Relief

強力なマイクロ波は、当然、ヌォホ=ノォホレヘェンの腹の中にいる私達にも届いた。だがそれを自身の周囲に電気的な緩衝帯を作って極力中和する。よくまあこの状態でそんなことを思い付いたものだと感心する。しかも、マイクロ波の発振と中和という二つのことを同時にやってみせたのだ。その分、巻き戻しは疎かになったが、既に勝負は決した。


しばらく苦しげに身を捩ったヌォホ=ノォホレヘェンではあったが、それも長くは続かなかった。自らの周囲に外敵の姿も見当たらないのに突然非常に強力な攻撃を受けて混乱したのだろう。どこに逃げていいのかも分からずその場に留まってしまったものと思われた。そうしているうちに全身をマイクロ波によって焼き上げられ、再生も間に合わなかった。不可逆的な変化により、それはやがてヌォホ=ノォホレヘェンではないものへと変わってしまったのだった。ただの焼かれた肉の塊に。


生きてるが故に強靭であった肉体もこうなってはステーキと変わらない。髪の刃で中から切り裂き、月城こよみは脱出したのであった。だがこの時、地上では少々騒ぎになっていた。あまりに大量の電気がマイクロ波に変換されたために電力が不足し、大規模な停電が発生していたのだ。慌てて溶解した部分を巻き戻し停電も復帰したものの、この原因不明の急激な電力消費については、人間達は当分、頭を捻ることになるだろうなと私は思った。しかも使われた電気の料金も、どこにも請求できないしな。


ヌォホ=ノォホレヘェンの死体を消した後、空間を跳躍して地上に戻る。芝生に飲み込まれて消えた筈の人間が突然現れて、「ひっ!」と悲鳴を上げるホームレスもいた。それには構わず公園を後にした。


「ふう…」


月城こよみが溜息をつく。その姿には疲労の色が見えた。ヌォホ=ノォホレヘェンも喰わなかったことで、エネルギーを消耗したのだ。やはり喰う気にならなかったということなのだろう。小遣いはまだ十分にあるからコンビニに入りカゴいっぱいに弁当や菓子を買い込んで、手近なビルの屋上に腰を下ろし、そこでそれらを片っ端から喰い始めた。それでも失ったエネルギーに比べれば足りないが、取り敢えず回復するにはまあ事足りるだろう。


弁当三つを平らげ、チョコレートバーをかじりながら月城こよみが街を見下ろす。


「まだ結構いるんだね」


化生の気配を感じ取ってそう呟いた。私もそれに応える。


『まあな。お前も今なら分かるだろうが、大して害もない奴を含めれば連中は無数に居ると言っていい。お前が人間として人間に直接害をなす奴を狩りたいと言うのなら私も協力しよう。目的は少々違っても、化生共を狩ることで目的を果たすという点では一致するからな』


そうだ。月城こよみは人間として同族を守る為に化生を狩るのなら、私は化生を狩ることによって私にちょっかいをかけている奴を炙り出すのが目的なのだ。利害という意味では反するものではない。


月城こよみが私に問う。


「それで怪物は居なくなる?」


この言葉の裏側に、懇願にも似た願望が込められていることを私は感じ取った。しかし、私の返事は冷徹だ。


『居なくなることはない。狩られて空白地帯が生じれば、いずれまたそこに別の奴が入り込むだけだ。奴らが滅びることもない。奴らは生き物に惹かれて宇宙のあらゆるところから集まってくる。永久に堂々巡りだ』


事実だけを端的に述べたそれに、隠し切れない失望が覗き、声となって漏れ出る。


「そうなんだね…」


かじりかけのチョコバーを見詰めるように俯き、力なく呟いた月城こよみの姿を、私は見下ろしていた。それはただの中学生の少女の姿そのものだった。


『嫌になったか?』


私の問い掛けに、月城こよみが素直に答える。


「ちょっとね」


少女の正直な気持ちが込められた一言だった。しかし現実はそう甘くない。私はそれを思い出させる為にまた事実を突きつける。


『だが、綺勝平法源きしょうだいらほうげんについては奴の方が私達を狙ってる。こちらが逃げても見逃す気はないだろう。しかも奴は、あわよくばとお前の体も狙ってるからな。奴の愛人にでもなるか?。そうすれば争わずに済むかも知れん』


その瞬間、月城こよみの体を怖気が走り抜けた。自分の体を抱き締めるようにして本音を口にする。


「うう、それは嫌だなあ…」


本当に嫌なのだというのが滲み出ていた。あれだけは生理的に駄目だというのがひしひしと伝わって来る、魂の呟きだった。


『なら、奴を潰すことだ。今の奴に人間の法は通じない。少なくとも奴の力を奪わん限りは、人間の法で罰することもできん』


そうだ。奴がただの人間なら人間の法で裁くこともできるだろう。今はいくらうまく誤魔化していても、いずれはボロが出る。奴を潰そうとする人間が現れて本気になればすぐだ。だが、今の奴は私達と同じ超常の力を持ち、人間の力では対処できない存在となっている。せめてその力をどうにかしなければ人間には無理だ。人間の法の外に奴は存在するのだ。それは月城こよみにも分かっている。


「それしかないのかぁ…」


嫌々ながらも受け入れるしかないということを、月城こよみも自覚しているのだ。だから私もそれ以上の無理は言わない。


『お前の戦い方は私としてもほぼ分かった。私が協力すれば、ショ=エルミナーレ級の奴でも相手にしない限りは負けることもあるまい。お前がもうやる気が失せたというのなら、今夜のところはこれで終わってもいいぞ』


そんな私の言葉に、渡りに船とばかりに飛び付き応える。


「うん、そうする」


少し弾むような嬉しそうな声だった。外出に疲れた子供が家に帰ると言われて喜んでいるのと同じだった。それをさらに肯定してやる。


『じゃあ、帰るか』


私に促されて、月城こよみは心底ホッとしたような顔をした。やはり人間には負担が大きいということなのだろう。いくら超常の能力に憧れてそういうものを夢想してきたとしてもそれが現実のものとなり実際にそれを用いて戦うとなれば、そのストレスは計り知れない。異形の怪物を相手にするストレス。そして相手が異形の怪物とはいえ命を奪うストレスをリアルに感じれば、これが遊びではないということを思い知って当然だ。私のようにこれを遊びにするには、月城こよみは優しすぎる。


その一方で、髪を翼にして風に乗り宙を舞っている時のこいつは本当に楽しそうだ。ホテルに向かって真っすぐ飛ぶのではなく、上昇気流に乗って雲の上まで舞い上がり、わざと力を抜いて自由落下してみたり、錐揉みをしてみたり、ビルすれすれを飛んでみたり、本当に子供のように遊ぶ。いや、実際に子供だから当然なのか。


こいつにとってはこの程度の力が頃合いなのだというのがよく分かる。こうやって少しばかりの力を楽しげに操るこいつの姿を見てるのも悪くないと私は思った。こいつは確かに私だが、あくまで単なる人間として育ってきた個体の一人であるのも事実だ。人間の一人としてその様子を観察してやるのもそれなりに面白い。その為にも、綺勝平法源とはなるべく早くケリを付けたいものだ。


奴が言っていた<神>とやらが何者かは知らんが、クォ=ヨ=ムイとしては既に力を失ったも同然のこいつはそいつにとってももはや敵ではあるまい。そうすれば後のことはもう一人の私に押し付けてしまっても構わんだろう。ひたすらサボリまくってるあいつにもいい加減に働いてもらわないとな。


そんなことを考えてる私達の前に、ホテルが見えてくる。それを見た月城こよみがまたホッとするのを、私は感じていたのであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る