無限絶頂(無限とは言っていない)

<新しい私>がホテルで刑事に事情を聴かれていた頃、<従来の私>はまだ保健室で寝ていた。養護教諭がいない時間を見計らって隣のベッドで三年生のカップルがいたしてたりしたが、『若いなあ』と思っただけだった。そう言えば肉の疼きなんて何年満たしてないだろう? まあそれぞれの人生でやることはやってきたが、本来の私の意識を持った状態で堪能したのは、やっぱり火山の噴火させてポンペイとかいう都市を一つ潰したころ以来だったか?


あれは確か、私が誘惑した男が私に入れ込みすぎていろいろ騒動になって面倒くさくなって都市ごと消してやったんだったか? いや、それはまた別の話だったか? 人間の肉体では性能が悪すぎてどうも上手く思考できんな。まあいいか、どうせ大した問題じゃない。


放課後。今度は養護教諭が男子生徒を連れ込んでイチャイチャし始めた。


『またか……』


私のことが認識できないとはいえ、よくやる。そう言えばこの学校、中学校だったよな? 


『何と言うか…乱れすぎだろう。私が言うのもおかしいが』


そんな風に呆れていた私だったが、ふと、聞き覚えのある声に意識が引っ張られるのを感じた。無論、養護教諭の声ではない。男子生徒の方だ。それは間違いなく、私の知っている生徒の声だった。


『まさか…? 貴志騨一成きしだかずしげ…か?』


間違いない。それは、自然科学部部員の、貴志騨一成の声だ。滅多に喋らない奴だがそれだけにたまに喋った時の声は印象に残っている。見た目と同じく声まで不細工な奴だしな。


『私と同じ二年の筈だが、おいおいお前、養護教諭とそんな関係だったのか…?』


とそんなことをぼんやりと思った私だったものの、次の瞬間、異様な感覚に囚われていた。


『…いや、違うぞ? そうじゃない。そんな筈はない…!』


自然科学部の貴志騨と言えば、学校でも<鉄壁の非モテ>として有名な奴じゃなかったか? 肥満で脂性でケモナーで自称サイコキネシス能力者を相手にするような女だったか? 養護教諭の佐久下清音さくもときよねは?


「さあ、貴志騨君、あなたの溜まりに溜まってグラグラと煮え立つように発酵した精を私に頂戴」


『って、なんだそのテンプレのような淫魔調のセリフは!?』


さすがに無視しきれず振り向いた視線の先にいたのは、人間では有り得ない長さの舌で貴志騨の顔を舐めまわし、ざわざわと動く髪の毛を服の隙間から潜り込ませて狸の置物のような体をまさぐり、異様に長い指でズボンを撫で上げる、既に佐久下清音の面影はほとんどない異形の女と、恍惚の表情を浮かべなすがままになっている貴志騨の姿だった。


込み上げる生理的嫌悪感をかろうじてスルーし、私は言った。


「貴様! 私のテリトリーで何をやっている!?」


<認識阻害>を解除した私が言霊を叩き付けると、佐久下清音であったであろうそれは、


「キシィエェエアァアァァ!!」


っと、普通の人間には決して出せない吃驚の叫び声をあげて、貴志騨の体を抱えたまま保健室の端まで飛び退いた。


どうやら私の存在には気付いてなかったようだな。その程度の力に淫魔めいた性質。お前、ケニャルデルか?


「お前は、クォ=ヨ=ムイィィィ!?」


私の名前を言える程度には知性があるが、いかんせん人間の精を食料にしている程度の最下級の化生だ。しかもその驚きようだと私がこの学校にいることすら知らずに来たな? 恐らく、私に低級な化生共をぶつけてくる奴の意図とは別に、この地に集まる濁りに誘われて寄ってきたというところか。まあこういう事も、いまだ姿を見せぬそいつの狙いの範疇なのかも知れんが。


「その男を置いてとっとと去れ。そうすれば見逃してやる」


そう言って私は立ち上がった。しかし佐久下に憑依したケニャルデルは聞く耳を持たなかった。警告も理解できんとは、やはりその程度か。面倒くさいからさっさと片付けようとした私はしかし、体を動かすことができなかった。


「なに!?」


見れば既にケニャルデルの姿はそこになかった。床に貴志騨が不様に横たわっているだけだった。ケニャルデルは、私の体にまとわりつき、溶けて混ざるように同化を始めていたのだ。そう言えばこいつにも空間は関係なかったんだ。私と違って同時に存在することはできないが、移動が可能な範囲内であればこいつに物理的な距離は関係ない。任意の空間に全くライムラグなく移動できるのだ。


「人の体を持ったクォ=ヨ=ムイの精を吸えるなんて何という僥倖ぉ」


鼻にかかった甘い声でケニャルデルが囁く。瞬間、私の全身を電流のように激しい感覚が走り抜けた。


『こ、これは…!?』


「どうぉ? 全身の性感帯を同時に責められるのってぇ。しかも私があなたの体の中から直接刺激してあげてるのよぉ。蕩けるでしょうぉ?」


「な…あ……!?」


全身の全てに激しい信号が駆け回り、まるで脳そのものを愛撫されているかのような衝撃が絶え間なく押し寄せてくる。


「あ…あぁ! あが…あ……!!」


体はガクガクと痙攣し、思考に割ける部分は失われ、考えがまとまらない。


『え…と、私は何をしていたんだっけ…?』


「あぁ、いいわぁ! 最高ぉ! 人の体を持ったクォ=ヨ=ムイの精がこんなに美味しいなんてぇ。これは絶対誰にも教えられないぃ。私だけのぉ、私だけのものよぉ。素敵ぃぃ!」


ケニャルデルに憑依された佐久下の体が半分混ざった私の体は仰け反ったまま何度も激しい痙攣を繰り返し、口からは泡が溢れ、小便が下着もスカートも濡らした。もう何が何だか分からなくなって、


「がぁ…はぁがぁああぁぁあぁっっ!」


と、ただ獣のような呻き声をあげていた。


肉体が破壊されたのなら巻き戻せば済む話だが、これは破壊されたのではなくただ刺激を与えられてる状態だから勝手が違った。それでも、本当なら刺激を遮断するだけで済む話なのだ。なのにこの時の私は、人間の体を持っているが故にその肉体に与えられる刺激に呑まれて思考ができない状態だったのである。


およそ人間が何百年生きようとも味わうことのできないだけの刺激を一度に味わわされ、なすすべなくそれに溺れた。この私がだ。この、クォ=ヨ=ムイがだ。


その時…!


「妙な刺激が来ると思ったら、何をやっている? 肉の悦びに溺れてる場合か、恥を知れ!」


叩きつけるように頭の中に直接響いた声が、私を一瞬、正気へと引き戻した。何万分の一秒だけ、脳の一部分だけ刺激が遮断され、そこを起点にドミノが一斉に倒れるように、私はケニャルデルがもたらす刺激を遮断した。


「ふざ…けるなあぁあ!!」


右手でケニャルデルの頭を掴み、分子レベルで強引に私の体から引きはがし、同時に反撃の暇も与えずに存在を食らってやった。床に叩きつけられたのは、ケニャルデルの支配から解き放たれた佐久下の裸体だった。殆ど手加減なく叩きつけたから全身の骨が折れたようだったが、かろうじて正気に戻っていた私はすぐさまそれを巻き戻してやった、ついでに服も戻してやった。


だが、ケニャルデル! 貴様だけは許さん! このクォ=ヨ=ムイを辱め愚弄したその罪、十億年は私の中で食らい続けてやるから覚悟しろ!


しかしまた、私の頭の中に声が響いてくる。


「だらしなく涎を垂らしてアヘ顔を晒してたくせに何を言っている。許せないのはお前の方だ。痴れ者が!」


それは、<もう一人の私>の声だった。もう一人の私が無様な姿を晒した私を罵っているのだ。


『煩い! 黙れえぇ!!』


頭の中に直接届いてくるそれに、私は苛立ちを抑えきれなかった。だが、それだけだった。


「……」


その次の瞬間には、もう私の苛立ちは収まっていた。もう一人の私自身の冷静さが伝染するように私を支配したからだ。


「ふん……」


強引にケニャルデルを引きはがしたことで破れた制服を直し、小便とその他もろもろの液体でぐしょぐしょになった下着とスカートと靴下と上靴を直し、床にこぼれたものも消し、一切の痕跡を消し去った。後に残ったのは、気を失った佐久下と貴志騨だけだった。


『…全く、今回は本当に油断した……』


あんなことをされたところで私の存在そのものが揺らぐことは無いし、人間の肉体が限界を超えて破壊されればその時点で肉の縛りは失われて刺激など無効になるし、放っておいてもいずれ私は勝っていたのだが、ほんの一時とはいえ私の支配を完全に離れていいようにされたのは途方もない屈辱だった。


せっかくベッドで休んでいたにも拘らずかえって疲れたような気分で、私は保健室を後にしたのだった。


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