素行不良
「よう、しばらくぶりだな」
部活を終えて帰ろうとしていた私の前に、見慣れた顔が現れた。ギラリとした鋭い視線を向ける、どこか猟犬を思わせる男。刑事の
貴様、もう二度と顔を合わせたくないとか言ってだろうに、今さら何の用だ?
怪訝そうな顔をしてやると、今川は苦い笑みを浮かべて言った。
「そんな顔すんなよ。俺だってもうお前とは顔を合わせたくなかったさ。ただ、事件となれば話は別だ」
「事件だと…?」
思わず応えてしまった私に今川は苦々しい顔のまま耳打ちしてくる。
「そうだ。実は、この学校の生徒で禁止薬物に手を出してるのがいるらしい。学校ってやつは警察もなかなか入り込むのが難しくてな。捜査が進まなくてよ。まあ、俺の担当じゃないしそれはこっちの事情なんで別にいいんだ。それよりも、お前の方からその生徒に働きかけて足を洗わせてやっちゃくれないか?」
「はあ…? なぜ私がそんなことをしなきゃならん? それにお前は刑事だろう? 取り締まるのが役目じゃないのか?」
「もちろんそれも刑事としちゃ大事な仕事だ。だが、事件の目を摘むっていうのも大事な役目なんだよ。ただ容疑者を捕まえればいいってもんじゃない。ましてや子供が相手となればなおさらだ。
「…つまり、今日は刑事としてじゃなく、お節介な大人として来てるということだな?」
「そういうことだ。俺だって別に血も涙もねえ訳じゃないんだぜ?」
まったく。何事かと思えばそんなことか。道理でいつも一緒の広田が見当たらんと思った。
それはさて置き、その生徒とやらは恐らく
「知らんな。愚か者がどうなろうと私には関係のない話だ」
そう切って捨てる私に、今川はやはり苦い笑みを浮かべて、
「ま、そう言うだろうとは思ってたがよ。だが、今回はお前の耳に入れることが目的なんだ。これで俺の出番は終わりだ。じゃあな、元気でやれよ」
だと。やれやれご苦労なことだ。
私の後ろについてきていた
私を含めた五人は、いつものように私の家に集まって、他愛のないおしゃべりやお茶に興じ、一時間ほどでそれぞれ帰っていった。お茶やケーキの給仕を行っていた山下沙奈は改めて夕食の用意を始め、すっかりベテラン主婦のような手際の良さを見せた。
するとそこに、
だが、テーブルに着いた千歳が不意に私に話し掛けてきた。
「さっき、あんたとこの学校の生徒が薬物に手ぇ出してるって話してたみたいだけど、それ、ひょっとして
「なに? 貴様、どこでそれを?」
基本的に口出しはしてこないが、さすがに話の内容は気になったらしい月城こよみが私に問い掛けてきてそれに応えた時の声が別宅の方にも届いていたのだろう。それ自体は別にいいのだが、こいつの口から碧空寺の名が出て来たことはさすがに意外だった。
私の反応に、千歳は、
「あ~、やっぱりね…」
と声を漏らしながら頭を掻いた。それから私に向き直り、
「あんたと出会うちょっと前、男についていったらドラッグパーティーの会場に連れて行かれてさ。そこにその碧空寺って女がいたんだよ。碧空寺って言やあ、ホテルや飲食店をいくつも持ってる碧空寺グループの偉いさんで、家族でテレビに出てたのを見て顔も知ってたんだ。
で、そこの娘が
私は体質的にクスリの類は合わないみたいで全然気持ち良くとかなれないから適当にちょこちょこってやってすぐ出てったけど、碧空寺って女はガンギマってて、『あ~、こいつもうダメだわ』って思ったんだよね」
と、自分が目撃した光景を詳細に語ってきたのだ。それを聞いた私はふと思い立ち訊いた。
「…その時、碧空寺の連れの男がいなかったか?」
その問い掛けに、千歳は自分の記憶を辿りつつ応える。
「そう言えば、若い男の膝に座ってたわ。いい体してる感じのイケメン風だったけど、クスリなんかに手ぇ出したらそれもすぐにボロボロになるよね」
いい体をした若いイケメン風の男か……恐らくそれが
「いい情報だ。役に立つかもしれん」
私がそう言うと、千歳は「そ? 良かった」と少し嬉しそうに笑ってみせた。その顔は、少し前までの擦れた淫売のそれとはかなり印象が違っていた。年相応の子供の顔にも見えた。なにしろ格好も、以前のいかにもビッチ風なそれからどこにでもいる普通の女子高生風のそれになっている。夜に出歩くこともせず、新伊崎千晶と一緒にショッピングに出掛けたり、家でおしゃべりをしたり、ゲームをしたりして過ごしているようだ。
結局、こいつらはそういう<普通の>生活がしたかったということなのだろう。くだらぬ反発や感情のもつれで要らぬ遠回りをしたが、それをようやく取り戻したということか。
ちなみにこいつらには月二万円の小遣いを渡している。光熱費や食費は元より私持ちだが、その範囲内でやりくりしているらしく、それ以上は要求してこない。恐らく、本当に欲しいものが手に入ったからだろうな。手に入れたくても手に入れられないものがある心の隙間を享楽的に振る舞うことで埋め合わせようとしていたものが、必要なくなったのだ。本来はこういう、小さなことで満足できる人間だったということだ。
もっとも、そのせいで新伊崎千晶は最近、自然科学部の方には顔を出していない。月城こよみが
そんな風に人間として身の丈に合った幸せを取り戻しつつある奴らもいるかと思えばわざわざ自分からそれを捨てようとする奴もいる。いやはや、何をしているのやら。
しかし私は、特に何かしようとは思わなかった。思わなかったが、まあ、知らん仲でもないし、様子くらいは見てやろうと思って、今度は月城こよみの一つ前の、一人でプロレスごっこをしていて首の骨を折って死んだ女子高生を基にした<影>で、千歳がドラッグパーティーに誘われたという辺りにやってきていた。
相変わらず誘蛾灯に誘われる虫のように享楽的な連中が集まるそこを、やや野暮ったいTシャツにスウェットという格好でうろついてみた。いかにも遊び慣れしてない、最近、夜遊びを始めたばかりという風情を演出してな。
そんな感じで暇そうにしていると、見るからに軽薄そうな若い男が、
「ねぇ~、一人? 楽しくてハイになれるドラッグあるんだけど、興味ない? 大丈夫大丈夫、合法のヤツだから」
と、馴れ馴れしく声を掛けてきたのだった。
『拍子抜けするくらいあっさり釣れたな』
と思いつつ、私はその男の後について行ったのであった。
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