ハイヤー
『な…なんだ、あれは……!?』
その男は、ハイヤーの運転手だった。勤務態度は真面目で接客も丁寧で客からの評判も良く評価も高かった。
男はその日もいつもと変わらず仕事で客を乗せてハイヤーを走らせていた。だがその時、目の前に異様なものが見えた。
異様どころではないか。何しろ、クラゲのようなものが空中を泳ぐように動き、それが人間に襲い掛かって食ったのだから。
信号待ちで止まった時に目の前の横断歩道を歩いていた高校生くらいの少女の頭にそれが覆いかぶさった瞬間、少女の頭がもぎ取られ透明なそれの中に取り込まれて、残った少女の体からは噴水のように血が噴き上がり、そのまま道路へと倒れ伏したのである。
しかも、クラゲのようなそれの透明な体の中の少女の頭は、数瞬の間、自分に何が起こったのか分からないというような呆然とした表情をしていたのが見えてしまった。
「―――――っっ!?」
その瞬間、男は殆ど反射的にハンドルを切りアクセルを踏み付け、Uターンして反対車線へとハイヤーを走らせる。客の上品そうな中年女性も男と同じ光景を見てしまったらしく、
「何、何、何なのアレ!?」
と言葉にならない言葉を口にしてパニックを起こしていた。その女性は、どうやら娘らしき十歳くらいの少女を守るように抱き締めている。
「ママ、どうしたの…!?」
娘からは現場が見えなかったようでただただ困惑していただけだが。
一方、
『お客様を守らなければ……!』
男は、とにかくその場を離れ、乗客の安全を確保しなければと考えた。何しろその少女は、男が毎日、自宅から学校へと送迎している客だった。今日はこれから母子二人でショッピングに出掛ける予定だった。それで、いつも利用しているタクシー会社の、しかもいつもの運転手を名指しして呼んだのだ。それだけ男を信頼していたのだろう。
男の方にとっても、立場をわきまえ馴れ馴れしく話し掛けたりはしないものの、とても身近な存在だったのかもしれない。だから余計に『守りたい』と思ってしまったのだろうな。
しかし、
『……あ…!』
しばらく走ると自衛隊の車両とすれ違った。走り去りながらバックミラーを見ると、その車両から降りてきた隊員達が銃を撃ち始めるのが遠くに見えた。
『え!? 撃ってる!?』
やはり尋常な事態ではないのだと改めて男は察してしまう。
何故この男にそれが察知できたのかと言えば、それに似たようなことをかつて経験したからである。だからこそ、異常な状況をいち早く理解し、たとえ普段は絶対やらない乱暴な運転をしてでも逃げなければと判断できたのだ。
その男は、以前、月城こよみが祖母と共にホテル住まいをしていた時に学校までの送り迎えを担当していたハイヤーの運転手だった。
さらには、今、母親と共に後部座席に乗っている少女を学校まで送り届けている時にも、巨大な蜘蛛の怪物のようなものを目撃している。
その時に経験した異常な事態のことが頭に残っていて、咄嗟の判断に繋がったのかもしれない。
何をどうすればいいのかは分からないが、少なくとも客を安全な場所まで送り届けなければと思った。取り敢えず、さっきの場所から離れれば何とかなるとの思いでハイヤーを走らせたのだった。
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