サナコ

ショ=エルミナーレが衝撃波で騒ぎを起こした頃、私は学校で石脇佑香いしわきゆうかの鏡の前で座っていた。向こうでは結構な騒ぎになってたようだが、こちらでは爆発音は聞こえたものの校舎のガラスが数枚割れただけであちらに比べれば平和なものだ。


もっとも、ニュースの方は大騒ぎで、各局とも臨時ニュースを流していたようだが。それでも現場にいたものでなければ所詮はテレビの向こうでの話。どうやら隕石の爆発らしいということで論調がまとまると、死者が出なかったこともあり日付が変わるころには一部の放送局を除き通常の放送に戻っていった。


その後もニュースが流れればトップニュースだったものの、それが故にアニメの録画を見ていた石脇佑香はそれを目にすることなく、連日報道が続いている行方不明事件の方だけを見ることになったのである。ツイのタイムラインも一時は爆発音一色に染まっていたとはいえ深夜アニメが始まる頃には収まっていたのだろう。


無論、それでも後にニュースで見て知るのだが、


「…と、いう訳だ」


「へえ、そうだったんですね」


と、私が事情を話せばすぐに興味も薄れたようだ。


まあそれはさて置き、夜が明け、一日が始まろうとしていたその時、何気なく窓から校門の方を見た私は、一人の女子生徒が立っていることに気が付いた、それは、私が知っている顔だった。


山下沙奈やましたさな…か』


一年六組出席番号三十六番。血液型AB。手入れの行き届いてない髪を無造作に伸ばしたその姿は、有名ホラー映画の怨霊を想起させ、サナコとあだ名されていた。


だが私は、新入部員として勧誘され部室に連れてこられた彼女と初めて会ったその日から、何か不穏なものを感じていた。


『あれ?…この子……』


その当時は私もクォ=ヨ=ムイとしての自我に目覚めていなかったのだが、それでも感じるほどに彼女は異様な存在だった。その姿形ではなく、彼女自身から放たれる何かが、ひどく引っかかっていたのであった。とは言え、その頃の私にはそれ以上のことは何も分からなかったから、どうすることもできなかったのだが。


しかし今なら分かる。あいつは<憑依>されている。しかも、人間にとっては飛び切り悪質なものにだ。


『ふん…そういうことか』


私は察した。どうやら、遂にその時が来てしまったようだと。校門のところから数十メートル離れ、窓も締め切られたここにまで、隙間を通る空気に乗って血の臭いが漂ってくる。一仕事終えてきたところという感じか。


元より、生徒がまだ門も開いていないこんな時間に学校に登校してくることがおかしい。家にいられない事情があるのだろう。


それだけじゃない。私が気付いているように、向こうも私に気付いているのが分かる。覆いかぶさった前髪で表情は窺い知れないが、そこから隠し切れない狂気が滲み出ていることは、少し勘のいい者ならただの人間でも分かるに違いなかった。どうやら私に用があるらしいな。


『さて、せっかくだし出迎えてやるか』


もう六時は過ぎてるから警報は解除されている筈だ。私は窓を開け、そこから外に身を躍らせた。そして真っ直ぐに校門に向かって歩いていく。


それに伴って血の臭いも濃くなっていく。二人、いや、三人分はあるな。一応はシャワーか何かで洗い流したのだろうが、それだけでは消えんぞ。


「……」


「……」


校門を挟んで黙ったまま向かい合う。見た目は変わっていないが、その体から漂うものはもうすっかり人間としての面影を失ってるな。


そうやって対峙していると、私の背後から誰かが近付いてくる気配がした。用務員だ。私の姿は見えていない筈だが、山下沙奈が立っていることに気付いてやってきたのだろう。


「君、随分早いねえ。早朝練習かな?」


用務員が校門の鍵を開けながら山下沙奈に尋ねた。しかし山下沙奈は黙ったまま頷いただけだった。用務員もその異様な雰囲気を感じ取っていたようだが、深入りしないことに決めたのだろうな。それ以上は特に何も言わず門を開けた。山下沙奈が歩き出し、私の方に向かってくる。私も身を翻して歩き出した。


山下沙奈に完全に背を向けた状態だ。攻撃するつもりならいつでもできる状態だった。だが、何もしてこない。少なくともこのまま部室までは行くつもりなのだろうことは分かった。


二人で自然科学研究部部室まで来た。鍵は手元には無いが、開けるのは造作もない。二人で部室に入り、机を挟んで席に着く


「…殺してきたのか…?」


単刀直入に訊く。回りくどいことをしていても意味はないからな。


「…はい…三人、殺しました…」


山下沙奈は動揺することもなく感情的になることもなく淡々と答えた。


「二人は、親か? もう一人は?」


私も静かに問う。二人きりの部室で、女子中学生二人が異様な会話をしていることにまだ誰も気付いていないというのがどこか滑稽なような気がした。


「…お客です…」


その答えで、私はすべてを察した。以前からこの山下沙奈には、一部の生徒の間である噂が立っていたのだ。『一年六組の山下沙奈は、ウリをしている』と。


自然科学研究会にもその噂は届き、ある者は憤慨しまたある者は彼女に同情したが、私は彼女から漂ってくる臭いでそれが事実であることを以前から気付いていた。シャワーを浴びただけでは落ち切らない程の、男の汗と唾液と精の臭いだ。


そして彼女は語りだした。


「私のお父さんは、私が小学校に上がる前に失踪しました。残されたお母さんはしょっちゅう違う男の人を家に連れてきました。お母さんはその男の人達といつも抱き合っていました。私はその時のお母さんの声を聞きたくなくて、家の外に行くか、耳を塞いでました。


…そして小学校二年の時、お母さんが連れてきた男の人が、私が寝てるところにやってきて、私を触りました。私はそれが嫌でお母さんに助けてほしいと思ったけど、お母さんは「変態」と男の人に言っただけでした…」


俯いた顔に前髪が一層覆いかぶさり、彼女の顔は口元しか見えなかった。その口元は震えているようにも見えた。


「そして私は串刺しにされて、殺されました。ものすごく痛くて熱くて、血がいっぱい出ました。体は生きてるけど、私の心はその時に殺されました


…それから私は、人形になりました。お母さんが連れてくる男の人は大体一ヶ月くらい、早くて一回で違う人に変わりました。その男の人達が何人も、私のことも串刺しにしました。その度に私は殺されました。私の心は殺されました。いつの頃からかお金を渡されるようになったけど、それは全部お母さんが持っていきました…」


そこまで言ったところで、山下沙奈は一層俯き、膝を握りしめた手が震えているのが見て取れた。


「先月のことです。お母さんがまた新しい男の人を連れてきて言いました。『新しいお父さんだよ』って。それまでそんなこと言ってなかったのに、その人のことはそう言ったんです。その人は優しい人でした。私にお小遣いをくれて、遊園地にも連れて行ってくれました。それなのに……」


山下沙奈の顔から、水滴が落ちる。涙だった。


「それなのに、昨夜、その男の人が友達だっていう男の人を連れて帰ってきました。そして、言ったんです。『これだけ優しくしてやったんだから、そろそろいいよな』って……


私はまた、串刺しにされました。それから男の人の友達だっていう人にも串刺しにされました。お母さんは隣の部屋で、お金を数えていました……」


俯いた山下沙奈の体の中で、何かがギリッと音を立てていた。


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