Gods play

ショ=エルミナーレの騒動の後、私は祖母と共に部屋を移動していた。元の部屋はガラスが飛び散りとても使える状態ではなかったからだ。ようやく一息ついたところで祖母がまたくどくどと愚痴をこぼしてきたが、私はそれを右から左に聞き流していた。まともに相手をする価値もなかったからな。


テレビを点けると、先程の爆発の件で全てのチャンネルが報道特別番組に切り替わっていた。まあ無理もないか。相当情報が錯綜しているのだろう。テロ説やガス爆発説や火山の空振説などが飛び交ったが、どれも発生源が特定できず、専門家と称する人間が何人も出てきて、隕石の爆発による衝撃波だという説を展開し始めると、いつぞやのロシアでの隕石爆発による被害の映像が繰り返し流され、今回の被害に酷似していることから次第にそれが有力だとみられるようになっていった。


まあ実際、ショ=エルミナーレが秒速十六㎞を優に超える速度で大気中を移動したことによる衝撃波が今回の爆発の正体だから、あながち間違ってもいないとも言えるがな。基本的には似たようなものだ。


後日、私が宿泊しているホテルの敷地内に出来たクレーター状の窪みが発見されたことが報道されると、隕石爆発説をより補強する材料となった。


とは言え、実際に隕石が発見された訳ではない。隕石が落ちたのではないから当然だ。しかしそれすら、落着の衝撃と熱で隕石そのものが蒸発してしまったことで発見されなかったのだと専門家が説明すると、多くの人間はそれで納得してしまったのだった。もっとも、冷静に科学的に見ればおかしな点な相当有った筈だが、人間は自分の理解出来ないことに対してとにかく理屈を当てはめて理解できたような気になりたがる性癖がある。


かつてはオカルトがその役目を担ってたのだろうが、今では科学も同じ役目を負っているのだろう。客観的事実が確認出来ないにも拘らず、一見すると科学的にも見える説明を加えることで証明されてしまったかのような錯覚を与え、理解出来た気になることで安心するのである。だがそれは決して科学などではない。それではオカルトと同じだ。


今の人間の科学力などたかが知れている。今の科学や技術では計測できないこと、測定できないこと、検出できないことはいくらでもあるのだ。その事実は事実として認め、『現在の科学技術では解明できません』と認めればいいものを解明できたかのように装うことがいかに事実を理解することの妨げになるか、まだ人間は理解できないようだ。この調子では、人間が私達の側を理解するのは早くてもまだ数千年、私達の側に来ることに至っては数万年レベルの先の話になるだろう。それまで人間が存在できていればの話だが。


以上が翌朝以降の流れだが、それは別にどうでもよかった。私には関係ないことだからな。祖母の愚痴を一通り聞き流し、今度は絶え間なく響き続ける緊急車両のサイレンの音を聞き流しつつ、私はベッドに横になる。


今回の騒ぎで警察の方もそれどころではなくなって私の両親の失踪については若干後回しになるかも知れんが、うやむやになることはさすがにないだろう。今回訪れた刑事にしろ、週刊誌の記者にしろ、それ以外のマスコミにしろ、今後も私の周囲のうろつくことになる筈だ。昔も下衆な勘繰りをする野次馬根性を持った奴は少なくなかったが、人間の理解力は大して上がってないクセに今は情報伝達のスピードだけは無闇に早くなったからな。よく考えもしないで軽率なことを言う人間は確かに増えた気はするよ。


マスコミも、そのマスコミをゴミと叩く連中も、私に言わせれば同じ穴の狢だ。どちらも自分に都合の良い情報を集め個人の主観で編集した二次情報を発信したがる奴らに過ぎん。事実を事実として捉えて自らの頭で理解できない時点で、自然科学部でオカルトに没頭する奴らとも何も変わらない。愚かで不様で卑しい存在。だが、それ故に面白いのだ。人間という奴は。


人間が自然を破壊する? そんなこと私の知ったことじゃないな。環境問題などどうでもいい。人間がいくら環境を破壊しようが、それは今現在存在する生物にとっては不都合なだけで、地球そのものにとってはさしたる問題じゃない。資源が枯渇する? 関係ないな。いくらエネルギーや資源を浪費しようと、それは物質の状態が変わるだけで質量そのものが消えてなくなる訳じゃない。環境が激変し人間やその他の生物が生きられないようになったところで、地球は何も困らない。


そもそも、生物の大繁殖と環境の激変そのものが、地球で繰り返されてきたサイクルの筈だ。人間如きが地球の心配をするなど笑止千万。当の地球は、人間のやってることなど意にも介しちゃいない。『またやってやがる』くらいにしか思ってない。


ましてや、その地球そのものが、宇宙から見れば取るに足らん存在でしかないのだ。いずれは太陽に呑まれ消滅する。たとえそれを免れたとしても、最後にはこの宇宙と共に消えてなくなる。神罰など必要ない。結果は既に用意されている。その程度の存在が何の影響を与えられるというのか。実に滑稽だ。その滑稽さが私を楽しませてくれる。人間の存在について考えなきゃならんようになるのは、私達の側に来られるようになってからだな。それでも、宇宙そのものを超えられるようにならなければ、この宇宙と共に消えることには変わりないが。


いささか話が逸れたようだ。


いずれにせよ、今回、ショ=エルミナーレがわざわざ人間の体を再現し自らの力を制限していなければ、既に地球そのものが破壊されていただろう。私と、ショ=エルミナーレの他愛ないじゃれあいの所為でな。そして殆どの人間はその事実にさえ気付かない。気付かないままに何かを分かったように思い込んで自らを安心させている。


いやいや、本当に愚かで惨めで愛おしい。人間という生き物は。だから私としても気を付けてはいるのだ。そうしないと、地球どころか太陽系だって消してしまえるんだからな。その気になればこの宇宙そのものだって消してしまえるのだ。そういう存在が人間の体を使って行う茶番劇。それそこが、私が今行っていることだ。


さあ、人間よ。せいぜい私の茶番に付き合ってくれ。そして私を楽しませてくれ。そうすれば私はお前達の存在そのものは守ってやろう。私の楽しみとしてな。善も悪もない。陰も陽もない。誰が生き、誰が死ぬかは私の気まぐれ次第だ。私を楽しませてくれる者は生き、そうでない者は死ぬ。…かも知れないし、違うかも知れない。全ては私の気分一つなのだ。


その中で懸命に生きる者よ。少なくとも今は、私はそういう奴が嫌いではない。何もかもを諦めて座して死を待つ奴よりは少なくとも興味を惹かれる。己の力ではどうにもできないものを前にしても足掻き続ける姿は面白い。見ていて楽しい。だからついつい肩入れしてしまうこともある。


この地球にくる以前には、全く逆に感じていた時期もある。無駄な足掻きをする者を疎ましいと思い、早々に諦め達観した者こそ愛らしいと感じたこともある。そしてそいつらが滅んでゆく様を楽しみながら眺めたこともある。


お前達人間にとって私は理不尽で不条理な存在だろう。それは事実だ。私を敬愛し、畏怖し、信仰するのも構わない。疎み、忌み、憎悪を向けるのも構わない。それら全てが今の私には楽しいのだからな。


人間よ。お前達は私に何を見せてくれる? 私をどう楽しませてくれる? 繁栄か? 破滅か? 親愛か? 狂気か? お前達が見せる全てが、今の私にとっては最高の娯楽だよ。その中に私も人間の肉を持ち参加している。


いやはや、実に愉悦愉悦。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る