週刊誌記者の独白

「本来の締め切り時間の後で捻じ込むくらい自信満々だった記事があれで、俺は編集部の奴らに死ぬほど笑われたよ。『でもこれで訴えられたらお前も本当に一人前だな』って言ってた奴もいた…」


と、いかにも自分はこんなに大変な思いしたんです~。とでも言いたげな菱川和ひしかわの独白に、四十過ぎ中年男の身勝手な泣き言に、月城こよみは心底呆れていた。無理もない。月城こよみはこいつの勇み足のまさに被害者だしな。それでも山下沙奈やましたさなは、少しだけ同情的な表情をしている。この男に対する両者の認識の違いがよく表れている姿だった。


そんな少女達のことはお構いなしに、菱川和がまるで映画の主人公にでもなったかのようになおも熱く語る。


「俺は本当は作家になりたかったんだ。小説家か脚本家か、とにかくクリエイティブな仕事がしたかったんだよ。出版社に入ったのもその為の近道だと思ったんだ。でも書いても書いても相手にもしてもらえねぇ。くだらないことしてないで仕事しろとも言われたよ。けど、俺は諦めたくなかったんだ。だからデカいスクープでもものにして俺のことを認めさせてやりゃ、きっと俺のことも見てもらえる。だってそうだろう? 人気作家とか言われてる奴らが書いてるのを読んでみろよ! あんな小学生の作文みたいのが人気だって言うんだぜ!? タレントが書いたってだけで売れるんだぜ!? 要は何か話題になるポイントがありゃやってけるんだよ!」


って、うわぁ…こいつ、本物のバカだ。


元々身の程知らずの勘違い男だっただけだな。週刊誌の記者としてもやっていける器じゃないだろう。能力も無ければ覚悟もない。せめて真面目に工場勤めでもしていればまだまっとうな人生を送れたかもしれんが、わざわざ自分で自分を追い詰めるような選択をしているんだな。しかも、途中で気付けば修正もできたものを、自らその目を潰したか。


だから私は言ってやったのだ。


「貴様の泣き言など、プラナリアの小便程の価値もない。とっととくたばってその身をバクテリアの餌として提供しろ。それが一番、貴様が役に立つ方法だ」


その言葉にギョッとなって月城こよみが視線を向けた。菱川和もビクッと体を震わせて振り返った。山下沙奈だけは、ホッとしたような表情で見ていた。


「クォ=ヨ=ムイ…どうして…?」


月城こよみが間抜けな質問をしてくる。どうしても何も、私は気が向けばどこにでも現れるしどこにでも存在する。貴様ら人間と同じにするな。と言っても今回は、石脇佑香いしわきゆうかが楽しげに私に語った菱川和家での出来事の後始末をしに来てやったんだがな。


「クォ…何?」


間抜け面を晒す菱川和の相手などまともにする気はないが、取り敢えず事情を説明してやろう。ありがたく聞け。


「菱川和、貴様が気付いたとおり私とそこの月城こよみは、元々は同一の存在だ。だが今は別々の存在でもある。嗅ぎまわるのは勝手だが、おかげでお前は人間として終わったな」


『人間として終わった』。私のその言葉に、菱川和がギクッと体を強張らせる。まさかという目で私を見た。


「しかし心配するな。今回だけは特別に無かったことにしておいてやった。ただし、全て元通りとはいかんがな」


「無かったこと…?」と呟くようにいう菱川和に私はさらに言った。


「無かったことと言えば無かったことだ。何度も言わせるな。分からぬのならさっさと自分の目で確認してこい」


そこまで言えばさすがに察したのだろうが、いくら何でも自分のやったことが『無かったこと』になるというのがどういう意味なのか理解できていない菱川和のところに歩み寄り、私は共に空間を超越した。菱川和の自宅の玄関前に。


「…な…!?」


今の今まで何処かも分からない場所で立っていたのに、瞬きすらする暇もなく、嫌というくらいに見覚えのある自宅の玄関先に移動したという事実に、菱川和は混乱した。しかしすぐに、作家になりたいとかほざくくらいだからこの手の空想ものにもそれなりに明るかったのだろう、


「もしかしてこれが、テレポーテーション…てやつか…?」


と私に訊いてきた。だが、今はそんなことはどうでもいいのだ。


「いいからさっさと見てこい。もっとも、お前の居場所はもうないが」


グダグダと段取りの悪い中年男に苛々してきた私は腕を組みぎろりと睨みあげてやった。いい加減にしないと食うぞ貴様。


そんな私に気圧されるようにして、ようやく菱川和が玄関の鍵を開け、中へと入って行った。だがすぐに、


「誰ですかあなた!? 強盗!?」


と中から女の声がした。続けて、


「何ですか! 出てってください! 警察呼びますよ!!」


という声に叩き出されるようにして、菱川和が飛び出してきた。


「な、何だ!? …え!? どういうことだ!?」


訳が分からず混乱する菱川和を連れて、私は再びさっきの場所へと戻った。


「あ、やっぱり戻ってきた」


突然現れた私と菱川和を見て、月城こよみが声を上げる。私達が戻ってくるかもしれないと思って山下沙奈と一緒にしばらく様子を窺うことにしたのだろう。そこに私達が戻ってきたということだ。


周囲を見回してさっきの場所だということに気付いた菱川和が、全てを察したような顔をした。自分が何かととてつもない存在を前にしているのだということを、ようやく理解したようだった。


「俺の居場所がないっていうのは、ああいうことか…?」


「そうだ。お前の女房は、既にお前のことを覚えていない。


お前の女房も子供も、特別サービスとして巻き戻してやったが、どうやら女房は本当にお前にいなくなってほしかったようだな。昨夜の出来事に関する記憶も巻き戻してやっただけだった筈だが、何故かお前についての記憶そのものも消え失せていた。お前に関する記憶が壊れていたのだ。まあ、私ならそれを治すこともできるがな。どうする? 今の内なら治してやらんこともないぞ?」


そう訊いた私に、菱川和は苦笑いを浮かべて言った。


「いや、結構だ。元々俺には家庭を持つなんて過ぎた真似だったんだよ。俺もこれで清々した。これからは一人で気楽に生きるさ」


さっぱりした感じで言う菱川和に、私はポケットから取り出したものを差し出した。


「お前のスマホと通帳とキャッシュカードと印鑑だ。女房の奴、よっぽどお前のことが嫌だったんだろう。お前の給料には殆ど手をつけず、自分の株取引の収入だけでここ数年やりくりしてたようだ」


私から受け取った通帳を見た菱川和が、「くくく」と笑い出した。


「なんだこれ、俺がもらった小遣い分しか出してねーじゃねーか…」


菱川和が言った通り、入金された給料からは月々数万円程度の引き出ししかされておらず、それ以外には菱川和自身が使っていたスマホの料金しか引き落としされていなかった。その為、残高は既に一千万近くになっていた。なるほど、元銀行員らしく金についてはきっちりとした女だったようだな。


一通り笑いをかみ殺して落ち着いたらしい菱川和が、私達に向かって訊いた。


「なあ、お前ら一体何なんだ?」


何なんだと訊かれて貴様は明確に応えられるのかと思ったが、まあいいだろう。


「私の名は、クォ=ヨ=ムイ。お前達が神とか邪神とか呼ぶ存在だ」


昨日までのこいつなら恐らく子供の戯言と笑い飛ばしていたであろう私の言葉に、菱川和は何かすごく納得いったという顔をした。


「そうか、俺は邪神に喧嘩を売ろうとしてたのか……道理で上手くいかない訳だ。納得だよ」


それは、憑き物が落ちて晴れ晴れとした人間の顔であった。


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