ごめんなさい…ママ…
『ああ…こんな……』
なにしろ、首から肩にかけての肉がごっそりと抉り取られ、頸骨も肩の骨も鎖骨までもが覗き、断ち切られた動脈からは鼓動に合わせるようにビュービューと血が噴き出していたのだから。
少女の目は力なく虚空を見詰め、涙が頬を伝っていた。
「ママ……ごめんなさい…ごめんなさい…ママ…許して…わたし、いい子になるから…帰ってきて……ママ…ママ……」
うわ言のように繰り返していたそれが何を意味するのかを、佐久下清音は悟ってしまった。
実は、何度かこの少女に対してカウンセリングを行っていたのだ。
彼女の母親は二年前に乳がんで亡くなっており、しかもそれから一年もしないうちに父親が再婚した継母とは折り合いが悪く、精神的に不安定になって感情を制御できない状態になっていたりもしたのである。そのせいで他の生徒と諍いを起こしたりもしたようだった。
つまり、紫崎麗美阿が
こいつも、その存在そのものが理不尽であり不条理である私達と違い、ただの非力で脆弱で脆い心を持ったただの人間でしかなかった。だからと言ってやったことは許されるものでもなかったがな。
「暗い…暗いよ…ママ……ママ…一人にしないで……怖い……」
その言葉に、佐久下清音は、もう殆ど見えていないと思われる紫崎麗美阿の目を見て血まみれの手を取り、
「麗美阿ちゃん、ママはここよ。大丈夫、ここにいるわ」
と、つい口走ってしまった。すると紫崎麗美阿はほんの少しだけ安心したように笑って、最後に「ママ……」と漏らして息を引き取ったのだった。
「紫崎さん……」
自分の学校の生徒が死んでいくのを目の当たりにしながら何もできなかったことに、佐久下清音は打ちひしがれていた。しかし、そんな感傷に浸ることさえ許されなかった。マンションのオートロックのドアを打ち破り、少女を食い殺したと思われる犬が侵入してきたのである。
「…犬……?」
佐久下清音は無意識に呟いていた。なにしろ犬にしては形が歪すぎるし、何より異様に禍々しい。
そう、それは犬ではなかった。<軍隊犬蟻>ケネリクラヌェイアレであった。あまりの恐怖に下着やジャージを濡らしながらも、咄嗟に既に亡骸となった少女を庇うように覆いかぶさった佐久下清音の意識は、それまで経験したことのない衝撃を感じた直後にまるでブレーカーが落ちるように暗転したのだった。
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