外伝・肆 リーネの絶望

その少女が暮らしていたのは、今から八百年ほど昔のヨーロッパ中部の山間の小さな村だった。周囲ではあれこれ戦争とかで騒がしかったが、その村は地理的な理由もありあまり重要視されず、それまでは戦争に巻き込まれることも殆どなく、長らく平穏であった。


さりとて必ずしも裕福とは言えない暮らしぶりでもあり、決して栄えているとも言えなかっただろう。


そんな村で農家を営む夫婦の長女として生を受けたリーネも、僅か八歳ながら、自身の体とそれほど変わらない大きさの鎌を器用に使いこなして両親の手伝いをしていた。それは彼女より年長の子供達ですら敵わないほどの業前だったという。


「リーネは本当に働き者の偉い子だねえ。うちのグータラ息子にも見習わせてあげたいよ」


隣家の小母さんが感心しながらもそうボヤくのを、彼女は照れくさそうに笑いながら聞いていた。


さらに黙々と仕事をこなして、刈り入れが一通り終わると、隣の畑の刈り入れをしていた父親が「よし、今日はこれでお終いだ」と声を掛けてきた。


鎌の扱いは大人顔負けだったものの、さすがに力仕事となると小さな体ではどうにもならなかったが、彼女は本当によく働いた。しかも決して嫌々やらされているのではなく、自らの役目をきちんと理解して進んで行っていたのだった。それは、彼女の両親がそんな彼女の働きをしっかりと認めてくれて一人前として扱ってくれたのもあるだろう。


「お疲れ様、リーネ」


父親と一緒に家に帰ると、母親が優しい笑顔で迎えてくれた。


「畑仕事もいいけど、もう少し家の仕事も手伝ってくれたらお母さんは嬉しいかな。リーネも女の子なんだから」


食事の用意をしながらそう言うものの顔は笑っており決して嫌味や小言の類ではないことは傍目にも分かる。あくまで母と娘のコミュニケーションなのだろう。だからリーネも、


「私、包丁よりも鎌の方が使いやすいもん。それに楽しいし」


と、口を尖らせながらも目は笑っていた。


そんな親子の暮らしは、つつましやかではありつつもとても満ち足りていて、幸せそのものだった。


村の外では度々戦争が起こり、村が属する国が変わったりしてその度に役人がそれを告げに来たりもするものの、何しろ領主や国王といった支配者達が住む都からも遠く離れており、生産力も決して高いとは言い難いこんな山間やまあいの小さな村まではわざわざ手間をかけて支配の手を強めることもなかったことで村人達の間では、


「何だかまた違う国になったらしいよ」


「へえ、今度は何ていう国だい?」


などと他人事のように世間話としてやり取りがされるような状態なのだった。




村での収穫の時期を迎えた頃、また国が変わった。いつものことだと村の人間達は気楽に構えていたが、しかし今回はこれまでと大きく状況が変わっていた。新しい領主は、これまでの領主や国王が都としていた町ではなく、急峻な土地にある町を都と定めたのだった。他の国に攻められ難いようにという狙いだったようだ。


だがそれは、リーネのいる村の地理的条件も大きく変えることとなった。隣国との交易や交通の面で重要な位置に存在することになったのである。


そんな新しい領主の意向によりその村に軍の部隊を常駐させることが決まった。村に隣接し、しかし土の状態があまり良くないということでそれまであまり利用されていなかった平地に軍が常駐する為の施設が作られ、さらにはその周囲に、兵士達を客と見込んで店を始めようとする者も集まり始め、殆ど農耕だけで細々と成り立っていた寒村が、僅か半年ほどの間に一気に賑わいを見せるようになっていったのだった。


元々その村に住んでいた住人達はその変わりように戸惑いながらも、軍が兵站として作物を買い上げてくれる上に、兵士達目当てに建ち始めた飲食店や酒屋なども村で採れた作物を仕入れてくれるようになり、経済的にも潤い始めたのである。


こうなると元の住人達としても恩恵に預かることになり、やがて軍や新しい住人達のことも受け入れるようになっていった。


しかしそれは、先にも述べたようにこの村の地勢的な意味合いをも変化させることでもあり、次に起こることは必然であったのだろう。


領土を奪われる形になった隣国が、反転攻勢に出たのだ。それにより長らく平穏だったリーネの村は、戦火に晒されることとなってしまった。


他の国からの支援を得て武力を増強した隣国は新たに兵士を雇い、軍隊を編成して進軍を開始した。領主が新しい都とした町を目指すにはリーネの村はまさに重要な拠点となり、一気かつ苛烈な攻撃を受ける形になった。それを見越しての村への軍の配備だったが、それが完全に整わないうちにということだったらしい。


十分な準備が完了しない段階で激しい攻撃を受けたことにより、村に配備されていた部隊は潰走。隣国の軍隊がそこを制圧した。と言っても、ついこの前まではこの村は隣国の一部だったことで、元々の住人達はそんなに酷いことはされないだろうと楽観的に見てさえいた。


だが、この時、村を制圧していた部隊は、臨時で雇われた兵士だけで構成された、ある意味では使い捨ての突撃部隊でもあった。その部隊の兵士達の殆どは、兵士とは名ばかりの、ならず者やごろつきの類であったのだった。




その村に軍隊が駐留していた時には、それが敵でありそれと戦うことが目的であったことから、ならず者やごろつきで構成された部隊もそちらに集中していた。だが、軍の施設を完全制圧し、そこに駐留していた兵士達は命からがら逃げだして、反撃してくる気配もなかった。いずれは反撃があるとしても、しばらくは休むこともできるだろう。


そうなると、兵士の格好をしたならず者やごろつき達は、村を我が物顔でうろつき始めた。勝手に家に上がり込んで食事をせびったり、些細なことで因縁をつけて暴力を振るったり、女性に絡み始めたのである。


こうなるとさすがに元々の村の住人達もマズい状況だと察し始め、どうにか自分達で身を守ろうと兵士達の上官へと直談判に出たりもしたのだった。


だが―――――。


だが残念なことに、その<上官>達も兵士達と大差ない悪辣な輩だった。


「なんだ? ここはもう俺達が占拠してんだ。俺達が支配してんだよ。文句があるならお前達が出て行け」


取りつく島もなくそう吐き捨てられ、村の代表の一人が激昂した。


「ふざけるな! ここは俺達の村だぞ!!」


リーネの隣家の息子だった。畑仕事にはあまり真面目ではなかったが、少々気の荒いところがあり、頭に血が上りやすい面があったのだ。しかしその態度は完全に火に油というものだった。掴みかからんばかりの勢いで歩み寄った彼の腹に、剣が突き立てられる。


「あ…はぁ…あぁあぁぁ……」


つい今しがた勇ましく突っかかった彼は、吐息のような力のない悲鳴を漏らしつつ、腹を押さえてその場に力なく崩れ落ちた。その場にいた村人達に怯えが広がっていく。


「これは攻撃だな。攻撃されたら反撃しなきゃいけねえ」


血の付いた剣を手にした<上官>がのそりと立ち上がる。その姿はまるで、静かだがすさまじい殺意を闘牛士へと向ける巨大な雄牛を思わせた。


その雄牛のような男は部下十数人を引き連れて、リーネの隣家に押し入り、夫婦を容赦なく惨殺した。


「なんてことを…!」


隣人が断末魔の叫びを上げるのを耳にして、リーネの両親は娘を抱き締めて家に閉じこもった。だが、窓から兵士の一人が覗き込んでいて、リーネの母親と目が合ってしまった。


「逃げなければ…!」


次に起こることが容易に想像できてしまい、父親は娘と妻を連れて裏口から逃げることを決意した。万が一の場合の武器になればと使い慣れた鎌を手に取り、裏口を開ける。しかし……


「あ…!!」


リーネの家は既に包囲されていて、何人もの兵士が立ちはだかっていた。


「くそっ!!」


リーネの父親は鎌を振るい、兵士の一人の首にそれを突き立てたが、そこまでだった。他の兵士が一斉に剣を構えて突進、何本もの剣に貫かれ崩れ落ちる父親の目に映ったのは、兵士に捕えられ家へと押し戻される、妻と娘の姿であった。




「よくも…よくも……!」


目の前で父親を殺されたリーネは、僅か八歳の少女でありながら凄まじい憤怒の表情を見せていた。大きな鎌を自在に振るい大人でも大変な畑仕事を淡々とこなすその胆力は伊達ではなかったということだろうか。


「よくもお父さんをぉぉっっ!!」


体を捻って兵士の腕を振り払い、自分用の鎌を手に取り、リーネは渾身の力を込めて兵士達を薙いだ。すると、一人の兵士の首が落ち、もう一人の兵士の首の骨に刃先が食い込んで止まった。


有り得ない光景に、ならず者やごろつきとしてそれなりの修羅場をくぐってきた兵士達でさえ怯む。


「リーネ!!」


「お母さん!!」


母親の手を取り、リーネは玄関へと走る。


だが、ドアを開けた瞬間、小さな体が爆風に吹き飛ばされるかのように宙を舞い、壁へと叩き付けられる。


「あ……が…あぁ……」


床に落ちたリーネの体がビクンビクンと痙攣する。口からは血が溢れ、白いものが混じっていた。折れた歯がこぼれ出したのだ。


「リーネ! リー…っ!」


娘の名を叫びながら縋りつこうとした母親が、逆方向の壁へと弾け飛ぶ。


「隊長!」


ドアをくぐって入ってきた、まるで雄牛のような人影に向かい、兵士達が声を上げる。


「ガキ相手にヘタ打ってんじゃねぇ…!」


雄牛を思わせるその男は、そう呟きながら家の中を睥睨した。そしてゴツゴツと床を踏み、半ば意識が飛んだ状態で床に転がるリーネへと歩み寄った。手を伸ばし、男の半分もない小さな体の少女の髪を鷲掴みにし、引きずり起こす。


「美味そうなガキだな。だが、身の程ってもんをわきまえてねぇ。これは躾が必要だ…」


べろりと舌なめずりをした男の顔には、吐き気をもよおすほどに下劣で醜悪な笑みが張り付いていた。明らかに興奮している。


「やめて! その子にはもう何もしないで! お願いです!!」


ガクガクと震える腕で辛うじて上半身を起こした母親が懇願する。しかし男は母親の方には視線さえ向けることなく吐き捨てるように兵士達へ告げた。


「お前ら、そっちは好きにしていいぞ。ガキの不始末は親の責任だ。たっぷりと責任を取ってもらえ……」


待ち望んでいたその言葉に、兵士達の顔にも下卑た笑みが浮かぶ。


「あ…あぁ……」


にじり寄る兵士達を見上げた母親の顔は絶望に歪んでいた。


群がった兵士達に組み伏せられ、服を剥がれ、嬲られ、凌辱され、終わることのない地獄に、母親は壊されていった。


首を絞められ、叫ぶことも悲鳴を上げることも許されず、やがてどれほど激しく責められても反応すら返さなくなっていく。


「おい、こいつ、死んでるぜ…」


「なんだよ、もう潰れちまったのかよ」


「かまわねぇからさっさと代われよ。もう一発抜かせろ」


嘲笑交じりの聞くに堪えない悪鬼の戯言が、朦朧となったリーネの耳を打っていた。




この時、リーネ自身も既に意識が混濁していた。奥歯が何本も折れるほど手加減なく殴られて吹っ飛び、激しく壁に頭を打ち付けたことで脳に重大な損傷が生じていたのだ。


「ちっ! 加減を間違えちまったか。大人しくなったのはいいが、これじゃ面白みもねぇな」


悪魔の方が可愛げがあるんじゃないだろうかという程におぞましい笑みを浮かべながら、雄牛のような男はリーネの服をはぎ取り、彼女を人形のように扱った。歯が折れ傷だらけになった口だけでなく、耳からも鼻からも血を流しながら、リーネはもう力なく男にされるがままだった。


それでも痛みは感じるのか、それともただの肉体の反射なのか、リーネの腕よりも太い男の一物に貫かれ体が裂けると、ビクンビクンと痙攣を起こす。


「あ…。うぁ…が……ぁ…ごぼぁ…っ!」


内臓を圧迫されて胃の中のものが逆流し、男の体に掛かる。それでも男は「汚ぇなあ」と苦笑いを浮かべただけで構うことなく少女の小さな体を玩具の様に扱い、ガクガクと上下に揺さぶった。


吐瀉物交じりの血を口からだらだらと垂れ流すリーネの目には、もはや意志を感じさせる光は宿っていなかった。涙なのか血なのか、赤い液体がこぼれて頬を伝う。


三度四度と少女の体内に己の欲望を吐き出し、ようやく満足した男は微かにまだビクビクと痙攣するリーネを床に放り出し、あぶれて順番待ちをしていた兵士達に声を掛けた。


「おい、後は好きにしていいぞ。俺は先に帰るからな。後始末はしっかりとしておけよ」


面倒臭そうに言い残した男が家を出て行くと、兵士達は残されたリーネをさらに徹底的に嬲り尽くした。少女の肉という肉を貪り、弄び、いたぶる。


とうの昔に呼吸も止まり、鼓動さえ止まってもなお、リーネは、十数人の兵士達の玩具とされたのだった。




ようやく悪鬼共の宴が終わり静寂が戻ったリーネの家に、火の手が上がる。雄牛のような隊長の言った<後始末>であった。すべてを灰にして、なかったことにしようという意図なのだろう。


轟々と燃え盛るそれを、兵士達は酒を飲みながら囲み、ゲタゲタと笑っていた。その光景を、村人達は恐怖に慄きながら遠巻きに見詰めることしかできなかった。




リーネ。享年、八歳。死因。外傷性ショックによる多臓器不全。


平和だった小さな村を襲った戦火の合間に少女はあまりにも悲惨な最期を迎えてしまったが、彼女と同じようにして命を落とした少女は数限りなくいたのだろうと思われる。


なお、リーネの死後、その村は何度も戦闘の舞台となり、彼女らが先祖代々守ってきた畑は踏み荒らされて破壊しつくされ、住人も半数以上が命を落とし、残った者も難民として散り散りになって村を離れ、やがてそこにかつて人の営みがあったことすら忘れられていったのであった。


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