Epilogue
「肥土君、こいつに何か言いたいことは!?」
服を巻き戻してもらい呆然とその光景と見守っていた肥土透が、月城こよみに突然そう声を掛けられ、あまりの剣幕にビクッと体をすくませた。それでも何とか言葉の意図を理解して、
「母さんがお前に渡した金と家の権利書を返せ!」
なるほど。それで家庭が壊れるところだったか。母親のことも大事だろうが、家庭が壊れては母親が戻る場所もなくなるからな。しかし、綺勝平法源にとってはどうでも良かったのだろう。憮然とした態度だった。
「何のことだかな」
とぼけられるならとぼけようということか。どこまでも癇に障る男だ。当然、肥土透にとってもそうだった。手近にあったパイプ椅子を掴み、まるで紙を破るように引きちぎる。今は人間の姿をしてはいるが、こいつの体は人間ではない。この程度は造作もないことだ。くしゃくしゃとパイプ椅子を丸めながら、言った。
「早く!」
対して今の綺勝平法源はもう、超常の力のすべてを失ったただのか弱い人間だ。月城こよみが巻き戻した際に、当たり前だが人間の部分だけを巻き戻したのだ。今さら強がったところで勝てる道理もない。
「わ、分かった…」
月城こよみと肥土透が、綺勝平法源を伴って事務室と思しき部屋に入る、その中にあった金庫の前に立つと、
「え、と、番号は…思い出せないな」
ここに至ってまだそんなことをホザくか。往生際の悪い中年男に向かい、月城こよみは肉食獣が敵を威嚇する顔をした。「シャーッ!!」っと、もはや人間とは思えない威嚇音まで出して。
「あ…ああ、思い出した」
綺勝平法源が金庫を開き、手書きで『肥土 書類』と書かれた封筒と、積まれていた札束の一つを肥土透に渡し、言った。
「権利書はその中だ。だが、金はいくら受け取ったのか確認してみないと今は分からない。取り敢えずはそれで、な」
体を小さく縮こまらせぺこぺこと何度も頭を下げ、上目遣いにこちらを見る。惨めな姿だった。これがこいつの本来の姿なのだとよく分かった。
「肥土君の方はそれでいいの?」
月城こよみが尋ねると、肥土透は苦い笑みを浮かべた。
「良くはないけど、取り敢えず家が守れれば何とかやり直しもできるかなとは思う。やり直せればだけどね」
母親が綺勝平法源の呪縛から解放されれば全てが丸く収まる訳ではないと、肥土透は理解していた。ただ、少なくともこれで状況は大きく変わる。それだけは確かだった。後は、この家族の問題だ。本人がそう認識してるなら、それ以上は他人があれこれ言うことではないだろう。
「そう。じゃ、後は警察とかの仕事だね」
そう言って月城こよみは金庫に触れた。扉が閉ざされ、鍵が破壊される音がした。
「これでもう、簡単には開けられないよ。勝手に持ち出したりできないようにしたから」
その言葉を聞いた綺勝平法源が、がっくりと肩を落とす。どうせ、司法の手が入るまでに隠せるものは隠してしまおうとか思っていたのだろう。だが甘いな。
その時、外が騒がしいことに肥土透が気付いた。消防車やパトカーのサイレンの音だ。痕跡はほぼ消したが、あれだけ爆発のような振動が何度もあったのだ。誰かが通報しても当然だろう。しかも逃げ出した信者達が何を言うか分かったものじゃないしな。若い女の信者などは、綺勝平法源に何をされてたかは想像に難くない。その辺りが被害を訴え出る可能性もある。となれば早々に逮捕も有り得るな。良いことだ。
「長居は無用って感じかな。じゃ、肥土君、私達は退散しよう」
消防隊が突入してくる気配を拾い、ここにいては面倒なことになると理解した月城こよみが事務室から出ようと歩き出した瞬間、扉が爆発するかのように弾け飛んだ。自分達に向かって飛んでくる扉を、肥土透がはたき落とす。だがそれとほぼ同時に、肥土透自身の体がまるでトラックにでも撥ねられたかのように壁へと叩き付けられた。扉の影にいた何かに跳ね飛ばされたのだ。
「あなたは!?」
月城こよみが叫ぶようにそう言った。その視線の先にいたのは……
子供だった。いや、子供のように見える<何か>だった。その何かは燃えるような赤い瞳で、その場にいた三人を睨み付けた。
「アルヴィシャネヒラ…どうして…?」
そう、それはアルヴィシャネヒラ(仮)であった。だが、その姿は、月城こよみが知っているものとはあまりに違っていた。怯えるような視線を向ける弱弱しいそれではなく、人間に対して激しい敵意と攻撃衝動を叩き付けてくる、化物以外の何物でもない姿だった。それを見た綺勝平法源が言った。
「そいつは、仕込んだ毒の量が多すぎたんだ。その所為で本来の力を失ってた。だから始末させたんだ。だが、少し成長したことで毒の効力をそいつ自身の力が上回ったようだな」
成長。なるほど、そういうことだったのか。確かにさっきまでのホールにはとてつもない暴力が満ちていた。それを食い、成長したということか。
背中で綺勝平法源の解説を聞いた月城こよみが、また泣きそうな顔になった。泣きそうな顔で、アルヴィシャネヒラ(仮)、いや、ヴィシャネヒルの全身に髪を巻き付かせ、一気に滑らせた。『こいつらは人間とは違う。人間の社会では生きられない』という私の言葉が正しかったことを、骨の髄まで思い知ったのだった。
細切れの肉片と化したヴィシャネヒルを消しながら、月城こよみが言う。
「あなたのやったことは、人間が人間の法律で裁く。だけど、もう二度と私達の前に顔を見せないで…! でないと…」
顔すら見ようとはしないがそれは、綺勝平法源に向けたものであるのは間違えようもなかった。凄まじい怒りが、憎悪が、腰を抜かさんばかりに怯えている惨めな中年男に向けられていた。
「でないと、私、今度こそあなたを殺してしまう…!」
怪物が相手ならともかく、中学生の子供に本当に人殺しをさせるわけにはいかん。是非とも、月城こよみのこの言葉を、こいつには守ってもらいたいものだ。
案の定、逃げた信者の中から綺勝平法源に性的暴行を受けたと被害を申し出る者が続出し、数日後、海外逃亡を図ろうとした空港で奴は逮捕された。他にも、誘拐、監禁、脅迫、強要等々の罪状も加わることになるだろう。残念ながら殺人については、被害者全てが巻き戻されたことから犯罪の事実そのものが消えてしまった為、含まれることはなかったが。
そう、グェチェハウに食われた者達も巻き戻されたのだ。もう一人の私の力によって。
その中には、例のアパートから忽然と姿を消した住人達も含まれていた。ついでと言っては何だが月城こよみの両親もその際一緒に巻き戻してもらい、同じように教団に拉致され監禁されていたということにした。今は使われてなかった教団の施設に警察が捜索に入った時、そこに監禁されていたのが発見されたという形にして。
なお、月城こよみが『両親は旅行に行っていると思っていた』という話については、『両親が今度旅行に行くと言っていたのを、学校から帰ってきたら両親がいなかったことで自分が日付を勘違いしていたと思い込んでいた』ということにしておいた。もちろんそれに符合するように両親の記憶も書き換えてな。両親が拉致されたのは、集団失踪があったアパートの周囲をうろつく不審な人間を目撃していたからということにした。
このように、全てを綺勝平法源に擦り付けることで、
全容が判明してしまえば本当に実に下らない事件だった。だが、思い返してみればそれなりに楽しかったのは事実だ。月城こよみもすっかり日常に戻り落ち着いた。これでもう、思い残すこともない。後はもう一人の私に任せればいいと私は思ったのだった。
さらばだ。月城こよみ……
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