Ambivalent
ハイヤーから降りた私は、正直言って面倒臭いと思いつつ、部屋に戻った。
祖母があれこれ話しかけてくるが全てスルーして机に鞄を置き、服を着替える。もうすぐ約束の時間だ。ソファーに腰掛けて寛ぎながら、今日あったことを思い出してみる。
特に、幼女化した後の私の言動がおかしい。まあそれは、幼くなった体の感覚とそれに見合わぬ膨大な知識とのずれがもたらしたものかも知れんがな。平たく言えば、性的なものについての感覚は未熟なのにとんでもない耳年増だったことで、理性がまともに機能してなかったということか。さらに噛み砕いて言うなら、考えは幼稚な癖に性的な知識で頭がパンパンになった幼児そのものだっただけ? まあ、未熟な奴に知識ばかり与えてもろくなことにならんということかも知れん。
そんなことを考えているところに、刑事達がやってきた。臆病者のポインターっていう感じの若い広田と、見た目は地味だが噛み付いたらしつこい紀州犬という感じのベテランの
「すいません。何度もお手間取らせてしまって」
広田の方はすっかり私を信用しているからか同情的な視線を向けてくるが、今川の方は柔和そうに見える表情にも拘らず目が一切笑っていない。私の一挙手一投足を見逃すまいとする目だ。
「今日は、その旅行に行く時のご両親の様子について改めてお聞かせ願えればと思いまして」
この前来た時には大まかには聞いてきたことの筈だが、まあ、返事に矛盾が生じたりしないかってのをみる為に同じ質問を何度も繰り返すってのは、警察の常套手段だよな。
「はい…」
取り敢えず素直に頷く私に対して今川が間をおかず質問を始める。
「それで、ご両親が旅行に行かれたのは、7月3日の朝ということでよろしいんですね?」
やや前かがみで、私の顔を覗き込むように問いかける今川に、私は少し怯えているような表情をしてみせた。
「はい…そうです」
いかにも戸惑っているという感じで、短く答える。すると今川が細い目をさらに細め、表情に何かがよぎるのが見て取れた。
「そうですか…部下の方の話によると7月3日はプレゼンテーションの日で、月城氏も出席予定だったそうですが、その日に旅行に出ると…?」
早速かましてきたか。私の僅かな表情の変化を確かめようとしてるのだろう。ただでさえ笑っていない目が更に冷たく澄んでいくのが分かる。だがこれはまだ軽いジャブだという感じだな。娘が父親の仕事のスケジュールなど知らなくて当然だ。ここは困惑するような表情をするだけで構わないだろう。
「…まあいいでしょう。次に、ご両親はどのような服装でしたか?」
私の表情から何かを読み取ったか読み取れなかったのかは判然としないが、今川はそう言って質問を変えてきた。
「私が学校に行く時はまだ部屋着のままでした。午前中に出るという話だったので、どの服を着たのかは分かりません」
実際のところあの日は両親がどんな服装をしていたのか私は見てない。ただ、普段からよく見るいつもの格好を思い出し、そう答えておいた。その私に対し、今川は間髪入れずに訊いてくる。
「それはどんな部屋着でしたか?」
それがどう関係するのかよく分からん質問だが、まあこれも探りを入れる為の前振りなのだろう。
「どんなって……母はトレーナーにストレッチパンツで、父はポロシャツにチノパンだったと思います」
普段の格好をさらに詳しく思い出し、答えておく。
「色は?」
ここまでくると、さすがに少しイラッとくる。だがそれがこいつの狙いだろう。乗ってなどやらぬ。
「…母のトレーナーはワインレッドで、父は白のポロシャツだったかも知れません。よく覚えてません」
それが、特によく見かけ、印象に残ってるものだった。もっとしっかり記憶を探ればはっきりしたものは出てくるが、行方不明になった当日の格好は見ていないのだから、意味はない。だから曖昧に留めておく。すると今川がまた質問の内容を変えてきた。
「どのような会話をしましたか?」
会話か。そういえばここしばらくまともな会話などしてなかったな。なのでこれも曖昧に答える。
「二人で旅行に行くっていう話を聞いた以外は挨拶くらいで…最近、両親とはあまり口をきいてませんでした…」
旅行の話は当然嘘だが、挨拶くらいなのは本当だった。
「その話を聞いた時、どう思いましたか?」
どう思いましたかと来たか。そうだな。もし本当に旅行に行くと言われたら、どう思うかということでいいだろう。
「やったーって思いました…自由に遊べるって……」
そう答えた時、不意に、私の目から涙がこぼれた。演技ではなく、本当に意識せずにこぼれたものだった。これは、クォ=ヨ=ムイとしてではなく、月城こよみがこぼした涙だった。両親との関係は決して良くなかった月城こよみだが、本当に両親がいなくなってしまったことに対してはやはり単純に喜べるようなものではなかったのだろう。両親に対して情を感じてなかったのは確かでも、それはあくまでその日常がそのまま続くことが前提の話だったのだとも言える。
両親が旅行でいない間に羽を伸ばせると喜んでいたら、その両親がもう二度と帰ってこなくなってしまった。両親を邪魔者のように思ってしまっていたことがこの事態を招いてしまったのではないかという、中学生の子供としての後悔が、その涙となったのかも知れない。
「あの、刑事さん…これは取り調べじゃないんですよね? ただ事情を聴いてるだけなんですよね? だったら今日のところはもうこれくらいにしておいていただけませんか?」
祖母がそう言って割って入った。私の体を抱え、庇うように引き寄せる。
「…そうですね。失礼しました。少々配慮に欠けていたようです。申し訳ありません」
申し訳ありませんと言いながらその目には全く謝意が感じられないが、まあ元よりそういう人間なんだろう。明日もまた来ると言い残し帰っていく刑事の会話に耳を澄ます。
「やっぱりあの子は何も知らないんですよ。あの涙はそういうことなんじゃないですか?」
広田がそう切り出すと、今川が皮肉っぽく鼻を鳴らす。
「お前にはそう見えたか。だが、俺はますますあの娘が何かを隠してるって確信を得たがな」
今川の言葉に広田が食って掛かる。
「ええ? どこがそんな風に見えるんですか」
しかし今川はそんな広田に取り合わず、吐き捨てるように言った。
「だからお前は半人前なんだよ」
その言い方に反発はしつつも、広田が漏らしたのはまだ身の程をわきまえているように抑えめな言葉だった。
「なんか納得いかないですよ…」
内容的には前回と大差ないが、広田と今川の私に対する認識の差はますます広がった感じだな。私が何かを隠してることを見抜いてるのはさすがだが、お前が望んでるような結論には達しないということは分からんか。しかも、お前達の力ではどうすることもできん現実がそこにあるだけだ。
だが、この時の私は、刑事に疑われてることなど正直言ってどうでもよかった。ただどうしようもなく虚しいような気分に陥っていただけだった。軽い気持ちで始めた遊びが自分の意図せぬ方向に転がり始めてしまったにも拘らず、引っ込みがつかなくなって止めるに止められない子供のような感覚だった。
私はますます、自分が月城こよみ寄りになっているのを自覚したのだった。
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