クリスマスイブの罠
私の家にでたむろしてる連中は実に平和だが、その一方で世の中はやはりいろいろある。またぞろ、おかしな気配がしていることに私は気付いていた。月城こよみらには余計なことをさせん為に軽く認識阻害を掛けて察知できんようにはしているが、私にはバレバレだ。
その日、
自然科学部の部員で、部長の
だが、私が言っている<おかしな気配>はこいつではない。
こいつは確かに<貪欲なる餓獣>コボリヌォフネリに憑かれてはいるが、どうせ大したことはできん。せいぜい、一度に人間を十何人か食える程度のことだ。しかも今は精神的に安定してるので、コボリヌォフネリが表に出てくることもない。
しかし、こいつはどうも、玖島楓恋に対しては何か妙に勘が働くらしく、以前、玖島楓恋が連続婦女暴行魔に目を付けられた時もそれに気付いて自主的にボディーガードの真似事をしてたということもあった。
その一件以来、玖島楓恋の貴志騨一成に対する距離感が微妙に近かったりする。
それ故か、貴志騨一成が玖島楓恋を見る視線にも変化が現れていた。以前はねっとりと絡みつくようなそれだったものが、粘着的な部分が緩和され、穏やかに見守っているだけというものに変わりつつあったのである。
まあそれでも、知らん人間からすれば十分にストーカー的で気持ち悪いと言えるだろうがな。
ということは、今回も奴は何かを察したということか。
ケーキを買った玖島楓恋は店を出て、帰路に就いた。このまま真っ直ぐ帰ってくれるならまあ問題もないだろう。だがこの時、玖島楓恋は途中のビルの一階に入っているアクセサリーショップを何気なく見て、何かを思い付いたかのようにそこに入って行ってしまったのだった。
そして、それは起こった。
人間には察知できなかっただろうが、玖島楓恋が入ったアクセサリーショップがあったビルそのものが、消えてしまったのだ。
と言っても、それは『人間には認識できなくなった』という意味である。ここにビルがあったという事実そのものが認識できなくなったのだ。結界の一種だが、これはその中でも少々性質の悪いやつだ。中に取り込んだものを全て食う為のものだからな。
しかも、人間にはビルがあるということを認識できないから普通は入ろうともしないが、もし入ろうとすれば入れてしまい、しかしもう二度と出られなくなるという悪趣味さである。
そうだな。人間が知るもので近いものに例えるとするなら、<アリジゴク>とかいう昆虫が餌を得る為に作る罠に似ているかもしれん。
だから貴志騨一成は躊躇なくそれに飛び込んだ。玖島楓恋を救う為に。だからまあ、私も仕方なく、取り敢えず中の様子を窺う為にまた人間として転生を続けていた頃の私の<影>を作り出し、そこへ潜り込ませた。
今回のは、女子高生でもサラリーマンでもない。
ちなみに女だ。南方系のクォーターで香港出身。国籍はイギリスだが背後にいるのはロシアという真っ黒な奴である。
名前は
大戦は生き延びたが戦後に行きずりの強盗に殺されるという、これもロクでもない末路を迎えた体だな。それの、最も身体的に充実していた二十歳頃の体を再現した。
外見上は、肩のところで切り揃えた艶やかな黒髪が目を惹くだけの、まずまず美人ではあるが本当にその辺にいる普通の中国人の娘という感じである。その普通さが暗殺者としては重要なのだ。怪しまれない為にな。それに今風のビジネススーツを着せてみた感じだ。念の為、本体にも意識を残し取り敢えずそちらは家に帰る。山下沙奈と
で、白小夏としての私が結界内に入り込むと、そこは中の照明が完全に消えた闇だった。
「停電?」
「でも外は電気点いてるわよ」
「ブレーカーでも落ちたのか?」
「とにかく出ようぜ。って、なんだ? 開かねえ…!」
人間達は当然、異常な事態に困惑し、外に出ようとするがドアが全く開かず、
「っだよ! ふざけんな!!」
癇癪を起こした客の一人が観賞植物の鉢を力任せにぶつけたが、びくともしなかった。当然だ。もはやそれはドアの模様が書かれただけの壁と同じだからな。
外から入る時は、ドアは開かずに突然現れる形になる。もっとも、暗くて半ばパニックに陥った人間共は突然人が現れようがそれに気付く余裕もないが。
そんな連中はさて置いて、私はまず玖島楓恋と貴志騨一成の姿を探した。すると、照明の消えたアクセサリーショップの中に二人の姿はあった。その二人に近付き、声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
暗殺者として生きていた体だが別に今は暗殺者ではない。普通のOLのように振る舞い、不安げに佇む中学生の男女を気遣う大人として接してやった。
「は、はい、大丈夫です……でも、何があったんですか…?」
普段は底抜けにポジティブな玖島楓恋だったが、さすがにこの異常な事態には戸惑うしかできなかったようだ。それでも、貴志騨一成が傍にいてくれることでまだ冷静さは保つことができているらしい。
で、その貴志騨一成の方はと言うと、
「……?」
私のことをひどく訝し気に見ていた。なので、意識を繋げてやる。
『さすがに鋭いな、貴志騨一成。私だよ。クォ=ヨ=ムイだ』
するとこいつはギロリと私を睨み付けて、
『やっぱりお前か。これもお前がやってることか?』
と不遜な態度で問い掛けてきた。でも今のところは私も気分は悪くないので、いちいち目くじらは立てん。
『私ではない。私も気配を感じ取ったのでちょっと様子を見に来ただけだ』
視線は合わさず周囲の様子を窺っているふりをしながら答えてやった。
『どっちでもいいから早く僕達を外に出せ。お前ならできるんだろ?』
まったく。自分の興味の無いことにはせっかちな奴だ。だが。
『悪いが、今の私にはこの結界を破る術はない。ということで、取り敢えずは一蓮托生ということだ』
と断ってやった。事実、この白小夏としての私にはこの結界を楽に破れるほどの力はない。本体の方でならもちろん造作もないが、せっかくのイベントだ。楽しませてもらいたい。
『チッ。役立たずな奴だな』
などと、身の程もわきまえん物言いをするこいつは放っておいて、私は上を見上げていた。アクセサリーショップの天井の遥かその先、このビルそのものの最上階のさらに上、屋上に出る階段の辺りに<そいつ>はいた。
そこで、ビルのメンテナンスをしていた作業員を二人ばかり、既に貪り食っている。なるほど。上から順に餌を食っていこうという訳か。奴のサイズであの食い方だと、ざっと一ヶ月はもつな。
このビルの中にはレストランなどもあり、そこで保存されている食材などを上手くやりくりすれば中の人間も一ヶ月くらいは生き延びられるだろう。それに加えて今では災害に備え飲料水などの備蓄もされている筈だ。人間共が下手にパニックを起こして自滅でもしなければ向こう一ヶ月の間、新鮮な餌にありつけるという訳だ。利口な奴だよ。
奴の名はベニュレクリドゥカニァ。平たく言えば蜘蛛に似た化生だ。見た目はそのまま巨大な蜘蛛だな。さて、このまま奴の腹の中に収まるのを待つか、それとも抵抗を試みるか。
人間共はどう出る? しばらく楽しませてもらうとしようか。
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