石脇佑香の憤懣

その日、石脇佑香いしわきゆうかは不機嫌だった。楽しみにしていた深夜アニメがナイター中継の延長により放送時間がズレ、録画に失敗してしまったのだ。内容自体は見逃し配信の方で見ることができるしその気になればテレビ局のシステムそのものに侵入してデータを覗き見ることもできるが、あくまで途中のCMも含めた本放送を録画するのが楽しみだったというのにそれを邪魔されたことで怒っているのである。


「ムカつく……なんでナイターなんてやってんだよ? あんなのどこが面白いんだよ。さっさと滅べよ。あー、忌々しい」


ンブルニュミハによって鏡の表面にデータとして焼き付けられたことにより人間としての生を終え、しかし今の新しい人生にもすっかり慣れた彼女は、ある変化を見せ始めていた。


人間だった当時は、非常に大人しく控えめでいつも他人の顔色を窺うようなオドオドとした様子も見せていたものが、彼女の存在を脅かす者がほぼ存在しないという事実に気付いたことで、気持ちが大きくなり始めていたのだ。同時に、人間としての肉体を失ったことで肉体から受ける影響もなくなり、人間らしい感覚も失われつつあったのである。


生身の体を持った人間は、肉体の反応、つまり恐怖を感じたり異性を意識したりすると鼓動が早くなったり汗をかいたりして自分がそういうことを感じているという実感を得られるのだが、生身の肉体を持たない今の石脇佑香には、それが無いのだ。その為、恐怖や不安、他者への共感性と言ったものが凄まじい勢いで失われつつあったのだった。


その一方で、ネット上のあらゆるコンテンツにアクセスできることにより、楽しみの殆どがネット上で完結する彼女にとっては自身の欲求は無制限に叶えられるという状況にもあった。このことが、彼女の欲望を増長させる大きな原因にもなっていたと思われる。


さらに彼女は、自らネット上を自在に動き回る方法を編み出し、それどころかネット上のデータの流れにある波長を与えることで超常の力にまで干渉できることに気付き、自身の力を増幅させることに成功していた。それは、ネット上を徘徊するだけでなく、電気や電波を操り、物理的に繋がっていない、システム的にも繋がっていない電子機器にまで力が及ぶようになったことを意味していた。


こうなるともはや、ネットワークと電子機器で維持されている現在の地球において彼女の力がどれほど絶大なものであるか、説明する必要もないだろう。彼女がその気になれば、地球上のいかなるネットワークも電子機器も思うがままに操ることもできるのだ。実質的には既に、地球は彼女の支配下にあると言っても過言ではない。何しろ核ミサイルの発射ボタンを押すことだってできるようになっていたのだから。


しかしそれまで彼女は、その絶大な影響力を使って具体的に人間社会に対して何かをしようとはしてこなかった、多少、ネット上の<香ばしい人間>をからかったりはするものの、彼女はただ、好きなアニメを堪能して、それを実況して、まとめサイトを巡回できればそれで満足だったのだ。


にも拘わらず、ナイター中継の延長により録画を失敗したという些細な出来事が、彼女に具体的な不満の矛先を与えてしまったのだった。


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