Raid

『そうだね…』


冗談はよせと言った私に、月城こよみは応えた。少し寂しそうな笑顔だった。叶えられる望みではないと分かっていても、残念だというのは正直な気持ちなのだろう。


だが私は人間ではない。しかも命を弄びそれを娯楽と考える、人間から見れば邪神とも呼ばれるような危険な存在だ。それが母親だなどとは、冗談としても性質が悪すぎる。


「ん~」


と唸りながら、月城こよみは頭をガシガシと掻いた。何かを吹っ切ろうというかのように。そして頭を上げ、自分の膝を叩く。


「よし! 行くか!」


そう声に出し、勢いよく立ち上がる。鼻息荒く歩き出し、前を向いた。改めて踏ん切りをつけたということだろう。綺勝平法源きしょうだいらほうげんが指定したビルまでは徒歩でならたっぷり二時間はかかる。月城こよみはそれを敢えて歩いていく気なのだった。インドア派の普通の中学生にはなかなかハードルの高い行程だろうが、今のこいつにとってはどうということもない。丸一日歩こうがそれだけなら疲れることさえない。ただ歩きたい気分なのだろう。歩いて、今の自分の目でこの世界の風景を目に焼き付けておきたかったのかもしれない。


その後もコンビニなどに立ち寄っては食べ物を買い漁りそれを食べながら四時間かけて歩き、件のビルが見えた辺りで最後にファミレスに入って昼食をとった。この後の戦いに備えたエネルギーの補充の為だ。


それからビルの近くまで行った。言われてた時間まではまだ少しある。もう少し時間を潰してからでいいかと思った時、月城こよみの目に思いがけない光景が飛び込んできたのだった。


「…肥土ひど君…?」


そう、自然科学部の肥土透ひどとおるだった。見慣れた制服姿ではなく私服だったが、間違いない。肥土透が、私達の目的地でもあるビルを睨みつけるように見上げていたのだ。それは決して楽しげなとか何か良いことを胸に抱きつつ見ているという風情ではなかった。まぎれもなく不穏な気配が伝わってきた。しかもそれだけじゃない。他ならぬ肥土透自身から何か異様な気配が漂っていたのである。姿形は間違いなく肥土透本人であるにも拘らず、何かが違っていた。憑かれているとかそんなレベルではない。もっと強力な何かだ。何者かが肥土透に化けているようでもあり、しかし同時に肥土透本人でもある。そんな異様さだった。


しばらくビルを睨み付けた後、中へと入って行く。月城こよみは思わずその後をつけていた。


エントランスでこのビルにオフィスを構えている企業や団体のパネルを見ていたその視線で確信した。こいつも綺真神きまみ教に用があるのだ。しかも、綺真神教の正式名称である「グループホーム綺真神」のパネルを見る時の目に、明らかな憎悪の光が見て取れた。


『これはマズいかも知れんな』


私が言うと、月城こよみも頷いた。


『うん、完全に殴り込むつもりだよね、あれ』


さすがにこいつも気が付いていたか。その推測は恐らく正しい。まあ、急拡大したカルト教団だから軋轢などあちこちに生じさせてるだろうし恨みも買っているだろうが、これは少々事情が違う。何しろ肥土透自身が完全にただの人間ではなかったのだからな。何があったのか知らんが、恐らく今の私達と同じような状態なのだろう。意識は人間・肥土透だが、それが内包する力は人間のものではない。


朝、テレビでも視ておけば何があったのか気が付いたに違いない。何しろ月城こよみと肥土透が通う学校で、昨夜ガス爆発があり、校舎が破損したというニュースがトップで流れていたりしたのだからな。私が見れば、それがただのガス爆発などでないことはすぐ分かった筈なのだ。しかしこの時の私達はそれどころではなかったから、テレビなど視ていなかった。


約束の時間には早いが、かと言って放っておくわけにもいかんか。人間同士のいざこざなら私も手出しはさせなかったのだが、これは事情が違う。距離はとりつつも、月城こよみは肥土透の後をつけた。先にエレベーターで行かせると、やはり「グループホーム綺真神」が入っているフロアで止まり、エレベーターはそこからまた降りてきた。ドアが開いた時には当然のように無人だった。


『それにしてもどうして肥土君が…?』


エレベーターの中で呟いた月城こよみに、私は応える。


『まあ、どうせ家族か身近な人間が綺真神教と何かあって、それで恨んでってことだろうな』


その私の言葉に、しかし月城こよみは納得しなかった。


『それもそうだけど、肥土君自身に何があったのかってことだよ』


ああ、そっちの話か。そうだな。それは私にも現時点では分からん。いずれにせよ行くしかなさそうだ。


『まあいい、とにかく行くぞ』


私の言葉に、月城こよみもそれ以上は何も言わなかった。綺真神教が入るフロアに到着し、エレベーターが開く。そこに、若い女が二人、両側に控えるように立っていた。例の作務衣のような衣装に身を包み、死んだ魚のような目をした女達だった。


「ようこそおいでくださいました。月城こよみ様。ですが、お約束の時間まではまだ少し間があります。法源様はただいま接客中でございますので、暫時こちらでお待ちください」


機械のように平板で抑揚のない案内で、応接室と思しき部屋に通された。決して広くはないが、あつらえられた調度品はどれも良い品ばかりのようだ。こういうところの趣味は決して悪くないのだがな。あの男も。


出されたジュースにはさすがに手を付けず、月城こよみは待った。待つ間も先に来ている筈の肥土透の様子が気になっているのが分かった。客というのは、肥土透のことだろうか。


だが、先程から中の様子を見ようとしてるのものの、何かに阻まれて見るどころか音すら拾えない。当然と言えば当然だが、何らかの仕掛けをしてあるのだろう。別に珍しいことではない。


ここは待つしかないか。そう思って息を吐こうとしたその瞬間、


ズシン!


というビルそのものが揺れるような振動が、伝わってきたのだった。


「な、なに…!?」


月城こよみが思わず声を上げる。


地震ではなかった。どちらかと言えば爆発による振動が近いか。それも間違いなくこのフロアからのものだ。しかし単純な爆発という訳でもなさそうだ。なのに私達を見張るかのように部屋の出入り口付近に控えていた女達は、それに全く気付かないかのように何も反応が無かった。命じられたことしかできないロボットのようなものということだろう。


待つように言われたが、こんな分かりやすい狼煙を上げられては黙ってもいられんな。立ち上がった月城こよみを制止しようとしてか明らかな敵意を持って近付いてきた二人を一睨みすると、意識を失いその場に崩れ落ちた。催眠術のようなものだ。害はない。


部屋を出て廊下を奥へと進む。突き当りのドアを開けるとそこは、かなりの広さがあるホールのような部屋だった。恐らくここで会員を集めセミナーを行っているのだと思われた。だがこの時そこにいたのは、本来なら有り得ないものであった。


トカゲ。そう、例えるならトカゲだ。頭の先から尻尾の先までなら十メートルはありそうな、真っ白なトカゲに似た何かが、そこにはいたのである。だがトカゲでないのは、その大きさだけでなく、胴体とほぼ同じ太さと長さの首を持ち、足は六本という異形から見てすぐ分かった。


「エニュラビルヌ?」


私の記憶から探し出したのであろう月城こよみが呟くように言った。そうだ、確かにこいつはエニュラビルヌだ。だが、何かが違った。明らかに普通のエニュラビルヌではなかった。異様に太い首の先端、左右に裂けた口の上に、体と比べると不釣り合いなくらい小さい顔があった。そう、顔だ。体に見合った大きな口がありながら、その上にもう一つ口を持った顔があるのだ。しかもその顔は……


「まさか…肥土君!?」


月城こよみが小さく叫ぶ。それは間違いなく、肥土透の顔だったのである。


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