深淵の向こうの深淵

「どうだ。落ち着いたか…?」


すっかり飾り付けが終えられてチカチカと電飾が煩いクリスマスツリーの前で、私は赤島出姫織あかしまできおりにそう問い掛けていた。


「……」


黙って頷くその様子に、事件直後に見られた懊悩は感じ取れなかった。実際に落ち着いてきているのだろう。


「いくら魔法が使えても、使い方を知らないと全然駄目だっていうのを思い知らされたよ……だからもう使わない。こっちじゃその使い方を勉強しようもないからね」


そうか。それがいい。身の丈に合わん力は害になるだけだ。お前はこの世界の理を学び、この世界で生きていく術を学べばいいのだ。


だがもし、お前が自ら研鑽して魔法の力を磨き上げるというのなら、それはそれで好きにすればいい。どちらを選ぼうとそれはお前の自由だ。お前達には選択する自由が与えられている。


赤島出姫織は、月城こよみや肥土透と同じように、私の家には立ち寄るだけだ。日が暮れる頃には家に帰る。こいつも大概、母親との関係は粗悪なものの筈だが、どうやら見捨てることはできんようだ。碧空寺由紀嘉へきくうじゆきかとは違い、母親に対する情はまだ残っているということだろう。


こちらも、新伊崎千晶にいざきちあきや千歳と同じように、娘が変わったことにより、母親の態度にも若干の変化が見られるようだ。暴力を振るう頻度が明らかに減っているらしい。


飲んだくれて帰ってくるのは相変わらずだが、落ち着いて自分を迎えてくれる娘の姿に微妙に居心地の悪いものを感じていると思われた。後ろめたさを感じていると言った方がいいのかも知れん。その為、家に帰ると大人しく娘の言うことに従っていることが多くなったとのことだった。


親が子に甘えるとか情けない話だが、まあこれも一つの在り方というものか。


表向きの形には正解などというものはない。ただ、本質の部分が噛み合わなければ互いに不幸になるというだけだ。例え親が子に甘えていようとも、それで上手くいくのなら別に問題にすることではない。


ところでこの時期、人間共はクリスマスとやらに浮かれて醜態を晒しているが、まあそれも興味深い生態ではある。このようなことで呑気に楽しんでいられるようになったのはつい最近のことだ。かつてはもっと切実で、まさに救いを求める為の儀式だったのだからな。


今も今日一日生きていられるかどうか分からん環境に置かれている人間共は数多い。だがそれは、数の上では少なくないが、全体の比率から言えばほんの百年前と比べても随分と減っただろう。


地球そのもののキャパシティーの問題はあっても、人間は着実に変化も見せている。世界規模の殲滅戦をしなくなっただけでも大したものだ。その危険そのものはまだ去ってはいないが、それを回避しようと手探りを続ける姿勢を見せるようになってはいる。


人間の本質は変わってはいない。相変わらず身の程知らずで身勝手で甘ったれで愚かではあるが、それはどんな種族でも辿る道だ。それを乗り越えたものが次の次元へと移っていく。私達の次元まで辿り着いた種族はまだいないが、まあいいところまで行ったのならいくつかいる。


この地球も、一体何個目なんだろうな。これまでにも何度も何度も同じような道を辿りそして滅んでいった。新たな宇宙が生まれる度に地球が用意され、進化の道を模索してきた。それ自体が、私達にとってはある種のエンターテイメントでもある。こいつらがどんな道を辿るのか、それを見て楽しんでいるのだ。ときに干渉したり、弄んだりもしつつな。


前にも言ったが、今の地球があるこの宇宙を作ったのは私ではない。誰かは知らんが他の奴だ。これは私達超越者の習性とも言える。自分で作ったものはどうしてもある程度の予測ができてしまうので面白みに欠け、結果として放置することになる。そこへ他の超越者が来て観察する訳だ。そしてこの宇宙には私が居座っているということだ。


まあ、そのせいで、面白そうな宇宙を取り合って争いになることもよくあるがな。ショ=クォ=ヨ=ムイが私によってブラックホールに落とされた一件も、元はと言えばそれが原因だった。私がいた宇宙を横取りしようとしてちょっかいを掛けてきた奴がいたのだ。結果としてやり過ぎてその宇宙そのものが消えてしまったが、そういうこともちょくちょくある。


その宇宙にいる人間共にしてみれば堪ったものではないだろうが、残念ながらこういうものなのだ。それが嫌なら自ら超越者となれ。なれた人間はまだいないが、いつかそういうのも現れるかも知れん。


私達超越者が発生する理由も、実はよく分かっていない。私達自身にも分かってはいないのだ。故に、更にこの上に何者かがいる可能性も否定はできない。私達ですら、さらに高次の存在の観察対象でしかないこともあり得る。深淵の向こうに更なる深淵が存在するのかも知れん。だが、私はそんなことは気にしない。己の楽しみだけが大事だからな。


宇宙の寿命をどう定義するかでも変わってきてしまうし、そもそも時間というものの概念そのものが実はいい加減なので単純に数値にはできないが、五百億年生きた私ですら完全に宇宙の始まりから終焉までを見届けたことはまだない。私自身が宇宙を作り出すこと、それとは別に既にあった宇宙を終わらせることは何度もあったがな。


元より五百億年という数値も人間に理解できるように調整した概算でしかないので、人間が思ってるような時間とはかなり違っているだろう。恐らく二千億年には満たない程度の範囲では誤差がある筈だ。


これでも私は超越者の中では若い方だ。年寄り連中の中には数百京とかいうレベルのがゴロゴロといる。そこまで行けば、実際に宇宙の始まりから終焉まで見届けた奴もいるだろう。もっとも、奴らとは話が合わんから私は関わろうとも思わんがな。


人間が言うところのジェネレーションギャップとやらは、私達の間にもあるのだ。


たった五百億年で退屈を持て余しているというのに、数百京年など、もはや私にも想像のできん地獄だな。死ぬことができんというのはこういうことだ。


宇宙すら超えて存在でき、宇宙の終わりと共に死ぬことすらできん。これが何を意味するのかを人間が理解するのはいつになるかな。そもそも理解できるかどうかも分からんが。


だからつい、カハ=レルゼルブゥアやハリハ=ンシュフレフアの来訪には胸が躍ってしまうこともある。実に素晴らしい暇潰しだからな。それに巻き込まれて地球が滅ぶかもしれんが、なに、私が勝てば巻き戻してやる。心配するな。


私が負けたら? 


さあ、その時はどうなるか知らん。その時に勝ち残った奴に訊いてくれ。一応は、奴らも私とそうは違わんから、気が向いたら巻き戻してくれるかも知れんぞ。保証はせんが。


それに比べると、サタニキール=ヴェルナギュアヌェについては拍子抜けだった。せめて<魔女>ケェシェレヌルゥア程度は抗って欲しかったんだがな。


そうそう魔女と言えば、魔法使い共の惑星ほしは、<蟲毒の行ヌェネルガ>を長く続けたことで魔法使い共自身が既に限界に来ていたから巻き戻したところで遅かれ早かれ自滅していた。


いくら恨みがあろうとも既に戦う力も失っていた少女らを一方的に殺す程に奴らは互いに憎悪を拗らせていたからな。だから巻き戻さなかった。たとえ巻き戻したところで、恐らくあの後で互いに殺し合いを始めただろう。最後の一人になるまで。それほど行き詰っていたのだ。故に滅んだ。


それだけの話でしかないということだ。


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