Regression

メヒェネレニィカ。別々の空間を繋ぐ門そのものでもあるこいつに、物理的な攻撃は通じない。攻撃自体が別の空間に飛ばされてしまうだけだからだ。


ではどうするのか? 簡単だ。こいつの存在そのものを奪ってしまえばいい。人間にはそんなことはできないが、私にはそれができる。私に存在を認識された時点でこいつの負けなのだ。私の髪はこいつの表面に触れている。それで十分だ。メヒェネレニィカの姿が、空間に溶けるように消えていく。私が存在を奪ってやったからだ。これで終わりだ。呆気ないものだな。


だがその時、私はひんやりとした冷気を感じた。感じると同時に体を躱したが、左半分がスライスされていく。まさかと視線を向けた先に、メヒェネレニィカの姿があった。くそっ、他にもいたのか。だが慌てる必要は無い。こいつも同じように存在を喰らってやればいいのだ。しかし。


ちっ、ダメか……


このまま喰らってやろうとしたが、奴は常に空間をずらしていて掴みきれない。奴の体がスライドしているように見えるのはその所為だ。さっきの奴は私の攻撃をそのまま返そうとしたのが仇になって私に位置を掴まれたが、なるほどその失敗を見て学習したか。


私の方ももうこいつの攻撃など喰らわない。冷気を感じた瞬間に私も同じように空間をずらし、躱しているからだ。ショ=エルミナーレの時に使ったあれだ。もっとも、外から見れば互いに睨み合ったまま動かないようにしか見えんだろうが。


認識阻害も行っているから防犯カメラを見ていても認識はできんだろうし、誰かがこの駐車場に入ってきても見えはせんが、このままじゃ埒が明かんな。仕方ない。面倒だからあまりやりたくなかったんだがな。


僅かに意識を集中し、力を集約しつつ分散するという極めて矛盾したことをする。と、メヒェネレニィカがずらした全ての空間に同時に私が現れた。と言うか、こいつの力が及ぶ空間全てに同時に私が存在しているのである。実体を伴わない<仮>であるが、およそ無限とも言えるいくつもの空間に、私を同時に存在させるのだ。これでもうどこに行こうともこいつは私から逃れられない。


その全ての空間で同時にこいつを喰らう。こいつが現れる可能性のある空間にもし別の何かが存在してもお構いなしだ。かなりの数の巻き添えを生みながらも、私はこいつを喰うことに成功したのだった。一応、こいつじゃないものについては巻き戻しておいたがな。無数の空間に同時に存在しつつメヒェネレニィカを喰い、かつそれ以外のものは巻き戻すという、非常に手間のかかるやり方だったが、まあ、手間を掛けた分上手くいったようだ。


私に存在を奪われたメヒェネレニィカはさっきの奴と同じように空間に溶けるように消えていった。もしやまた次の奴が来るかもと警戒しつつスライスされたハイヤーと運転手を巻き戻したが、どうやらもうこれで終わりだったようだ。もっとも、もし次の奴が来たとしてもメヒェネレニィカの能力ではあれ以上のことはできんから、結末は同じだがな。


ただ、私としても少々力を使い過ぎた。月城こよみの肉体にはいささか負担が大きかったようだ。エネルギーを使い切った殆どの臓器が機能を失い、心臓も止まっていた。メヒェネレニィカ二匹程度では使った力には見合わない。脳に血が回らず機能が失われていく。メヒェネレニィカ以外に喰ったものを巻き戻さず取り込んでいればここまで力を失ったりはせんかったが、ちと失敗だったかも知れん。


幼い頃からの記憶がデタラメに脳の中を奔り抜ける。死を目前にパニックを起こした脳が生きる為に必要な情報を何とか探し出そうとして最後の足掻きをしているのだ。人間はこれを<走馬燈>とか言っていたな。それにしてもロクな思い出がない記憶だ……


しかし有効な方法など人間の肉体が見付けられる筈もなく、意識が遠退き、私はその場に倒れ伏したのだった……




「おい、大丈夫か、しっかりしろ!」


すぐ傍で大声でそう叫ぶ奴に、私は少しイラついていた。せっかく寝てるのだから邪魔をするなと思った。が、それと同時に寝ている場合じゃないことを思い出し、私はガバッと体を起こした。


「良かった。気が付いたんだね」


私を見下ろしながらそう言った男に、私は見覚えがあった。ハイヤーの運転手だ。だが、何だか位置がおかしい。こいつも地面に膝をついてるにも拘らず、上半身を起こした私よりずっと頭の位置が上なのだ。まるで巨人の様にも見えた。


だが違う。そうではなかった。逆だ。私の方が小さいのだ。そのことに気付いて体を見ると、バランスがおかしい、手足が短い、胸がない、毛もない。しかも裸だ。慌てて立ち上がって車のドアミラーで自分の顔を見る。


「幼女だ…」


そう、幼女だった。ドアミラーの小さな鏡に映っていたのは、恐らく五歳くらいの幼女の顔だった。背伸びしないとドアミラーにすら顔が届かない。その上、全裸だった。


何事かと思って意識を遡ると、足りなくなったエネルギーを補う為に、私は私の体を喰ったのだ。機能を失い役に立たなくなった臓器を喰い、それをエネルギーに体を再構成し、今あるエネルギーで維持可能な体を作ったのである。裸だったのは、恐らく少しでもエネルギーになるものをと思って無意識に制服や下着まで喰ってしまったのだろう。周囲にあるものまで片っ端から喰わなかったのは良かったが、しかしこれは何とも……


「どうしてこんなところで寝てたんだい? しかも裸で。お父さんやお母さんは?」


そう問い詰めてくる運転手の顔を見ると、紅潮してるのが見えた。その視線は、私の目ではなく、明らかに体の方、特に下半身の辺りに向けられているのが分かった。心拍数の増加、僅かな呼吸の乱れ、発汗が見て取れる。なるほどこいつ、運転手としての仕事はプロだが、そういう趣味だったか。中学生の私に対してはまあ冷静だったのは、ストライクゾーンが狭かったからだな。


だがまあいい、この際だ。こいつを利用させてもらおう。


「おとうさんもおかあさんもいないよ。それよりおなかへった。ごはんたべたい! まわるおすしたべたい!」


子供だから、どうして裸だとかどこの誰だとか、そんな細かい理屈はどうでもいい。とにかく今はお腹が減ってるんだとアピールする。すると運転手は、少し狼狽えながらもどこか嬉しそうな顔をした。


「あ、ああ、分かった分かった。じゃあまず回るお寿司食べてから、ゆっくりお話聞かせて」


そんなことを言いながらも目元がにやけてるのがバレバレだぞ。裸の幼女を連れて行けるのが、そんなに嬉しいか、この下衆が。と内心思いつつも、「やったー!」と私は声を上げていた。


「おじちゃんありがとー!」


と、運転手の足に抱き着いてやる。これは謝礼の前払いだ。受け取っておけ。


「それじゃ車に乗って」


運転手はそう言うが、まったく馬鹿な男だ。いくら子供がせがんだからと言って勝手に連れて行けば略取誘拐だというのに。ホテルの敷地内なのだから、フロントに連れて行って保護者を探してもらうか、警察を呼んでもらえばいいのだ。でもまあいい。今の私に保護者などいないし警察を呼ばれてもつまらん。それより寿司だ。寿司を食わせろ。


ハイヤーの後部座席に乗り込むと、私の鞄がそのままになっていた。それはそうか。私はここにいるのだから。仕方なく認識阻害で運転手からは鞄を見えないようにし、とにかく出発だ。


「ごーごーごーごーっ!!」


後部シートの真ん中に陣取り、思い切り右脚で運転席を蹴って出発を促した。鏡越しに運転手が私の下腹部を見てるのが分かったが、これも謝礼の一部だ。


『とにかくとっととイけ! 私はエネルギーを必要としてるんだ!! さっさとイかんとお前を喰うぞ、この遅漏野郎が!!』


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