Suffering

一通り一人芝居と一人相撲をして、私はようやく落ち着きを取り戻していた。せっかく服を脱いだのだからとこのまま風呂に入ることにしたのはいいのだが、脱ぎ捨てた服や下着を拾い集める時のバツの悪さには、身悶えするしかない気さえした。


風呂に入る前に髪を浴室全てに張り巡らし、何もいないことを確認する。あくまで念の為だ。月城こよみの肉体を落ち着かせる為だ。今回のことがあり、私は自分がこの肉体をいたく気に入ってることを自覚してしまった。浴室の中には何もいないことが確認出来たことで、ゆっくり自分で自分の肉体を見ることが出来た。今はまだ未成熟だが、あと十年もすればより素晴らしい肉体になるだろう。淫奔に走るもよし、子をして子孫の繁栄を図るもよし、何人産めるか試してみるのも一興かも知れん。楽しみ方はいろいろある。


浴槽に湯を溜めてる間、シャワーで体を洗う。あの男の息がかかった部分は特に念入りに。息がかかるだけで穢れた気がする。胸や股間もあの男の視線を強く感じたから、こちらも念入りに。その上で全身くまなく、虫に刺された痕はないか、尻に吹き出物は出来てないか、指先で丁寧になぞり確かめる。また、ここ暫くぞんざいな扱いだったのを改めて、髪もきちんと手入れをする。月城こよみでしかなかった頃以上に丁寧にな。別にこんなことをしなくても最高のコンディションにすることはできるのだが、敢えてこの体相応の年頃の娘としての手間を楽しみたかった。


クォ=ヨ=ムイとして存在を始めた時には私は既に全てを超越していた。故に<幼い頃>というものが私には無い。親もなく家族もなく、孤高だった。それを疑問に感じたことはないし、肉を持つ生き物を羨ましいと思ったこともない。ただ、面白いと思っただけだ。だから敢えて肉を持つことを楽しんだりもする。しかし肉を持つということは、それが故の面倒も抱え込むということでもある。それこそ、綺勝平法源きしょうだいらほうげんのような奴が淫猥な情念を向けてくることとて、最初から想定されるべきことだ。


とは言え、気分が悪いものは悪い。この体を奴ごとき下衆がいいようにするかと思うと反吐が出る。もっともそれも、月城こよみの肉体がそう感じてるだけではあるのだが。


浴槽に浸かり、力を抜く。水風呂でも平気ではあっても、こうして温かい湯に浸かるのもやはりいい。しかしこうしてゆっくりしていると、またあの男のことが頭に浮かんできて胸の辺りがムカムカとなる。月城こよみにとってはあまりにも不快極まりない男なのだと改めて感じた。


「ムカつく、あ~ムカつく、キモイキモイキモイキモイ!」


そんな独り言が口を突いて出る。意識しなくても勝手に出てしまうのだ。その口調はすっかり月城こよみのものに戻っていた。


それと同時にふと思考がよぎる。


あの時、もう一人の私と意識を同期させていれば、もしかするともっと早く冷静になれていたかも知れないと思わなくもない。ただなぜか、その時の私はそういう気分になれなかったのだ。今から思うと、くだらないことに恐怖や不安を感じてしまった自分を知られたくないと思ってしまっていたのかも知れないと考えたりはする。


それとも、最近、授業にも出ず昼は保健室で眠り夜は石脇佑香いしかわゆうかと楽しくおしゃべりをしてるだけのもう一人の私の気楽さを知りたくなかったのだろうか。なんてことも考えてしまってた。


どちらも間違いなく私とはいえ、別々に存在してる時点でそれぞれに違う状況に身を置くことになるのは当然だし、それによって経験することも変わってくる。思考を月城こよみの脳に依存している今の私にとって、そのささやかな違いが思いがけない影響を与えることもあるのは事実だった。同一人物なのだからこういう言い方をするのも本来はおかしいのだが、経験によりそれぞれの認識にズレが、言い方を変えれば個体差、いや、敢えて言うなら<個性>が生まれてきてしまうのである。


考えてみれば、別々に存在する時点で、いかに遺伝子が一致しようとそれは一卵性双生児とそれほど違わないのかも知れんのかもな。脳の構造や記憶の大半までほぼ一致してるのはさすがに一卵性双生児でも皆無でも、異なる経験を重ねれば限りなく一卵性双生児に近付いていくとも言えるな。


本来、そういうことを解消する為に意識や記憶の同期を行うわけだが、だからと言ってそれをしなくてもそれぞれ勝手に存在は続けられるのだから、しなければならないものでもないのも事実だった。だから、そういう気分にならないからしないのだ。決して、呑気な時間を過ごしているもう一人の私を妬んでいるのではない。妬んでいるのではな。


…いや、そうじゃないな。人間、月城こよみとしては、自分が今、こんな思いをしてるのに、お気楽なおしゃべりとサボりを満喫してるもう一人の自分をついつい妬んでしまうというのもあって当然かも知れない。


そうだ。かつてもこんなことがあった気がする。それで結局、私と私が戦って、その時の宇宙を消し去ってしまったこともあったんじゃなかったか。クォ=ヨ=ムイとしての五百億年に及ぶ経験の全てなど月城こよみの脳には到底入り切らない記憶だから、極めて断片的な概要としての情報でしかないが。


もっともそれは、私がまだ人間そのものとして生きるのではなく、私の意識のままで人間の肉体を再現してやってた時の話の筈だから、今とはぜんぜん状況は違うがな。あの時と同じ失敗を繰り返そうとは思わん。そのうち同期するつもりだ。そうすればどっちがどうだとかは関係なくなる。


そう、気にするほどのことではないのだ。


少々長湯になってしまって若干のぼせ気味の体を起こし、浴槽から出る。脱衣所で体を拭くとスーッと熱が引いていくのを感じて心地良かった。バスローブをまとい部屋に戻ると祖母はまだ寝ていた。起こすとまた煩そうだから放っておく。ソファーに座り足を組むと裾がはだけて自分の足が露わになった。それを女優よろしくピンと伸ばし持ち上げると、キューッと脚の筋肉が勝手に収縮していく。


「あ、あーっっ!!」


思わず声が出る。普段やらないことをしたせいで、足がつったのだ。咄嗟に足の指を掴んで筋肉を伸ばし、筋肉の誤作動をリセットする。


「いたたたたたた…!」


迂闊に動くとまたつりそうなので、しばらく安静にして様子をうかがう。その時の恰好がまた年頃の娘としてはあるまじきはしたない格好になってしまってて、祖母がまだ寝ていることを本当にありがたいと思った。祖母に見られたら何を言われるか分かったものではないからな。


ほんとにもう、私は何をやっているのだろう…。


本来ならこんな風に慌てる必要は無いのだ。クォ=ヨ=ムイとして肉体に命じればその時点で終わったことにも拘らず、つい月城こよみとして対処してしまった。


我ながら情けなくなってくる。これでは本当に中学生の子供と変わらんではないか。ひょっとして、ショ=エルミナーレとの戦闘で受けたダメージが、私の認識を上回って影響を与えてるのではないかと思えてくる。もしくはケニャルデルにしてやられたもう一人の私の見えないダメージが、意識を同期させた所為で私にも影響を与えているのか。神経系へのダメージと考えればそちらの方が可能性がありそうだ。そういう意味でもしばらく同期は避けて様子を見た方がいいかも知れんな。


再びつったりしないかどうか慎重に足の様子をうかがいながら、私はそんなことを考えていたのだった。


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