夏休みの章

アフタースクール・チャット

ンブルニュミハ。


存在をデータに書き換え、<書庫>に保存することが奴らの役目のはずだ。本来は私のような高位の存在に対して牙を剥くようなことはおろか、逆らうことすらない奴らだ。そそのかされたか操られたかは知らんが、こんなことをしても私の存在は失われはしない。せめてデータを書き込んだ媒体を破壊するかしないと、何のダメージにもならん。


無論、媒体に焼き付けられたうえで破壊されたとしても私の<本体>には何の影響もないものの、月城こよみとしての存在を取り戻すのには数百年から数千年の時間が必要になるだろう。私の縄張りが欲しいだけであれば、その間に奪い取れば済む話だ。


しかしこれで、下賤の輩どもをけしかけて私にちょっかいを掛けている奴の目的が逆に分からなくなった。何が狙いだ? 私の力を測るにしてもこれまでの奴らでは役不足が過ぎる。私も嫌がらせは好きだが、この程度では嫌がらせにさえならん。あれでは何も分かるまい。


「家での騒動の所為でマスコミが煩くて、私はあれから一週間、家に帰っていない。人間としての生活に戻さないと人間としての意識に戻すこともできん。まったく、迷惑な話だ」


夏休み直前、部活動もほぼ終了した放課後、無人になった校舎の中、私は自然科学部部室の向かいにある鏡の前でボヤいていた。


「大変だね。月城さん。いえ、今はクォ=ヨ=ムイさんなのかな?」


私のボヤキに、声ならぬ声がそう応える。人間の耳には決して届かない者の声。鏡に書き込まれた石脇佑香いしわきゆうかのデータだった。あの日から私は、マスコミが張り込む家に帰るのが面倒になり、ずっと校舎内で過ごしていたのだ。もっとも、人間の認識を操作するなぞ造作もないから、気付かれずに家に帰ることも簡単なのだが、わざわざそんなことをしてやる気にもなれん。だからと言って校舎で過ごす方が面倒じゃないのかと人間は思うかもしれんが、今の私は人間ではないからな。


「ところでお前の方は、自分の現状にかなり慣れたようだな?」


一週間の間、家に帰らなかった私はせっかくなので、寝ているとき以外はずっとこうして石脇佑香の相手をしてやっていたのだ。無論それは石脇佑香が可哀想だとか思ってのことではない。ただの暇潰しだ。しかし石脇佑香の方は、私が話しかけることで自分の状況を受け止めることができたようだが。


「おかげさまですっかり慣れたかな。慣れるとここでの生活の方が楽かも。宿題ないし、お腹減らないし、トイレもお風呂も要らないし、テレビの電波も拾い放題だし、無線LANも繋がるし。学校のLANだから制限あるけど、そのうちもっと慣れたら弱い電波でも拾えるようになりそうだから、近所の無線LANからネットできそう。全部クォ=ヨ=ムイさんがやり方教えてくれたおかげだよ」


と、実に楽しそうにほざいてた。やれやれ、ほんの一週間前に『死にたくない』とか泣き喚いてた奴とは思えんな。


「まあ、そうやって楽しむのは結構だが、いくら力の使い方に慣れてきたからといってもイタズラはほどほどにしておけよ。用務員だけでなく、先日の肝試しのイベントで一般の生徒にもやったろう? その時の事件だけじゃなく、お前のことも噂になってるぞ」


よくある学校での怪談話のネタが一つ増えるだけの話だから別に気にする必要もないと言えばないのだが、あまり気味悪がらせて鏡を交換するみたいな話になったら困るのは、石脇佑香、お前だからな。私は別に困らんが。


「ごめんなさい。自分が本当にこういう超自然的な存在になれたことが何だか嬉しくて」


ギロリと睨み付けてやると少しだけ言葉遣いが丁寧になる。その上で、


「私、家に居場所がなくて、それで現実の嫌なことを考えたくなくて、超自然的なことに興味持ったんです。だけど本当はそういうのってただの現実逃避だっていうのは分かってたんです。そんなことある訳ないって。でも、本当にあったんですね。こういう世界が」


とか何とか。


あ~。そういう自分語りはどうでもいいから。


「お前たち人間のような下等な存在が認識できる世界などたかが知れている。それでよく分かったような顔をしてられるもんだと感心させられる。それに、先日の事件では自然科学部の肥土透ひどとおるが犠牲になった。お前たち人間はそういうことを気にすると思ってたがな?」


先日の校内肝試し大会の際、肥土透が何の間違いか呼び出してしまった奴を捻ってやったのだが、その際に地下のガス管に引火して爆発し、校舎の一部が破損したのだ。その時、私の眼前で奴に体を食われた女子生徒はまだ死んでなかったから巻き戻してやったものの、偶然とはいえ奴を召喚した肥土透の方は間に合わなかった。にも拘らず、


「え? 犠牲って、肥土くん生きてるじゃないですか?」


などと、石脇佑香は的外れなことを言う。


「だから、何度も言ってるが、お前も肥土ももう死んでいる。お前達は自分の力で存在を巻き戻すことができん。それは不可逆的な変質により人間としての存在を失った、つまり<死んだ>ということだ。いくらこれまでの記憶があろうと、お前達が<心>と呼んでるものがあろうと、肉体が無ければお前達は人間ではない。人間としては死んだのだ」


何の準備も対策もなく、次元の違う者共を召喚しようとした肥土透は、自らが召喚したそれに食われて死んだ。だがその食った奴は人間のライフマスクをコレクションしてるような趣味をしてて、人間の記憶も意識もそのままに自らの体に人間のライフマスクを浮き上がらせるような奴だったから、奴の存在を消して、肥土の意識が残ったその体を自由に使えるようにしてやっただけだ。奴ももう人間ではない。


「そう言われても、こうやって自分で考えられて感情まであったら、全然実感ないですよ。むしろ今の方が幸せかも」


まだ言うか、石脇佑香。


「まったく、人間という奴は本当に意味不明だ。なぜもっと合理的に考えられんのか」


頭を振り、吐き捨てるように私は言う。それでも石脇佑香は引き下がらなかった。


「それを言うなら、今のクォ=ヨ=ムイさんだって結構、非合理的なことしてると思いますよ。こうやって私の相手をするとか、電波の変換の仕方を教えるとか、ネットワークへの侵入の仕方を教えるとか、何の意味があるんです?」


どこまでも生意気な奴だ、石脇佑香。私に残った人間としての感覚が、苛立ちとなって私を揺さぶる。だがそれと同時に、別の感覚も湧き上ってくる。


「あ”? それはお前たち人間には理解できんレベルでの合理性の話だ。せっかくだから保険として利用させてもらってるだけだ。勘違いするなよ、人間風情が」


人間のあまりの愚かさに、私は思わず笑みをこぼしていたのだ。身の程をわきまえぬその無様さが滑稽で仕方なくてな。口角が吊り上がり、狂悦の笑みが私の顔に張り付いているのを感じる。


「そうですね…自重します」


人間であった頃なら糞尿を垂れ流しながら正気を失っていてもおかしくないだろうが、さすがに今ではそこまでには感じないのであろう石脇佑香が怯えながらも応えた。最初から素直にそう言っておけばいいものを。手間を取らせるな。


だが私の思考は、すでに別のところにあった。肥土透ごとき普通の人間が高次元の存在を召喚するなど、本来なら決して有り得ない。肥土透が召喚に必要な手順をどのようにして得たのかが、私は気になっていた。肥土透本人の記憶を探っても特に不審なところはなく、それだけを見れば確かに偶然と言えるのだろうが、有り得ない。数億年かけて試してようやく一度生じるかというような確率のはずだ。これも、私にちょっかいを掛けている何者かの仕掛けによるものか。


いまだ姿を見せず気配さえも感じさせない何者かに、私は思いを巡らせていたのだった。


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