あるJC1の転居

「じゃあな、もうお前らと顔も合わすことはないと思うが、元気にやれよ」


いかにも小物臭い捨て台詞を残して、菱川和ひしかわは私達の前から立ち去った。結局、自分に酔ってるだけの、どうしようもないガラクタだったな。暇潰しにもならん。


私達の前から去った後、菱川和は、コンビニのATMで金を下ろし、煙草とライターと傘を買った。雨が降ってきたからだ。店を出てしばらく歩いたところで煙草に火を点けた。


『さーて……これからアパートでも借りて、誰にも邪魔されずに小説でも書くかな。仕事も辞めだ。これだけありゃ三年はもつだろ。今までは集中してやらなかったからダメだったんだろうし、ちょうどネタにできそうな話も手に入ったしな。オタくせえ小説でも当たりゃこっちのもんだ。勝てば官軍ってな』


などと、私達を題材にして小説を書くつもりだったようだ。だが、そんな菱川和の背後から、近付く人影があった。


「すいません…週刊現実の菱川和さんですよね…?」


不意にそう声を掛けられ、「はい?」と振り向こうとした瞬間、何かがドスンと体にぶつかり、腰の辺りに焼けた鉄の棒か何かを押し付けられたような熱さを感じた。


「あっつ…!?」


その直後、菱川和の体からスーッと力が抜け、その場に膝をついた。思わず腰にやった手を見ると、真っ赤に染まっていた。


「何だ…おま…?」


菱川和にぶつかったのは、菱川和と同年代くらいの中年の男だった。無精髭を生やし薄汚れた格好の、ホームレスにも見えるような小汚い男だった。男は震えていた。そして男の手には、べっとりと血が付いた包丁が握られていた。震える手に包丁を握ったまま、男は言った。


「菱川和、お前が書いた記事の所為で俺の人生は滅茶苦茶だ。嫁さんも子供も逃げた。仕事もクビになった……全部お前の所為だ。だってそうだろ? 今時中学生と援助交際してるとか、誰でもやってることじゃねーか。それなのになんで俺だけこんな目に遭わなきゃならねーんだよ。教師だって人間なんだよ。若いとヤリたい時ぐらいあるだろーがよ…」


男の言葉を聞いて、菱川和の脳裏によぎるものがあった。


『ああ…こいつ、俺が去年書いた援交教師の記事の奴…』


今時大したネタでもないことから編集部内でも特に評価は得られず菱川和自身もすっかり忘れていたような記事だった。だが、この男にとっては重大なことだったのだろう。もっとも、今、こんな行為に及んだのには原因があったようだが。だから私もここにいるのだ。


その男には、さっき菱川和から離れたネルフィヌゥアルルアが憑いていたのだからな。


と言っても、ネルフィヌゥアルルアが憑いたことはこの時点での男の決断の最後の一押しをしただけで、遅かれ早かれこうなっていたのだろうが。そうだ、これは結局、人間同士の諍いに過ぎんということだ。だから私は、ネルフィヌゥアルルアを食っただけで、その場を後にしたのだった。


男は逃げ去り、菱川和は雨に打たれるままに地面に横たわっていた。


その後のことは私も知らん。いずれにせよ菱川和自身が招いたことだ。私の知ったことではない。




まあそんなことがあった数日後、私は山下沙奈やましたさなが現在保護されている施設に、弁護士の女を伴ってやってきていた。この女は、両親がまだ海外にいるということになっている私の日本での身元引受人になっている奴で、今日、山下沙奈の身元も引き受ける為にここに来たのだ。山下沙奈が、私と一緒に暮らす為に。


書類は女に任せていたから万全だ。後は小煩い役人の認識をちょいと誘導してやればすぐに終わる。一言二言、言葉を交わしただけで手続きは完了し、職員に連れられた山下沙奈が姿を現した。その目は潤み、私を真っ直ぐに見詰めていた。


「先輩。よろしくお願いします…」




「と、そういう訳で、山下沙奈は今、私の家に住んでいる」


などと簡単に経緯を説明した私の前に、あんぐりと口を開けてマヌケ面を晒す月城こよみの姿があった。


「な…あ、あんた、何のつもり!?」


何のつもりとは無礼だな、貴様。舐めてるといい加減に食うぞ?


いつものように部活の後で私の家に集まってた、月城こよみ、肥土透ひどとおる、山下沙奈、黄三縞亜蓮きみじまあれんだったが、山下沙奈がいつまで経っても帰ろうとしないことに月城こよみが『帰らなくて大丈夫?』と訊いてきたことに対して私が語ってやったのだ。


「私にも美しいものを愛でる感性ぐらいあるのだ。そして山下沙奈は美しい。理由などそれで十分だ」


私がそう言いながら抱き寄せると、山下沙奈の顔が見る間に赤くなっていく。くくく、い奴じゃ。


だがそんな山下沙奈を、月城こよみが奪い取るようにして抱き寄せる。


「ふざけないで! 山下さんみたいないい子をあんたみたいなケダモノのところに置いとける訳ないでしょ!!」


何? この私をケダモノなどと一緒にするとは、貴様、本当に死にたいらしいな?


ピシッと音さえしそうなほどに、私と月城こよみの間の空気が圧縮されていく。しかしそんな私と月城こよみの姿を見て、山下沙奈は、


「あ、あの…先輩、やめてください」


と青褪め、石脇佑香いしわきゆうかは、


「わーいわーい、ケンカだ~!」


とはしゃいでいた。そこに、決して声は大きくないが強い口調で肥土透が割り込んできた。


「いい加減にしてくださいよ、クォ=ヨ=ムイさん! 月城も! 黄三縞のお腹の赤ちゃんの前で恥ずかしくないのかよ!」


ほう? 毛も生えそろってない小僧っ子が一人前の口をきくじゃないか? だが、月城こよみはそう言われて気まずそうに席に戻ってしまったのだった。


ふん、興が削がれた。


私も席に戻ると、山下沙奈が胸を撫で下ろし、黄三縞亜蓮が自分の腹に手をやったまま苦笑いをしていた。そう言えば、元々は黄三縞亜蓮のことを話してたんだったな。


「まあいい、黄三縞亜蓮の赤ん坊のことだな。それでお前はどうするつもりなんだ? 生むのは分かったが」


私がそうやって話を戻すと、黄三縞亜蓮が自分の体を見ながら言った。


「私、高校には行きません。仕事をしながらこの子を育てます」


そうか。お前がそう言うのなら勝手にすればいい。とは言え、大人共はそれで納得するかな?


「仕事の方は黄三縞さんにはイエロートライプがあるから大丈夫だとしても、問題は子育てだよね。黄三縞さんのお母さんとかには頼れないのかな?」


月城こよみがさすがに現実的なことを言ってくるが、実際の問題はそれ以前だ。大人が認めるかどうかだぞ? そんな考えは想いも至らないように黄三縞亜蓮が厳しい表情で言う。


「あいつらの手を借りるのは嫌。だったらベビーシッターとかを雇った方がマシ」


そうだな。こいつは経済的には十分にそれができるのか。こいつがこうなったのも元はと言えば両親が原因だ。確かに当てにする方が間違ってるだろう。黄三縞亜蓮の両親には子供をまともに育てる能力がそもそもないのだからな。


その点ではここにいる者は全員、似たような境遇の為、何となく『そうだよな』という空気が漂っていた。って、いや、だから、そうじゃなくてだな!


「だからその前に、このままじゃお前が学校に通ってる間に生まれるんだから、それを学校側にどう説明するのかという話があるだろうが! お前らはどうするつもりだ!?」


私の言葉に、全員が、「あ…!」という顔をした。やっと気付いたか、このトウヘンボク共が!


「あー、でも、生まれてくるものはどうしようもないから、そこは何とかなるでしょ」


と月城こよみが呑気なことを言い、他の奴らも「まあそうだよね」と頷いた。さすがにまだ中学生の子供しかいないんじゃあ、こんなものかもしれんが……


と、私は頭を抱えていたのだった。


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