。


ヘルミにとって蟲毒の行ヌェネルガは、恐ろしい儀式であると同時に、這い上がる為の絶好の機会でもあった。下賤の輩と蔑まれる自分がまっとうな人間として扱われるようになるには、魔法の才能を見せつけるしかないからだ。蟲毒の行ヌェネルガを生き延びることは、底辺を生きる者にとってはそういう意味もある。まさに一発逆転の好機なのだ。


だからヘルミは、執念さえ感じさせるほどの集中力で魔法を学んだ。他の同級生のようにのんびりと構えていてはそれこそ追いつかない。その鬼気迫る様子に、周囲は恐怖さえ感じたという。


だが、不思議なことに、そんなヘルミでもレイレーネの前でだけは、ほんの少しだが安らいだような様子を見せたのだった。




そして蟲毒の行ヌェネルガ当日。ヘルミは、緊張のあまり青白い顔をしつつも決意を秘めた目を真っ直ぐに正面に向けていた。彼女以外の参加者の殆どは、今にも泣きだしそうな顔をしているか、逆に心を失くしたかのように無表情になっているかのどちらかだというのに。ただ、唯一、レイレーネだけは何かを悟ったかのように穏やかな顔をしていた。覚悟を決めたということなのだろうか。


半径一キロの半球状の結界。それが、蟲毒の行ヌェネルガの舞台だった。しかしそこは、水も食料もなく、時間の経過と共に酸素も失われていくという極限の環境だった。そこで子供達は、最後の一人になるまで殺し合うのである。何時間でも、何日でも、何ヶ月でも。


もっとも、酸素が減っていくのは、次々脱落者が出ることで実はそれほど大きな問題ではなかった。全員死なせては意味がないからだ。だからそれについては参加者を心理的に追い詰める為のブラフであるとも言える。


また、魔法によって水や食料の欠損はある程度補うこともできる。空気中の水分などを変換することで水を得、僅かに生えている植物などを栄養に変えることも不可能ではない。実際、そのようにして生き延びようと試みる者もいる。だが、最後の一人にならない限り解放されることは決してない。最後の一人になった瞬間に結界は解かれ、その一人はたとえ瀕死の重傷を負っていようとも回復させられ、次のステージに進むことになる。さらに強力な魔法を学ぶことになるのだ。


ただし、どのような形で最後の一人になるまで生き延びるのかは、完全に子供達に委ねられているのだった。


そんな中、ヘルミは出会った相手を片っ端から容赦なく、殺していったのであった。




その時のヘルミの姿は、まさに鬼神であった。気力と気迫で相手を圧倒し、地力で勝る相手すら容赦なく倒していった。ある者は炎で焼き、ある者は空気の刃で切り裂いて。その行いには、一片の迷いすらない。


一方で、レイレーネは既に死を受け入れたかのように座して静かに佇んでいた。それは、鬼神を思わせるヘルミとは真逆に、一切の衆生を救う為に己が身を捧げようとする菩薩のようであったともいう。


そんな彼女を好機とばかりに狙う者もいたが、そういう者達はことごとく他の子供達によって返り討ちとなった。複数の子供達が、協力してレイレーネを守っていたのだ。


「いけない。あなたたちがそんなことをする必要はないわ」


そう言うレイレーネに、彼女らは、


「気にしないで。私達がこうしたいだけだから」


と決意を込めた目で応えていた。


それは、一種の信仰のようなものであっただろう。一人、二人と倒れていく彼女達は皆、自分の命を使ってレイレーネを守れたことに満足したかのように満たされた顔で息絶えていった。まさに信仰に殉ずる殉教者の姿そのものと言えた。


そうやってレイレーネの傍で彼女を守ろうとする者もいるかと思えば、積極的に打って出ることで結果として守ろうとする者もいた。ヘルミの行動はまさにそれであったのだ。守るのは性に合わない。だから自分から攻撃に出る。淡々と、しかし苛烈に。


人数が減り始めると、力を温存して機会を窺おうとする者の比率が増えてくるので膠着しがちになるのだが、このグループの場合は違っていた。力を温存しようとして手加減するとヘルミが容赦なく打ち倒す。既に半数がヘルミによって倒されていた。


また、レイレーネの傍で彼女を守ろうとしていた者達も次々と力尽き、二人を残すだけとなっていた。レイレーネはせめてもということで二人に回復魔法をかけ、サポートする。だが、残った二人のうちの一人も、攻撃をしのぎ切ったと油断した瞬間に強力な雷霆に撃たれ黒焦げとなった。残るは一人。


「私が守る! あなたは私が守る!!」


何度も何度も自らに言い聞かせるようにそう唱えていた最後の一人は、自らの生命を維持する為の力すら使い果たしたらしく、立ったまま息絶えていた。


「ああ……」


その姿に、レイレーネは悲しげに声を漏らした。


そんな彼女に、死の呪文を投げかけようとしていた者が、魔力を練り上げる隙を突かれて風の刃に切り刻まれて地面に転がった。


「まだ、生きてたか…」


その声に頭を上げた彼女の視線の先にいたのは、全身傷だらけのヘルミであった。


「あと、三人だ……」


呟きながら膝をついたヘルミを、レイレーネの癒しの魔法が包んでいたのだった。




蟲毒の行ヌェネルガ>は根本的に欠陥を抱えた儀式であった。その最たるものが、


<生き残った者が勝ちである>


という部分だろう。そう、どんな手段を用いようとも最後に生き残ればそれでいいのである。


無論、戦いには策を弄することも必要だ。力で勝てない相手には搦め手で臨むことも正当な手段とは言える。だがそれは、搦め手が通用する相手での話である筈なのだ。人間同士の争いなら確かに有効ではある。しかし、彼女らが本来戦うべき相手とされている<邪神>には、それは意味がない。邪神を退けるには、結局、力で圧倒するしかないのだから。


これはつまり、人間では邪神には勝てないという意味に他ならない。彼女らの努力も犠牲も、すべてが無駄なのだ。彼女らはこの二年後、それを思い知らされることとなる。


が、今の彼女達にとっては目の前の状況に力を注ぐしかなかった。


レイレーネの回復魔法により力を取り戻したヘルミは、一切の出し惜しみをしなかった。どうせ生き残る必要はないのだから、力を残す意味もない。彼女の目的はいつしか、底辺を生きてきた自分の人生を一発逆転させることではなくて、自分を認めてくれた者の心と記憶に残ることになっていた。何故なら、全力を振り絞り戦ったことで、自分の限界がはっきりと見えてしまったのだ。


『オレはもう、これ以上強くなることはできない……生き延びたとしても、結局、今以上の魔法を身に付けることはできないってことを思い知ったよ……』


全ての力を振り絞る為に己の根幹部分にまでアクセスしたヘルミだからこその悟りだった。己のありとあらゆる部分を覗いてかき出して調べ尽くして、もうどこにも新しい力など収められる部分がないことを悟ってしまったということだ。


「レイレーネ……オレは、お前みたいな綺麗事を並べる奴が嫌いだ。他人に優しくしたら見返りが貰えると思ってる奴が嫌いだ。だがお前みたいな奴じゃないと、オレのことを覚えててくれないんだろうなっていうのも実感としてあるよ……


オレはどうやらここまでみたいだ……生きてくれ、レイレーネ……」


自分とレイレーネを除く最後の一人を倒し、ヘルミは力尽きた。


「ヘルミ…!」


もう、頭を持ち上げる力すら残っていないヘルミを抱き締め、レイレーネは微笑んだ。だがそれは、邪神もかくやという、あまりにも恐ろしく禍々しい笑みであった。


「ありがとう、ヘルミ……これが、あなたへの心からのお礼よ」


自分の体を包み込むおぞましい悪意を感じた瞬間、意識を失いかけていたヘルミは、最後の力で、自分を見詰めるレイレーネの顔を見て、悟ってしまったのであった。


自分が利用されたことを、彼女にとって自分はただの捨て駒の一つに過ぎなかったことを、例え自分のことを覚えていたとしてもそれは愚かで間抜けなお人好しとしてでしかないということを。


『レイレーネぇ……貴様ぁぁあぁぁ……』


この世のあらゆるものを呪いながら、ヘルミの意識は何もない真っ暗などこでもない場所へと沈んでいったのだった。




こうして、この年の蟲毒の行ヌェネルガは、レイレーネ・ハルファレギスの勝利で幕を閉じた。物心ついた頃からすでに他人を欺く術を身に付けていた彼女は暗殺者としての才能を発揮し、それに則した新たな魔法を身に付けていった。


だが、それから二年後、彼女が先輩として優しく接していた一年後輩のキオリとチアキが<邪神>と共に再び現れ、魔法の国は未曽有の危機に陥ることになった。


無論、レイレーネも魔法使いとして邪神を討ち滅ぼすべく戦ったが、他の魔法使い達と同じく意識を失い、そして、邪神の降臨を機に現在の体制を打倒するべく蜂起した人間達によって無残な死を遂げることとなったのであった。




ヘルミッショ・ネルズビーイングァ。蟲毒の行ヌェネルガでレイレーネを守り通したものの最後の最後で彼女の裏切りにより死亡。享年、十六歳。死因、レイレーネが掛けた死の魔法による心不全。


なお、ヘルミは下賤の民として蔑まれてきた種族の出身であった為になかなか入学が認められず、三年遅れで入学したことでこの年齢まで生き延びることになった。


レイレーネ・ハルファレギス。蟲毒の行ヌェネルガを生き延びるも、その後に起こった邪神の降臨とそれに伴って発生した、現体制に不満を抱く者達の武装蜂起の最中、反体制派の集団リンチにより死亡。享年、十七歳。死因、外傷性ショックによる心不全。


手段と目的をはき違えた狂信の果てに、魔法の国は自ら邪神の降臨を促す結果となり、全人口の九九パーセントを失い滅亡することとなった。<邪神>にとっては、体制派だろうと反体制派だろうと関係なかったのである。


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