Recovery
元の体に戻す為には、消費されるエネルギー分も含めて質量にして五十㎏くらいは欲しかったのだが、それはまた別の形で調達しよう。
最初のイカや玉子、イクラとオニオンサーモンなどを含めて四十数皿を喰いつくした時点で、取り敢えずやめておいた。それだけでも周りの客はドン引きしてるがな。
腹がまるで妊娠でもしてるかの様に膨れ上がっている。これはこれは、腹ボテ幼女とでも言ったところか。
会計の際にも私の腹をチラチラと店員や周りの客が見てくるが、気にしない。どうせこの姿の私は現在は存在しない人間なのだ。いくら噂を広められようと関係ない。
「うお~、おすもうさ~ん、どすこ~い」
そう言いながら私は腹を突き出すようにしてのっしのっしと歩いた。後ろを歩く運転手がまだ信じられないという風にして私を見ているのが分かる。
車に戻ると、私は、後部座席のドアに手を掛けながら、運転手を見上げて言った。
「おじさん、ごちそうさま。おれい、きたいしていいよ」
恐らくその時の私の視線は、淫魔の様に艶めかしいものになっていただろう。何となくそういう気分だったのだ。中学生の体の時の月城こよみでもそこまでのものは無かったというのに。
運転手も一緒に後部座席に座り、私は鞄を足元に落としてドアに背を預け、ワンピースをまくり上げてスイカの様に丸くなった腹を見せつけた。ヘソが完全に出ベソになっている。
「おじさん、みててね」
私はそう言うと、腹に意識を集中した。すると見る間にはち切れそうなまでに膨らんだ腹が元通りになっていく。喰ったものをエネルギーに変え、効率よく蓄えるようにしたのだ。
驚いて言葉も出ない運転手に向かい、私は言葉を投げかけた。
「みてのとおり、わたしはにんげんじゃないの。だからなにしてもいいんだよ?」
その誘いに、運転手の残り少ない理性が弾け飛ぶ音が聞こえた気がした。ワンピースをまくり足を広げ娼婦の様に迎える私に運転手が覆いかぶさってくる。
「しんぱいしなくても、だれにもみえないし、きこえないよ。あんしんして」
甘えるように声を掛けて、なけなしの理性すら蕩けさせる。私を見下ろす運転手の顔は、はち切れそうな欲望に呑まれたオスのそれだった。
うふふ、か~わい。
そう思った私は、しかし次の瞬間、強い違和感を感じたのだった。
「!?」
それまでの甘い気分が一転し、冷たく硬いものが私の体を満たす。取り敢えず人間からは見えない聞こえないようにしておけばいいと軽く閉ざしただけのこの空間に、何かが滑り込んでくるのが分かったからだ。それとほぼ同時に、私の首に強い力が絡みつくのが分かった。運転手の手が、細く柔らかい私の首を捕らえていた。
凄まじい力だった。明らかに人間のそれではなかった。一瞬で首の骨が折れ、呼吸ができなくなる。首から下の神経が断たれ、感覚が失われる。
だが、この小さな体には取り敢えず十分なエネルギーを補充した私にとっては、大した問題ではなかった。首に力を入れ、骨も神経も巻き戻し、動くようになった両手で運転手の手首を力の限り握り締め、粉砕する。そしてひるんだ隙に逆に首を掴み、躊躇うことなくそれも粉砕した。
「貴様…貴様かぁ…! ははは、これはいい! あの時の礼だ! 受け取れ!!」
私の口から勝手にそんな言葉が漏れる。目の前に現れた<そいつ>の正体に気付いたからだ。
骨と肉が同時に潰れる音と感触を感じ、私はそれを喰った。私が閉ざした空間に入り込み、運転手の体を奪って私を潰そうとした奴を。
それは、新幹線用の橋げたなどに使われる高強度高密度のコンクリートでさえ豆腐のように握り潰す怪力が自慢の化生だった。名前は確かムォゥルォオークフとか言ったな。幼い少女を好んで生贄に求める下衆い悪魔として地球をうろついてる奴だ。
こいつとはちょっとした因縁があって、八百年ばかり昔に世話になったのだ。まさかこんなところで再会できるとは、嬉しいぞ。
しかし、この運転手は奴の依代でもあったか。それであの趣味だったのだな。
ムォゥルォオークフを私に喰われ、ただの人間に戻った運転手を、巻き戻してやる。
「ぼ、僕はいったい…?」
正気を取り戻した運転手が呆然とした様子でそう言い、それに私は応えた。
「きがついたか。ちょうどいい、わたしがなにものか、おしえてやる」
まさかこのタイミングでこれ程の喰い応えのあるものを喰えるとは思わなかったが、どうやってエネルギーを調達するか思案中だったし助かったよ。
ムォゥルォオークフを喰ったことで得たエネルギーを使い、ワンピースと下着と靴下を脱ぎ捨て、私は自分の体を再び再構成していった。五歳くらいの幼女のものだったそれは見る間に成長し、元の月城こよみの姿へと変化していく。
「き…君は…!」
自分が手を出そうとした相手が誰か気付いた時の運転手の絶望は、見ていて滑稽な程だった。それはそうだ。よりにもよって自分が送り迎えをしている客に手を出そうとしたのだからな。プロとしてはあるまじき行為だ。
さすがにこの体に戻ると、運転手の視線が気になってくる。まだ十分に余力があったから、制服も下着も靴下も靴もついでに再生した。これで全て元通りだ。
「さて、それじゃホテルに帰ろうか」
私がそう声をかけても、運転手は青い顔をしたまま固まっていた。最初は滑稽だと思ったその姿も、時間が経つとだんだん哀れに思えてきた。まあ、そうだな。回転寿司も奢ってもらったことだし、謝礼も結局うやむやになったし、ここはひとつ情けの一つもかけてやるか。
「今回のことは私から誘ったのだ。そんなに気にするな。それに私は見ての通り人間ではない。今回のことを口外できんのは私も同じだからな。お互い黙っていれば済むことだ」
そう言ってやっても「はあ…」と情けない反応をするだけの運転手に、さすがにイラッと来てしまう。ネクタイを掴んで顔を引き寄せ、鼻と鼻が触れそうな距離で私は言った。
「しっかりしろ! 貴様はプロだろう? 客の我儘に付き合って寄り道したくらいでオタオタするな! お前はお前の役目を果たせばいいのだ!」
私の発破にようやく目が覚めたかのように、運転手の目に生気が戻った。そうだ。イレギュラーなことがあったかも知れんがこれはお前も私もどちらも口外できんことなのは事実だ。利害関係は一致してるのだから<無かったこと>にすればいいのだ。その上でお前はお前の仕事を果たし私をホテルに送り届ける。そうすれば何も問題はない。
「お前は客である私の我儘に従って回転寿司店に寄った。金持ちの孫娘の我儘に振り回されただけ。よくあるモンスターカスタマーによる些細な厄介事。何を聞かれてもそう言っておけばいい。悪いのはすべて私。それだけだ。それ以外は何もなかった。いいな?」
私の迫力に圧され、運転手が頷く。分かってくれたことに思わずニヤリと笑みがこぼれる。
「お前はエネルギーが底をついていた私に回転寿司を奢ってくれた。いわば恩人だ。そのことには単純に感謝している。私としてもこれ以上お前を困らせるつもりはない。別に自力でここから帰ってもいいが、私は今、なんとなくお前に送ってもらいたい気分なのだ」
そして私は、さらにネクタイを引き寄せ、運転手の頬に口づけをした。
「謝礼としては釣り合わんだろうが、せめてもの礼だ。受け取ってくれ」
運転手の顔が真っ赤になるのが分かった。これ以上動揺させるのもどうかと思ったが、ショック療法というものもあることだし、こういうのもあっていいじゃないか?
その私の狙いが功を奏したか、運転手は照れ臭そうにしながらも落ち着きを取り戻したらしく、ネクタイを直し服装を整え、帽子を被り運転席に戻った。
「それでは、送り届けさせていただきます」
そう言って車を走らせ、ホテルへと戻ったのだった。
ホテルの地下駐車場で車を降りようとする私に運転手が声をかける。
「あ、お客様、これは…」
それは、幼児だった時に私が身に着けていたワンピースと下着と靴下とサンダルだった。
「私が持って行っても意味があるまい。お前の金で買ったのだからお前のものだ。好きにすればいい。ただし、今回のようなことはもう二度とない。決して間違いは犯すなよ。いいな?」
私の言葉に、運転手はバツが悪そうに「はい」と頷いたのだった。
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