Mam

祖母に対しては学校に行くと言ったが、取り敢えず昼までは何か当てがある訳ではなかった。当然、ハイヤーが来る訳でもない。普通に一階に降りてエントランスから外に出た。


「さて、どうしようかな」


綺勝平法源きしょうだいらほうげんが指定したビルの方角に向かって歩きながらも、特に目的もなくただ歩く。途中、駅でコインロッカーに鞄を預け、朝から既に気温が上がりつつあったことからコンビニに寄って棒付きアイスキャンディーを買った。それを持って近くの公園でベンチに腰掛け、食べる。さすがにまだ朝が早いからか、休日にも拘らず公園で遊んでいる子供の姿も殆どない。街の喧騒は届きつつも、ある種の静けさがそこにはあった。


「静かだね…」


月城こよみもそう思ったのだろう。独り言のように言った。


『そうだな』


意味の無い会話だったが、たまにはこういうのもいい。これから命のやり取りをしに行くことになる人間の会話とは思えんがな。アイスキャンディーを食べ終えて、棒をゴミ箱目がけて指で弾く。が、見当違いの方向へと飛んだ。慣れないことをするからだ。だがその棒は空中で何かにぶつかったかのように突然方向を変え、ゴミ箱の中に収まった。力を使ったのだ。


つまらん使い方だが、実はこういう些細なことを苦もなくできることも力の制御には大事なのだ。大きな力を大雑把に使う方がむしろ簡単なのである。手加減しなければいいのだからな。しかし小さな力を繊細に使うというのは、それだけ集中し緻密な操り方が必要になってくるわけだ。だから戦い方に向き不向きがあっても、力を使うことそのものは特に心配ないと私は感じていた。


再び歩き出した月城こよみが、財布の中身を確かめる。中学生の財布としては恐らく珍しいのだろう。小さな小銭入れには似つかわしくない、小さく折りたたまれた一万円札がまだ何枚も入っていた。とは言え、特に使う当てもない。月城こよみはオカルトに傾倒しアニメや漫画が好きではあったが、だからと言ってグッズなどを買い集めたりイベントに足しげく通うようなタイプのオタクではなかった。買いたい漫画もあったが、今はホテル暮らしだからそちらに持って帰る訳にもいかない。今回のことに片を付けて両親を巻き戻してもらってまた自宅に戻れたらでいいだろう。そういう浮ついたことをする気分では、今はなかった。


などとを考えてるだろうことは容易に想像がついた。何しろこいつも私なのだからな。


『ねえ…』


月城こよみが呟くように声を掛け、私はそれに短く応じた。


『何だ…?』


相変わらず冷淡な私を気にするでもなく、問い掛けてくる。


『私、人間じゃないんだよね』


脈絡のない唐突な質問だな。だがまあ、暇な時でないとできない質問でもあるか。


『何故そう思う?』


訊き返す私に、月城こよみは淡々と答え始めた。


『だって、首を絞められて殺されても、お腹を蹴られて内臓が破裂しても、手足が溶けて骨になっても平気だなんて、人間じゃないよね。痛みはあるのに、確かに痛いし苦しいのに、平気なんだよ。本当に変な感じ……こんなの、人間な訳ないよ』


感情は込められていない。平板で静かな言葉だった、だがそれ故に素直に自らの異様さを表そうとしているようでもあった。


『…嫌か?』


今度は要点をまとめる為に、短く問う。


『嫌って言うか、自分が人間じゃないって思ったら、いろんなことがどうでも良くなってきちゃった気がする。学校も、勉強も、部活も、お母さんやお父さんのことも…』


恐らくこれも正直な感覚なのだろう。途方もない力を持ち、死ぬこともないとなれば、大抵が、己の欲望を無限に叶えようとするか、逆にあらゆるものに対して意欲や執着を失うかのどちらかだ。そのどちらでもない者は極めて例外的な存在になる。月城こよみは意欲や執着を失う方だということだった。私は応えた。


『そうか……だが、心配するな。お前は人間だ。ただ私の力の一部が使えるというだけだ。お前は、私、クォ=ヨ=ムイの一面ではあるが、あくまで人間として生を受け生きてきたのだ。クォ=ヨ=ムイとしての自我さえ目覚めなければ、ただの人間として生き、死んでいったのだ。それこそ、些細な事故で命を落とすことだって有り得た。他の奴らと何も変わらぬちっぽけな人間だ』


その言葉に嘘はない。嘘を言う必要もない。月城こよみがさらに問い掛けてくる。


『…じゃあ、これが終わったら、私も普通の人間に戻れる?』


それは、縋るような言葉だった。それが本心であることを確かめる為に問う。


『普通の人間に戻りたいのか?』


端的なそれに、端的な答えが返ってくる。


『うん、戻れるんだったら戻りたい』


なるほど本気のようだな。


『まあ、できなくはない筈だが、そうなるとせっかく使えるようになった力も失うことになるぞ』


念を押す私に、それでも月城こよみは揺るがなかった。


『この力は確かにすごいよ。空とか飛べるのはすごく楽しい。だけどこの力がある所為で、こんな事になったんだよね。だったら私、こんな力要らない。前みたいに空想の中だけでいい…』


それは、まるで泣き顔の様だった。涙こそ流してはいないが、自分には重すぎる物を持たされて泣きじゃくる子供のような顔だった。やはり、この力はこいつには重すぎたか。まあいい。


『そうか…お前がそう言うのなら、その要望を叶えることは不可能じゃない。もう一人の私なら、恐らく可能だ』


私は事実だけを述べた。その言葉に、月城こよみはホッとしたような顔をした。ただその次の瞬間、何かに気付いたようにまた悲しそうな顔になる。


『でも、その場合はあなたはどうなるの? 私が人間に戻ってしまったら、クォ=ヨ=ムイのあなたは?』


なるほど、そういうことか。だが。


『心配要らん。この肉体の私は消えてなくなっても、クォ=ヨ=ムイそのものが消滅する訳じゃない。お前が案じることじゃない』


それもまた事実だった。私は不滅の存在だ。人間に案じてもらう必要などない。にも拘らず、月城こよみの表情は晴れなかった。


『そっか…そうなんだ…』


こいつが何に引っかかっているのかは、察しが付く。しかしそれは要らぬ感傷なのだ。私は人間ではないのだから。


『……』


敢えて何も言わなかった私に、独り言のように語り始める。


『私ね、お母さんやお父さんとこんなに話したことない気がする。二人とも私の話なんか全然聞いてくれなかったし、私のこと、本当は嫌ってるってのも分かってた。だから、お母さんやお父さんのことを本気で生き返らせたいと思ってるのか、自分でも分からないんだ。単にいままで通りの状態に戻したいだけってことかも知れない』


それも、こいつ自身の嘘偽りない心情なのだろう。綺麗事などではなく、ただ、平凡な人間だった頃の日常を取り戻したいだけということなのだ。


『別にそれでも構わんだろう。あの二人は確かにお前の両親だが、お前とは別の人間だ。望むことも、生き方も違う。血は繋がっていても家族とは言えない場合があってもそれは仕方ないさ。お前の両親は、子供を育てるには不向きな人間だっただけだ。目立った虐待をしなかっただけでも上等だと言える。そして両親は両親、お前はお前だ。別の人間であり、人格だ。一時的に同居してただけだと思えばいい』


そうだ。私にとっては人間の綺麗事などどうでもいい。親子の愛などというものが存在するかどうかなど知ったことじゃない。私にとって月城こよみは、ただ月城こよみなのだ。その私の言葉に、こいつは微笑んだ。泣きそうな顔で微笑んだ。


『…こんなに私の話を聞いてくれて、こんなにいろんなことを言ってくれて、あなたが私のお母さんとかだったら良かったのにな……』


それは、母親に甘えたいと願う幼い子供のような本心だった。しかし。


『冗談はよせ。笑えん話だ』


私にはそれを受け入れることはできない。何故なら私は、クォ=ヨ=ムイなのだからな。


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