あくなき欲求

余談ついでに言っておいてやる。


昨今、ネットなどでドラマやアニメや漫画や小説を批評家よろしくボロクソに叩いてる奴らがいるが、もし、それが質の向上に直結するとか思ってるなら、勘違いも甚だしいぞ。


現実を見ろ。そうやって叩かれても筆を折らずに続けられるのは、


<面白いドラマやアニメや漫画や小説を作れる奴>


という以上に、


<打たれ強い奴>


だけだという現実を。


確かに、打たれ強い奴の中にも面白いものを作れるのはいるだろう。しかし、


<打たれ弱いが、面白い創作物を作れる才能はある奴>


はどうなる? そういう才能を潰すことが、フィクションにとってプラスになると本当に思っているのか?


批評家気取りで気に入らん作品を叩くことなどただの憂さ晴らしの自己満足だとは思わんのか? んん?


<打たれ強くてしかも面白い創作物を作れる奴>


など、どんな異世界転生物のチート主人公だ? そんなチート主人公が現実にそうそういるとでも思っているのか? 現実とフィクションの区別もつけられんのか?


面白くなければ、気に入らなければ、スルーすればいいのだ。そうして無視されれば、他人から評価を得たいだけで創作を行ってる奴はモチベーションを維持できずに勝手に筆を折るだろう。


逆に、他人から評価されようがどうだろうがそんなことはお構いなしに好きに創作を行う奴は勝手に創作を続けるだろうがな。


しかし、他人の評価を気にしないが故に、そういう奴の創作は自己満足で完結しがちなのも事実だろうな。


となれば、他人の評価を気にしながら工夫する奴の中に多くの人間に面白いと思ってもらえるものを作れるのが現れる可能性は高くなるのではないのか?


だが他人の評価を気にするが故に、いわゆるアンチなどからの叩きも気にしてしまい、追い詰められて筆を折るのもいるんじゃないのか? それが面白いものを作れる才能を持った奴だったら、潰すのは惜しいと思わんか?


物事ってのはな、多方向から見なければダメなのだ。自分にとって面白くないものでも、他人にとっては面白い場合もある。


同時に、多くの人間が面白いと思わないものは空気となってひっそりと消えていく。


それでいいではないか。


―――――なんてことを私が言うのはおかしいかもしれんがな。




と、また脱線してしまったな。


まあそれも、三十過ぎのオッサンの湯あみシーンなどそれこそ誰が喜ぶんだ? ということでの尺かせぎという意味もあるが。


私が脱線している間に藍繪正真らんかいしょうまは湯あみを済ませ、今はメシを食っている。


もっともそのメシも、現代日本で刑務所に収監されている受刑者達の方がよほどいいものを食っているというレベルのものであるが。


こういう時代でも<美味い物>というのはそれなりにあっただろう。だが、そういう<特に美味いもの>は、どうしても一部の特権階級に独占されてしまっていたこともまた事実かもしれん。


それに対し、日本人の、


『美味いものを食いたい!』


というあくなき欲求はもはや変態レベルに達し、


『異常に美味い物が当たり前のように日常に溢れている』


のは事実だろうな。


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