Greedy

それは、公園だった。この辺りでもあまりよくない意味で有名な公園だ。実際に来るのは初めてだが、ニュースなどではちょくちょく名前が出てくるし、噂話のネタにもなる場所だった。というのも、ホームレスが集まるので有名だったのだ。実際に今でもブルーシートを使ったテントのような小屋がいくつも並んでいる。


ただここも、オリンピックが近いということで、遠からず強制的に撤去される運命だろうがな。もっとも、ここにいる連中は別の場所に移るだけで、問題の解決にはならんだろう。


私は別にこういう連中に対して特別な感情はない。私にしてみれば人間なんてどれも大差ない。世界的に賞賛を集めてる奴だろうが、ここで今夜中にも野垂れ死にするかもしれん奴だろうが、ゾウリムシの毛の数が多いか少ないか程度の違いでしかない。とは言え、月城こよみの方はさすがに自分とは異質な存在に壁を感じてるのも事実だった。


それでも、こういう連中を単に排除してしまえばいいとか死んでも構わないとかは思ってないがな。


突然公園に現れたジャージ姿で前髪で顔を隠した若い奴に、テントの外で涼んでいたホームレス達の視線が集まった。あまりじろじろと見るわけではないが、何をしに来たのかと警戒しているのが分かる。以前にもここで、中学生高校生のグループがホームレスに集団で暴行を加えたという事件があった。恐らくそういうことを懸念してるのだろう。


だが、逆だ。月城こよみはこいつらを守る為にここに来たとも言えるのだ。


『この地下だ。水の気配がある。この公園の真下を水路が通っている筈だ。下水、ではないな。それよりも水量があるし大きい。かつて川だったものに蓋をして埋めた暗渠あんきょというやつだろう。そこにいる』


私の説明に、月城こよみは感心したように呟いた。


『へえ、そうなんだ?』


その意味のない返事には取り合わず、私は用件のみを伝える。


『その辺に寝転がって心臓の動きを制限して、死にそうな人間のふりをしてみろ。恐らくそれで釣れる』


そう言われて月城こよみは少し困ったような顔をした。


『え~? 他に何か方法はないの?』


情けないことを言ってくる。無理もないか。今のこいつにはそこそこの難易度の要求だからな。敵の攻撃を受けて瀕死の状態になるならまだしも、自分で自分を瀕死の状態にするというのはさすがに怖いだろう。心臓が止まろうが脳の大半が破壊されようが私の能力が無意識のうちに巻き戻すから死にはしないが、自分でわざとというのは人間に感覚として有り得ないことだ。単に息を止めて死んだふりをするのとは訳が違う。だが。


『奴は臆病で用心深いししかも見た目の割に逃げ足も速い。だから抵抗出来なさそうな動物しか襲わん。それこそ死にかけの人間や、乳幼児でない限りな。こちらから押しかければ姿を隠すだけだ。今のお前じゃ捉え切れんだろう。わざと食われてやるしかないんだからさっさとやれ』


容赦のない私の言葉に、月城こよみはしぶしぶ従った。


『は~い…』


情けない返事をしながら手近な芝生の上に寝転び、意識を集中する。心臓の動きを制御する為だ。それ自体は別に難しい作業じゃない。ただ、それを実行に移すことが人間には難しいというだけだ。それでも月城こよみはそれを実行した。その瞬間、死を感じ取った脳がデタラメに活動を始める。走馬灯というやつだ。


『死ぬ…? 死んじゃうの…!?』


パニックに陥った月城こよみが頭の中で叫ぶ。とその時、寝転がっていた芝生がまるで水面のように波打ち、体が沈み込む。時間にすれば一秒とかかってないだろう。ホームレス達の遠巻きの視線の中、人間が一人、芝生の中に飲み込まれたのであった。何が起こったのか分からんだろうが、人間にしてみれば怪奇現象以外の何物でもあるまい。それを恐れて自主的にどこかに逃げれば、強制的に撤去されたりはせんだろうが、それはこいつらの問題だ。私の知ったことではない。


そんな地上とは関係なく、まるで水のようになった土の中を月城こよみの体が沈んでいく。パニックを起こしたままもがくこともままならないその様子を、私は黙って見守った。まだ早い。いっそこのまま死ぬまで待ってもいい。その方が確実だ。そしていよいよ月城こよみの意識が遠退いていく中、それは起こったのだった。


水のようになった土の中でもがく月城こよみが突然、ずるんっという感じで何かに吸い寄せられた。いや、吸い込まれたと言った方がいいか。するとそこは、土の中でもなければ水のようになった土の中でもない場所だった。温かく、そして濡れていて、かつ弾力があった。だが光はまったくない。完全な闇の中だ。しかし周囲の様子が変わったことが刺激になったのか、月城こよみの思考が急速に一定の方向性を持ったものに変わっていった。まともな思考になっていったのだ。


「うわっ!? 何これ!? どこなのここ!?」


などと今さら何を言っているのかと思ったが、とにかく教えてやる。


『落ち着け。ここは、ヌォホ=ノォホレヘェンの腹の中だ。まんまと釣られてくれたのだ』


私の声が聞こえたことでさらに思考が鮮明になり、冷静さが戻っていく。


「あ、そうなんだ。そういうことか」


月城こよみの冷静さが戻ったところで、私は改めて問い掛けてみた。


『さて、これからどうする?』


その問い掛けには応えず、


「熱っ!?」


と殆ど悲鳴のような声を上げる月城こよみに、さらに問い掛けた。


『ほれほれ、早く何とかしないと消化されてしまうぞ。どうする?』


見れば、上半身を支える為に下に着いていた左手がすでに骨だけになっている。となれば当然、足もだ。すさまじい消化速度だ。まさかこれほどとは私も知らなかった。何しろわざと食われてやったことなどこれまでなかったからな。私なら、こんなことをしなくても逃がすことなく倒せたのだ。


「くっ!!」


必死に記憶の中から倒し方を探ろうとしてるのが分かる。が、私がやったことがあるのはすべて外からの攻撃だ。中からやったことなどない。仕方なく取り敢えず思い付いたことを試そうとしたようだ。


まず髪を突き立ててみる。しかしヌォホ=ノォホレヘェンの体は思った以上に強靭で、大して刺さらない。しかもすぐに再生する。髪の毛が刺さった程度ではびくともしなかった。


こいつの弱点も火や高熱なのだ。要は外から強い火力で一気に焼いてやればいいのだが、こんなところでそんな火を起こせば自分自身も消し炭になるな。


月城こよみの顔に焦りが浮かぶ。そうしている間にも体は消化されていく。巻き戻しても巻き戻す端から消化されるのだ。今は巻き戻しの方が勝っているが、これでは巻き戻しの為にエネルギーを無駄に消費するだけでジリ貧だ。


「熱…高熱…熱を発生させるには…」


うわ言のように呟きながら必死に思考を巡らせる。しかし常に巻き戻しに力を使っている為に思考までが制限されている。恐らく今は、本当の中学生並みか下手をしたら小学生並みの思考力しかないだろう。


感覚を拡大し、こいつの体外、さらにその外へと意識を広げていく。何か攻撃の為のヒントを探しているのが分かった。近くの地中にガス管があるのが感じられた。ガスを燃焼させてこいつを焼くか? いや、それだと地上の公園まで被害が及ぶかも知れない。そう思った次の瞬間、月城こよみの脳裏に何かが閃いた。


それは、ライフラインを集約した共同溝の中、ガス管の近くを通っていた電線、高圧線だった。それに気付いた月城こよみが巻き戻しを敢えて止め、そちらに意識と力を集中する。すると高圧線の中を通る電気が、ある周波数に整えられて、一気にこちらへと迸った。マイクロ波。電子レンジが食品を温める際に使うあれだ。


高圧線とヌォホ=ノォホレヘェンの間にある構造物も土も、とてつもなく強力なマイクロ波により瞬間的に高温になり溶解する。そしてヌォホ=ノォホレヘェンもまた、一瞬で焼き上げられたのであった。


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