悪魔王

まさか一回目で当たりとは思わんかったが、カラオケ喫茶と看板が出ているがいかにも流行ってなさそうな店の中には、十数人の人間がいて、まあすっかり出来上がっている状態だった。そしてその中に、碧空寺由紀嘉へきくうじゆきか古塩貴生ふるしおきせいもいたのである。


やれやれ、愚かさもここまでくるとむしろ感心するぞ。


別にこいつらを連れ帰るつもりはなかった。千歳の話が本当かどうかを確認しようと思っただけだ。それに、薬物をやって覚醒状態にある人間の臭いは化生共のそれに近いので、少々の奴が絡んでいても臭いだけでは区別がつかんのだ。が、実際にここまで来てこの場の空気を吸ってみてさすがに分かった。こいつらの中に、憑かれている奴がいる。


碧空寺由紀嘉や古塩貴生は違う。さすがに憑かれた本人が学校に来ていればいくら私が意識してなくても気が付く。が、どいつもこいつもキマってるからな。臭いがまぎれて区別がつかん。さて、どうしたものか。


「初めてだったらこの辺からやってみたらどうかな」


私を案内してきた男が、板ガムの切れ端のようなものを差し出してきた。そして口を開けてそれを舌の下に入れて言う。


「こうやってゆっくり溶かす感じで味わうんだよ。慣れた奴には物足りないけど、初心者ならいい感じでハイになれると思うよ」


なるほど。そういうのならいかにも違法薬物って感じじゃなく、まるで駄菓子の様に味わえるという訳か。くだらんことにばかり頭を使いおって。そうやって自らゴミのような人生を作るか。貴様らのようなゴミが増えると、私の楽しみも減ってしまうのだ。怠惰で享楽的な奴など弄んでもつまらん。そんな奴らを玩具にするのは、確かローマ帝国とやらで享楽主義が蔓延した頃に散々遊んでもう飽きた。


そう思うと無性に腹が立ってきた。だからそいつの頭を鷲掴みにしてやったのだ。プロレス好きだった時の私の影だから咄嗟に出たのだが、アイアンクローというヤツだな。


「な、なにす、っでぇ! あがががががっっ!」


途中からあまりの痛みに言葉にならなくなったようだ。私の手を振りほどこうと必死で掴みかかるが、まるで役に立たない。


「なんだお前! ふざけてんのか!?」


比較的薬物の影響が少なかった奴が異変に気付き、そう声を上げた。それをきっかけにして、店内の空気が一気に不穏なものになる。私に対する敵意が集中し、突き刺さるようだ。しかも薬物の影響で明らかにリミッターが外れた状態になっている。こうなるともうヴィシャネヒル辺りと何も変わらん。肉体的な強度以外はな。


薬物の影響で体が弛緩して満足に動けない奴は、酷くテンションが高くなり、


「キャハハッハーッ!」


と甲高い鳥の鳴き声のような笑い声を上げて囃し立てた。見れば碧空寺由紀嘉も醜く歪んだ笑顔を浮かべながら私を指差している。学校で見せている女子中学生の顔などどこにもなかった。


私はまず、アイアンクローを食らわせていた男の頭を自分の膝に叩き付けて黙らせ、床を蹴って体を宙に躍らせた後、ぐんと全身を伸ばすようにして両脚を、近付いてきた男の顔面目掛けて叩き付けた。ドロップキックだ。そして体を半回転させて床に着地、ドロップキックを受けて吹っ飛んだ男とは反対方向から近付いてきた男の前で再び体を宙に躍らせて、今度は両脚で男の頭を挟み込み、体を後ろに反らしてその勢いで頭を床に叩き付ける。フランケンシュタイナーというやつか。プロレスでは相手が受けてくれないと上手くいかないかも知れないが、私の力なら外れることはない。


すぐさま立ち上がった私の背後からしがみついてきた奴の鼻っ柱に後頭部を叩き付けてやった上で腕を取り、一本背負い。そのまま前方に回転してそこにいた奴の腹に頭突き。今度は体を捻って横から来た奴にハイキック。走り寄ってきた奴目掛けて私も走り、アックスボンバー。体重は少なくとも速度で補うから威力は十分だ。


空中で回転したその男の頭が床にぶつかる直前、そこにサッカーボールキック。ソファーに叩き付けられるその男には目もくれず、立ち尽くしていた奴の腕を取った上で背後に回り、もう一方の腕も取ってそのまま後ろへ反り投げた。タイガースープレックスだな。


別に意識してやった訳ではない。この体が勝手にそういう風に動くのだ。プロレス好きが高じて自分でも練習していたが、それをいかんなく発揮できて体が喜んでいるのが分かる。残念な最期を迎えた体だったが、ここに来て報われたということかも知れん。


「…む……?」


と、気付けばタイガースープレックスでのされたのは古塩貴生ではないか。いつの間にか混ざっていたのか。まったく、完全に雑魚に成り下がったな、こいつは。


「……!?」


だがその時、私の体が、正確には影の体だが、ビクンと緊張感が走り抜け、総毛立つのが分かった。反射的に飛び退き、間合いを取る。危険を感じ取ったのだ。まさかこの私がとも思ったが、そう言えばこれは影の体だった。人間や低級な化生共が相手では何の問題もないものの、やはり本体のそれとは比べ物にならん。それなりの奴が相手だと力負けすることもあるのだ。それがまさに今だった。


「ぬう……っ!?」


そいつは、他の連中とは明らかに違っていた。まず体の厚みが違う。力そのものが凝り固まって形を成したかのような、そこに存在するだけで圧力を感じさせる肉体をしていた。見せかけの筋肉ではない。野生の獣のそれと同じく、本当の力を発揮する為のものだ。さっきまではこの店内にいなかった。なるほどこいつがここのボスということか。


これほどの奴が普通にしていればさすがに私が学校にいた時でもすぐに分かった筈だが、どうやら気配を消していたな。その程度の芸当ができる奴だということだ。記憶を辿り、正体を探る。するとすぐに思い当たるものが頭に浮かんだ。


こいつ、サタニキール=ヴェルナギュアヌェ…か? 化生共の中ではまあまあ上位に存在する奴で、人間共は<サタン>とか呼んでたりするらしい。私と違って自ら宇宙そのものを超えることはできないが、召喚されれば他の宇宙にも行ける程度の力はある。限りなく超越者に近い存在だ。少なくとも、<魔女>ケェシェレヌルゥアと同格かそれ以上だろう。


マズいな…、こんな奴をそのままにしておいたら、この地球も魔法使い共の惑星ほしと同じになってしまう。もっとも、そうでなくても、黄三縞亜蓮きみじまあれんがカハ=レルゼルブゥアを宿し、それを目掛けてハリハ=ンシュフレフアが迫りくる状況では、いずれ破滅するのは変わらんがな。


しかし、こんな奴に好きにされるのは業腹だ。潰すか…?


私がそんな思考を頭によぎらせていると、サタニキール=ヴェルナギュアヌェがおもむろに口を開いた。


「クォ=ヨ=ムイか……貴様と事を構えるつもりはなかったのだが、どうして首を突っ込んできた…? 貴様はこの程度のことには関心を示さないのではなかったのか…?」


それは、間違いなく知性を感じさせる言葉だった。そう、こいつは知性も人間以上なのだ。故に人間を惑わし狂わせ堕落させることもできる。人間が<悪魔>と呼ぶに相応しい奴と言えるだろう。もっとも、私には遠く及ばないがな。


とは言えマズい。この体では勝てないかも知れん。すでに結界が張られていて今の状態では空間を超えることも出来ん。一旦退いて本体に戻るか…?


…いや、有り得んな。私がこんな化生ごときに背を向けるなど有り得ん。ならば真っ向から叩き潰してやる。この影の体が破壊されてうっかり本来の私に戻ってしまったらその場合もこの地球が破滅するかも知れんが、まあその時はその時というものだな。


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