信仰者

私にしてはなるべく穏やかな感じになるように声を掛けたつもりだが、さて、どうかな。


「……」


すると、しばらく逡巡していた碧空寺由紀嘉が、おずおずと自分の手を差し出してきた。私はその手を掴み、引き起こす。


「……え…と……」


ようやく立ち上がった碧空寺由紀嘉だったが、今度は居心地悪そうに視線を泳がせて太腿を擦り合わせもじもじし始めた。しきりに自分の腰の辺りを気にしてるのが分かる。


「小便と古塩貴生ふるしおきせいのあれが気になるか?」


「―――――っ!?」


私の言葉にギョッとした後で顔が真っ赤になるのが分かった。そんな碧空寺由紀嘉に向かって、


「ちょっと待て」


と声を掛け、小便もザーメンも消してやった。ついでに、子宮内に受精卵があったから巻き戻しておいてやったぞ。まだ着床前だったからどのみち着床するかどうかも分からんやつだったし、そもそもこいつは黄三縞亜蓮きみじまあれんとは違うからな。どう考えても子供を生み育てる覚悟ができるような奴ではない。


でもまあそのことは敢えて口には出さず、


「ほれ、下着もくれてやる。イエロートライプの新作。もちろん新品だ」


と、その場で作った紙袋入りのショーツを手渡してやった。


「え…? あ…!?」


内股を擦り合わせても小便の感触もザーメンも感触も感じられないことに気付いた碧空寺由紀嘉が、思わず右手を自分の股間に突っ込んで何もないことを確認し、戸惑いながらも受け取ったショーツを穿いたことでようやく少し落ち着いたようだった。


「じゃあ、帰るか。ついでだ。家まで送ってやる」


そう言った私に促され、碧空寺由紀嘉は自転車を起こしてバツが悪そうにしながらも一緒に歩き出したのだった。


ちなみに、こいつを襲った男はどうしたかと言えば、女子高生としての影の私が少し離れたところまで運んでズボンもパンツも脱がし、私も穿いていた下着を脱いでそれで男の一物を包み、ちょちょいとしごいてたっぷりと私の下着に出させ、下半身を放り出した状態の男と男のザーメンがたっぷりと付いた下着を放置し、公衆電話のあるところまで空間跳躍してそこから警察に、


『下半身を露出した変質者がいます。場所は○○です』


と通報してやって、実際に警察が来て男と私の下着が回収されたのを確認した後、役目が終わったということで消したのだった。


わざわざ私の下着に射精させたのは、まあ、警察が気を効かして体液のDNAでも調べてくれれば何かの役に立つかもと思ったんだが、その狙い通り、他のレイプ事件で採取された容疑者の体液とDNAが合致。見事に未解決事件の解決に役立ったということだった。


まあそんなことも一方ではありつつ、私と碧空寺由紀嘉は二人で夜道を歩いていた。今度は余計な邪魔が入らないように軽く空間を閉じて人間には私達のことは認識できないようにしてやったがな。


そして私は語り掛けた。


「貴様、愛人の子だったのか?」


「……!」


私の言葉にまたギョッとした顔をしたが、碧空寺由紀嘉は黙って頷いた。それから少しおいて、自ら語り始めた。


「今のお母さんは、私の本当のお母さんじゃないの……


私の本当のお母さんは、お父さんの愛人だった。今のお母さんとの間に子供が出来なかったお父さんは、愛人だった私のお母さんが産んだ私をお金で買い取って、今のお母さんが産んだことにして出生届を出した……ご丁寧に、知り合いの産婦人科にお金を渡して記録を偽造してまで……


そうやって私は碧空寺の家に来て、お父さんは私を大事にしてくれたけど、今のお母さんは私を憎んでた。だからお父さんのいないところではいっぱいヒドイことしてきた。だからお母さんなんて大嫌い。今のお母さんも、私をお金で売った本当のお母さんも大嫌い…」


自転車を押しながら俯いて私の方を見ようともせずにそう話す碧空寺由紀嘉の目は、涙ぐんでいた。


ふん、案の定、こいつの家もロクなものじゃなかったか。まあそんなことは言われずとも分かっていたがな。本当に幸せな家庭なら、わざわざそれを壊すような真似をする必要もない。薬物になど頼る必要もない。自分のことを道具としか思わんような男に依存する必要もない。どれもこれも、家庭で得られないことを他所で得ようとして失敗したことだ。実にくだらん。


どうやら父親は娘に甘いようだが、それもどうせ小遣いをたくさんくれるだの言えば何でも買ってくれるだの、その手の、子供をペット扱いしてる輩のやり口だろう。


そういう手合いは、子供の顔など実は見ちゃいないし、話などそれこそ聞くつもりがないのだ。自分の思い通りになる可愛い人形やペットが欲しいというやつだ。


私も人間の話など聞きはしないが、それは私が人間ではないからだ。人間が蟻の話など聞くか? 興味を持って観察してる奴はそういうことをするかも知れんが、普通は聞こうとも思わんだろう。それと同じだ。私が人間の話を聞いているような真似をしていたとしても、それは蟻の観察者が行動を見る為に意識を向けてるのと変わらん。別に情など介在しておらんのだ。


もっとも、それで人間の方が勝手に誤解することはあるかもしれんがな。


だがまあ、こうやって話を聞くふりをしてやること自体は、悪い気もしないが……


おっと、そんなことはどうでもよいのだ。


今まで口にできなかったことを話して少し楽になったのか、碧空寺由紀嘉の顔は、毒気が抜けたような幼いそれになっていた。


とは言え、人間はそんなすぐに劇的には変われん。こいつはこれからも薬物はやめられんだろうし、古塩貴生と縁を切ることもできんだろう。黄三縞亜蓮が古塩貴生を捨てることができたのは、肥土透ひどとおるに気持ちが移ったからだ。でなければ今でもずるずると関係を続けてた可能性は十分にある。依存する相手を変えただけということだ。


こいつがこれからどうするつもりかは私は知らん。関係もない。勝手にすればいい。


『だが、面白そうなことでも起こるなら相手はしてやる。サタニキール=ヴェルナギュアヌェがこれからどうするつもりかというのもあるし、あれだけ奴と関わってしまってはそう簡単に因縁も切れんだろう。折角だからもう少し様子を見てやってもいいかも知れんな』


などと考えている間に、碧空寺由紀嘉の家が見えてきた。


「貴様の家庭環境に首を突っ込むつもりなど私は毛頭ない。それは貴様が自分でどうにかする問題だ。


しかし同時に、貴様が何かを望むというのも、勝手にすればいい。それを聞き届けてやると保証はせんが、なにしろ私は気まぐれで身勝手だからな。今さっき言ったことも無かったことにすることもざらにある。ダメモトというのも無いとは言えんぞ」


そんな私の言葉に、碧空寺由紀嘉はようやくこちらに顔を向けて言った。


「あなた…一体何なの…?」


『何なの?』と言われてもそれに応えてやる義理もないが、まあいいだろう。


「私の本当の名前はクォ=ヨ=ムイ。貴様らが<神>だとか<邪神>だとか呼ぶものだ。貴様がこれまで目にしたものは全て現実だ。夢でも幻覚でもない。貴様は既に深淵に足を踏み入れているのだ。それを自覚することだな」


また小便を漏らさない程度に加減はしながらも、私は薄く狂悦の笑みを浮かべて睥睨してやった。碧空寺由紀嘉の顔が恐怖に強張っていく。


だがそれでいて、その目には、恐怖だけではないものが確かにあった。自分の話を初めてまともに聞いてくれた相手を見付けたという悦びとでも言えばいいか。


それが私の身勝手な<ふり>だとしても、こいつはもう、そういう風に認識してしまったのだ。


「……神様……?」


普通の人間には聞こえないであろう小さな声でそう呟いたこいつの表情は、畏怖すべき相手に縋らずにいられん、信仰者のそれになっていたのだった。


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