群れる生き物

何を根拠にサタニキール=ヴェルナギュアヌェの仕業だと分かるのか?


簡単だ。ここまで人間を一度に堕落させられるのは、私クラスの存在を除けば奴しかいないからだ。同じように人間の気力を奪い怠惰にさせる化生は他にもいるが、そいつらは所詮、自らが憑いた人間だけを堕落させられるだけでしかない。規模が違い過ぎる。


しかも、生活は破綻したが生きる気力までは完全に失われた訳ではなく、多くの者が生活保護を申請するなどして生きる努力だけはしようとしていた。


この辺りの微妙な匙加減がまたいやらしい。私が文句を言いたくなるギリギリの辺りを攻めてきているのが分かる。取り敢えず生きる気力さえ失われていなければそれなりに楽しめるからな。


とは言え、このまま働く意欲を失いつつも生きようとだけはする人間が増えれば、社会的には大きな負担になるしやがて混乱にも繋がるだろう。


社会保障というやつは、百人のうちの一人が働く気力を失っても九十九人が働いていれば十分に成り立つが、それが五人十人となってくるといつかは破綻するのだ。


そいういう社会基盤に働きかける辺りもまたいやらしいな。奴の性格の悪さが滲み出ている。


奴がどうやって人間を堕落させてるのかも、既に判明済みだ。


仕掛けは実に簡単明瞭。飲食店やホテルで提供してる食事に奴自身が調合した薬物を、すぐには知覚できない程度に混ぜているのだ。だから、一度や二度食べただけではただ無性に次も食べたくなる程度の影響でしかない。しかし継続的に食べ続ければ意欲が失われ怠惰になり、仕事が続けられなくなる。私の<影>が食事をして確かめたから間違いない。


幸い、その薬物は、私はもちろん、月城こよみや肥土透ひどとおる黄三縞亜蓮きみじまあれん、山下沙奈らそれなりに力を持つものに影響を及ぼす程ではなかった。魔法使いである新伊崎千晶にいざきちあき赤島出姫織あかしまできおりに対してもさほど効果はないだろう。千歳はもう外で食事をしなくなっていたし、碧空寺由紀嘉へきくうじゆきかはそもそも碧空寺グループと関わりたくないと思っているから当然、食べになど行かない為に何も問題はなかった。


また、自然科学部でもはや二人だけになってしまった普通の人間である代田真登美しろたまとみ玖島楓恋くじまかれんは、普段から頻繁にファミリーレストランを利用する訳ではないし、その生来の生真面目で責任感の強い性分により、それぞれ一度ほど利用しただけで済んでいる。一度や二度食べた程度なら元々強い自制心を持っている人間であれば十分に抗えるものでしかないからだ。


が、学校全体として見れば、不登校の生徒が確実に増えていた。しかも、学業やクラブ活動に対する意欲が明らかに下がっており、教師は皆、頭を悩ませていた。特に古塩貴生ふるしおきせいに至っては、碧空寺由紀嘉本人が私の別宅に住むようになった頃から全く学校に来ていないそうだ。奴の場合はまた事情が違うかも知れんが、まあサタニキール=ヴェルナギュアヌェが絡んでいるという意味では全く無関係でもないだろう。


無論、影響は生徒だけではない。教師にも意欲が下がっている者が見られ始め、無断欠勤をする者もいたのだ。


それでも人間は、まだそれらが繋がりのある現象であるとは理解できていなかった。ただ何となく、サボり癖のようなものが学校に蔓延しつつあるという程度の認識でしかなかった。その為、普段から暑苦しいくらいに意欲的ないわゆる<熱血教師>が台頭を始め、生徒や他の教師のネジを巻こうと妙に張り切り始めてもいた。そういう奴らにも、奴の薬物は効果が薄いからな。


そしてここまでくると、さすがに月城こよみも異変に気付く。


「最近、学校の様子が変なんだけど、まさか心当たりがあったりしないよね?」


部活の後、いつも通りに私の家に他の連中と一緒に来ていた月城こよみがケーキを口にしながら私に訊いてきた。


「なんだ。今頃気付いたか。下賤の輩の仕業に決まってるだろう」


私は特に隠し立てもせず、そのまま答えた。すると月城こよみがまたも目を三角にして吠える。


「分かっててほったらかしかあんたはーっっ!!」


さすがにこのメンバーに加わってまだ日も浅い碧空寺由紀嘉はその剣幕に「ひっ!?」と息を詰まらせて引いていたが、他の連中は『いつものことだ』と平然としていた。


そんなこいつらの前で私は言った。


「ふん。お前が今頃になってやっと気付く程度のことに癇癪を起してどうする。この程度のことなど、元々人間自身も十分に陥る場合がある。私は実際にそういう事例を何度も見てきた。今回はたまたま化生の仕業だったというだけだ。このくらいならどうこうしなきゃならん必要性も感じんな」


そうだ。社会を混乱に陥れるほどになれば私としても黙ってはいられないが、今程度であれば様子を見てやっても構わんのだ。そして何より、今ならまだ、人間自身の気の持ちようで何とかなるレベルである。ここから人間が持ち直すのかこのまま落ちぶれていくのか、私自身も少し興味が出てきていたのだった。


恐らくサタニキール=ヴェルナギュアヌェもそれを分かっていてこれくらいに抑えているのだろう。実にいやらしい奴だ。


「貴様ら人間は、すぐに何かの所為にして甘えようとする。


『社会が悪い』『制度が悪い』『法律が悪い』『誰かが悪い』と、自分を助けてもらうことばかり考える。


だがな、問題を解決するには己が変わらなきゃならんのだ。周りに変わってもらうことを期待していても、誰もそんなことに応えちゃくれんぞ? 個人の都合に合わせてやらなきゃならん理由はどこにもないのだ。


今度の奴は、力こそそれなりに強大だが、破壊することが目的ではない。人間を堕落させ享楽的にすることを奴は望んでいるのだ。しかも、人間の力では抗えない程のわざでもない。気をしっかりと持てばどうということもないレベルでしかない。貴様ら人間は試されているのだ。己の力で立つことができるのか、それとも未だに高次の存在に支えてもらわねば立ってることすらできない赤子なのかをな」


「……」


私の言葉に、月城こよみは黙ってしまった。こいつにも分かるのだ。私の言ってることが。確かに大した威力も悪意も感じない。ただひたすらだらけた気分になり目先の楽を選び取りたくなる程度の力が作用しているくらいのことでしかないと。それを撥ねつけられないのは人間が弱いからだ。


代わりに、黄三縞亜蓮が口を開く。


「じゃあ、これで落ちぶれない人間は優秀ってことでいいの?」


なるほど。そういう解釈でくるか。だが、それは甘い。


「確かに、奴の影響を撥ね退けて意欲を失わん人間は、ある意味では優秀とは言えるだろう。だが、実際にはそう単純なものでもない。考え無しで無闇にポジティブなだけの奴にも効果が薄いのだ。お前は、そういう人間を優秀だと思うか?」


「あ、それは無理」


「理解が早くて結構だ。お前は実際に優秀だよ。


意思の強い人間が必ずしも優秀とは限らん。逆に、意志が弱いからと言って才覚に恵まれないともやはり限らん。


お前達人間は、群れることでしか生きられん脆弱な生き物だ。群れるというのは、お前と碧空寺由紀嘉及び赤島出姫織が信号機トリオを組んでた時のような、弱い力を合わせて大きな力に見せかけることではない。互いの弱さを補い合い、それぞれの能力を有効に活かすことなのだ」


そこで一旦言葉を切り、私は改めて問うた。


「月城こよみ、肥土透、黄三縞亜蓮。お前達は今、幸せか?」


「……え…?」


私の突然の問い掛けに、こいつらは思わず互いの顔を見合わせていたのだった。


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