愚か者の末路
「強力な結界で閉じてやったから、この倉庫の敷地の外にはここでの様子はまるで伝わらぬ。私が少々力を振るおうと影響もない。
だから安心して私に八つ裂きにされて食われろ、貴様の頭をビーフシチューのように啜ってやる!!」
私は一切の手加減なく呪詛を浴びせた。その瞬間、奴の体の表面が沸騰し、ぼこぼこと泡立って爆ぜる。しかしもはや人間の姿を失ったそいつはそのまま奔り、指が爆ぜて失われた腕の中から蟹を思わせる爪を伸ばして私の首を捉えた。頭の中にバギガギと首の骨が砕かれる音が響くが、そんなものに構うことなく紅い瞳で奴を睨む。
邪眼の呪いが奴の防殻と反応し、細かく砕けた呪いが火花のように青く弾ける。奴は右腕一本で私の体を持ち上げ、左腕からは私のそれよりさらに巨大な鉤爪を伸ばして私の腹を裂いた。腸も胃もこぼれだして垂れ下がるが、それすら構わず両脚を奴の右腕に絡め、体を捻って捻じ切った。
内臓を撒き散らしながら宙を舞い、私は奴の右腕を自らの口へと押し込んでバリバリと貪り食う。巻き戻しなど後でまとめてやればいい。今はこいつを噛み砕いてやる。
「――――――――――――ッッッ!!!!」
もはや人間の耳では聞き取れない雄叫びを上げながら黒い翼を羽ばたかせ、私は宙を奔った。その私を引き裂く為に奴が振るった鉤爪もろとも刃でもある黒い翼で奴の左腕を切り裂き、それを右手で掴んで両足を奴の胸に着き、真っ直ぐに伸びあがるようにして蹴って、左腕も引きちぎってやった。
それもまた口へと押し込み食うと、両腕を失ったサタニキール=ヴェルナギュアヌェは、そこからさらに蛸を思わせる触手を何本も伸ばし、周囲にあったパレットや箱等を捉えて片っ端から私目掛けて放り投げた。それを両手ではたき落とすが、さすがに腕が二本では手数が足りなかった。
一辺一メートルを超える樹脂製のパレットが私の顔を捉え、ゴッっという硬い音と共に頭が後ろに弾かれる。そこにさらにパレットが私の腹を捉えて、今度はくの字に折れた状態で壁へと叩き付けられた。
背骨が折れる音と感触があったが、まだまだあ!!
壁を蹴り宙を舞い、翼の刃で奴が投げるものごと触手を切り落とす。そこにさらに、
「ゴァアアァアァアアアアァッッ!!!」
と、特大の呪詛を叩き付けてやった。
瞬間、奴は体はぶるっと震え、爆発するようにバズン!!と四散する。
『いよっしゃぁ!!』
声にならない声で叫んだ後、床に降り立ち、
「……ふう……」
と、小さく溜め息を吐く。もっとも、別に必要のないことだったのだがな。人間の体がベースになっているから、反射的にそうなってしまっただけだ。それと同時に、体が急速にクールダウンしていく。
『取り敢えずはケリがついたか……』
飛び散った奴の体を拾い貪り食いながら、私は自分の体を巻き戻した。次々と拾い食いしては、今度は他の連中も巻き戻す。そう、ここにいた化生共の依代になったり、餌になった人間共をな。破壊された倉庫内の施設も設備も備品も巻き戻し、完全に元の姿へと戻していく。
もちろん、惨めな姿になった
私によって巻き戻された人間共は、殆どがこの食品会社の従業員だった。そいつらが意識を取り戻す中、私と赤島出姫織については認識阻害で人間共からは知覚できないようにした。
が、赤島出姫織を嬲っていた淫魔の依代になった連中は部外者だから、
「あんた誰?」
と従業員が騒ぎ始め、警察へと通報、駆け付けた警察官に引き渡されて不法侵入の現行犯で逮捕された。そいつらについても記憶をそのままにしてやってたから腰が抜けて逃げることもできなかったのだ。
それからは、状況がよく掴めないもののとにかく仕事に戻らないとと普段の作業を再開した人間達の様子を、私と赤島出姫織は黙って見守っていた。もはやここには化生共の気配は全く無い。サタニキール=ヴェルナギュアヌェが食品に混ぜていた薬物もない。他所と何も変わらない、普通の食品卸会社へと戻っていったのだった。
「ふん…こんなものか……」
そのすべてを見届けて、私は背を向けて歩き出した。赤島出姫織が何も言わずについてくる。
しばらく歩いたところで、不意に、
「ごめん…助かった……」
という絞り出すような声が私の耳に届いてきた。赤島出姫織だった。何を今さら。
「懲りたか…?」
短く問い掛ける私に、赤島出姫織も短く,
「そうね…」
とだけ答えた。
更に歩いて人気のない小さな公園に差し掛かったところで私は立ち止まり、軽く結界を張った。
「…?」
突然の行動に戸惑う赤島出姫織には構わず、私はそこで巻き戻しを行った。サタニキール=ヴェルナギュアヌェに憑かれた人間の巻き戻しだ。
しかし、公園のベンチにもたれかかるようにして姿を現したのは、一人の貧相な老人だった。私と対峙した時の面影などまるでない、本当に撫でただけで死んでしまいそうな、七十くらいの老人であった。
「誰…? この人…?」
さすがにピンとこなかった赤島出姫織に問われ、私は応えた。
「こいつが今回の事件の首魁、<悪魔王>サタニキール=ヴェルナギュアヌェの依代だ」
「え? こいつが…?」
実は赤島出姫織は先程までのサタニキール=ヴェルナギュアヌェの姿を見ていなかったから、その程度の反応でしかなかった。見ていたらもっと驚いただろう。あの、野生の獣のような強靭な肉体を持った男の正体がこれだとは。
巻き戻した際についでに軽く覗いてやった記憶によると、こいつは若い頃はそれなりに鍛え上げられた肉体を持ったボディービルダーだったらしい。しかし無茶なトレーニングで体を壊し肉体を維持できなくなってからは生活も荒れ、家族にも逃げられ、今は安アパートに一人で住む憐れな独居老人ということだった。
だがそれでもなお鍛え上げられた肉体への執着が捨てきれずにいたところを、サタニキール=ヴェルナギュアヌェに利用されたということだ。
でもまあ、取り敢えずは今回の事件については片が付いたな。
しかし、私は同時に少し腑に落ちないものも感じていた。呆気なさ過ぎるのだ。サタニキール=ヴェルナギュアヌェは、本来、<魔女>ケェシェレヌルゥアに比肩するそれなりの化生だった筈だ。にも拘らず、こんな貧相な奴に憑いたことで力が制限されていたのだとしてもあまりにも貧弱過ぎた。普通ならこの程度ではない筈なのだ。
だが、私は確かに奴を葬り食った。奴の残滓は現に私の中にある。消滅したのは間違いない。間違いないのだが、何かがおかしい。私は何かを忘れている。この人間の肉体ではいかんせん限界があり全てを思い出すことはできない。その思い出せない部分に何かがある気がする。
「……ま、別にいいか…」
思い出そうとしても思い出せず、私は気にしないことにした。どうせ何かあったところでそれはまたその時に対処すればいい話だ。だからそのまま、赤島出姫織を伴って家へと帰ったのであった。
その後、サタニキール=ヴェルナギュアヌェの影響を失った
そして、クーデターを主導した
私が碧空寺の家に置いてきた<影>は当然、父親の下に残りそのままである。
こうして一連の騒動は、多数の怠惰な人間と、家族に切り捨てられた一人の憐れな女を生んだだけというつまらん結果で幕を閉じたという訳だ。
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