アリーネ・エンデ・カシキの嘆息

全く。日本人というのは本当に得体のしれない人種です。


確かに私の父方の祖母は日本人で、色々と日本のことや日本人のことを教えてはくれたけれど、正直、私にとっては彼女は理解しがたい存在でした。


他人の事ばかりを気にして自分の主張を強くアピールしないなど、そんなことをしていてはすぐに他人に出し抜かれる。それが常識というものです。


なのに祖母は、


「察しと思い遣りこそが、日本人の思う美徳ですよ」


などと言って他人を気遣うのです。


彼女は言います。


「私の父は、先の大戦で、特攻隊として飛び立ち、帰ってきませんでした。父は、まだ赤ん坊だった私に向かって言ったそうです。


『僕は、国の為、天皇陛下の為に行くのではありません。僕の大切な人を守りたいから行くんです。それが君達の為だと思えばこそ、僕は笑って出立できます』


と。


そのようなこと、他人に知られれば『非国民』と罵られたかもしれない。だけど父は、敢えて、日本国民としてではなく、天皇陛下の忠実なる臣民としてではなく、一人の<人>として飛び立ったのだと思います。


これは、あなた方の言う<個人主義>に近い考え方だと見ることもできるかもしれません。ですが、そもそも<国>というものが個人の集まりなのです。だから『大切な人を守りたい』という想いがひいては国を守ることにもつながる。それらは決して矛盾するものではありません」


祖母は私を気遣っていろいろ言ってたのかもしれませんが、そんな風に長々と理屈を並べる祖母を、私はむしろ軽蔑さえしていました。


『長々と理屈を並べる者はただの馬鹿』


だと。私達人間はただ、


『神の御心のままに正義を成せばいい』


んです。


そんな風にごちゃごちゃ言ってる間に敵にやられてしまいます。


「グランマはお人よし過ぎ! そうやって話せば誰とでも分かり合えると思ってんの!? 私はそんなの信じない」


ジュニアハイスクールの頃、私はよくそうやって祖母に食って掛かりました。しかし祖母はそれでも優しい笑顔のままで、


「私だって誰とでも分かりえるとは思ってません。ただ、分かり合うことを諦めたらそこでお終いです。私は、私や母を置いて飛び立った父のことを理解しようと思ったから、今、こうして父のことを尊敬し、感謝することもできているんです」


なんてことを。


だけど私には祖母が何を言おうとしてたのか分かりませんでした。


「は? 子供が親に感謝するのは当たりまえでしょ? 日本人は、わざわざそんな風に考えないと感謝もできないの!?」


そんな風に噛み付かずにいられなかったのです。




「グランパはなんであんな人と結婚したの? いちいちごちゃごちゃと煩いあんな人と!」


そう詰め寄る私を、祖父は悲しそうな目で見ました。


「前にも話したが、彼女は私の命の恩人なんだよ。ベトナム戦争時、非公式な捕虜収容所でアメーバ赤痢を患った私を、彼女は献身的に介護してくれた。彼女がいなければ私はここにいなかっただろう。


アリーネ。君が真面目で敬虔な神の子であることを私は疑っていない。しかし、もう少し広い視野を持つべきだろう。神は決して狂信を求めてはいらっしゃらない。


そして、私にそのことを教えてくれたのも、彼女なのだ」


祖父はそう言うものの、それさえ私に言わせれば、


「グランパはあの人に洗脳されてるんじゃないの!?」


って感じでした。


それを見ていた父が、


「アリーネ! グランパに向かってなんてこと言うんだ!」


と怒鳴りながら私の頬をひっぱたきました。


私にはそれも納得できませんでした。神の御心を理解しているのは私の方で、それに従ってるのも私のはずです。非難されるべきは祖父母の方であって、私ではない筈だと思いました。


しかし不満はあっても、当時の私は自立できるだけの力もありませんでしたので仕方なく家にいましたが、それでも常にこのような家からは出て行くことを望んでいました。


その為には軍に志願するのが一番と考え、全て自分で準備をしてハイスクールを卒業と同時に軍に入隊しました。


軍での訓練は大変厳しく、あれこれ考えてる暇もありませんでした。いえ、考える余裕もないほど毎日が過酷で、訓練が終わると倒れるようにして寝ました。


でも、それだけに充実していたと思います。


ごちゃごちゃ考える前に神の御心のままに動く。人間はこれでいいんです。




なのに、軍に入ってから私は自分の認識とは意外なほど違っていることを知りました。


私は、危険があれば先制攻撃することこそが国や市民の安全を守る為には必要なことだと思っていたんですが、現在の軍事的な対応と、実際の<国際常識>としての戦闘行為について教わった時、実は<先制攻撃>は国際的に禁じられた行為なのだそうです。相手から攻撃があって初めて反撃が認められるのだと。


『それでは被害が出てしまう』


と思った私でしたが、実際の軍の記録に触れることで、<被害を防ぐ為の先制攻撃>に意味が無いことを知らされたのです。


攻撃を仕掛けた方は、殆どの場合で反撃を受け、被害を出しています。最初の一撃だけで相手を黙らせることがいかに困難であるかも知りました


そして先制攻撃を行った方は世界的に非難の的となり、国際的な不利益を被るということでした。




しかし、そうは言っても自らの身を守る大原則は『やられる前にやれ』の筈です。『政治家達はいったい、何を考えているんだ?』というのも正直な気持ちでした。私達軍人は見殺しにしてもいいのかと。


最初の頃はそうも思っていました。


だけど実際に訓練を行い模擬戦なども重ねるにつれ、『最初の一撃で、反撃さえできないように徹底的に叩きのめす』ということがいかに困難かを理解させられていきました。特に対テロリスト戦を想定した訓練では、完全に制圧に成功した筈にも関わらず、人質役に紛れていたテロリスト役の教官に自爆(に見立てたクラッカーを鳴ら)されてしまいました。


人質とテロリストの区別がつかなかったのです。


敵を完全に殲滅しようとしても、それは現実には非常に難しいことだというのが分かります。そして反撃されて結局は被害が出る。被害を防ぐという点において<先制攻撃>は、実は必ずしも有効な手段とは限らないという事実を思い知らされます。


しかし、理屈では分かっていても感情は納得してくれません。ましてや明らかに相手が敵意を向けているのにも拘らず向こうが手を出すまで待てというのはやはり理不尽としか思えないのです。


同じ神の御使いたる同胞を見殺しにするようなことが許されるのでしょうか?


私にはとてもそうは思えません。だから反撃されるというリスクはあっても先に攻撃すべきだと私は思うのです。


でも同時に、軍人たるもの、命令には絶対従わなければいけません。『攻撃するな』と命令されれば攻撃する訳にもいきません。


そんな葛藤の中、私が所属していた部隊が、テロリストの拠点を叩く為に派遣されました。


そのテロ組織は既に我が国に対して攻撃を仕掛けているので、苛烈な<神罰>を与えてやらなければいけません。先に攻撃したのは向こうなのですから、遠慮はいらないわけです。


作戦は順調に進み、私達の部隊はテロリストを順調に排除していきました。


ですが、テロリストは、こともあろうに人質を取って学校に立てこもったのです。その卑劣な行いに私は激しく憤りました。しかし、学校の職員や近所の住人らも人質となり、テロリストはその中に紛れてしまい、区別がつけられません。


私の部隊内でも、対応については意見が分かれました。


「たとえ犠牲者を出してでも先に攻撃し、テロリストを殲滅すべきだ」


という意見と、


「テロから守るべき市民を我々が攻撃するようなことをしては本末転倒だ」


という意見です。


これは私達を指揮する上官達の間でも同じ形で意見が分かれたようでした。




市民と区別がつけられないテロリストに占拠された学校に対してどうあるべきか、基本的な部分ではもちろん想定はされています。『テロリストと交渉はしない』『テロリストは徹底的に叩くべき』ということです。


しかし、テロリストを叩く為の方法については、当然、その時その時の状況によって変わってきます。その方法論において、『どの程度まで市民の犠牲を許容するか』という点で意見が分かれたとも言えるでしょう。


『極力、市民の被害は出さない』と考える者と、


『たとえどれだけの被害が出ようともテロリストは殲滅すべき』と考える者です。


本音を言えば私は後者の意見の立場でした。ここでテロリストを逃せば新たな被害が出る。だから殲滅すべきだと。


ですが、待てど暮らせど命令が届きません。そうこうしているうちに、私達の部隊の中にもその状況に焦れ始めるものが出ました。部隊の中でも特に強硬な対応を主張していた仲間の一人が、待機命令を無視して強行突入してしまったのです。


私ももう少し時間が伸びていれば率先して行動を起こしてしまっていたかもしれませんが、この時はあくまで、命令を無視して突入してしまった仲間のフォローの為に続いて突入したのでした。


当然、学校内で激しい戦闘になり、子供を含めた多くの犠牲者を出しつつも、少しでも怪しい動きをした者は容赦なく撃つことで、テロリストの殲滅に成功しました。


この時、犠牲になったのは教師をはじめとした大人七人と、ブルカと呼ばれる全身を覆う衣装に身を包み、テロリストと区別がつかなかった上にこちらの指示を無視して勝手に逃げ出そうとしたりして撃たれた女子生徒を中心とした子供十七人の計二十四人でした。


それでもテロリストの殲滅には成功したのですから、私は<やむを得ない犠牲>と割り切っていたのです。


なのに、子供が巻き添えになったことで錯乱した親が、隠し持っていた拳銃で、私の部隊の仲間を撃つという事態に……


その親は、テロリストでもなければテロリストと繋がりのある人物でもなかったそうです。ですが、数十発の銃弾を受けて倒れた我が子の姿を見た瞬間に、テロリストと化したのでした。


結果として、私の部隊の仲間二人がその銃弾を受けて死亡。かつ、命令を無視し勝手に攻撃を行ったということで私が所属していた部隊は解散。初めからそんな部隊は存在しなかったことにされてしまいました。


多数の子供の犠牲者を出したことで世間の批判を恐れた上層部が、『所属不明の集団によって勝手に行われた戦闘』という風にしてしまったということです、




対テロ戦闘を行う部隊には、所属や個人が特定されて報復テロの標的にならないようにする為に、一見しただけではどこの部隊か分からないように偽装しているものも少なくありません。そして私が所属していた部隊もそうでした。


とは言え、それだけの能力を持つ部隊という点だけを見てもおのずと候補は限られてくるので、当然、その強行突入を行ったのが我が国の部隊であると推測して騒ぎ立てる者はいました。


決定的な証拠については掴ませていませんのでマスコミがいかに批判しようと、上層部は知らぬ存ぜぬを貫き通そうという姿勢だったようです。


実際、そういうことはこれまでに何度もありましたし、我が軍の関与を示す客観的な証拠もありませんので、それについては結局、うやむやとなりました。


しかし、私は哨戒任務を受け持つ隊に配備され、緊張感の乏しい退屈な毎日を送っていたのです。


そこに降って湧いた今回の事態。作業自体は子供のお遣い以下の酷いものですが、人類の危急存亡の危機という、軍人としてはこれ以上ないという役目に、少なくない興奮を覚えました。


なのに、一緒にその役目を担うはずの者達は、死に掛けの病人とクレーマーじみた堅物ビアンと子供と、どうしようもない最低最悪のチームという現実に、溜息しか出てきません。


しかも、私達にその役目を割り振ったというのは、<神>を名乗る不逞の輩。<しゅ>も、私の信仰を試そうとなさっているのでしょうか。


だとすれば、それがどんなに困難に思えても、私は応えなければいけません。


こんな非常時にあってもルールや法律に拘る不可解なレンジ・カミコウチなる人物を支えて邪悪な者共を退けるべく、私は努力します。


神を騙る<悪魔>が、『怪物を始末すれば癌を治してやる』という約束など守るとも思えませんが、少なくともそれが嘘であると確定するまでは、言うことを聞いているふりもしましょう。


早々に、提示された条件である百匹の怪物を始末し、後はレンジを助けます。そしてさすがにいよいよ体が辛くなってきたらしいレンジが、私が無断拝借してきた車椅子に座るのを見て、どれほど口では綺麗事を並べようとも、日本人も所詮はその程度だと分かって安心しました。


さあ、これからが本番です。しゅが作りたもうたこの世界に仇なす不埒な者どもに鉄槌を食らわしてやらねばなりません。


共に参りましょう。しゅの御心のままにあればすべては救われるのです。きっとレンジの癌も、主の御業によりたちどころに癒えるに違いありません。


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